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汝、不屈であれ!  作者: Allen
第7章 蒼風の騎乗士
136/182

136:急転する事態












 水鏡松月の住居へと続く路地の前、しかし私はそこに立ち入ることも出来ず、壁に背を預けながら煩悶した時間を過ごしていた。

 今現在は、リリがこの狂わされた結界を解析し終わるのを待っている状態である。

 本来であれば、私も《掌握ヴァルテン》を使って解析に参加すべきだろう。

 だが、この結界には現在、とんでもないトラップが仕掛けられている。

 精神に作用するという性質を逆手に取り、先日の仙道家の事件にあった古代兵装の精神汚染をさらに厄介にしたような汚染効果が付加されていたのだ。



『ぐぬぅ……っ!』

「リリ、落ち着け。急ぎであることは確かだが、焦ってもいいことはない」

『……大丈夫、焦ってはいない。ただ、これを仕掛けた術者の底意地の悪さを呪っただけ』



 普段の子供じみた発音すら忘れている様子に、私は思わず眉根を寄せる。

 リリがここまで苦戦するような相手など滅多にいない。

 先ほど水鏡松月の結界を超える際に苦労していたのは、あれはあくまでも結界を破壊せずに通り抜けようとしていたからだ。

 彼女に対してこちらが敵対の意志を持っていないと示すため、ああして素直に挑戦していたのだ。

 リリの能力と私の特性があれば、あの結界であろうとも、破壊するのにはそこまで苦労しないだろう。

 だが、今回は状況が違う。この結界を破壊してでも、この中に入る必要があるのだ。

 だと言うのに――



(……破壊のための綻びすら見えないとはな)



 現状、結界の性質は常に変動しているような状態にある。

 そのパターンの解析も行っているが、変化は完全なる無秩序。

 それでいながら、導き出される結果は変わらない。人の精神を狂わせ、暴走させるという代物だ。

 しかも、下手に解析をしようものなら、その時点で汚染効果が解析者へと牙を剥く。

 もしかしたら詩織ならば、と思うことがない訳ではないが、博打にしかならない上にそもそも彼女の魔眼を使える条件を満たしていない。



『精神防壁を張って突入しても……無理か』

『それは無理。あの時、水鏡松月の術式でも完全には防げなかった……今回の浸食効果はそれ以上』

『おまけに悪意は山盛りという訳か』



 結界に関しては自信があると言っても、それは流石に分の悪い勝負だ。

 一度汚染を受けてしまえば、そこから抜け出すのは至難の業。

 リスクどころか、ただの自殺行為でしかないだろう。

 しかしこうなると、リリの解析を待つしかない訳だが――



「仁様っ!」

「戻ったか、刀祢。通達は?」

「魔法院、および警察への状況説明は完了しました。退去と封鎖も始まっています」

「よくやってくれた。出来るだけ早く、完全封鎖して貰いたいところだが……」

「元来、あまり人の立ち入らない場所ではあったようですが、流石に皆無ではないですからね」



 走り寄ってきた刀祢の言葉に、私は首肯を返す。素早い対処に感謝すべきだろう。

 もしも、封鎖が終わらない内に誰かが中に入ってしまえば、危険な暴走状態に陥ってしまう。

 だが、それに対処するための時間も手も足りていない状況だ。

 リリを分割することで対処も出来るだろうが、この結界の解析にはリリの意識を全て演算に回さなくてはならない。

 多数の分体創造など、している余裕が無いのだ。



「しかし……」

「仁様? どうかなさいましたか?」

「いや、これを成した敵のことを考えていた」



 あの時、私のファンと語っていた電話の男。

 私を強制転移させ、精緻極まる水鏡氏の結界術式に干渉し、今なおそれを狂わせ続けている張本人。

 率直に言って、それを成した存在が、人間だとはとても考えられなかった。

 私の知る中でも頂点にある魔法使いは、父上と母上、そして先生だ。

 いずれも、類稀なる魔法を自在に操る強大極まりない魔法使いである。

 だが――その誰であろうとも、このような真似ができるとは思えなかったのだ。



「何か特殊な精霊と契約しているのか、それとも何らかの古代兵装を有しているのか……何にせよ、尋常な相手ではない」

「それほどの相手である、と……仁様はそうお考えですか」

「これですら希望的観測に思えてくる。正直なところ、まるで正体がつかめない。一体何が目的で、どのような手段を使ってこのような真似をしてきたのか……皆目見当もつかん」



 つまるところ、相手の情報がまるでないのだ。

 どのような手段を使ったのかすら分からないとなると、流石に対策の立てようがない。

 可能な限りの万全を期するつもりではあるが、果たしてどこまで通用するのか。

 相手が父上や母上のクラスとなれば、まともに挑むこと自体が間違いだ。

 それでも、最悪ウェンディだけは確保しなければならない。何とかして、逃げる手段を確保せねばならないだろう。



『むぅっ!?』

「どうした、リリ? 何かあったのか?」

『結界の組成が変質した。上部が脆くなってる! 今なら破れる、けど……』

「……誘いか」



 これほどの術者が相手だ、そのようなつまらないミスをするとは思えない。

 となれば、相手は誘っているのだろう。私が、この中へと足を踏み込んでくることを。

 だが、このタイミングを逃せば、中に入ることはできなくなるだろう。

 危険度は高い。が――それでも、今の結界を強引に超えるよりは遥かにマシだ。



「やるしかない、か……リリ!」

『ん……っ!』



 即座に『黒百合』を纏い、拳から魔力を励起させる。

 結界破りの術式はすでに用意してある。脆くなっている結界の上部ならば、問題なく打ち抜けるだろう。

 問題はその先だが――最悪の場合に備えて保険は用意してある。

 どれだけ悪い状況であろうとも、逃げることはできるはずだ。

 ――自分一人のみに限った話であるが。



「仁様、装備を纏ったということは……」

「ああ、私は行く。だが、お前はここで待機していてくれ」

「そんな! 私も同行いたします!」

「生憎、私の逃走手段では私一人逃げるのが限界だ。それに、お前は精神防壁の結界もそこまで強固なものは張れないだろう。それよりは、外にいてくれた方が助かる……逃げる際の目印にもなるからな」

「っ……」



 納得はし切れないのだろう。

 だが刀祢は、理性の上では私の言葉の意味をきちんと理解していた。

 今の己が付いて行っても、足手纏い以外の何物でもないのだと。



「……承知しました。ご武運を、仁様」

「ああ、頼んだぞ」



 そう告げて、私は跳躍する。

 壁を駆け上がり、建物の屋上へと昇って、更に上空へ。

 狙うべき場所は、この結界の頂点――いかなる理由からか、結界が薄められたその場所だ。



「【堅固なる】【境界よ】【唯我を】【保て】」



 《不破城塞フォートレス》に加え、更に精神防壁となる結界を張り直す。

 よほどのことが無い限り破られない自信はあるのだが、相手が遥か格上となると焼け石に水だろう。

 だがそれでも、何も対策をしないよりはマシだ。

 数秒でも保てば、逃げ出すことはできる。とにかく今は、状況を確認せねばなるまい。



「【堅固なる】【境界よ】【交わり】【砕け散れ】」



 次いで、結界破壊の術式を拳に装填する。

 今回は丁寧な侵入などやっている余裕はない。強引に、力技で打ち砕くのみだ。

 何のつもりかは知らないが、結界の一部は明らかに強度が落とされている。

 今の状況ならば――



「おおおおおおッ!」



 全力を以て、拳を振り下ろす。

 灼銅の魔力に輝く拳は、その姿を隠された結界の頂点へと突き刺さり――結界に、私が想定したものよりも遥かに大きな穴を空けていた。



「何だ……!?」



 想定したものとは異なる結果に動揺する。

 だが、それでも目的が達せられたことに変わりはない。

 私は結界の状態をつぶさに確認しつつ、穴の開いた結界の中へと飛び込んでいた。

 幸い、即座に結界に異常が発生することも、こちらへの精神汚染が及ぶこともなく、私は結界の中心である水鏡松月の家の前に着地する。

 見た限りでは先ほどと特に変化は無いようだが……あの水鏡氏が、今の異常に気付いていない筈は無いだろう。

 覚悟を決め、私は家の中へと足を踏み入れていた。



「丈一郎、水鏡さん!」



 呼びかけてみるが、返事は無い。

 丈一郎であれば、今の声を利けば即座に飛び出してきただろうが、生憎と気配が動く様子すらなかった。

 眉根を寄せつつも、更に家の奥へ。元々小さい家であるため、探せる範囲はそれほど広くは無い。

 先ほど話をした居間への襖を開き――その奥に、安楽椅子に座って背を向ける老人の姿を発見した。



「水鏡さん!? 大丈夫ですか、今の状況は――」

「……ああ、灯藤か。目論見通りと言えばその通りだけど、中々派手にやってくれたもんだ」

「……水鏡さん?」



 彼女は、私の言葉に動きを見せることなく、言葉の中に笑みを滲ませる。

 それは、苦笑と共に称賛を交えたような、奇妙な色の声音であった。

 そのように、嫌な予感を覚えながら、私はゆっくりと彼女に近づく。

 しかしそれを遮るかのように、水鏡氏はしわがれた声を上げていた。



「あまり時間が無い、端的に伝えるよ。どっかのクソ野郎が、儂の結界を侵食した。このままでは危険と判断し、一部のみ構成を維持して、あの小僧たちを逃がした」

「丈一郎とウェンディは……」

「結界の汚染は受けていないよ。そこだけは死守したからね」



 そう告げて、水鏡氏は誇らしげに笑う。

 私としては、信じられぬ思いでその言葉を反芻していた。

 あの、絶技としか言いようのない術式干渉を行ってきた相手に、それほどの抵抗をして見せたのだから。

 やはりこの老人も常識を外れた存在だと実感しながら、私は彼女の言葉を待つ。

 ――この場に残ってあの二人を逃がした彼女がいかなる状態であるか、察せられぬわけではないのだ。



「お前さんはあの子らを追いな。だが気を付けることだ……間違いなく、最悪の相手だよ」

「あれほどの術者が相手では、私にできることは少ないですが……」

「ああ、そこは安心していい。あのクソ野郎は、場を引っ掻き回すだけ掻き回したら、後は放置して鑑賞するのが趣味だからね……状況は確実に悪くなるだろうけど、致命的な所までは悪化させないんだよ」



 水鏡氏の言葉に、眉根を寄せる。

 まるで、前世で出会ったことのある愉快犯的テロリストのような人物像だ。

 総じて言葉が通じず、手口は巧妙で厄介極まりない。

 特に問題なのは、そういった手合いは自らの欲求を満たすことを最優先し、他の事柄を度外視する点だ。

 下らない理由のため、国一つ混乱に陥れることを厭わない――私が、最も嫌悪する手合いだと言える。

 そんな存在があれほどの力を持っているなど、最悪以外の何物でもない。



「……一体、何者なんですか」

「くく、火之崎の夫婦にでも聞くんだね……きっと、嫌悪感たっぷりに答えてくれるよ」



 父上と母上が敵対する相手、と言うことだろうか。

 となると火之崎の敵なのか、あるいは――そこまで考えたものの、あまり考察をしている時間もない。

 そしてそれは、水鏡氏もそうなのだろう。



「状況は悪い。最悪の一歩手前だ。けど……お前さんなら、まだ何とかできる」

「……分かりました。必ず、あの二人を保護します」

「ああ、頼んだよ」



 水鏡氏はそう口にして、椅子越しにひらひらと手を振る。

 そしてその手を降ろし――それきり、口を閉じて沈黙していた。

 彼女に対し、私は一度口を開きかけ――頭振って口を噤む。

 今は、彼女との約束を果たさねばならないだろう。

 そう決意を新たにし、私は彼女へと向けて深々と頭を下げていた。



「ありがとうございました、我々の拠点を作り上げた、偉大なる魔法使い」



 そのまま、私は踵を返す。

 老いた魔法使いの家からは音が消え去り――それきり、静寂に包まれるのであった。





















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