141:古代兵装の適合者
私と千狐の力である《王権》、その一角である《女神之理》は、八つある権能の中でも上位に位置する能力だ。
その能力は、あまり具体的にこうと断定できる訳ではないのだが、簡単に言えば相手の心に干渉するというものだ。
正直なところ、戦闘中に使える能力という訳ではない。
一瞬の接触では相手の感情を僅かに読み取る程度が限界だし、心を正確に読み取ったり、相手の精神に作用するような効果を発揮するには長時間の接触が必要になる。
魔力の消費自体はそこまで高くないのがせめてもの救いであるが、どちらにしろ限られた状況下でしか使いづらい、変わった能力と言ったところだ。
だからこそ、私は驚きを交えつつも笑みを浮かべていた。この力を、これほど有意義に使えるタイミングが来るとは思っていなかったのだ。
「……すっかり暴れなくなったけど、大丈夫なの?」
「ええ、これで問題は無いはずです……とりあえずは、ですけれども」
《水魔之理》の効果は既に切り、地面に落ちた丈一郎は、そのまま私の右手に顔面を掴まれた状態で転がっている。
私の異形の腕に顔面を掴まれている丈一郎は、そのまま何も喋ることなく沈黙を続けている。
《女神之理》の精神干渉によって、戦闘用人格の表出を抑え込んでいる以上、彼の体が無差別に暴れ回ることは無い。
とりあえず、私がこの力を発動している限り、彼の暴走の心配は無くなった。
「けど、この子を確保してどうするつもり? 貴重極まりないのは事実だけど……正直、手に負えるようなものじゃないと思うわよ?」
「それについては考えがありますよ」
というより、何も手立てが無いのであれば、こんな時間稼ぎにしかならない方法は取っていない。
こうして時間を稼いでいる間に他の応援を呼ぶという手もあるが、どう考えても暴走状態の丈一郎を抑え込めるとは思えなかった。
何しろ、身体強化系の精霊魔法使いが、よりにもよって古代兵装で強化されているのだ。
その実力は四大の一族の宗家と比較しても引けを取ることは無いだろう。
いかに丈一郎を殺したくないと思っている私でも、ただ理想だけでそのようなことをするつもりは無い。
勝算があるからこそ、こうして切り札を切るに至ったのだ。
「考えってことは、今のその精霊魔法は単に大人しくさせてるだけじゃないってこと?」
「鋭いですね。まあ、おおよそ間違いではありませんよ」
今私が行っているのは、丈一郎とウェンディに関する根本的な解決策だ。
詩織の言っていた通り、通常の条件においては、ウェンディの力を完全に制御することは不可能だ。
作成者が何を考えて作ったのかは知らないが、ウェンディは今の所、装備した者を確実に殺す欠陥兵器でしかない。
根本的な肉体強度という問題もさることながら、最も大きな問題はほぼ確実に戦闘用人格が表出して暴走することだ。
これを何とかしない限り、彼らを救う手立ては存在しないと言っていいだろう。
「ウェンディ――この古代兵装のそもそもの問題点は、使い手が自意識を保てずに暴走することにあります。これをクリアすれば、おおよその問題点は排除できる」
「けど、それが出来るんなら今までも苦労していなかったんでしょ?」
「でしょうね。そうであれば、ウェンディの存在がもっと有名であってもおかしくは無い」
ただ体が丈夫なだけで操れるのであれば、この古代兵装は強大極まりない兵器であると断言できる。
それこそ、彼女を巡って戦争が起きかねない程度には。
だが、結局の所彼女は致命的とも言うべき問題点が存在している。
それを解決しない限り、丈一郎を救うことは不可能だろう。
「この古代兵装の力を制御するには、使い手が己の意識を保ったままになる必要がある。けれど、肉体にはもう一つ、人核兵装の意識そのものが残っており、体を動かす意識が二つある状態となってしまう。その結果、体を制御できずに戦闘用の人格が表出することとなる」
「ええと、つまり――二人の意識が統合できればいいってこと?」
「そうですね。二人が完全に同じ考えで、同じように動き続けること――それこそが、唯一の解決策です」
私が断言した言葉に、舞佳さんは微妙な表情を浮かべる。
まあ、その反応も分からなくはない。普通に考えて、不可能だとしか言いようが無いのだ。
生まれた時から一緒に育ってきた双子だというなら、可能性はあるかもしれない。
だが、片方がウェンディである以上、そのような条件はあり得ないのだ。どうした所で意識の齟齬は発生し、使い手の暴走を招くことになる。
だが――
「……つまり、その解決策を何とかできるってこと?」
「ええ、そういうことです」
私が取ったのは、丈一郎とウェンディの心を接続するという方法だ。
《女神之理》の力を用いて二人の心を繋ぎ、考えていることを共有できるようにする。
まあ、こうして同化している時でなければ、完全に意識を共有することは不可能だろう。普段は精々、何となく相手が考えていることが分かる程度の筈だ。
けれど、それだけの効果があれば、後は互いの信頼関係さえあればきちんと体を制御できるようになるはずだ。
「作業はもうすぐ終わります。舞佳さんは一応警戒を」
「はいはい。まだ子供だし、出来れば斬りたくはないもんよね」
舞佳さんの言葉に内心で同意しながら、私はゆっくりと手を離す。
丈一郎とウェンディの精神同調は完了した。これで体を動かせるようにならなければ、これ以上打つ手はない。
精々、完全に手足を斬り落として暴走をストップさせるのが限度だろう。
再び暴走した時のために《王権》は解除しないまま、私はいつでも手を触れられる距離で待機する。
同時、丈一郎は僅かに身じろぎをして――その目を、ゆっくりと開いていた。
「…………」
「丈一郎、聞こえているか? 大丈夫なら返事をしろ」
「……あ、あー……うし、ちょっと慣れてきた。迷惑かけちまったな、仁」
しばしぴくぴくと体を動かしていた丈一郎は、しばしの後に口を開き、確かに言葉を発していた。
口元には笑みが浮かべられており、こちらに向いている視線からは感謝と親愛の情が感じ取れる。
どうやら、きちんと勝機を取り戻すことが出来たようだ。
「正気を取り戻したようで何よりだが、動けるか?」
「ああ、ちょっと慣れは必要そうだが……何とかなりそうだ」
そう呟いた丈一郎は、地面に手を付いてゆっくりと体を起こす。
まだ若干動きは鈍いが、それでもきちんと体を動かすことが出来ていた。
どうやら、一先ずは成功のようだ。とはいえ、これで安心しきる訳にもいかない。状態を確かめなければならないだろう。
「とりあえずは戦闘用人格を抑え込めたようだが……また暴走しそうな感覚はあるか?」
「いや、今の状態を維持できるなら問題はなさそうだぜ。体を動かせるぐらいまで意識が一致してるんなら、問題は無いみたいだ」
「……とりあえずは、一段落ってことかしら」
「そうみたいですね。すみません舞佳さん、付き合わせてしまって」
「あー……すんません、迷惑かけちまいました」
丈一郎を助けようとしたのは私の我がままだ。
暴走した丈一郎の力は確かに厄介だったし、その力は四大の上位にも匹敵するレベルまで高まっていた。
だが、思考能力が無いため動きは単純だったし、手段を問わなければ仕留める方法もあっただろう。
舞佳さんからすれば、余計なリスクを背負わされたようなものだ。
しかし彼女は、私たちの謝罪に対して笑いながら手を振っていた。
「別にいいわよ。『八咫烏』にとってプラスになることは間違いなかったわけだし、灯藤君には借りもある訳だしね」
「……そう言って貰えると助かります」
「けど、また暴走するようだったら流石に捨て置くことはできないわよ。とりあえず、さっさとその武装を解除しなさい」
まあ、私の魔力も限界に近いし、ここは市街地が近いから実験をするにも不適切だ。
顔を見合わせた私に、丈一郎は一度首肯して、目を閉じ意識を集中させていた。
そして次の瞬間、彼の変異した手足が眩い光を放ち始め――それが弾けると共に、そこには一人の少女の姿が出現していた。
見間違えるはずもない、つい先ほど目にしていた、ウェンディの姿だ。
「っ……終わった、んだよね」
「ウェンディ、大丈夫か!? どこかおかしな所とかは無いか!?」
「ん……うん、大丈夫。ありがとう、ジョウ」
己の体を確かめて頷いたウェンディに、丈一郎はようやっと安心して溜息を吐き出す。
初めての同調だったのだ、不安に思うのは当然だろう。
だが、結果としては最上のものだ。私は安堵して、《王権》の発動を解こうとし――ふと、気付く。
――この事件を仕組んだ存在は、一体何処に行ったのかと。
「ッ……!」
「灯藤君? どうかしたの?」
慌てて周囲を見渡す私の様子に、舞佳さんは首を傾げて疑問符を浮かべる。
だがそれには答えずに周囲を索敵し――私の感覚にも術式にも勘にも、敵の魔法使いらしき気配を発見することはできなかった。
仕掛けてくるとしたらこのタイミングだと思うのだが、何も動きが感じ取れない。
舞佳さんも私の意図に気づいたのか、意識を研ぎ澄ませている様子だが――それでも、何かが見つかることは無かった。
私と舞佳さんは揃って訝しげに眉根を寄せ――その瞬間、耳元で通信機が着信を告げていた。
『……ご主人様、非通知の着信』
「繋いでくれ」
『八咫烏』の専用回線に非通知の番号からかかってくるという異常事態であるが、一度経験がある以上、慌てるようなことは無い。
けれど、意識はきちんと研ぎ澄ませながら、私は携帯電話に対して声を掛けていた。
「……もしもし」
『やあ、楽しんでいただけたかな?』
「楽しむだと? ふざけるのも大概にしろ! 今回の件は、多くの死者が出てもおかしくは無かったのだぞ!?」
『勿論その通りだとも! 古代兵装なんて古臭い遺物まで持ち出してきたんだ、それ位派手じゃなきゃ興醒めってものだろう?』
電話越しに響いてきた言葉に、私は思わず舌打ちする。
先ほど話した時にも感じていたが、こいつには物の道理など通用しない。
完全に己の価値観の中で生きており、他者の言葉など歯牙にもかけない、そんな人間だ。
理解の及ばぬ化物と話しているような嫌悪感に顔を顰めながら、私は再度口を開く。
「貴様は一体何がしたい。ウェンディを暴走させて、何を企んでいた」
『言っただろう、君のファンだと。僕は、君の活躍が見たいんだ。だったら、事件に起こって貰った方がいいだろう?』
「ッ……そんな、理由で」
罵声を浴びせかけそうになるが、結局水掛け論にしかならないだろう。
こいつ相手に、理を説いたところで意味は無い。理解するつもりもなければ、一ミリたりとも効果は無いだろう。
それよりも、今は情報を集めねばなるまい。こいつの行動を予測できるかどうかは不明だが、何も分からないよりは遥かにマシだ。
「……私に、丈一郎を殺させるつもりだったのか」
『劇的だろう? 物語を彩るのはやはり悲劇だ。そうでなくては面白くない、が――はははっ、君はそれを、ハッピーエンドで塗り替えて見せた! 実に素晴らしい、それでこそ選ばれし者だ!』
「ふん、残念だったな。もう二度と、ウェンディはそちらの手に渡しはしない」
『うん? ああ、それは当然だとも。僕のシナリオを打ち破った君には報酬が必要だろう? その子たちは君が手にしたものだ、取っておくといい。もう二度と、彼らを出汁にしないことを誓おうじゃないか――二番煎じは面白くないからね!』
人をからかっているのか、とも思ったが、その言葉そのものに嘘は無いと私の直感が囁いていた。
どうにも、この男は既に丈一郎たちへの興味を失っているらしい。
この男が注視しているのはあくまでも私自身であり、その周囲がどうなろうと気にしていないようであった。
『ともあれ、今回はこれで終了だ。また次回、君の活躍を楽しみに待っているとしよう!』
「なっ、待て――」
『ではまた、楽しませておくれよ』
そう一方的に告げて、通話が切れる。
結局の所、相手の正体は分からぬまま――途方もなく厄介な相手に目をつけられたという事実だけが、私の心に重く圧し掛かっていた。




