152:裏切りの真相
『良いか、よく聞けあるじよ』
『黒百合』を身に纏い、屋根の上を跳躍して目的地へと一直線に駆け抜けながら、私は千狐の言葉に耳を傾ける。
千狐は、先ほど大精霊と言葉を交わして以来、何やら普段とは異なる神妙な態度を取っていた。
それは、私が《王権》に残る二つの権能の力を理解したからだろうか。
あるいは、その先にある何かを見据えてのことだろうか。
精神的余裕のあまりない今の私には、その心理を推察することは出来なかった。
だが、彼女が無意味なことを言うはずはない。だからこそ、私は冷静にその言葉へと耳を傾けていた。
『《王権》とは、大いなる《魔王》の権能を一時的に操る法じゃ。正確に言えば、かの御方に付き従う神々の力を、大幅に劣化させて使っているに過ぎん』
《魔王》と言う存在について、私はあまり深く理解してはいない。
何しろ、それを知っている存在が千狐と大精霊ぐらいしかいなかったのだ。
千狐が口を閉ざしていれば、その詳細を聞くことなどできはしない。
だが、今日の千狐はいかなる心境の変化か、饒舌なまでに《魔王》の存在について語っていた。
『《刻守》、《霊王》、《水魔》、《賢者》、《旅人》――それらは、《魔王》直属の眷属であり、《魔王》もまた彼女らの力を間接的に使うことが出来る。そして、《魔王》の妻たる《女神》は荒ぶる王の力を鎮め、制御する役目を負っておる』
私がこれまで《王権》で使ってきた権能の名。
それらがどれほど強力なものであるかは、使ってきた私自身が理解している。
しかし、そんな力ですら、《魔王》本人の力には及ばないのだろう。
彼の存在の力を理解できたからこそ断言できる――残る二つの力は、明らかに別格だ。
『しかし残る二つ――《魔王》と《斬神》。この御二方の力は桁が違う。妾と言う器に収めておる時点で劣化に劣化を重ねていることは事実じゃが……それでもなお、この力は強大過ぎる』
そう、だからこそ、私はこれまでこの力を操ることが出来なかった。
魔力が足りなかったらではない。私自身が、未だ《王権》の力に馴染み切れていなかったからだ。
本来、精霊魔法にはそれほど多くの魔力を必要とはしない。
その理由を、今の私ならば理解できる。精霊魔法に必要なのは魔力ではなく、そこに含まれた命と魂の力なのだ。
だが、《王権》とは千狐本来の力である《掌握》を用いて、《魔王》の権能を一時的に使えるようにする術式。
つまるところ、私の魂の力は《掌握》そのものに使われており、発現した権能の制御には魔力しか回せていなかったのだ。
『今のお主は、妾を通じて八尾殿の力を与えられておる。つまるところ、強制的に妾の力を身に馴染ませたのじゃ。故にこそ、力の制御は可能になっておるじゃろう――魔力の代わりに、魂そのものが疲弊するがの』
本来ならば魔力に乗せて全身に回すはずの魂の力を、直接引き出して《王権》へと回す。
そうすることによって、《魔王》と《斬神》の権能を発動させることが出来るだろう。
無論、リスクは高い。下手をすれば魔力以上に消耗してしまう可能性もある。
扱いに慣れていない現状では、あまり無理をすることは出来ない、それは事実だろう。
だが――
「……これがあれば、『無貌』の力にも対抗できるのだな?」
『然り。あのお方の力に壊せぬものなどない。それが例え、この世界において頂点に上り詰めた存在であったとしても』
体の中に眠る力を、銀色に揺らめく炎を自覚して、私は小さく首肯する。
千狐の言葉に偽りは無いだろう。例え『無貌』の企みであったとしても、それを破却する力がこの炎にはある。
ならば、後はそれを的確に振るう――ただ、それだけだ。
そう自分に言い聞かせて、私は目的地へと向けて強く跳躍していた。
視線の先には、傷ついた二人の少年少女。その姿に、私は奥歯を噛み締める。
そして私は、躊躇うことなく彼らの間に着地していた。
「仁様!? どうしてここに!」
「……済まんな、刀祢」
地面を踏み砕きながら現れた私に、刀祢が驚愕と共に声を上げる。
私の護衛である彼からすれば、私にはこの場に来て欲しくは無かったことだろう。
赤羽としてのその想いは理解するが――生憎と、今の戸丸を放置する訳にはいかない。
「――これは、私がやらねばならんことだ」
私でなければ、『無貌』の姦計を打ち砕くことは出来ないという。
そして何より、戸丸は凛を狙い、尚且つ刀祢達を傷つけたのだ。
私にとっては絶対に認めがたい、その事実。私は、家族を護らねばならないのだから。
しかし私の向けた視線に、戸丸は薄く笑みを浮かべる。まるで、歓迎するとでも言うかのように。
そんな彼の表情に対し、私は苛立ちの混じった声を上げていた。
「……戸丸白露」
「やあ、灯藤君。直接会ったのは……少々久しぶりかな」
彼の様子は、依然とさほど変わらない。
物腰は穏やかで、優しげな笑みを浮かべた青年だ。
だが、それはどこか酷薄であり、初対面の時にも理解不能の不気味さを感じていた。
彼が我々を裏切ったのは、『無貌』の仕込みが原因の筈だ。だが――その原因の全てを理解できたわけではない。
彼は一体、どうしてこのような行動に出たのか。刀祢達を後ろに下がらせながら、私は彼に対して問いかけていた。
「お前は、一体何を考えている。何故このような強引な行動に出た? 私が対処する必要があると言うなら、そう報告すれば済む話だっただろう」
「……やはり君は、問答無用で襲い掛かってきてくれはしないのだね」
小さく、呟くように戸丸はそう口にする。
答えるつもりは無いということか。元より期待していた訳ではないが、人柄の読めぬ彼から情報を引く出すことは困難だ。
彼の剣は、例え『黒百合』を装備していたとしても気休めにしかならない。
来るならば本気で対処しなければならないと、覚悟を固め――それと同時に、彼はゆっくりと言葉を紡いでいた。
「君は、彼の特性を未だ理解できていないのだね」
「……何?」
「彼は感染する悪意だ。それが元来の性質だから、この程度の術式を組むのは造作もないことなのだろうね」
戸丸の発する言葉は、直接理解するには難しい内容であった。
だが、それが私を煙に巻こうとしている言葉ではないことは理解できる。
何故なら、それこそが彼の持つ能力であるからだ。
「……それが、《理解》の精霊の力か」
「その通り。具体的な経緯までは答えられないから、それは聞かないで欲しいな」
苦笑交じりに頷き、戸丸は左手を掲げる。
その瞬間、彼の左手の上には白く輝く光の球体が出現していた。
その気配で理解する。あれこそが戸丸白露の力の源、《理解》の精霊魔法を与えている精霊だ。
ありとあらゆる事象を、経緯を無視してその本質を直感的に理解する能力。
彼はその能力を用いて、戦いにおける最適解をなぞることにより、無双の剣戟を得ているのだ。
無論、それを理解できたからと言って、実践できるかどうかは本人の技量次第。近道こそあれど、彼が途方もない修練を積み重ねてきたことは事実だろう、
それほどまでに己の精霊を身に馴染ませ――その力で、彼は今回の古代兵装に関する情報を手に入れたのだろう。
淡く笑みを浮かべていた戸丸は、その目を細める。途端に浮かぶのは、依然と同じような酷薄な表情。けれど――その仮面の下には、隠しきれぬ怒りがあった。
「これを感染させるわけにはいかない。この感染を広げる訳にはいかない。そうすれば、この国は、八尾様は……巫女様は。すべてが、悪意に飲まれてしまう」
許しがたいと、戸丸はそう語る。
『無貌』の企みを看過する訳にはいかないと。
彼の抱いているその想いには共感できる。しかし、そうであるとするならば――
「何故、それを報告しなかった? 私の協力が必要ならば、最初からそう言っていれば良かっただろう」
「彼が、それを認めるとでも? そう考えているのであれば、あまりにも甘い認識だ」
「……やはり、お前も感染しているのか」
「そうだね……僕は直接触れたり、解析したわけじゃないが……それでも。性質を知った時点である程度の影響を受けてしまったようだ」
悲しげに、戸丸は首を横に振る。
どのような構造、経緯でその状態に至ったのかは想像することすらできない。
だが、今目の前にいる彼が普通に会話できているからと言って、その言葉を楽観視することは出来なかった。
予想通り厄介な状況になっていることを理解し、私は思考を巡らせる。
私のやるべきことは古代兵装の破壊だ。それに関しては戸丸としても目的を共有できていることだろう。
だが、それに対して戸丸は合理的な行動が取れなくなっている。
恐らくではあるが、私を巻き込む方向でしか動けなくなっているのだろう。
どこまで融通が利くのかは分からないが、あまり高望みは出来ないだろう。
「戸丸。お前はそれを、素直に破壊させてくれるのか?」
「無理だろうね。僕は僕の全力を以て、君を迎え打つことになるだろう」
「……そうか」
抱くのは『無貌』に対する怒りだ。
優秀で、大精霊への忠誠心も高い彼を、そのような状況に追い込んでしまった悪しき敵。
その思惑に乗らざるを得ないことはどうしても悔しいが――
「分かった。全力でお前を止めよう、戸丸」
「……そんな君だからこそ、僕は敵として相対したかったんだがね。まあ、仕方ない――」
瞬間、戸丸の姿が揺らぐ。
その動きに心当たりのあった私は、即座に《掌握》を発動して周囲の空間を観測、こちらへと振るわれている刃を手刀で打ち払っていた。
まるで母上のような動きだ。体捌きに関しては母上に匹敵すると考えていたが、やはりそのレベルにあったようだ。
とはいえ、攻撃力そのものは母上には及ばない。あの人を相手に戦っていた時よりは幾分か気が楽だった。
戸丸の刃は回転するように翻り、下から掬い上げるようにこちらの脇腹を狙ってくる。
既に《不破要塞》は発動している。だが、彼の攻撃力を甘く見る訳にはいかないだろう。
即座に防御魔法を発動させて防壁を張り、戸丸の攻撃を受け止める。
その瞬間――彼の刃は、《不破要塞》の半ばにまで食い込んで停止していた。
(ッ……あらかじめ話を聞いていなかったら、今のでやられていたな)
回避不能で、防御も困難。
防御に特化した私の防壁を、容易く半分以上斬り裂いて見せたのだ。
下手をすれば、今の一太刀で終わってしまっていたかもしれない。
その恐ろしさに戦慄しながら、私は戸丸へと向けて拳を放っていた。
同時、みしりと戸丸の足元が軋みを上げる。一歩も動くことすらなく、全身の力で地面を踏み砕くほどの威力を込めて――彼は、その力を己が一刀に込めていた。
「ッおお!」
「はぁッ!」
拳の装甲を硬質化、更にリリの硬度も変化させて衝撃を軽減――その瞬間、私の拳と戸丸の刀が打ち合わされていた。
衝撃が走り、地面が放射状に打ち砕かれ、刃は私の拳に若干食い込みながらも斬り裂くことなく停止する。
私は即座に拳を捻って刀を絡め取ろうとしたが、彼は瞬時に反応して刀を引き、私から距離を取っていた。
戸丸は精霊魔法の力でこちらの性質を含めた最適解を理解、その解の通りにこちらへと攻撃を仕掛けてくる。
それに対して、私は防御性能を常に変動させ、戸丸の対応策から外すようにして攻撃を受け止めているのだ。
そうであるにもかかわらず、彼は私の防御を半分以上斬り裂いて見せた。
この間の丈一郎とは異なる、まるで常に首筋に刃を突きつけられているかのような感覚。
「っ……!」
ちらりと、私は戸丸の背後にあるキャリーケースへと視線を向ける。
そこに在ること自体は、《掌握》で把握している。
だが、あれを破壊するには魔王の力を使う必要があるだろう。
今の私では、幾度も使える訳ではない力だ。何とかして戸丸を潜り抜け、あれに拳を届かせなければならない。
ならば――
「……行くぞ、千狐」
『うむ、共に往こうぞ、我があるじよ』
――そう告げて、私は右手を掲げていた。




