013:対策
現状、私に出来ることとは何か。
子供の身では大人の、しかも武装した人間に対抗することなど出来はしない。
確かに切り札は存在しているが、それに頼ることも難しいだろう。
現状、現実的であると言えるのは、誰かに助けを求めることぐらいだ。
だが――
「……母上に直接話でもできなければ、子供の戯言と受け取られるだけか」
五歳児が危険を訴えたところで、まともに取り合ってくれる大人は少ないだろう。
何かしらの証拠が必要になる。私が狙われているという証拠が。
だが、自室に入るのは避けるべきだろう。あの男がどのような機械を仕掛けたのかは分からないが、保険も無しに危険に飛び込むことはできない。
『あるじよ、今は離れているが、どうする? やがて戻ってくる可能性はあるぞ?』
『一時、比較的安全な場所に立てこもる。それしかないだろう』
唯一、アドバンテージであると言えるのは千狐の存在だ。
彼女の姿は私以外の人間には見えず、そして壁すらもすり抜けて敵を確認することができる。
そして、彼女が切り札であると豪語するもう一つの精霊魔法の存在。
現状を打破するための鍵は彼女だ。だからこそ、使いどころは慎重に見極めなければならないだろう。
……ともあれ、あまりこの場に留まってはいられない。
「初音、ちょっと付いてきてくれ」
「うん、わかった」
私の言葉に二つ返事で頷いた初音を伴い、リネン室を脱出する。
千狐の相手の位置を確認してもらいながら、あの男とは離れた方向に進み、目的地へと。
無論、見覚えのない人間がいないかどうかは常にチェックを続けながらであるが。
私を連れ去るための人員が、あの男一人だけとは限らないのだから。
そして、私が向かった先は――
「……あの、仁? ここ、女の人のトイレだよ?」
「済まない、緊急事態なのでな」
訝しげな視線で私を見つめる初音に、私は乾いた笑みでそう返すしかなかった。
私を探しているあの人物が男である以上、最も入りづらい場所はここだ。
相手は、まだ私が逃げ回っていることにも気づいていない。
そうである以上、ここまで押し入ってくるようなことはありえないだろう。
まあとりあえず、初音は説得しておかなければならないだろう。
「初音、落ち着いて聞いてくれ。誰かが、私のことを連れ去ろうとしている」
「えっ――むぐ」
「静かに。私たちがここにいることを気づかれてはいけない」
初音の口を押さえ、私は静かにそう告げる。
その言葉に、初音は口を押さえられたままこくこくと頷いていた。
私の言葉を鵜呑みにするその姿勢には少し思うところもあったが、今は好都合であると言えるだろう。
「私の部屋が荒らされていた。相手の目的は正確にはわからないが、部屋を荒らしまわり、不審な機械を仕掛ける相手だ」
「むぐぐ……ぷは、仁をつかまえて、どうするつもりなの?」
「恐らくは、母上に対する交渉材料……要するに、私の母上を脅すために私を使おうとしているのだろう」
可能性としては、それが一番高いだろう。
今現在の私は、非常に不安定な立場にある。
魔法使いの大家である火之崎の生まれでありながら、ほとんど才能を持たずに生まれてきてしまった出来損ない。
だが、火之崎宗家の直系であることは間違いなく、母親である当主夫人には大事に扱われている。
火之崎の血を取り込もうとしているのであれば、今の子供の私を連れ去るのはメリットよりもデメリットが目立つ。
直接的な効果を考えれば、母上に対して私を使ったほうが効果的だろう。
相手の勢力がどこであるかにもよるが……どちらにしろ、私が捕まることは、火之崎宗家にとって――私の家族たちにとって、不都合であることに変わりはない筈だ。
「認めるわけにはいかない。私の家族を危険に晒すなど、断じて」
「仁……こわい人が、くるんでしょ?」
「そうだな……だが、安心しろ。お前も、必ず護ってみせる」
不安げな表情で問う初音の言葉に、私はそう返して――思わず、自分自身で驚愕していた。
どうやら私は、これまで過ごす中で、いつの間にか初音のことも己の家族として認識していたらしい。
この狭い世界の中で、最も私の近くにいたのは、間違いなく初音だった。
家族を護ること、それが二度目の生を受けた私の命題。凛たちを護ろうと思うのと同じように、私は初音を護りたいと望んでいるのだ。
「仁……?」
「恥ずかしながら、今の私にはお前を直接護ってやれるだけの力は無い。どこか安全な場所か、信頼できる相手か……ともあれ、探すしかないだろうがな」
「仁は、どうするの?」
「母上と連絡を取る。私の言葉を信じてくれて、尚且つ最も強い魔法使いはあの人だ。自分の家族を危険な場所に呼び寄せるなど、私としても認めがたいことだが……他に道はない」
思わず拳を強く握り締め、私は呟く。
認めがたい、自分を許せないことだ。だが、初音を……そして、ここに来てしまうかもしれない凛や姉上を護るためには、それ以外の方法は無い。
プライドに拘泥して己が目的を見誤るなど、愚の骨頂だ。
「何とかして、母上と連絡を取る必要がある。そのために、ナースステーションに向かうつもりだ」
「そこでなら仁のお母さんとおはなしできるの?」
「ああ、あそこには外に連絡できる電話がある。緊急の時のため、電話番号も控えられているはずだ」
元々はかなり危険な症状を多発していた――と思われている――患者なのだ。
私に関する緊急連絡先は常に控えられているはずだろう。
尤も、本来であれば、自室にある電話番号が登録された電話を使えばよかったのだが……部屋に戻ることはできないし、そもそも電話線を切断されている可能性が高いだろう。
生憎と、そう簡単には連絡できそうにない。
「……危険が伴う。できれば、初音にはどこかに隠れていてもらいたいのだが」
「だめだよ、仁があぶないことしてるのに!」
「相手の狙いが私とは言え、お前と私が友人関係にあることは周知の事実だ。これほど慎重な相手なら、それも把握されている可能性が高い……お前も、危険なんだぞ?」
「どこだってあぶないなら、わたしは仁といっしょがいい!」
こういう時だけ強く主張する初音に、私は思わず嘆息を零す。
初音が傍にいては、流石に無茶な行動ができなくなってしまう。
尤も、目の届く場所にいてくれたほうが安心できるとも言えるのだが――流石に、判断が難しいところだ。
誰か、信頼できる人物に預けられれば良いのだが、現状では難しいだろう。
「……分かった、一緒に行こう」
「っ、ホント!?」
「ああ。だが、私の言うことはきちんと聞くように。いいね?」
「うん、わかってる」
一先ず、初音は連れて行くこととする。
現状、私のことを探し回っているのは例の男だけだ。
手荒な手段に出ていない以上、千狐の偵察があれば避けることは難しくない。
現状で言うならば、一緒にいた方がまだ安心できるのだ。
尤も、いつ状況が変化するかはわからない。より危険な状況となった場合は、どこかに隠れさせなければならないだろう。
「よし……行こう。初音、静かにな」
「ん……」
こくりと頷き、初音は口を噤む。
周囲に人の姿がないことを確認し、女子トイレから脱出。目指す先は、この階にあるナースステーションだ。
前方の警戒はあまり行わなくてもいい。それは千狐がやってくれる。
私の仕事は、後ろから例の男が近づいてこないかどうかを常に警戒することだ。
一度離れてしまったため、現在は相手の位置を把握できていない。
突発的な遭遇が、最も恐ろしい事態なのだ。
『今のところ、この先に相手の姿はない。曲がり道なども同様じゃ』
『部屋もあるし、油断はできないが……流石に、一般人が入れる扉はそう多くないからな』
同時に、私や初音も入れないような部屋であれば、相手も捜索対象に入れないだろう。
そういった部屋ならば、出てきたところに遭遇するようなこともないだろう。
とにかく慎重に安全を確保しながら進み、階の中心部を目指す。
カウンターのようになっているそこに入り込めれば、姿を隠すこともできるのだが。
「……見えた」
廊下を越えた先、小さなホールのようになっている場所。
そのカウンターで気だるげに頬杖を付いている女性の姿を認め、私は小さく呟いていた。
周囲に男の姿はない。壁をすり抜け飛び回る千狐が、その姿が近くに無いことを確認している。
私は初音の手を引き、事務所の前まで駆け寄っていた。
千狐には引き続き周囲の警戒を頼み、私はカウンターを見上げながら声を上げる。
「すみません、婦長」
「んあ? おや、火之崎のお坊ちゃん。どうかしたの?」
私の声に反応して周囲を見回し――そして、その視線を下げて私を発見したのは、ここのナースステーションで婦長を務めている女性だ。
名前に関しては、名札にある皆瀬という苗字しか知らず、普段は婦長と呼んでいる。
菫色の瞳を興味深そうに輝かせた彼女は、私の言葉に小さな笑みを浮かべていた。
「電話を使わせてください。母上と連絡が取りたいんです」
「おん? そんなら、君の部屋の電話を使えばいいんじゃないの?」
「部屋が荒らされていました。電話線が切られています」
「……何だって?」
端的に告げたその言葉に、婦長の視線が鋭く細められる。
普段からだらけていて、やる気のない様子を見せている彼女ではあるが、患者に対しては人一倍親身に対応する人物だ。
私や初音の事情にも理解を示してくれ、私たちの行動があまり制限されていないのも、彼女のおかげであると言える。
そんな彼女は、私の言葉を戯言と切り捨てず、きちんと聞き入れてくれたようだ。
「君の部屋が荒らされてた? 何か心当たりは?」
「分かりません。とにかく、母上に伝えたほうがいいと思いました」
「……そうだね。分かった、こっちに来な」
頷き、婦長は私たちを事務所に招き入れる。
無論、通常は関係者以外立ち入り禁止の場所だ。入ろうと思って入れるわけではない。
事実、周囲の看護師達は、私たちを招き入れた婦長に対してぎょっとした視線を向けていた。
唐突な彼女の行動に、誰も口出しできずにいる中、婦長はすぐさま備え付けられている電話を取る。
「婦長、出来れば私が話したいのですが」
「君が? ……そうだね、君ならいいか」
「ありがとうございます」
どうも、彼女は普段から私の行動を観察している節がある。
研究のためか、誰かからの指示なのか、或いは純粋なる興味本位か。
何にせよ、彼女は私の考え方が普通の子供とは異なることを理解しているらしい。
相手が子供であるという贔屓目がないのだ。尤も、それは状況によってはプラスにもマイナスにも働くのだが。
ともあれ、婦長は電話を操作し、母上の携帯電話の番号を入力する。
発信音が鳴り出したことを確認すると、婦長は小さく頷いて受話器を私に手渡してきた。
「はいよ、しっかり説明できるんだよね?」
「ええ、大丈夫です」
頷きつつ受話器を受け取り、通話の開始を待つ。
発信音が続く中、焦りに動きそうになる足を留めながら、私はひたすら母上の声を待っていた。
一度、二度と発信音が続き――四度目の発信音が鳴り始めようとしたその瞬間、発信音が途切れる。
「っ……母上、聞こえますか!?」
『もしも――えっ、仁ちゃん?』
「はい! 母上、急いでこちらに――」
来て欲しい、そう続けようとした瞬間だった。
――不自然なノイズと共に、通話が途切れてしまったのは。
「な……っ」
通常の電話の途切れ方ではない。
通話終了をしただけでは、今のようなノイズは発生しない。
湧き上がる嫌な予感に、私は思わず顔を顰めずにはいられなかった。