015:特訓の成果
一度事務所に戻り、初音をロッカーから出して、状況を説明する。
その間、婦長は事務所内に先ほどの男を引きずり込み、武装解除と拘束を行っていた。
その手突きは手馴れており、彼女がただの一般人ではないことを示している。
魔法院の魔導士、と名乗っていたか。それに関しては後ほど調べておきたいところではあるが、とりあえず――
「とりあえず、現状では相手の先手を一手潰すことができた。だが、限りなく詰みに近いこの状況は変わっていない」
「私もそれは分かってるよ。けど、君はどうしようって言うんだ? 正直なところ、私に対応できる範囲を超えてるわ」
男の持っていた装備を机の上に並べ、婦長は深々と溜息を吐く。
コートを纏ってはいたが、傍目からほとんど身軽な姿にしか見えなかった男。
しかし、彼の装備していた品は、計十品以上――とてもではないが、その辺にいるチンピラに用意できるものではない。
しかも婦長の話からすれば、様々な国の製品を規則性なく使用して、出所を分かりづらくしているらしい。
つまり、捕らえられた時のことを考慮した装備を身に纏っている。
となれば、何らかの訓練を受けているだろうし、尋問にも相応の知識や技術が必要になるだろう。
「この男から話を聞きだすのが第一案だったんですが、時間も機材もない。現状では難しいでしょう」
「だろうね。魔法使いとしての技量は大したことなかったが、潜入に関して特殊な訓練を受けているのであれば、尋問には時間がかかりすぎる。自白剤を調合するには、ちょっと材料が足りないな」
「しかし、何にしても情報が足りない。アドバンテージを握られている現状を覆すことは困難です」
入念な準備の上で行われた作戦なのだろう。
バックアップ体勢も私の思いつく限りは用意されているだろうし、なまじ知識があるだけに私も迂闊には動きづらい。
対して、私の唯一の手札と呼べるものは千狐だけだ。
果たして、それだけで形勢逆転が可能かどうか――切り札の切り所は、慎重に見極めなければならない。
差し当たっては、この後どう動くかだ。
「どうしたものか……こうして時間を浪費していることすら惜しいというのに」
「うちの院長も外出中……あの人なら敵と内通するようなことはありえないんだが、他の連中までは分からないしな……安易に味方を集めることも難しいし、そもそも集めたところで戦力的に対抗できるのかどうかも分からない。交渉は通じる相手か?」
「通じないことを前提にするのがいいと思います。下手に交渉をするよりは、最初から決裂した場合の策を考えておいたほうがいい。まあ、それでどうにか出来るならば最初から困っていませんが」
手が足りない。時間が足りない。
相手が悠長な作戦に出ているのもそのためだろう。
既に、圧倒的優位の立場を構築しているのだ。
それほど入念な準備を行ってきた集団を相手にするならば、こちらにいも相応の準備が必要になる。
尤も、こういう場合には速攻の方が効果的である以上、少々慎重すぎるきらいがあるように思えるが。
と――そんな風に頭を悩ませる私と婦長に対し、おずおずと初音が声を上げていた。
「あの……仁」
「うん? どうしたんだ、初音?」
「仁のお母さんって、助けてくれないの?」
「ああ、そうだな。最初はそういう話だったのだが……」
初音の言葉に、私は眉根を寄せる。
元は、電話で母上に救援を求めるつもりであった。
だが、ああして電話が途切れてしまった以上、こちらの要望が通じている保証はない。
難しいだろう――だが、そう思い悩む私に対し、婦長ははっと顔を上げて声を発した。
「……朱莉さんを呼び寄せる。それは、こっちの勝利条件になり得るぞ」
「婦長? 一体何を……」
「あの人は、特級魔導士――魔法院の認定する魔導士位階の最上位を有している、日本でもごく一握りしかいない最強クラスの戦闘魔導士だ。その実力は世界でも十指に入るだろう」
その言葉に、私は思わず絶句する。
今回の敵が母上を警戒していることは分かっていたし、かなりの実力者であることも理解していた。
だが、流石にそこまで豪語するレベルだとは露ほども考えていなかったのだ。
「君が狙われたのは、それほどの実力を持つ朱莉さんたちに対抗するためだったのだろう……逆に言えば、人質のいない状態で朱莉さんが到着すれば、敵を駆逐することなど容易い」
「……そう上手くいきますか? 母上一人だけですよ?」
「少なくとも、君と初音を護ることぐらいは容易いだろう。敵がどれほど数がいようと、あの人を倒せる者などありはしない。日本全体でも、一人しかいないのだからな」
「その一人が敵にいる可能性は?」
「有り得ない。何故なら、その人物こそが君の父親、火之崎家当主である火之崎宗孝なのだからな」
婦長の発したその言葉に、私は引きつった笑みを浮かべると共に納得していた。
敵がこれほどの準備をしながら、私などを狙ってきた理由。
日本でも最上位に数えられる魔法使いが夫婦となり、子供をもうけているのだ。
敵対する相手からすれば、警戒するのは当然だろう。
そしてそれは同時に、母上と父上を排除するための突破口になるかもしれないということだ。
「……腹立たしいが、状況は把握できました。確かに、母上を呼び寄せることで、この状況を何とかできるかもしれない」
「ああ。しかし、外線をことごとく潰されているのではな……他の通信ルートも潰されている可能性が高い。あるとすれば、院長の独自回線だが……いない以上、使うことはできないだろう」
「それも見越した上での、このタイミングということですか」
思わず舌打ちをして、私は窓の外に視線を向ける。
広い中庭と、その先にある門。今は開かれているそこも、下手をすれば制圧されてしまう可能性は高い。
仮に強行突破することができたとして、街中を逃げ切ることは難しいだろう。
篭城するにしても、既に内部に侵入されてしまっている現状では成り立たない。
この施設内からでは外部への連絡は難しく、連絡手段を探るところから始めなくてはならない。
せめて、この施設から外に出られれば――
「……婦長、この施設から外に出られると思いますか」
「難しいだろうね。そもそも、入院患者もそれほど多くはなく、一般外来も受け付けていないこの病院は、出入りそのものが少ない。見舞い客についてもアポイント制だし、出入りする人間は相手側にもほぼリストアップされているだろう」
「変装させて外に出すことも難しいか……仕方ない、賭けにはなるが、案が一つだけあります」
「ほう……言ってみてくれ」
「単純です。中から連絡できないなら、外から連絡すればいい。だが、中から外に出ることはできない――ならば、最初から外にいる人に連絡をして貰えばいいんですよ」
私の告げたその言葉に、婦長は困惑した表情を浮かべる。
まあ、無理もないだろう。具体的な方策がなければ、納得できるはずもない。
私としても、出来ればこの策はあまり実行したくはなかったが――
「婦長、この施設に関することで通報があった場合、母上に連絡が行くと思いますか?」
「……正確には、君の父親を経由するだろうけど、連絡は入るだろうと思う」
「なら、ここから施設の外へと向けて魔法を行使する。それによって、向こうの建物にいる人々に、この施設に異常が起こっていると通報して貰えば良い」
「……確かに、防御結界は外向き。内側からの攻撃は素通しするが……向こうまで届かせるような魔法には相応の魔力量も必要だし、下手をすればあちら側にも被害が出るぞ?」
「見た目からして、比較的新しい建物でしょう。時期的に考えても、対魔法建材が使用されていることは確実だ。攻撃性の薄い魔法なら、破壊してしまうことはないはずです。魔力については……」
それが問題だ。私はそもそも遠距離に作用する魔法が使えないし、婦長からはそれほど大きい魔力量は感じ取れない。
仮に出来たとしても、貴重な戦力である婦長が行動不能になってしまえば、私たちに出来ることは更に狭まってしまう。
どうするべきか――そう考えた、瞬間だった。
「仁……わたしが、やるよ」
「初音!?」
「初音ちゃん、君は……言っていることが、分かっているのか?」
初音は術式の制御力に難がある。これまで入院していたのも、それが原因なのだ。
もしも今回言うような術式を発動させようとした場合、暴発させれば怪我では済まない可能性だってある。
確かに、魔力量で言えば十分だろう。おつりが来るほどの魔力を持っていることは間違いない。
だが、私の考える限りでは、発動する魔法の難易度は三級――五級から一級まである中の、ほぼ中間の難易度の魔法。
魔法の術式構成の難しさが指数的に増加することを考えると、以前初音が暴発させた五級と比べて、圧倒的に難しい魔法であると言えるだろう。
これまで共に生活してきて、魔法の難しさを、そして操り方を教えてきた。
だからこそ、初音は理解しているはずなのだ。けれどその上で、初音は真っ直ぐと私の瞳を見つめ、声を上げる。
「仁がおしえてくれたこと、ちゃんとわかってるよ。だから、できる。仁がいっしょなら、わたし、できるよ」
「……本当に、出来るんだな?」
「仁、君は――!」
「婦長。私が精霊の力でサポートします。決して暴発はさせません……何より、初音の努力は、これまでずっと見てきましたから。私が、誰よりも彼女のことを知っている」
こう言い出したら聞かないことも、きちんと分かっているのだ。
私とて、このような危険な行為を初音にさせたいわけではない。
だが、これはある種のチャンスでもあるのだ。
初音は、魔法の発動そのものに苦手意識を持っている部分がある。
練習することは苦としないし、魔力の制御も喜んで行っていた。
だが、術式を編むという行為から先に、いつも躊躇いのようなものが感じられたのだ。
この病院に入院する原因ともなったのだから、それは無理からぬことではあるだろう。
(だが、それでは駄目だ。彼女は、必ず魔法の力を要求される)
彼女は『水城』。護国四家、水を司る四大の一族なのだ。
魔法に関わらぬことは許されない。魔法を操らぬことは許されない。彼女は、魔法を操れるようになる必要がある。
本当ならばじっくりと、魔法の発動まで面倒を見たいと思っていた。
だが、精霊の存在を明かした以上、この件がどのような形で終わったとしても、私はこの病院にいられなくなるだろう。
だからこそ、彼女に壁を乗り越えさせるには、これが最後のチャンスとなる。
義憤と使命感、その感覚に燃えている今の彼女ならば――
「……仁、君の精霊の力は?」
「《掌握》。ありとあらゆる事象を理解し、制御する力です」
「それで、初音ちゃんの術式構成を支配すると?」
「ええ、そのつもりです」
「…………」
婦長はしばし葛藤する。
当然だろう、これは子供に任せるような仕事ではない。
だが、現状では手段を選んで入られないことも事実なのだ。
何とかして、この現状を打破しなければならない。
そのためには――
「……分かった。君の案でいってみよう。どこで魔法を使うつもりだ?」
「屋上で。閉所では危険ですから」
「そうだな。何かあった時にもその方が対応しやすいだろう……私も――」
「いえ、私たちだけの方が人目を忍びやすいですし、その男は誰かが監視しておく必要がありますから」
「君は……危険だぞ、分かっているのか?」
「ええ、ですが、初音には傷一つ負わせません。約束します」
私の言葉に、婦長は一時絶句して、それから深く嘆息を零していた。
年齢で言えば、彼女はまだ三十代に達していないだろう。
私の感覚からすれば、半分以下の年齢なのだ。あまり危険に晒してやりたいとは思わない。
無論、それを言うつもりはなかったが。
「婦長、屋上への鍵を貸してください」
「分かったよ……ほら」
キーボックスから取り出した鍵束を受け取り、私は頷く。
危険は十分にあるだろう。敵がどこまで蔓延っているか分からない以上、片時も油断することは出来ない。
だがそれでも、これは反撃への一手だ。
この作戦の成否で、今後の展開が決まる。
「よし……行こう、初音」
「うん……!」
どこか硬く、けれどやる気に満ち溢れた様子の初音を伴い、私は階段の方向へと向かっていったのだった。
「……私は、君にも言ったんだがな、仁」
そんな声を、背後に聞きながら。