130:二人の精霊契約者
「はははっ! いやまさか、俺以外の精霊使いと会えるとは思ってもみなかったぜ!」
「私もだな。同じ職場にいると話に聞いたことはあったが……直接目にするのは初めてだ」
あれから場所を移し、向かったのは昼間でも人気の少ない自然公園の隅の方にある一角だった。
木々があるため視界もあまり通ってはおらず、隠れ場所は多い。
相手がこちらの姿を補足していれば逆に監視されやすくもなるが、リリの監視網を逃れられる人間がいるとは考えていなかった。
来るとすれば比嘉家の人間であろうし、対処はそれほど難しくは無いだろう。
場を確保したうえで、私は改めて隣に座る少年の姿を観察する。
年のころは、私よりも一つか二つ上、と言ったところだろう。
比較的大柄で、身長は高い。きちんと鍛えられた、がっしりとした体格をしている。
ほとんど軟禁されていたような生活の中で、よくこうも鍛えていたものだ。
『ふむ……あるじとリリ以外に姿を見られるというのも、中々珍しい感覚じゃな』
「さっきも聞いてたが、仁の精霊は喋れるんだな。うちの鋼打は見た目通り、ほとんど狼だし……会話はできねぇんだよ」
「案外、その方が気苦労は無いかもしれんぞ。既に慣れてはいるが、四六時中監視されているようなものだからな」
『くはは、あるじのことは体の隅々まで知っておるとも』
私の軽口に対し、千狐は笑みを浮かべながらそう返す。
まあ、千狐とは文字通り、生まれた時からの仲なのだ。
今更、見られて恥ずかしいと思うようなこともない。こちとら、中身は既に老人のようなものだからな。
それでも、時折飛んでくる余計な口出しが無いのは、少々羨ましくはある。
まあ、隣の芝は青く見えると言ったところか。
「鋼打か……随分と立派な狼だな」
「ははは、そうだろそうだろ?」
丈一郎の精霊である鋼打は、見た目は非常に巨大な狼だ。
遠目には白い狼に見えていたが、近くで見ると、その毛並みはどこか金属質な光沢を持っている。
後ろ足で立ち上がれば、その大きさは2メートル近く……普通の生物として存在していたら、まず間違いなく大騒ぎになることだろう。
尤も、精霊と言う時点で、周知されればそれよりも大きな騒ぎになりかねない存在なのだが。
「私には精霊は見えないけど……精霊契約者同士だと、お互いの精霊が見れるんだね」
「一応、そうだとは聞いていたが……今まで他の精霊は見たことが無かったからな。正直、新鮮な気分だ」
「それには同意するぜ。俺も、俺以外の精霊契約者と会うことは無いと思ってたしな」
まあ、これまでの生活を鑑みると、それも無理からぬことではあるだろう。
そもそも、他の魔法使いのこともあまり知らない筈だ。
その割にこうして元気にしているのは、恐らく精霊の助けがあったからこそだろう。
彼自身の意志の強さという要素も、決して無視できないものではあるだろうが。
「ところで、先ほどは何があったのか、話を聞いてもいいか?」
「ああ。つっても、つまらん話だぜ?」
「一応、理由は知っておきたいからな。もう知らぬ仲という訳でもないし」
「それもそうだ」
私の言葉に、丈一郎はにやりと笑いながら同意する。
こうして接してみる限り、中々に気のいい性格をした人物だ。
話に聞いている彼の生い立ちを鑑みれば、もっと屈折した性格になっていてもおかしくは無いのだが――
「あいつらは、まぁ、何つーか……俺の親戚みたいな連中でな。俺を連れ戻しに来たんだ」
「随分と手荒い対応だったが、家出中か何かか?」
「はっ、邪魔だって言うから出て行ってやったんだよ」
皮肉った笑みでそう吐き捨てる丈一郎の声音は、酷く冷たく、強張ったものとなっていた。
それだけで、彼が比嘉家に対して抱いている感情は知れるというものだ。
これは、かなりこじれた関係になってしまっていることだろう。
「その割には、お前を連れ戻しに来ていたのだろう?」
「まあな。大方、今頃になって俺が精霊契約者だったって知ったんだろうよ。ま、今更頭下げられたって、戻る気は全くねぇけどな!」
にやりと笑いながら、丈一郎はそう告げる。
戻る気が無い、と言うのは間違いなく本音だろう。だが――理由については、恐らく嘘だ。
他に何かしらの理由があり、それを隠しているとみるべきだろう。
とはいえ、今それを追求することはできない。距離感を誤れば、せっかく得られた親近感を失ってしまうことになるだろう。
ここはひとまず、適当に話を合わせておくべきか。
「成程な。だが、大丈夫なのか? 確かに精霊の力は強力だが、多勢に無勢だぞ? 住む場所はどうしているんだ」
「何、俺と鋼打ならどうってことはない――って言いたいところだが、ある人の所で世話になってるんだわ」
「ほう? 助けてくれた人がいるのか」
彼の精霊――即ち、彼の精霊魔法の能力は、恐らくは身体能力か打撃の強化だろう。
単純ではあるが、精霊魔法の出力で行われているとすれば非常に恐ろしい能力だ。
しかしそれでも、魔法使いの大家を一人で相手するには及ばないだろう。
例えそれを助ける者がいたとしても、そうそう容易く相手取れるはずがない。
それでもなお、丈一郎が自信を持ってそう言えるのは彼の無知故か――あるいは、そう納得できるほどの実力者が、彼に力を貸しているかだ。
そんな私の疑問を裏付けるかのように、丈一郎は笑いながら首肯する。
「ああそうだ、大した婆さんだぜ? 俺が手も足も出なかったんだしな!」
「精霊使いのお前が、か?」
「ああ。悔しいが、俺じゃ勝てなかった。まあそのおかげで、安全な寝床を確保できてるんだけどな」
精霊使いである彼が、手も足も出ないとまで断言するとは。
一体どれほどの実力者なのか――そう考えたところで、私の脳裏に浮かんだのは、リリですら追跡しきれなかった彼の寝床とやらだ。
もしも、リリを惑わすほどの仕掛けを構築したのがその人物であるならば、彼の自信も納得できる。
私も数多くの魔法使いを知っているが、その誰であれ、同じことをできる者は思い浮かばなかった。
「ふむ……もしも行く当てがないのなら、うちに来るかと誘おうと思ったのだが」
「おいおい、随分とお人好しだな、仁。けど、それには及ばねぇさ。ウチならどうとでもなるし、気持ちだけ受け取っておくぜ」
「成程。なら、無理には誘わずにおくとしよう」
横から初音の視線を感じるが、私はそれには答えず、小さく肩を竦める。
半ば強引にでも引き込んでおいた方がいい、と初音は考えているのだろう。
だが、それは中々にリスクの高い行為だ。
相手がただの子供であったならば、それも悪くはなかっただろう。だが、精霊魔法の使い手となれば話は別だ。
千狐の《王権》程ではないだろうが、それでも実力ある魔法使いたちを一人で圧倒できるレベルの魔法。それを安易に懐に抱えてしまえば、食い破られてしまうかもしれないのだ。
まあ確かに、これほどの実力者が在野にいるのであれば、灯藤家としては引き取りたいというのも事実なのだが。
「そうだな……一応、私の連絡先を渡しておこう。何か困ったことがあったら、相談してくれていい」
「お? ずいぶん親切だな?」
「何、同じ精霊契約者同士の好だ。私自身、この縁を手放すのは惜しいのでね」
「ふぅん。ま、確かにそうかもな」
私の言葉に丈一郎はにやりと笑い、私が差し出した電話番号の書かれた紙きれを受け取っていた。
――リリによって術式を忍ばせてある、探知の紙を。
とりあえずはこれでいい。何らかの方法によって隠された道を辿るよりは、こちらの方が幾分かリスクが少ないだろう。
覆い被せられた隠蔽術式は、《掌握》を使わなければ存在すら感知できないほどの物だ。
これに術式が仕込まれていることに気づけるならば、それは最早人間ではないだろう。
「分かった、何かあったら、頼らせて貰うぜ」
「ああ、何事もなく問題が解決することを祈っているぞ」
実際の所、比嘉家のしがらみさえ無ければ、是非とも勧誘したい。
とっととこの騒動が終わってくれればいいのだが――お家騒動となると、中々に根が深そうだ。
しかしながら、彼が得難い存在であることは事実。どうすれば、彼を確保できたものか。
そんなことを内心で考えながらもおくびにも出さず、私はベンチから立ち上がっていた。
「それじゃあ、またいずれ。頑張ってくれ……と言うのは、少し違うかもしれないが」
「気持ちは受け取っとくさ。また会おうぜ、仁」
「そう言ってくれるとありがたい。ではな、丈一郎」
片手を上げてひらひらと手を振る丈一郎に、こちらも目礼だけしてその場から立ち去る。
――無論、リリによる監視を外さないままではあるのだが。
そのまま帰路へとつき、公園を進んでいく最中、気遣わしげな表情で初音が問いかけてきた。
「良かったの、仁? せっかくいい雰囲気だったのに」
「確かに、望外に仲良くできたことは事実だがな。彼は、まだ私たちのことは信用していなかったぞ?」
「え? そ、そうだったの?」
「あの性格の割に、随分と腹芸には秀でていた様子だったな。これまでの生活から、己を隠すことに慣れているのかもしれないが」
何でもないというかのように笑いながら、その実相手を警戒している。
ああいった手合いが、最も交渉しづらい相手であるとも言えるだろう。
警戒心を露わにしてくるタイプよりも、よほど心を開かせることが難しいのだ。
彼は、本質の所では誰も信用していない人間だ。そんな彼に対し、不用意な接近は厳禁だと言えるだろう。
「彼を仲間に引き入れたいのは事実だ。だが、強引に進めれば逆効果になりかねない。今の動きも、中々に綱渡りだったからな」
「でも、それならどうするの? 比嘉さんの件もあるし……」
「……とりあえず、彼女の依頼はこなさざるを得ない。彼の居場所さえ確かめられれば、まあそれでいいだろう」
彼と話したい、と言われると流石に困るがな。
こちらから無理に接触すると、下手をすれば敵対される可能性もある。
彼との接触は、きちんと対応を考えなければならないだろう。
どうにも、比嘉家の家族関係は想像以上に拗れているように思えてならないのだ。
そもそも、彼が精霊契約者であることを知っているならば、比嘉家が彼のことを冷遇するなどあり得ない。
それを今更になって知った、とするのは少々不自然だ。
しかし、彼らは事実として丈一郎のことを襲撃していた。
果たして、彼らは何故丈一郎のことを追っていたのか。
(しまったな……丈一郎の精霊を見て驚きすぎたか。あの襲撃者を確保しておいた方が良かったな)
彼らが丈一郎を襲ってきた理由を知ることが出来れば、もう少し状況への理解を進められたのだが。
まあ、過ぎてしまったことをはどうしようもない。とりあえず、まずは丈一郎の居場所の特定を優先するとしよう。
とりあえず、既に手は打ってある。居場所さえ特定できれば、辿り着く方法もない訳ではない。
だがまあ、依頼主の提示した条件は、丈一郎の居場所を特定することだけだ。
その到達方法まで教える必要は無いだろう。
「とにかく、今のところは比嘉家の問題だ。丈一郎の身柄について、こちらは決定権を持っていない。しばらくは様子見をするしかないだろうな」
「それもそっか……けど、ちょっと予想外の事態になってきたね」
「ここの所そんなことばっかりだ。修行を終えた時には久しぶりに平穏な生活を送れるかと考えていたんだが……正直、修行していた頃の方が平穏な気がするな」
山奥で過ごしていた日々のことを思い出し、嘆息を零す。
人員を集めるという意味においてはかなり充実している気はするのだが、その度に大きな騒動に発展している気がしてならない。
まあ、今回はまだ他の家の騒動であるため、それほど巻き込まれているという訳でもないのだが――
「……念のため、対策ぐらいはしておくか」
この状況は、果たして捗っているのかいないのか。
どちらとも言い切れぬ状況に、私はもう一度、深々と溜息を吐き出していた。




