131:少年の居場所
昼休み、一組よりも早く授業を終えていた私は、久我山と詩織を連れ立っていつもの場所へと移動していた。
実習系の授業だったので、一組がこちらに来るのにはもうしばし時間がかかるだろう。
その間に、私は二人に対して意識合わせを行っていた。
「ふぅん……つまり、仁くんはその丈一郎って人を灯藤家に迎え入れたいってこと?」
「そうだな。何しろ、相手は在野の精霊契約者。探したところでまず見つかることのない人材だ。まあ、今のところ正確には在野と言える状態ではないんだが」
一応ながら、法的手続きが取られていない以上、丈一郎は未だ比嘉家の所属を抜けられていない。
まあ、やろうと思えば火之崎家の力でごり押せないこともないのだが、流石にそれは反発のリスクが大きい。
理想は彼が正式な手続きを経て比嘉家から出ることなのだが――まあ、それは流石に夢を見すぎというものだろう。
比嘉家が彼を襲っていたことからも、状況が拗れていることは容易に想像がつく。
「リリの仕込みのおかげで、彼の拠点としている場所をは特定することが出来た。同時に、その厄介さも露呈したが」
「厄介さって?」
「それについては後々比嘉嬢にも説明するが……簡単に言えば、彼の拠点は非常に強固な幻術結界に包まれているんだ」
「幻術結界って……初音ちゃんが使ってる魔法みたいな?」
「分類としては同じだ。まあ、その練度は隔絶されていたがな」
何しろ、相手は古代の知識を持つリリすらも欺くほどの高度な幻術だ。
時間をかけたおかげで何とか解析することが出来たが、とても人間が構築したとは思えないほどのレベルである。
まあ、おかげで彼の安全が確保されていると考えれば、都合の良い話なのかもしれないが。
「とにかく……彼はある程度安全を確保できている状態だ。しかしながら、比嘉家が何故今になって彼にこだわっているのかが分からない」
「精霊契約者だってことを知ったんじゃ?」
「いや、それにしては差し向けた戦力が少なすぎる。五人程度の人数で精霊契約者を何とかできると思う程、比嘉家は歴史の浅い家系ではない筈だ」
精霊魔法は一芸に秀でているとも言えるが、その一芸がひたすらに強力なのだ。
しかも、丈一郎の精霊が持つ力は戦闘型。もしもそれを把握しているのであれば、もっと大人数での制圧を狙うはずだ。
無論、秘密裏に何とかしようとした可能性もあるが、それはそもそも想定自体が甘すぎる。
恐らく、彼が精霊魔法を扱えることは比嘉家には伝わっていないだろう。
「比嘉家に精霊魔法のことを伝えるのは色々な面で都合が悪い。そこは比嘉嬢にも伝えないようにしてくれ」
「いいのかな……?」
「詩織ちゃん。それが伝わると、下手したら街で派手な戦闘が起こる可能性があるからね」
「そ、そうなの?」
精霊魔法の使い手は、多少強引な手を使ってでも手に入れる価値のある存在だ。
危険を避けておくに越したことはないだろう。
まあ、彼らの思惑については現状調べる方法はない。
とりあえず、こちらの得た情報を与えて彼らの動きを様子見する方がいいだろう。
「まあとりあえず、あまり変な反応は見せんようにな。こちらは秘密裏に動きたい段階だ」
「了解。詩織ちゃんは……まあ、喋らなきゃ大丈夫だよ」
「うう、そういう駆け引きって苦手かも……」
複雑そうな表情で眉根を寄せる詩織に、私は小さく苦笑を零す。
彼女は舞佳さんの娘であるとはいえ、魔法の世界とはあまり縁が深くない存在だった。
こういった腹芸には、まだまだ慣れていないことだろう。
まあ、彼女の善性の場合、慣れてくれるかどうかも微妙なところではあるのだが。
そう胸中で呟いて苦笑し――接近してくる馴染みのある気配に、私は視線を上げていた。
魔力はきちんと制御できているのだが、その存在感は隠しきれていない。その佇まいだけで周囲を圧倒している凛と初音は、私たちの方へと迷うことなく歩を進めていた。
「待たせちゃったわね」
「いや、問題はないさ。それほど遅れたという訳でもないしな」
前回と同じ位置に腰を下ろしながら声を上げた凛に、私も肩を竦めながらそう返す。
確かにいつもよりも若干遅かったのは事実だが、おかげでこちらも久我山たちに話を伝えることが出来た。
決して、無駄な時間ではなかっただろう。
ともあれ――今にも話をしたくてうずうずしている少女に、声を掛けねばならないだろう。
「あ、あの……それで、お兄様は……!」
「とりあえず座ってくれ。それについて話をするとしよう」
比嘉嬢を席に座るよう促し、以前に話をした時と同じ並びで椅子に腰かける。
今にも話を聞きたそうにそわそわしている彼女に内心苦笑しつつ、私は改めて彼女に対して口を開いていた。
「待ちきれんようであるし、まずは単刀直入に結論から言おう。丈一郎の居場所を発見した」
「っ……どこに、お兄様はどこにいるのですか!?」
「彼はまだこの街にいる。出会った魔法使いに匿って貰っているようだな」
そう告げながら、私はポケットから地図を取り出す。
地図自体はリリがパソコンを使って印刷してきた代物だが、その中央辺りの一区画に、大きく赤い円で印が描かれている。
私は地図を机の上に広げ、その赤い円を指さしながら比嘉嬢へと告げた。
「彼がいる場所はここだ」
「……あの、随分と範囲が広いような気がするのですけど……」
「その通りなのが厄介なところでな。この辺りの路地には、全て極めて高度な幻術結界が張り巡らされているんだ」
それこそが、リリすらも惑わした幻術。
驚くことに、それと同様の術式による結界が、この一区画丸ごと張り巡らされていたのだ。
球状の結界を展開している訳ではなく、路地の一つ一つに隠蔽性の高い刻印を複数刻み、その複合効果によって路地の中は現実と虚構が入り混じった領域へと変貌している。
私が足を踏み入れた場合、広範囲に配置された刻印による複合効果であるため、例え《掌握》を使っていたとしても、一瞬でも気を抜けば幻術に引っかかってしまうだろう。
リリだからこそ、その全貌を明らかにすることが出来たのだ。
「恐らくだが、この区域の内部側……路地の奥にある家屋のどこかが、この結界を構築した魔法使いと、丈一郎の拠点となっているのだろう」
「そ、そんな人を味方につけていたなんて……」
「正直、私も耳を疑いましたよ。幻術結界という分類においては、恐らくお婆様にも匹敵するレベルです。一つ一つのパーツを見れば十分再現できますけど、それを組み合わせた上に相乗効果まで狙うなんて……」
幻術と言うジャンルにおいては想像を絶する実力を有する水城久音。
今回の幻術を作り上げた人物が、その水城久音と同等であると、他でもない初音が断言する。
彼女からの薫陶を受けた、初音自身がだ。
それは即ち、今回丈一郎を匿っていると思われる人物は、十秘跡に近いほどの実力を有しているということになる。
正直、これを相手に敵対する意思は、私には一切なかった。
「と言うことで、その拠点の内部に足を踏み入れることは避けた方がいいだろう。と言うか、強引に行ったところで到底入れるとは思えない」
「それは……その、はい」
いかに盲目的になっている比嘉嬢でも、水城久音クラスの幻術をどうにかできると豪語するほど楽観的ではなかったようだ。
実を言えば何とかできる手段がない訳ではないのだが、こちらの切り札を何枚も晒す必要がある。
残念ながら、そこまで面倒を見るつもりは私にもなかった。
「代わりと言ってはなんだが、丈一郎が出入りに使っていた路地の入口を記しておいた。そこを見張っていれば、その内出会えるかもしれない」
「あっ……な、成程! ありがとうございます!」
「いや、礼には及ばない。依頼されてやった事だからな。それより、一つ忠告しておきたいことがある」
「はい? 忠告、ですか?」
私の言葉に、比嘉嬢は首を傾げる。
相変わらず、裏やよこしまな感情を感じ取れない人物だ。
恐らくではあるが、彼女はこの件にはかかわっていないことだろう。
であるからこそ、あえてこの情報を彼女に伝える。
僅かながらであろうとも、比嘉家に対して波紋を投げかける為に。
「私が丈一郎を発見した時、彼は比嘉家の人間から襲撃を受けていた」
「は……? ッ!? そんな、どうして!?」
「それは私が聞きたい所ではあるのだがな。それまでずっと放置してきたにもかかわらず、いざ出奔したという段階になってからそこまで必死に連れ戻そうとする理由が分からない。だが何にしろ……丈一郎が、比嘉家から襲撃を受けたと認識していることは紛れもない事実だ」
実際のところ、あれが比嘉家の人間であったのかどうかは、私には判断しきれない。
だが、彼自身がそう認識している以上、比嘉家に対する感情は確実に悪化していることだろう。
となれば、彼との接触は間違いなく話が拗れることになる。
真っ当な会話になるとは考えづらいことだろう。
「お前が彼と接触するつもりであるならば、気を付けることだ。彼にとって、比嘉家は紛れもなく敵として認識されているからね」
「っ……でも、私はお兄様に危害を加えたことなどありません。きっと、話せば分かってくれるはずです」
「希望的観測だ、と言わせてもらいたいが……お前の決断まで切り捨てる権利は私にはない。この情報をどう扱うかは、お前次第だ」
正直なところ、碌な会話にはならないと思う。
だが、それでも彼と話をしたいというのであれば、私にはそれを止める権利はない。
私の仕事は、丈一郎の居場所を彼女に伝えることまでなのだから。
彼女も、とりあえずは納得したのだろう。小さく頷くと、カバンから一枚の書類を取り出し、私へと差し出していた。
「ありがとうございました、灯藤さん。これが約束の報酬です」
「……確かに。では、これで取引は完了だ」
魔法院の印が押された書類を確認し、私は比嘉嬢に頷き返す。
彼の前まで連れて行け、と言われる可能性も考えていたが、どうやらここから先は彼女自身で何とかするつもりのようだ。
まあ、彼女と共に丈一郎の前に姿をさらすのは勘弁して欲しい所だったので、私としても助かるのだが。
そんな私の内心など知る由もなく、比嘉嬢は深く頭を下げると、再び私へと口を開く。
「ありがとうございました、灯藤さん。お世話になりました」
「私は契約上の仕事をしたまでだ。健闘を祈っているよ」
「はい。それでは、また」
今一度礼をすると、彼女は立ち上がり、踵を返して去ってゆく。
その背中を見送って、私は小さく嘆息を零していた。
さて、また妙な状況になったものだ、と。
「また、変な状況になってるみたいね、仁」
「全くだ……ここの所、妙な事態に巻き込まれすぎている気がする」
「ま、退屈しなくていいんじゃないの? それより――」
私に対してにやりとした笑みを浮かべていた凛は、しかしその言葉と共に笑みを消す。
その紅の視線の中に、強い意志の光を宿しながら。
「アンタ、他にも何か気付いてるわね?」
「……まあな。だが、これは彼女に伝えることのできない情報だ」
「ふぅん。なら、あたしたちには?」
「それも詳しくは伝えられん。だが、一つだけ言えることは――」
そこまで口にして、私はちらりと視線を動かす。
この場所からは見えない、街角にある一角。
複数の幻術によって隔離された、その領域の方角へと。
「――あの術式を、私は見たことがある。それだけだ」




