142:黒幕の存在
あのまるで信用ならない黒幕との通話を終えた私たちは、丈一郎とウェンディを連れて『八咫烏』の管制室に帰投していた。
正直、『これ以上手は出さない』という言葉についてはまるで信用できず、辿り着くまで一切警戒を解かないままだったのだが、結局あれ以降干渉を受けることは無かった。
あまり気を抜きすぎるのも良くないが、言葉の通りこれ以上手出しはしないつもりなのかもしれない。
ともあれ、ようやく一息ついた私たちは、今回の件についての情報交換という名目で会議室に通され――そこにあった姿に、思わず眼を見開いていた。
「母上!? どうしてここに?」
「お疲れさま、仁ちゃん。私がここに来たのは、今回の件に関して話をするためよ。といっても、火之崎としてではないのだけど」
薄く笑みを浮かべた母上は、私の言葉に対してそう答える。
いつもとは違い、少々ピリピリしている様子だ。
緊張とは異なる、どこか苛立ちの感じられる姿。普段の母上には見られない様子に、私は疑問符を浮かべていた。
まあ、四大の当主クラスは『八咫烏』の存在を知っているし、招かれたのであればここにいるのも不思議ではないだろう。
そんな母上の姿に、隣に並ぶ舞佳さんや丈一郎は驚いた表情を浮かべていた。
「まさか、ここで会うとは思いませんでした、朱莉さん」
「ええ、舞佳さん。先日の会議以来ですが……いずれは、保護者同士としてお話をしたいですね」
「ええ、全く。でも、今はそういう訳にも行きませんから」
肩を竦める舞佳さんの言葉に、母上は小さく苦笑する。
まあ確かに、クラスメイトの母親同士であるというのは事実なのだが、目の前でその二人が会話をしているのはちょっと複雑だ。
若干居心地の悪さを感じつつも、私は丈一郎たちを伴って席についていた。
丈一郎は私の母親という存在に興味を引かれている様子ではあったが、それよりも自分たちの処遇が気になっているのだろう。ウェンディ共々、そわそわと落ち着きのない様子だった。
さてどうしたものか、と――私は、胸中で嘆息する。
(丈一郎たちの存在はまさに爆弾だ。メリットとデメリット、どちらも非常に大きい……決定に口出しできるかどうかは微妙な所か)
丈一郎の持つ戦力は強大極まりない。それこそ、優秀な人材を集めた『八咫烏』の中にすら比肩しうる存在がいないほどに。
だが同時に、彼は暴走という危険性を持っていることになる。
一度暴れ始めれば、周囲に被害が発生することは必至。その尋常ではない力で暴れられたら、味方にも被害が及ぶことになるだろう。
だからこそ、扱いが難しい。その力は確かに貴重なのだが、安全に運用できるという確証が無いのだ。
何とか彼の有用性をアピールしたいところだが――その弁護案を思案しているうちに、会議室の扉が開く。
入ってきたのは、予想通りに室長だった。
「ご苦労だったな、灯藤、羽々音。そしてご足労頂き感謝する、《黒曜の魔女》殿。今回の件については色々と話さねばならんことがあるのでな、こうして話し合いの場を設けた」
室長の言葉に、首肯を返す。
丈一郎の件もそうだが、黒幕に関しての話もしなくてはならない。
あの男がいる限り、今回の件が解決したとしても、根本的な解決には至らないのだから。
私は改めて気を引き締めて、室長の紡ぐ言葉に意識を集中させていた。
「まずはそこの、比嘉丈一郎に関する内容から説明しよう。比嘉丈一郎、並びに古代兵装ウェンディ。貴様らは、本日この時より、我ら『八咫烏』の管理下に置かれる」
「お、おう……」
「……大丈夫なのですか? 確保してきた私が言うのもなんですが、かなりリスクの高い方針です」
「無論我々も……そして魔法院も承知している。これは貴様がいたからこその決定だ、灯藤」
「私が……?」
嘆息交じりの室長の言葉に、私は視線を細めて思案していた。
これはつまり、私の実績を加味しての決定ということだろう。
今回の事件において、私は確かに、暴走状態にあった丈一郎とウェンディを無傷で確保することが出来た。
つまり、魔法院と精霊府は、私がいれば丈一郎を確保可能であると考えたのだろう。
……間違いではないが、リスクは当然高い。かなり思い切った決定だと言える。
「比嘉丈一郎は、『八咫烏』の所属構成員とする。ただし、作戦行動に参加する際は、灯藤仁の監視下においてのみ戦闘行動を許可される。また、古代兵装に関する研究協力が義務として課せられる――それが精霊府の決定だ」
「……かなりの好待遇ですね?」
「そうか? かなりガッチガチにされてる気がするんだが……ああいや、反抗するつもりじゃねーよ。ただ純粋に、そう思っただけだ」
疑問をそのまま口にしたのだろう、一斉に視線を向けられた丈一郎は、慌てた様子で首を振る。
そんな彼の様子に、私は苦笑しつつ説明する。
「丈一郎、お前は今回、市街地で暴れまわったんだぞ? 例え黒幕の介入があったとはいえ、本来ならば罪に問われてもおかしくない状態だ」
「それは……そうだけどよ」
「それを罪に問わないどころか、政府機関員としての身分を証明するだけでなく、我々の保護下に置かれることになる。状況によってはその戦力を要求されることもあるだろうが――」
「制御不能になって暴走する危険がある貴方を使うぐらいなら、他の構成員で何とかするでしょうね」
私の言葉を引き継ぎ、舞佳さんが肩を竦める。
丈一郎とウェンディの戦闘能力は驚異的だが、そのリスクが付いて回る以上、作戦行動には使いづらい。
つまるところ、この二人が『八咫烏』の戦闘要員として駆り出される事態はほぼ無いと考えていいのだ。
まあ、丈一郎当人も精霊魔法の使い手であるし、その戦闘能力は十分に高い。丈一郎単品を見て『八咫烏』の構成員にする狙いもあるのだろう。
「例え暴走したとしても、灯藤、貴様ならば止められるだろう?」
「ええ、まあ……暴走状態は動きそのものは結構単純ですから、同じ手順で止められるとは思いますが」
「であれば、利用価値は十分だと判断されたわけだ。貴様には拒否権は無い、大人しく従っておくことだな」
「……了解」
上から押さえつけられることには納得できていない様子であるが、それでもここ以外では生きていけないことは理解しているのだろう。
不承不承、といった様子ではあったものの、丈一郎は頷いていた。
だが――
「けど、一つだけ言わせてくれ」
「何だ? 待遇の変更を望むならば、少しは実績を上げてからにすることを勧めるが」
「いや、そっちじゃない。俺のことを比嘉って呼ぶのはやめてくれ。俺はもう、あの家は捨てた」
「……ふん、よかろう。替えの苗字は用意しておいてやろう」
「いや……『水鏡』で頼みたい。できねぇか?」
「…………」
丈一郎の言葉に、室長は僅かに目を見開いて沈黙する。
室長は、あの水鏡松月氏が『八咫烏』に所属していた頃に知り合っていた様子であるし、その名には多少の思い入れがあるのだろう。
だが、彼女は口元に僅かな笑みを浮かべて、その言葉に返答する。
「――考えておいてやる。しかし、比嘉家も無様なものだな。精霊魔法を逃がすどころか、魔法院に反逆までするとは」
「否定はできませんが、無理からぬことかもしれませんね。『彼』が手引きしたのですから」
「……そうだな。騒動に関わっていない連中からすれば、飛んだとばっちりだろう」
「仮にも大家ですし、潰す訳にも行きませんから……余計なことを企てた者たちだけを処分したいですね」
母上と室長の言葉に、私は視線を細める。
母上の語った、『彼』という存在。それは恐らく、先ほど電話をかけてきたあの魔法使いだろう。
今回の黒幕であり、古代兵装事件を企てた張本人。およそ、全ての元凶と呼んで差し支えない存在だろう。
奴が私に目をつけているというのであれば、奴のことを知らねばなるまい。
「教えてください。『彼』とは――今回の件の黒幕とは、いったい何者なのですか?」
『…………』
私の言葉に、母上と室長は、揃って渋面を作りながら口を噤む。
分かっていたことではあるが、どうやらかなり厄介な存在であるようだ。
確か、室長は特秘事項であると語っていた。だが、私がその標的になっている以上、いつまでも情報封鎖をされるとは考えづらい。
その確信をもって二人の返答を待てば――室長は、深く嘆息して声を上げていた。
「……一応、この場の面々には開示許可が出ている。だが、知ってどうにかなるというものでもないぞ?」
「知らなければ何もできません。奴が私を狙っているというのなら、少しでも情報が欲しい」
「……そうだな」
室長はもう一度嘆息し、背もたれに身を沈める。
不敵な室長らしからぬ反応だ。本当に、奴は何者なのか。
――その疑問に答えたのは、沈黙を続けていた母上だった。
「……私たちは、彼のことを『無貌』と呼んでいるわ」
「『無貌』……?」
「確かにあの野郎、顔を仮面で隠してたけどよ……名前とかないのか?」
「ええ、私は――というより誰も、彼の名前を知らないの。一応、知っていそうな相手に心当たりはあるけれども、気軽に話せる相手という訳でもないのよ」
母上は、宙を見上げるようにしながらそう声を上げる。
誰も、本当の名前を知らない魔法使い。だが、間違いなくその実力は本物だ。
そんな相手が私に目を付けたという事実に、口から飛び出そうになる悪態を抑える。
それよりも、今は情報を得るべきだ。あの母上が、こうも苦々しく語るような存在とは、いったい何者なのか。
私の表情を見た母上は、一度瞑目して続ける。
「私が彼と出会ったのは、片手で数えられる程度の回数しかないわ。こちらからは接触できないし、そもそもどこにいるのかすら分からない。一方的にメッセージを告げていくだけよ」
「メッセージ? 奴が、母上に?」
「ええ。彼が訪れる目的はいつもメッセンジャーだった――十秘跡が入れ替わったことの、ね」
その言葉に、私は絶句する。
十秘跡の代替わりを告げるメッセンジャー? そんな者が存在するのか?
いや、そもそも十秘跡とは誰が認定しているものなんだ?
十秘跡に数えられる人々は皆、自分が何位であるかの自覚を持っている。
だが、十秘跡とは世界規模の称号。どこかに認定機関でも存在しない限り、明確な順位など付けられるはずもない。
であれば――それを成しているのは、何者だ?
「彼は……十秘跡の任命権を持っている。と言うより、十秘跡というのは彼が作った称号なのよ。だからこそ、それが入れ替わった時には、必ず全員の前に現れる」
「……それは、まさか」
「ええ……彼こそ、十秘跡第一位――『無貌』。世界最強の魔法使いよ」
――沈黙が、部屋を満たす。
その言葉は、とてもではないがそのまま信じることはできないもので――同時に、酷く納得できてしまうものでもあった。
十秘跡の頂点。確かに、その座にある者であれば、十秘跡の認定も出来るだろう。
世界の頂点にあるからこそ、自分に続く者たちを順位付けすることが出来る。
それに、それだけの力があるならば、今回見せたような神業も可能なのかもしれない。
だが、そんな存在がこちらに目をつけてきたなど、考えたくもなかったのだ。
「……そんな相手が、何故」
「理由は我々にも分からんが……おおよそ、貴様の持つ特異な精霊魔法が原因だろう。それを欲してという訳ではないだろうが、興味を持たれたのは間違いあるまい」
「だから、私が精霊魔法を使わざるを得ないような事件を起こした、と?」
「可能性は高いだろうな。奴はそういう存在だ」
苛立ちを堪えたような室長の言葉に、私は思わず頭を抱えていた。
予想外にもほどがある。そこまで厄介な存在に目をつけられたとは、露ほども思っていなかった。
私のせいで事件が起こった、とまで言うつもりは無い。事件を起こしたのはあくまでも『無貌』であり、そこに私の意思は介在ていないからだ。
だがそれでも、被害の拡大は防がねばならないだろう。それに関しては室長も同意見なのか、彼女は視線を細めて私へと告げていた。
「今回の古代兵装に関する決定は、貴様が奴に目をつけられたことを含めての決定でもある」
「……丈一郎も、こちらの戦力として扱えと?」
「そこは貴様の判断に任せよう。必要に応じて使え」
「……分かりました」
一体どんな出方をしてくるか分からない、世界最強の魔法使い。
とりあえず、今は出来る限りの備えをするほかに道は無い。
相手が直接の攻撃手段に出ないことを祈りながら、私は脳裏で様々な対策方法を練り始めていた。




