122:灼熱の先で
凛の投げ放った炎の槍が、真下にある紅の魔法陣に触れる。
瞬間、槍は紅い閃光となって、直下にいる仙道啓麻へと降り注いでいた。
疑似的に付与効果を付け加える魔法陣――二級の魔法にそれを成したということは、今の凛の魔法は一級に準ずる力を有していることに他ならない。
紅の槍は瞬時にヒビの入った障壁へと突き刺さり、刹那の拮抗すらなく突き破る。
そして――遮るものは何もなく、槍は仙道啓麻へと突き刺さっていた。
『――――ッ!』
微かに聞こえた声は、次の瞬間に吹き上がった爆音によってかき消される。
凛が放った炎の槍は、着弾と同時に凄まじい炎の柱を発生させていたのだ。
その爆風と熱量に、私は思わず腕で目を庇いながら距離を取っていた。
「うひゃー、こりゃまた凄いわね。流石は四大の一族だわ」
「ええ、自慢の姉ですよ」
私の傍まで跳び離れてきた舞佳さんは、地面を融解させながら立ち上る炎の柱に、感心したような笑みを浮かべている。
今の破壊力を目にして圧倒された様子もない辺り、流石は『八咫烏』の古株と言うべきか。
余裕のある態度で炎を眺めている舞佳さんを横目に、私は改めて炎の様子を観察する。
凛は炎の発現の方向も制御していたのか、この魔法は真上に向かう火柱のみで、炎が他に広がっていく様子はない。
これだけの魔力を爆裂させたら確実に街の一区画が灰燼と帰することになるのだから、そうでないと困るが。
『ふむ、どうなるかと思うたが……どちらかと言えば、やりすぎじゃな。見てみよ、あるじよ』
「ああ、流石の火力だ」
千狐の言葉に頷き、私は爆心地となった槍の根元へと視線を向ける。
極限の熱量が解き放たれたその根元では、巨大な肉塊が残らず炎に包まれ、灼熱の中に影と消えて行っていた。
巨大なシルエットは見る見るうちに小さくなり――その中で、最後に残った影が、僅かに揺らめく。
それはまるで私へと視線を向けたかのようで、私は思わず小さく笑みを浮かべていた。
そして、彼の巨体が残らず消滅すると共に、炎の槍は徐々に細くなり、その姿を消してゆく。
後に残ったのは、赤熱しマグマと化した地面と――
『あそこだ、あるじよ』
「ふむ、あれか」
私は千狐の指差した先を見つめて、爆心地へと向けて跳躍する。
融解した地面に足をつける前に足場を作り出し、耐熱の結界で灼熱の大気を遮りながら、私はマグマの中に浮かぶ小さなブレスレットを拾い上げていた。
これが、仙道啓麻の持っていたブレスレットなのだろう。
見た目は他の物と違いのない、ただのブレスレットにも見えるが。
ともあれ、ここにいても仕方がない。私は爆心地から離れ、舞佳さんと、その傍に着地してきた凛の方へと戻っていた。
「お疲れ、凛。流石だな」
「ふん、あれぐらい当然でしょ。このあたしにとっちゃ、あんなもの朝飯前ってところね」
「流石にあの火力は羨ましい所ね。手札が多いのはいいことだわー……で、灯藤君? それが例の?」
「ええ。正直、もう少し違いのある見た目かと思っていたのですが――?」
じっとブレスレットを見つめ――私は、眉根を寄せる。
何かがおかしい、私の勘がそう囁いていた。
その直感に従い、私は《掌握》を発動させる。
そして、手の中にあるブレスレットの性質を見極め――私は、思わず眼を見開いていた。
「……違う」
「え? 仁、どうしたのよ?」
「違う、これは違う! これは、親機ではない!」
このブレスレットは、他のブレスレットと同様、他のどこかへと魔力を送り出していたのだ。
即ち、これはすべての魔力を収集する役目を持った親機にあたる古代兵装ではない。
仙道啓麻が持っていたのは親機ではない、中継機だったのだ!
そのことを理解した瞬間――周囲に強大な魔力と共に声が響き渡っていた。
『いやはや――予想を遥かに超える速さでの行動、驚かされてしまいましたな』
「っ、誰!?」
突如として響いた声に、凛が顔色を変えて誰何する。
自信家である凛には珍しい反応だが、それも無理は無いだろう。
今この空間を占める膨大な魔力――ただそれだけで、この魔力の持ち主が、凛をも超えるほどの魔力を有していることが歴然だったからだ。
それだけの魔力を持つ者が一体何者であるか。現状において、それは考えるまでもないことだ。
「……お前が、仙道家を狂わせた者か! 古代兵装を持ち込んだ張本人!」
仙道啓麻の話に出てきた、このブレスレットを手に入れてきたという人物。
この場に親機が無い以上、それを保有しているのはそれを持ち込んだ人間以外にあり得ない。
つまるところ、この声の主こそが、今回の事件の黒幕張本人なのだ。
未来ある若者を、才ある魔法使いたちを、全て食い物にした忌まわしき犯人。
その存在に対する怒りを込めて叫びを上げれば、声は嘲笑するかのように返答していた。
『いかにも――古屋経史郎と申します、短い間ですが、どうぞよろしく』
「ふぅん……それで、そのクソ犯人が、今更一体何の用事かしら? アンタのご自慢の手足たちは、ご覧の通り全部潰してあげたけど」
『ええ、まったく。長い時間をかけて準備をしたというのに、蓋を開けてみればあっという間だ。全く、使えない連中でしたよ』
仙道家が制圧されたことには何の感慨も抱いていない様子で、その男は嘲りを交えた声を上げる。
その言葉には苛立ちを覚えたものの、私は静かにこの声の発生源を探ろうとしていた。
だが、この周辺にはこの声を届けている魔法の術式を感じ取ることは出来ない。
どうやら、かなり離れた場所から声を届けている様子だった。
『リリ、相手の位置を探れるか?』
『このブレスレットから割り出し中……でも、ちょっと難しい。どうしても時間がかかる』
苦い声音のリリに、私は眉根を寄せる。
リリがそう断言する以上、捕まえるのはそう容易いことではないのだろう。
それだけ、用意周到に場所や術式を整えていることは間違いなかった。
そして、それだけ慎重な人物が、こうして表に立ってきたということは――
『しかしまぁ、タッチの差で目的を達成することは出来ました。あなた方の行動には驚かされましたが、これで条件は整いましたとも』
「……何をするつもりだ」
『知れたこと、解き明かすのですよ、かの方程式を!』
その言葉に――私は、思わず絶句していた。
その言葉の意味することを、正確に理解できてしまったからだ。
「方程式? アンタ、一体何を――」
「馬鹿な、その為に一族一つを犠牲にして、魔力と制御装置をかき集めたとでもいうつもりか!? あの方程式を――クルーシュチャ方程式を解くために!」
『ほう? どうやら、博識な方がいるようだ……まさか、クルーシュチャ方程式を知っているとはね』
話を理解できず困惑する凛を尻目に、古屋は声のトーンを落としてそう呟く。
ちらりと隣に立つ舞佳さんの様子を見てみれば、彼女もまた私と同じように厳しい視線を向けていた。
恐らく、『八咫烏』の任務の中で、同じことを目的とした人物に出会ったことがあったのだろう。
私も、先生からその名を教えられなければ、決して耳にすることはなかったはずだ。
「……古代の魔法使いが残した、超大規模術式だ。それを解き明かすことが出来た者は、魔法使いとして絶大なる力を手に入れることが出来ると言われている。歴史に名を遺した魔法使いたちの一部には、これを解き明かしたとされる記録が散見されるんだ」
「つまり、自分が強くなりたいから、一族丸ごと生贄にしたってこと?」
凛の言葉に頷き、私は小さく舌打ちする。
拙い、あれを解かせれば、強大極まりない魔法使いが敵として生まれてしまう。
しかも、古代兵装をその手にし、四大の一族を超える莫大な魔力を有した上で、だ。
何であれ、それを許容するわけにはいかない。
『いかにも、私はこの魔力を以てクルーシュチャ方程式を解き明かす。この絶大なる魔力と演算性能を以てすれば、例え世界最大の術式だろうと解き明かすことが出来る! ええ、その為に、仙道家には尊い犠牲になって貰ったということです』
「クズね。他人の力を使わなきゃ何もできないどころか、食い物にしてようやくとか。生きてる価値もない塵はアンタの方だった訳ね」
「言うわねぇ、凛ちゃん。ま、あたしも同意見だけど」
どこか苛立った様子を見せながらも、舞佳さんは油断なく周囲に気を配っている。
だが、敵の姿を見つけることは出来ないだろう。
奴は、そもそもこの場に姿を現す必要は無いのだ。
既に勝利を確信して、目的を果たそうとしているのだから。
だが――
『はっはっは、評価など後の人間が決めればよい話ですとも。しかし、ここまで協力してくれた仙道家の人々にはお礼をせねばならないでしょうな』
「どの口が言ってるのよ、クズの分際で!」
『彼らは四大を超えたかった。ならば、彼らから集めたこの力で、火之崎を滅ぼしてあげるというのはどうでしょう! 彼らもきっと満足してくれるはずだ! ははははははははは!』
――その言葉だけは、許容する訳にはいかなかった。
私の家族を、私の護るべきものを、この男は滅ぼすと口にしたのだ。
それを、決して許すわけにはいかない。
『しかし、どうするつもりじゃ、あるじよ。相手の位置は分からず、例え分かったとしても、古代兵装によって極限の力を得ておる。見つけることが出来たとして、クルーシュチャ方程式を解かれていればそれこそ手を出すこともできまい』
「ああ、分かっている。分かっているさ」
分かってはいるのだ。
状況は既に詰んでいる。可能な限りの速さで行動に移したが、それでもこの事態を回避するには至らなかった。
偏に、この状況まで秘密裏に推し進めた古屋の手腕によるものであり、始まった時点で既に負けていたとも言えるのだ。
だが、それでも――
「私は家族を護る、その結論だけは変わらない。ならばこそ、私の行動など最初から決まっている」
「……ちょっと、仁? アンタ、まさか――」
『それでも、手を伸ばすと。そう言うのじゃな?』
「ああ、そうだ――」
凛が、目を見開いて私を見つめる。
だがそれよりも、確信の笑みを浮かべた千狐に対して、私は強く告げていた。
「――私は、絶対に諦めない!」
『――お主の魂、しかと見届けた!』
千狐の声が、耳元で響く。
前へと伸ばす、私の手へと――千狐は、己の右手を重ねていく。
楽しそうに、嬉しそうに、歓喜に満ちた声を私だけに届けながら。
『我があるじよ! 敬愛すべき我があるじよ! その強き想い、朽ちぬ魂、お主こそが我が糧に相応しい! この逆境の最中、この窮地の最中、この絶望の最中――それでも諦めぬと叫ぶならば!』
右手が重なる。感じるのは、あの日と同じ灼熱の感覚。
だが、そこに感じる熱さを、私は確かに《掌握》していた。
そして、右手の光に浮かび上がるのは――双銃と炎を意匠とした、銀色に輝く紋章。
その輝きを見つめ――千狐は、叫ぶ。
『――汝、不屈であれ!』
声が響く。何よりも力強く、私を勝利へと導くその声が。
だからこそ私は、その衝動に抗うことなく、己の右手に宿る炎の名を叫ぶ。
「――《王権》ッ!」
刹那――紋章が、輝きを放つ。
溢れる光は、千狐の毛並みの如き銅の輝き。熱せられて赤熱したかのような、灼銅の閃光。
八条に分かれた光は螺旋を描き、私の右腕を覆いつくしていく。
絡みつく光は、私の右腕を覆いながら肩口まで伸び、そしてそのまま虚空へと飛び出して揺れ始める。
私の肩口から虚空に消える光の帯は八条。まるで尾のように揺らめくそれは、千狐の後ろ髪そのものであった。
そして、光が絡み付き肥大化した私の腕は、ゆっくりとその形を変貌させてゆく。
それは獣の腕だ。鋭い爪と、灼銅の毛並みに包まれた異形の腕。
そして最後に、右の瞳が変貌する。
鏡は無く、直接見れるわけではない。だが、私はそれを確かに感じ取っていた。
私の右目が、千狐のそれと同じものに変貌していることを。
瞳孔の切れ上がった紅の、獣の瞳へと姿を変えていることを。
半身を異形と化したこの姿。だが、右腕の中で燃える灼熱は、確かにあの日と同じものであった。
『っ……ほう、精霊魔法ですか……しかし、それで何ができますかな?』
道筋は既に決まっている。
だが、魔力がギリギリだ。果たして足りるかどうか微妙なところだが、挑まなければ何も始まらないだろう。
そう覚悟を決め、私は一つの理の名を叫ぼうとし――耳元で、着信音が響くのを聞いた。
『――ご主人様、久我山雪斗から連絡』
「繋げてくれ」
この状況下で暢気に電話などしている暇はないが、相手があの久我山だ。
ただの用事程度ならば、この状況で連絡をしてくることは無いだろう。
そして何より、私の勘が囁いていたのだ。
彼ならばきっと、思いもよらぬ一手を打ってくれるであろう、と。
その期待を込めて、私は久我山の着信を受け取っていた。




