154:銀の腕
右腕の内側に覗く、銀の腕。
金属質なそれは、私の腕と言うには少々違和感がある。
だが、この腕は私の意思の通りに動いている。これは間違いなく、千狐の力によって変貌した私自身の右腕だ。
大精霊の力を受け取ったことによって生まれた、私自身の新たな力。
僅かに銀の覗く灼銅の腕を振るい、私は戸丸へと向けて突撃していた。
「君は、君の力は、一体……!」
「さてな、私も良く分かっていないよ!」
戸丸が振るう刃へ、私は右腕を盾にしながら接近する。
彼の刃は目に捉え切れぬ速度で私へと迫るが、軌道は既に予測が出来ている。
私はその軌道へと右腕を差し込み――金属音と共に、その一閃を受け止めていた。
彼の刃によって先ほどとは異なる位置が斬り裂かれ、やはりその下から銀の金属質な腕が覗く。
やはり、右腕全体がこの銀の腕へと変貌しているようだ。
「はぁッ!」
「っ、厄介な!」
こちらの肩口を狙って振るわれる刃を、腕を使って打ち払う。
またも灼銅の腕が斬られて燐光が弾け、その表皮の一部が消滅するが、内側に覗く銀の腕には傷一つない。
私はそのまま戸丸へと肉薄し、体勢の泳いだ彼へと向けて右の拳を突き出していた。
対し、戸丸は後ろに倒れ込むようにしながら体を逸らす。
その不安定な体制のまま腕を持ち上げ、彼は右手と左手の隙間を空けた刀の柄で私の拳を受け止めていた。
受けた勢いのままに戸丸は後方へと吹き飛ばされるが、その体にダメージは皆無だろう。
上下逆さまに吹き飛びながらも、彼は器用に手を付いて体勢を立て直していた。
『千狐、腕が削られているが、そちらに影響はないか?』
『うむ、案ずるなあるじよ。《王権》の制御に至った以上、《掌握》による拘束術式は最早必要ない。お主の右腕を覆う妾の力は必要最低限のものじゃ』
『それを聞いて安心した。ならば、後はタイミングだけか』
小さく笑い、私は古代兵装の場所を確認する。
若干距離は開いており、戸丸を古代兵装の傍から引き離すことには成功している。
だが、直線距離で動けば瞬発力がある戸丸の方が先に着いてしまうだろう。
下手に動けば彼から背中を狙われることになる。流石に、それを避け切る自信は無かった。
「……君の力は、君のその腕は……一体、何だ?」
「……突然何を言い出す。お前の精霊で見ればすぐに分かることだろう?」
「いや……分からないよ。分からないんだ。《理解》の力でも、君のその腕のことを理解できない。あの『無貌』の術式以上の何かが、そこに宿っているとでも言うのかい?」
信じられないものを見たと言うように、戸丸は呆然と目を見開きながら私の右腕を凝視している。
私は右腕に覗く銀の装甲へと指を這わせながら、内心で彼の言葉に納得していた。
この腕は、《王権》によって形成されたもの。
その根幹となるのは、神々の王たる《魔王》の権能だ。千狐の言を鵜呑みにするならば、『無貌』すら凌駕する存在であることは想像に難くない。
そうであるとするならば、例え精霊の力を高めた戸丸が相手であろうとも、彼の力でこの腕を破壊できるとは到底思えなかった。
恐らく、千狐もそれを見越していたからこそ、慌てることが無かったのだろう。
「さてな、私もこの力の詳細までは分からない。だがまぁ、多少は知ることも出来た。これが、八尾様すらも注目する《魔王》の力の欠片であるとな」
「……それが、通常発動状態でありながら《回帰》の力に対応できている理由だと?」
「『無貌』が私に注目するのも、納得できる力だろう?」
私の言葉に、戸丸は虚を突かれたかのように目を見開く。
嘘は言っていない。『無貌』が私に注目しているのは間違いなく《王権》が原因であるし、《魔王》の権能が強力無比であることは否定できない事実だ。
とは言え――その実態については、未だに多くが謎に包まれているのだが。
「そうか。君は、僕の期待よりも遥かに上を行っていたのか」
「……やはり、降伏は出来ないのか?」
「君は良く知っているだろう? 『無貌』は、それほど甘い相手じゃあないよ」
戸丸の言葉に、私は小さく溜め息を吐き出す。
分かってはいたことだ。今の彼が、己の意思では止まれないことは。
そんな生易しい終わり方を、あの『無貌』が許すはずもないことは。
許容しがたい事実ではあったが、そこから目を背ける訳にはいかないだろう。
私は拳を握り、前へと突き出す。この灼銅の毛皮の下にある、白銀の腕を意識しながら。
「加減は無理だ、全霊を以て相手をする」
「やはり、この程度で油断をする人ではないか」
ちらりと位置を確認して、私は駆ける。
例え右腕で防御できると言っても、彼の剣の冴えが鈍った訳ではない。
油断すれば一撃で斬り伏せられる状況に変わりはないのだ。
故にこそ、相手に主導権を握られるわけにはいかない。
「《掌握》……ッ!」
千狐が《王権》の制御に専念する必要がなくなったおかげで、更に《掌握》を発動する余裕はある。
私は即座に周囲の空間情報を把握、こちらへと振るわれる刃の軌道を読み取って右腕で受け止めていた。
しかし次の瞬間、手品のように翻った刃が瞬時にこちらの脇腹を狙う。
腕を振り下ろしてギリギリでそれを阻んだ私は、踏み込みながら左の肘で戸丸の胸を狙っていた。
しかし相手もさるもの、咄嗟に体を半身にして回避すると共に、一歩引いてこちらの胸を刃で狙う。
その一撃を右手の甲で受け止めて、私はその場から一歩後退していた。
相手の動きを読んでいても完全には対応しきれないこの速さ、流石としか言いようがない。
「だが……っ」
周囲の状況を常に把握しながら、私は小さく舌打ちする。
多少の距離など、彼にとっては有っても無くても変わらない程度のものでしかない。
瞬時に肉薄してきた彼が振るう刃を受け流し、私は魔力を込めて一歩踏み出していた。
その足が地面についた、その瞬間――アスファルトの地面は、放射状に亀裂を走らせながら砕け散る。
大小様々な石が浮かび上がり、大地が捲れ返るように弾け飛ぶその様には、流石の戸丸も多少驚いた様子であった。
尤も、彼にとっては隙にもならないであろう小さな空隙だったが――
「――《千刃招来》」
そこに、一人の声が響き渡っていた。
頭上から降ってきたのは刀祢の声。いつの間にか近くにあった建物の屋上へと昇っていた彼は、その縁に立ちながら刃に魔力を灯して振り下ろしていた。
放たれるのは、宙に浮かぶ刀を模した無数の魔力刃。
それらの刃は、私たちの周囲へと無作為に放たれ――否!
「《掌握》ッ!」
周囲の状況を把握して、私は即座に横へと向けて駆けだしていた。
タイミングもバラバラに降り注ぐ刃ではあったが、私の横手――古代兵装へと続く直線だけは、手前から順に落ちるように放たれていたのだ。
その刃の下を掻い潜るように飛び出せば、後を降り注ぐ刃が戸丸の行く手を阻む。
彼の技量ならば、これを抜けることも難しくは無いだろうが、それでも速度は落とさざるを得ないだろう。
ならば――今この瞬間以上の好機は存在しない。
「起きろ、《王権》」
拳を、強く握りしめる。
瞬間、右腕全体を銀の炎が包み込んでいた。
熱は感じない。ただ、途方もなく強力な力がびりびりと肌を震わせていた。
灼銅の毛並みは銀の炎に侵食されるように燃え上がり、その姿を失う。
内側から現れたのは――白銀に輝く、機械仕掛けの腕だった。
大きさは普段の私の腕とほぼ変わらない。私の腕が、そのまま機械に置き換わってしまったかのようだ。
その関節の隙間からは、灼銅の燐光を零しながら回転する歯車の姿が見える。
果てのない回転に言いようのない親近感のようなものを覚えながら、私は拳を引いて呟いていた。
「《王権》――《魔王之理》」
――遠く、鮮烈に、焦熱の大地と黒陽の狭間に佇む王者の幻影。
その最果てへと足を踏み出すように、私は異形と化した右腕を伸ばす。
瞬間、手の甲に刻まれた炎の紋章が白銀に輝いて――
「私は――貴様の姦計を許さないッ!」
――銀の炎が、吹き上がる。
熱は感じない。そもそも、これは自然現象や魔法現象の炎とは全く異なるものだ。
私の背を目指して駆けてくる戸丸の気配を感じながら――私は、キャリーケースへと向けて燃える拳を振り下ろしていた。
銀の拳は、頑丈なキャリーケースを紙切れか何かのように引き裂いて、その内側にあった機械仕掛けの何かへと突き刺さる。
その刹那、拳に宿る銀の炎は、爆発的に燃え上がって周囲全体を包み込んでいた。
* * * * *
「ははっ、はははははははははははははッ! そうかそうか、やはりそうだったか!」
現場から遥か遠く、高いビルの上。
人気のないその場所で、黒衣を纏い仮面を手に持った男が、愉快そうに笑いながら身を捩っていた。
僅かに覗く口元に、大きくゆがんだ笑みを浮かべながら、男の――『無貌』の目は仮面の隙間から、銀の炎を見つめている。
「嗚呼、偉大なる王よ。白痴にして狂乱なる《白銀の魔王》よ。貴方は、なんて面白いものを遣わせてくれたんだ!」
大きく手を広げ、『無貌』は嗤う。この世に非ざる大いなる存在、全てを焼き尽くす《魔王》へと、心底からの感謝を捧げながら。
その言葉には、その想いには、一点の曇りもない。
彼は心底から、最果てに存在する《魔王》を信奉していたのだ。
尤も、捧げる言葉に存在する歪みについては、誰も否定できたものではなかっただろうが。
「例え毛先程もない、塵程度の量であったとしても……貴方の力を分け与えられたことに変わりはない。本物の《魔王の権能》を! 嗚呼、本当に素晴らしい!」
心底から嬉しそうに、『無貌』はそう口にする。
《魔王》の力とは、本来そう容易く他者に渡せるようなものではない。
神々の王たる《白銀の魔王》は、本来は世界を滅ぼす力を持つ破壊神だ。
彼がその胸裏に殺意を抱けば、ただそれだけで世界など滅び去ってしまうだろう。
そんな強大極まりない力を他者に与えるなど、本来ならばあり得ないことだ。
短慮に使われてしまえば、その世界が滅ぶことすらあり得るのだから。
「《魔王》と《斬神》の二つの権能は除いた六つを与えたのでは、と危惧していたが……はははっ、まさか本当に八つ全てを与えているとは」
『無貌』の視線の先にある現場では、吹き上がっていた銀の炎は徐々にその勢いを弱めていた。
後に残ったのは灯藤仁の姿の身であり、一緒に炎に巻かれた戸丸白露の姿は影も形も無かった。
用意していた古代兵装を含め、跡形もなく消えたことを確認し――『無貌』は、その時には戸丸への興味を失っていた。
「さて……仕込みは終わっているが、次の演出は少し趣向を凝らす必要がありそうだ」
終わりを見届ける必要はない。今回の件は、ちょっとした確認でしかないのだ。
これは、次の演出へと繋げるための確認作業。
灯藤仁が、最後の舞台へ上ることが出来るかどうかを確かめる為だけの座興に過ぎないのだから。
踵を返して、『無貌』は嗤う。ただただ、愉しそうに。
「彼はどこまで付き合ってくれるかな? ああ、全く――次が楽しみだよ、灯藤仁」
最後に、そう呟いて――『無貌』の姿は、その場から跡形もなく消え去っていた。




