123:灯藤の力
「久我山君!」
「っと、詩織ちゃん?」
学生たちを相手にした戦闘を終え、一息ついていた久我山は、背後から掛けられた声に若干驚きつつ振り返っていた。
視線の先からは、耳に届いた言葉の通り、詩織が小走りに駆け寄ってきている。
安全な場所で待機していたはずの彼女がなぜここに来ているのかと、久我山は眉根を寄せつつも彼女を出迎えていた。
「詩織ちゃん、何でこっちに来てるんだい? まあ、やることは全部終わったけどさ」
「大丈夫だよ、ちゃんと様子を確かめてきたんだから。それより、久我山君も初音ちゃんも、大丈夫? ケガ、してない?」
「大丈夫ですよ、詩織さん。想像していたよりも容易い相手でしたから」
心配そうな詩織の声に対し、苦笑交じりに答えたのは初音だった。
古代兵装であるブレスレットを回収していた初音は、晴らそうとしていた霧を膝下あたりまで残しながら、地面に転がるブレスレットを拾い集めている。
そんな彼女の手には水が纏わり付き、その手が血で汚れることを防いでいた。
「こちらは何事もなく終わりましたが……仁の方が心配ですね。この通り、中継機は確保しましたし、向こうに供給される魔力の量は減ったと思いますけど……」
「それで楽になってくれていればいいんだけどね……流石に、戦闘中に電話入れる訳にもいかないか」
「でも、何もしないよりはずっといいんじゃないかな? 今も多少は流れて行ってるみたいだけど、これまでに比べたら全然少ない量だしね」
「……その程度の魔力の流れまで見えてしまうんですね」
規格外と言わざるを得ない詩織の魔眼に対し、初音は改めて感嘆の吐息を零していた。
術式を瞬時に完全解析してしまう詩織の魔眼は、初音にとっては天敵とすら呼べるものでもある。
だが、味方とするならば、これほど心強いものも少ないだろう。
そして当の詩織は、初音の手に握られた古代兵装へ、複雑そうな視線を向けていた。
「それ、仙道君が持ってたブレスレットだよね……」
「ええ。これがいわゆる中継機というものなのでしょうけど……見た目には差が分かりませんね」
「あはは、そうだね。ホント、中身しか違わないみたいだし……あれ?」
「詩織ちゃん?」
ふと、詩織が怪訝そうな視線をブレスレットへと向ける。
そしてその視線をちらりと北の方角へ動かしては、再びブレスレットを見つめるという行動を繰り返していた。
そんな彼女の不審な様子に、久我山は眉根を寄せつつ問いかけていた。
「どうかしたのかい? そのブレスレットに何か?」
「うん、その……灯藤君たちって、あっちの方に向かったよね?」
そう口にして詩織が指差したのは、現在力は西の方角。
先ほど仁と凛が外壁やら建物やらを無視して一直線に向かって行ったのは、まぎれもなく詩織が指し示した方角だった。
詩織の様子に困惑しつつも、彼女の言葉に初音が首肯する。
「え、ええ……仙道家はあちらの方角で合っていますよ? けど、それがどうかしましたか?」
「……水城さん、結界をお願い。それから、霧を使って僕たちの姿を隠してほしい……詩織ちゃん、何かが見えたんだね?」
久我山の言葉に、詩織は小さくこくりと頷く。
そんな彼女の様子に、初音ははっと目を見開き、急いで久我山の言葉の通りに魔法を行使していた。
周囲を遮断する結界と、薄い霧が三人を包み込み、周囲の耳目から隔離する。
その中心で、初音は改めて詩織に対して問いかけていた。
「それで、一体何が見えたんですか?」
「その……魔力が流れていく方向が見えたの。ずっと、向こうの方に向かって」
「向こう……仙道家とは全く違う方角じゃないか!」
詩織の指差した方角を確認して、久我山は眼を剥いてそう叫ぶ。
今回の作戦は、魔力を集積している親機を確保することこそが最も重要な目的だったのだ。
それが仙道家にないとなれば、根本的な問題が発生してしまう。
振出しに戻るとまでは言わないが、解決が大きく遅れてしまうのは間違いないだろう。
「拙いですね……どれだけ時間の余裕があるのかどうかも分からないのに」
「詩織ちゃん、具体的な場所は分かる?」
「ごめんなさい……流石に、具体的な場所までは分からないの」
申し訳なさそうに首を振る詩織の様子に、気にする必要は無いと苦笑しつつも、久我山は内心で焦りを感じていた。
もとより、時間的余裕などあるかどうかも分からない状況なのだ。
最悪の場合、何か危険な出来事が発生してしまう可能性もある。
可能な限り、今このタイミングで解決するべきなのだ。
(けど、どうしたらいい? どうすれば、親機の位置を探ることが出来る?)
内心で問いかけるように、久我山は黙考する。
この中継機を持ちながら、魔力の流れている方向へと進めば、場所を探ることは出来るだろう。
だが明確な距離が分からない上に、詩織を連れて行かなければならない。
移動のみを考えれば身軽な初音のみが行くのが正解だが、それでは正確な位置が分からないのだ。
それに、初音の実力があったとしても、危険がある可能性を否定することは出来ない。
そのような無茶は、仁は決して望みはしないだろう。
(理想は、二人を危険に晒さずに、迅速に親機の位置を灯藤君に知らせること――)
だが、それはあまりにも都合がよすぎる展開だ。
とてもではないが、現状はそう甘くは無いだろう。
他に手は無いかと久我山は周囲を見渡し――ふと、じっとブレスレットを見つめる詩織の姿が目に留まっていた。
常識外の魔眼を持つ彼女の能力。それを計算の内に入れるならば――
「……詩織ちゃん。君は、このブレスレットの術式の、魔力を流している部分だけを見極められる?」
「えっ? それは……うん、分かるよ」
多大な期待を込めた言葉ではあったが、詩織は面食らいながらも、こともなげに首肯していた。
その言葉に若干驚きつつも、久我山はさらに思考を巡らせる。
詩織の見つけた、その一部の機能のみを利用できるのならば、一つだけ相手の位置を探れる可能性があったのだ。
「水城さん、この結界は継続で。僕らの姿を、決して誰にも見えないようにして欲しい」
「それは出来ますけど……久我山さん、何か思いついたのですか?」
「反則に近いけどね……よし、そのブレスレットを貸して」
霧を濃くする初音からブレスレットを受け取り、久我山はじっとそれを観察する。
刻まれた術式は非常に膨大。術式に介入する能力を持つ久我山であろうとも、その術式の組成は概要しか理解することは出来ない。
だが、逆に言えば、ある程度大雑把には構造を理解することが出来るのだ。
無論、構築などできるはずもない規模ではあるのだが――今はそれだけでも構わないと、久我山は小さく笑みを浮かべる。
「詩織ちゃん、僕はこれから、この魔力の流出部のみを狙って僕の魔力を流したい。だから、術式構造について詳しく教えて欲しいんだ」
「流出部のみって……久我山君、そんなことできるの!?」
「やってやれないことは無い。今は流れる魔力の量もかなり少なくなってるし、僕の魔力は元々他の魔力に影響を受けにくいからね。問題は、そこをどうやって狙うかだったけど……詩織ちゃんがいれば、それもなんとかできる」
無論、言うほど簡単な行為ではない。
普段の魔法消去で対象となるような術式とは、規模が遥かに違うのだ。
術式をきちんと理解しなければ、その術式に干渉することなどできるはずもない。
だが――今回は、本格的に術式に干渉する必要はなく、ただそこに魔力を流し込むだけ。
後は、その流れに従って、自動的に親機の位置まで魔力が運ばれることになる。
そして余分な機能に触れなければ、返却されてくる魔力や精神汚染を受けずに済むのだ。
「そして……聞こえてるね、ハリルちゃん」
『……聞いてましたよ。お前のやりたいことは大体わかります。お前の魔力を追えばいいんでしょう』
「ああ、そこに誰かがいても、手を出す必要はない。だけど――」
『僕がいれば、あのショゴスはその位置を察知できる。僕には首輪がはまっているから』
「頼むよ、ハリルちゃん」
緊張と責任感が肩にのしかかり――けれど、久我山は笑みを浮かべる。
責任感など、この十年耐え続けてきたものに過ぎないのだから。
そして、それを乗り越えてこそ、価値あるものを手に入れることが出来る。
ならば――後は挑戦するだけだ。
「さあ、始めるよ、詩織ちゃん。灯藤家の力、存分に発揮してやろうじゃないか」
* * * * *
通話越しに久我山から告げられた言葉を聞き、私は笑みを深めていた。
予想以上の成果、想像を遥かに超える偉業だ。それを己の一族が成したことに、私は感動にも似た思いを抱いていた。
尤も、詩織がいなければ成し遂げられなかった話ではあるが――彼女も灯藤家に所属して貰いたいと思っているし、最終的には同じだろう。
若干、隣に立つ舞佳さんが恐ろしいが、それは考えないことにして――
「リリ、感じ取れているか?」
『ん……座標、捕捉した』
リリは、既にルルハリルの出現した位置を掴んでいる。
その座標を念話越しに伝えられ、私はちらりとその方角へ視線を向けていた。
距離はかなりある。どうやら、その先にある山間部――更に念を入れているのか、地下に工房を構えているらしい。
成程、通常では見つけられないような場所だ。専門に捜索隊を組んでも、発見までに数日はかかっていただろう。
どう足掻いても時間切れにしかならない、そんな場所だ――そう、本来ならば。
『はははははっ! あなたの精霊魔法は確かに強大かつ未知なもの。しかし、この状況でできることなどなにもありますまい! その右腕で、その醜い異形の腕で、一体何ができると言うのか!』
「アンタ、馬鹿にするのも――」
「凛、構わん」
激昂しそうになる凛を押し留め、私はゆっくりと右腕を掲げる。
本来ならば、相手の位置を知るために、一つの権能を使う必要があった。
その上で、更に異なる権能を使用して、相手の位置に強襲をかける必要があった訳だ。
だが、久我山の奮闘のおかげで、一つの権能を使用せずに済む――即ち、魔力の余裕ができた訳だ。
「何ができるのか、か――ならばまあ、見せてやるとしよう」
掲げた右手を、真っすぐと北の方角へ――古屋とやらが潜んでいる、その方角へと向ける。
ここで仕留める。一度分の魔力の余裕が出来たならば、万全を期して当たるとしよう。
「《王権》――《刻守之理》」
――赤く、紅く、誰よりも鮮烈に疾走する少女の幻影。
その背中を追いかけるように、私は異形と化した右腕を伸ばす。
瞬間、肩口より伸びる光の尾の一つが紅に染まり――続け様に、私はもう一つの名を告げていた。
「《王権》――《旅人之理》」
――白く、遠く、果てなき旅路を歩む少女の幻影。
その生き様をなぞる様に、私は異形と化した右手を伸ばす。
瞬間、肩口より伸びる光の尾の一つが白に染まり――浮かび上がる白い光が、私の爪の先端へと収束する。
光を纏う右腕を、私は弓を引くように引き絞り、手刀を作って構えていた。
『っ……一体、何を――』
「――貫け」
そして私は、真っすぐと構えた手刀を突き出していた。
《刻守之理》の効果も含め、音速を遥かに超える速度で突き出された手刀は――突如として、虚空に消える。
否、私の手刀は、空間に開いた裂け目の先へと突き出されていたのだ。
その先にあるものが何かなど、最早言うまでもない。
「……流石だな、リリ。座標ぴったりだ」
『ふふん、当然』
《旅人之理》の力は、言わば空間転移とでも呼ぶべきもの。
座標さえはっきりしていれば、どれほどの距離があろうとも、瞬く間にその位置まで到着することが出来る。
リリとルルハリルを通じて空間座標を手に入れた私の一撃は、狙い違わず空間を切り裂き、その先にいる古屋の胸を直撃していたのだ。
音速を超えた私の一撃は真っ直ぐと胸に突き刺さり――その半身を、粉々に打ち砕いていた。
血煙が飛び、半身が消し飛んだ古屋は、吹き飛ばされて成す術無く壁へと叩き付けられる。
「ぁ……な、ぜ……」
だが、辛うじて意識があったのか、半身を打ち砕かれた古屋は目を見開いて私を……空間を裂いた私の右腕を見つめている。
空間の裂け目からそれを見た私は、ただ一言、彼に言葉を告げていた。
「因果応報。ただ、それだけのことだ」
最早答えもなく、茫然とした表情の古屋の目からは光が失われる。
その様子を確認して、私は手についた血を振り落とし、右腕を引き抜いていた。




