145:桐江に関する考察
「お呼びになりましたでしょうか、仁様」
「ああ、よく来た。そこに座ってくれ」
小さなテーブルを挟んだ座布団を示す。
一度礼をした刀祢は、若干遠慮がちにその座布団へと腰を下ろす。
リビングのように大きなテーブルや椅子がある訳ではなく、ここにあるのはカーペットの上のちゃぶ台程度だ。
まあ、部屋の広さそのものはそこそこあるので、もう少し大きいものを入れてもいいのだが。
ともあれ、そんな小さなテーブル越しに対面した刀祢は、私たちの並んでいる姿に少し緊張している様子だった。
丸いテーブルなのに、何故こんな面接のような座席構成にしなければならないのか――と内心で突っ込みつつも、私は刀祢に対して声を掛ける。
「実は、お前に聞きたいことがあってな」
「はい、何なりとお申し付けください、仁様」
「全く……もう少し躊躇いを覚えて欲しいものだが。まあそれは兎も角として、桐江のことについて聞きたいんだ」
「桐江について、ですか」
キョトンとした表情で、刀祢は言葉を反芻する。
まあ、以前にも聞いた話であるし、今更改めて聞くような話かと言われれば否定は出来まい。
しかしながら、改めて問わねばなるまい。今回は、もう少し踏み込んだことを。
ちらりと横目に凛を見るが、彼女は自ら口を開くつもりは無いようだ。
まあ、先ほど言った通り、凛は人との会話は苦手だ。私から切り出した方が話しやすいだろう。
「ああ、彼女と、凛の関係についてのことだ。彼女はどうも、凛とは距離を置いた付き合いをしているようでな」
「距離を置いた、ですか。護衛としては、間違いではないのでは?」
「それも否定はせんがな。しかし、桐江は凛専属の護衛だ。余り、距離が開きすぎるというのも問題がある」
若干詭弁ではあるのだが、いざという時に連携が取れないのでは困る。
それに、凛の護衛である彼女には、仕事としてではなく、本人の意思で凛の護衛に当たって貰いたいのだ。
凛の精神的安定という意味だけではなく、凛自身の安全のためにも。
……まあ、今の桐江の実力で、凛の戦闘に付いて行けるかどうかはまた別の問題なのだが。
そんな内心の思いは打ち切り、私は続けていた。
「赤羽家としては、宗家の護衛はどのように行うスタンスなんだ?」
「そうですね……基本的には、宗家の方のご意向に従う方向性になります。気安い関係を望まれるのであれば、そのように相対するのが基本です」
「……お父様とお母様で赤羽家のスタンスが違うのは、赤羽家の方の個人差って訳じゃないの?」
「無論、多少は差がありますよ。個人の嗜好もありますからね。ですが、基本的には宗家の方に合わせているはずです」
刀祢の言葉に、私は納得して頷いていた。
赤羽家の個人差であったのかと思っていたのだが、どうやら彼らの態度は父上と母上に合わせていたものだったようだ。
厳格な父上であれば、優秀な副官や直属の部下のような、上下関係をはっきりさせた付き合いに。フレンドリーな母上であれば、プライベートな付き合いまで含めた気安い関係に。
確かに、我々の側に合わせた付き合いであると言われれば、確かにその通りだろう。
その場合、刀祢はどうなのかと言いたくなるが……まあ、私が諫めていない以上は文句を言えた話ではない。
「そうなると、凛の場合は当てはまらないように思えるな」
「護衛対象のストレスとならないよう、皆さんにとって付き合いやすい相手であることが望ましいのですが……」
「……あの子、凄く取っつき辛いわよ。かなり事務的だし」
本当に扱いに困っているのだろう。凛は眉根を寄せてそう言い放つ。
そんな彼女の様子に、刀祢は苦笑交じりの笑みを浮かべていた。
どうやら、桐江に対する呆れを隠しきれなかったらしい。
「何と言うか、まあ……相変わらず不器用ですね、彼女は。以前も言った通り、実直な人物ではあるのですが」
「それはあたしも分かってるわよ。ただ、必要最低限の会話しかしない奴がずっと後ろに立ってるのって落ち着かないのよ」
「それは……申し訳ありません、凛様」
「いや、別にアンタが謝る必要はないわよ。桐江の実力は確認したし、護衛として十分な能力があるのはあたしも理解してるわ。あの子をそこまで育て上げた赤羽には功績こそあれど、落ち度はないわよ」
「……ありがとうございます」
どうやら、凛も問題視するほどこの状況に耐えかねている、という訳ではないらしい。
とはいえ、あまり堪え性の無い凛のことだ、現状があまりにも長く続くようであれば、その内爆発しかねない。
早急に対処せねばならない、という訳ではないだろうが……あまり放置しすぎるのも問題だろう。
「まあ、とにかくそういう悩みなんだけど……何か解決策は無いかしら」
「桐江が態度を変えるような、ですか。まずは桐江が今のような態度である理由が分からなければ難しいですね」
「以前お前が話していたように、まだ護衛の座をお前に譲られたと思っているのではないのか?」
「確かに、その可能性は否定できませんが……」
刀祢の世代において、最も優秀な赤羽の剣士は彼自身だ。
桐江はそれに一歩譲る形となっており、本来ならば凛の護衛役は刀祢が務めるはずだった。
しかし刀祢はどういう訳かその座を拒み、私の護衛役となってしまったため、桐江に凛の護衛役が回ってきたのだ。
彼女と直接話す機会はほとんど無かったが、刀祢と凛、そして私に対して、何かしら複雑な感情を抱いていたのは間違いない。
まあ、そういった感情を抱くなと言うつもりは無いが、態度に出てしまっているのは護衛役としては問題だろう。
しかし、そんな私の内心とは異なり、刀祢は何やら悩んでいる様子だった。
「……刀祢、何か引っかかることがあるのか?」
「ええ、その……前にも言った通り、桐江はかなり実直な性格です。自分が凛様を不快にさせていると知って、それを放置するとは思えません」
「別に、直接言葉にした訳じゃないし、気付かれなくても不思議じゃないとは思うけど」
「凛様、僕たちは剣士です。相手の心の機微を探ることなど、僕たちにとっては日常茶飯事。凛様が不快に思われているのであれば、桐江はそれを察知できて当然なのです」
私も母上から武術を学んだ身だ、その言葉は理解できなくもない。
相手の僅かな動作、呼吸や視線から、相手の心理を探ることは戦う上での必須事項だ。
刀祢や、彼に匹敵するレベルまで鍛え上げられた桐江であれば、それは出来て当然なのである。
凛も意識して隠していた訳ではないだろうし、気付いていないというのは確かに不自然だろう。
「態度を改めない理由があるのか、或いは何か妙な思い込みでもしているのか……一度話さないと駄目ですかね」
「ふむ……確かに、そうすれば何かしらの進展はあるだろうな」
「一応、近くでは待機してるわよ。呼び出す?」
部屋まで連れて来なかったかと思ったら、どうやらマンションの入り口辺りで待機させていたようだ。
凛自身の桐江に対する扱いにも何か問題が無いかと考慮に入れながら、私はその言葉に対して頷いていた。
* * * * *
チン、と鯉口が鳴る。
そしてそれと同時に、『彼』の目の前にいた男は、左右に分かれて地面に倒れていた。
冗談のように広がってゆく紅を踏み越えて、青年はただ前へ。
その静謐な瞳を、逸らすことなく前方へと向けながら。
「馬鹿な……そんな、ふざけるなッ!」
そんな彼へと向けて、強い罵声が浴びせかけられる。
その声を発したのは、青年が――戸丸白露が歩いている先、一抱えほどもある機械の前で立ちふさがる一人の男だった。
彼の瞳の中に在るのは、赫怒と恐慌。リノリウムの床を音も立てずに歩み寄ってくる白露の姿に対し、彼は明確な恐怖を抱いていた。
何故なら――
「そんな、刀一本で……五十人はいたはずだ、それをどうやってッ!」
「目の前に立って斬った。ただ、それだけのことだよ」
戸丸白露に出来ることは少ない。彼が扱えるのは特殊な魔法と、その手に携えた刀で斬ることだけだ。
だが、だからこそ――白露は、たったそれだけを鍛え上げた。
高い魔力もない、属性に対する適性も少ない、補佐をする使い魔を有している訳でもない。
ある種、様々なものを継ぎ足すことで弱さを補った仁とは対極の存在であると言えるだろう。
「まあ、経緯はどうだっていいだろう。この結果が、君にとっての全てだよ」
「分かっているのか!? この古代兵装さえあれば――」
「ああ、知っているよ。けど、それは僕には関係のない話だ」
告げて、白露は一歩を踏み出す。
その瞬間、白露を取り囲むように無数の魔法陣が出現し――
「馬鹿め、一人で踏み込むから――」
「――無論、それで十分だからだよ」
キン、と涼やかな音が薄暗い室内を走る。
その瞬間、白露を取り囲んでいた無数の魔法陣たちは、全て横一線に断ち斬られて消滅していた。
彼の姿に、何も変化など見受けられない。鞘に納められたままの刀を左手に、ただゆっくりと前に進んでいるだけだ。
魔法が発動する前と何一つ変わらないその姿に、仕掛けておいた魔法陣を発動させた男は、状況を理解できず呆然と目を見開いていた。
「その古代兵装は戦闘向けのものじゃない。単なる日用品の発展系だ。それを使ったところで、戦闘には何ら影響しないだろう――君たちが企んでいたことをやっていれば話は別だが、それには時間が足りなかったようだからね。僕がさっさと出てきたのさ」
あまり悠長にしていれば、彼らの思惑が達成されてしまうかもしれない。
いかに白露と言えど、それを看過することは出来なかった。
逆に言えば、それが達成される前であれば、そこにいるのはただの魔法使いの集団だ。
そうであるならば、後は簡単な話だ。出会う相手を、全て斬り捨てれば済むのだから。
「そんなものに手を出さなければ、僕が出てくるようなことも無かっただろうにね」
緊急性があるからこそ、高い実力を誇る白露が駆り出されたのだ。
彼が相手でなければ、戦うことが出来ただろう。
彼が相手でなければ、生き残ることが出来たかもしれない。
だが――白露がこの場にいる以上、最早結末は一つだけだ。
「では、改めて告げておこう」
僅かに、左手の刀が角度を変える。
それはまるで、目の前の相手に対して銃口を向けるかのように。
どこまでも自然体に近い構え、白露は刀の柄へと手をかけて――
「君たちは、我らが大精霊に、巫女様に仇為す者。君たちの行いは国家の安全を損ねるものだ。故に、君たちはここで終わる」
「ま、待て! 待ってくれ! この古代兵装さえあれば、誰もが――」
「あのお方からの命だ、例外は無い――じゃあね」
――銀の煌めきが疾る。
まるで空間を二分するかのような、鋭く眩いその光。
白露の放ったその一閃は、目の前の男を知覚すら許さぬままに両断していた。
血を噴き上げながら二つになって崩れ落ちる男は、茫然と目を見開いたままに絶命していた。
静寂に包まれた室内、白露は音を立てぬままに目を閉じ――この場に、己以外の人間が残っていないことを確認する。
けれど、そこで気を緩めることはなく、白露は警戒を絶やさぬまま目的の古代兵装に近づいていた。
「これが、古代兵装……」
見た目は、見たことも無い金属のパイプが無数に絡み合ったような形状をしている。
大きさはおおよそ40cm程度と言ったところだろう。
それが確実に己の回収しようとしていたアイテムであることを理解し、白露は満足げに頷く。
「さて、さっさと回収して戻るとしようか」
何か術式が仕掛けられている様子は無い。
だが、白露は念のため、彼の持つ特殊な魔法を発動して――
「――――まさか」
――呆然と、そう呟いていた。




