143:丈一郎の処遇
第8章 白刃の理剣士
元々地下にある『八咫烏』の管制室であるが、大精霊の住まう社はさらに地下深くに存在している。
そこまで深く掘り進めているのにそこまでのスペースを利用しないという手はなく、管制室の下にはさらに何階層かの施設が存在していた。
設備はそれなりに充実しており、やろうと思えばこの中で長期間過ごすことも可能だ。
そんな階層型施設の一角にあるのが、『八咫烏』の隊員向けに開放されている訓練場である。
精霊府の直轄である『八咫烏』の隊員は、数はともかく、その質で言えば最高峰だ。当然ながら、施設はそれに応じてかなり充実している。
今私たちがいる、とにかく広い模擬専用の広場には、私でもすべては読み切れないほど大量の防御魔法が仕込まれていた。
「……準備はいいな?」
「うっす」
その訓練場に立っているのは、丈一郎とウェンディだ。
体中に様々な機材を取り付けられた丈一郎は、室長の指示に対して緊張気味に頷いていた。
あの話し合いの後、連れて来られた私たちは、早速研究協力の要請を受けていたのだ。
まあ、要請という名の強制であるのだが、それは仕方ないことだと割り切っておこう。
室長の周りでは、様々な機材を抱えた研究者たちが慌ただしく走り回っている。
彼らは、古代兵装調査のために呼び出された精霊府所属の研究者たちだ。
古代兵装というだけでも貴重なのに、その正式な使い手となれば、彼らが興奮するのも無理はない。
「よし、では始めろ」
「了解……頼むぞ、ウェンディ」
「ん……わかった」
室長の言葉に頷き、丈一郎はウェンディへと声を掛ける。
彼女はそれに表情を変えることなく頷き――正面から、丈一郎に対して抱き着いていた。
一瞬驚いたように身を硬直させる丈一郎だが、その動揺も一瞬で収まり、抱き返すように両手をウェンディの背中へと回す。
そして、その直後、ウェンディの小さな唇が不明瞭な言葉を紡いでいた。
「Ph'nglui mglw'nafh Ithaqua la Wendigo, ghaayagg ulnron'bthnk, Ia Ithaqua」
刹那――二人を中心に、強烈な氷雪の暴風が巻き起こっていた。
二人を包み込むように結界を張っていたため、その勢いに吹き飛ばされるようなことは無かったが、それでも結界越しに冷気が漏れ出してくるほどの氷雪だ。
その中心で、一つに重なっていた二人のシルエットが、異なる形状へと変化する。
それは、戦いの最中で嫌というほど目に焼き付けた、太い手足を持つ男の姿。
やがて氷雪は弾け飛ぶように消失し――その中から、蒼白い装甲を纏う丈一郎の姿が現れていた。
「何という魔力数値だ!」
「見てください! 放出前段階だというのに魔力が完全に融合しています!」
「単純な加算ではないな。融合契約によって何か特殊な術式が……?」
大騒ぎしている研究者たちは他所に、私は注意深く丈一郎の様子を観察する。
先ほど戦っていた時と、寸分違わぬ姿。あの時の戦闘能力は、思い返すだけでも背筋が寒くなるほどだ。
しかし、今はあの、荒れ狂う吹雪のような殺気は感じられない。
あるのはただ、普段と変わらぬ彼の気配だけだ。
一応念のため、いつでも《王権》を発動できるように集中しながら、私は丈一郎へと問いかける。
「調子はどうだ、丈一郎?」
「ああ、前よりも慣れて来たぜ」
手足をプラプラと揺らし、丈一郎は確かに普段の調子のまま声を上げる。
どうやら、きちんと正気を保てるようになったようだ。
一先ずは安心しつつ、それでも《王権》を発動可能な状態だけは維持しながら、体を動かす丈一郎の様子を観察する。
空気を弾けさせるような拳と足。直撃を受ければひとたまりもないだろうが、今はそれも意思の下に制御されている。
「何と言う攻撃能力だ……!」
「見てください。魔力数値では兵装の方が圧倒的に上回っているはずなのに、一体何故使い手の魔力が表層に出ているのか……」
「兵装に付けた方はどうなってる?」
「駄目ですね、機材が反応していません」
「有線にしてみるべきか?」
「破損する可能性の方が高いと思いますが……」
しかし、この恐ろしい程に強力な魔力を前に、研究者たちは驚く程に元気だな。
この程度の結界など、丈一郎がその気になれば一撃で破れるだろうし、研究者たちの居場所まで到達するのに一秒と掛かるまい。
それでもなお平然としていられるのは、危機感が薄いからか、あるいは単純に気にしてもいないからか。
呆れを通り越して半ば尊敬の念すら覚えつつも、私は突っ立っている室長に声を掛けていた。
「どうですかね。使えそうでしょうか?」
「これを見ただけでは何とも言えんな。まあ、実験に付き合わせる分には問題無さそうではあるが」
「二人の精神同調率をリアルタイムに監視できれば楽なんですがね」
「ふむ……確かにな」
丈一郎とウェンディの精神は確実に接続されている。
だが、それは互いの心をシンクロさせ易くしているというだけであり、その意志を確実に統一できる保証はない。
その精神のシンクロ度合いを数値でリアルタイムに確認できるのであれば、丈一郎の運用にもかなり安定感が出ることだろう。
私の言葉を聞き、室長は近くの研究者に対して声を掛けている。
どうやら、私の考えた案が実現可能かどうかについて話をしているようだ。
まあ、研究分野については、私の出る幕は無い。そちらを一瞥した後、私は丈一郎の方へと視線を戻していた。
「よっ、ほっと」
「……ふむ。慣らしていったらすぐに動けるようになりそうだな」
「応よ。その時は模擬戦でもすっか?」
「勘弁してくれ……と言いたいところだが、命令でやらされそうな予感はあるな」
丈一郎がある程度体を動かすことに慣れたら、最終的には戦闘実験を行うことになるだろう。
そうでもしなければ、とてもではないが実戦投入などできるはずもない。
しかしそうなれば、その相手となるのはまず間違いなく、丈一郎を止める手段を持つ私になるだろう。
正直なところ、この怪物じみた相手と再戦するなど勘弁して欲しい所ではあるのだが……命令されては従わざるを得なくなる。
拒否権など存在はしないことだろう。
「はぁ……とりあえず、問題が無いことさえ確認できたら、お前は私の住居に連れていくことになる」
「いいのか?」
「そうでもしなければ安心できないんだろう。常にお前たちを監視及び制圧できるように、ということだ」
まあ、昼間は学校があるので、常に一緒にいるという訳にも行かないのだが。
その辺りについては、またリリに協力を求めることになるだろう。
流石にリリでも暴走した丈一郎を止めることはできないだろうが、監視や時間稼ぎ程度ならどうとでもなるだろう。
まあそれ以前に、丈一郎とウェンディが力を使わなければ済む話なのだが。
「お前の所属自体は『八咫烏』となる。精霊魔法の使い手であるお前は、それだけで貴重な戦力だ。ウェンディを抜きにして、お前に対して仕事が入ることもあるだろうな」
「あー……まあ、給料を貰えるんなら構わねぇさ。家はお前の所で厄介になるにしても、俺とウェンディの生活費ぐらいは出さねぇとな」
「ははは、いい心がけだな」
別に養うことは構わなかったのだが、それはプライドが許さなかったのだろう。
男として、好いた女のことは自分で護ってやりたい――それは当然の心理だ。
であれば私も、二人分の生活費を受け取ることを拒否するつもりは無かった。
「まあ、仕事については私と共に出動することになるだろう。ウェンディを連れて行かないにしても、一応は監視役だからな」
「ま、その方が助かるわ。細かいことは苦手だしな」
「……舞佳さんもそうだが、事務系の仕事をまとめて私に押し付ける隊員が多すぎる気がするんだがな」
一応、舞佳さん以外の隊員とも、小さな案件では仕事を共にしたことがある。
だがどうにも、『八咫烏』の隊員は癖が強い人間が多く、細かな処理などは苦手にしているらしい。
おかげで、大抵の隊員は私に報告の仕事を押し付けてくるのだ。
最近は管制室も、報告の際はまず私を呼び出すようになってきており、着々と外堀が埋められてしまっている気がする。
まあ、信頼が得られるのは悪い話ではないのだが……もう少し何とかならないものか。
「……まあ、とりあえずやり方については色々と教えよう。戦力が増えてくれることについては、私としても助かるからな」
「おう、期待してくれていいぜ。俺は強いからな」
「ああ、身に染みて分かっているとも」
嫌というほど戦ったのだ、ウェンディを無しにしたとしても、彼の能力は十分に高いと理解している。
能力は単純ではあるのだが、単純故に強力だ。
よほどの化物が相手にならない限りは、十分に戦力を発揮してくれることだろう。
……その『よほどの化物』に目をつけられている現状は如何ともし難いが。
「まあ、何はともあれ……お前たちのことは、灯藤家が面倒を見よう。これからよろしく頼む、丈一郎」
「ああ、よろしく頼むぜ、仁」
言葉と笑みを交わし、私たちは頷き合う。
変異した腕では握手をすることはできなかったが、それでも私たちは確かに、友としての誓いを交わしていた。
* * * * *
「全く……厄介事を抱え込んでしまったものだな」
丈一郎の性能実験を終え、自らの執務室へ戻った崎守踏歌は、椅子に身を沈めて嘆息を零していた。
脳裏に浮かぶのは、強大な力を手に入れることになった丈一郎と、その管理を押し付けられた仁の姿だ。
一体何がどうなったら、古代兵装の適合者を抱え込むような状況になるのか。
これまでと変わらず、ひたすらに厄介事を引き込んでくる仁に対し、踏歌は胸中で舌打ちを零す。
「……いや、それも奴が原因か」
これまで仁が巻き込まれてきた事件は、どれもこれも非常に危険度の高いものばかりだった。
『八咫烏』を統括する踏歌ですら、数年に一度しかお目にかからないような、厄介な存在が雁首揃えて出現してきたのだ。
それを偶然として片付けるよりは、それすらも『無貌』の思惑通りだったと考える方が、精神的安定を図りやすかったのである。
十秘跡の長による策略という時点で、必然偶然以前の問題が発生してしまっていることは否めなかったが。
(奴が関わっている以上、灯藤を処分するという訳にも行かん……そんなことになれば、報復とばかりに余計に厄介な干渉をしてくる可能性が高い。そもそも、《黒曜の魔女》が認めるはずもない、か)
『無貌』に目をつけられた仁であるが、今更彼を放逐した所で意味は無い。
『事故死』にすることで後の厄介を断つ、という意見が出ない訳ではないだろうが、『無貌』のお気に入りを今更排除したとなれば、余計に厄介な状況が生まれるのはほぼ確実だ。
国防を担う者として、踏歌にはそれを認めることはできなかった。
「……だが、何もかも思い通りになると思うなよ、『無貌』」
強く拳を握り締め、踏歌は呟く。
この世の何処にいるとも知れぬ、史上最悪の敵へと向かって。
そして、そんな彼女の決意に呼応するかのように、机にある電話が呼び出し音を鳴らしていた。
それを無言で取り、踏歌は耳を澄ませる。その奥から聞こえてきたのは――
『室長、こちら戸丸です。尻尾を掴みました』
「よくやった、そのまま追えるか?」
『問題ありません。早目に終わらせて、戻ってきますよ』
「良し。では引き続き頼む」
簡潔な会話で通話を終了させ、踏歌は小さく笑みを浮かべる。
手元に置かれた資料には――三つ目の古代兵装に関する調査報告が、記載されていた。
「灯藤だけがこちらの手札ではない――それを、見せてやろう」




