121:盾と剣と炎
「そらっ、行くわよッ!」
銀の光が尾を引き、舞佳さんが宙を駆ける。
私と同じく、足元に足場を作り出した舞佳さんは、目にも止まらぬ速さで肉塊へと突撃する。
スピードだけを見ればかなりの速度だ。恐らく、赤羽家の当主にも匹敵するほどの身体強化を成しているのだろう。
それに対して若干遅れつつもそれに追従し、私は拳に魔力を集めていた。
しかし無論のこと、相手もそれを黙って見ているわけではない。
『あるじ、来るぞ!』
「舞佳さん、触手が!」
「分かってるっての!」
左右に持ち上がった触手が、私たちへとその先端を向ける。
私は咄嗟に防御魔法を展開しようとしたが――それよりも、舞佳さんの動きの方が速かった。
「しゃらくさいッ!」
翻る二振りの銀光。
それと同時に伸び上がった銀色の魔力が、離れた位置にあった触手を瞬時に斬り落としていた。
魔力で刃を作り出す魔法のようだが、その切れ味は驚くほどに鋭い。
生半可な防御では、その上からなます斬りにされてしまうだろう。
当然ながら、それだけの鋭さを保つには、非常に高い集中力が必要になる。
それを涼しい顔でこなした舞佳さんは、翻った二振りの刃を肉塊の本体へと向けて振り下ろしていた。
「しッ!」
閃光にしか見えぬその二閃。
屋敷ごと相手を叩き斬ろうとするかのようなその剣戟は――しかし、瞬時に発生した防御魔法に食い込み、止まっていた。
舞佳さんの魔力刃は仙道啓麻に半ばまで食い込んではいたものの、致命傷には至っていない。
そして反撃とばかりに触手が再び発生し――
「やば――」
「【堅固なる】【壁よ】【遮れ】ッ!」
表情を引き攣らせた舞佳さんが魔力刃を消すのと、触手から光の砲撃が発射されるの、そして私が防御魔法を発動させたのはほぼ同時だった。
斜め向きに発現させた私の防御障壁は、触手の放つ砲撃を受け止め、それを上方へと向けて逸らす。
その隙に、私と舞佳さんは魔力の足場を消して下方向へと退避していた。
その場に留まっていれば、続けざまに放たれる魔法に狙い撃ちにされるだけだ。
「ちっ、結構本気で斬ったんだけど、ああも受け止められると腹立つわね」
「私としては、あっさりとあの障壁を抜いたことに戦慄せずにはいられないんですが……何にしろ、厄介ですね」
「ええ。もう一人ぐらい隊員がいてくれたら楽だったんだけど」
並走しつつ相手の攻撃を回避しながら、私と舞佳さんは言葉を交わす。
彼女の言葉には、私は声に出さずとも、内心で同意していた。
相手の手数が多すぎるのだ。私と舞佳さんがいれば相手を抑え込むことは可能だが、仕留め切るのは少々困難だと言える。
だが、悠長に時間稼ぎをしている余裕もない。
「……私が防壁を破れば、確実に仕留め切れますか?」
「自信はあるけど、確実だと断言することは出来ないわね。仕留め切れなかったら、手痛い反撃を喰らうわよ?」
「私も、舞佳さんもですね。それは理解しています」
私が防御を破るために術式を編み、その次の瞬間に舞佳さんが相手を仕留め切る。
言葉にすれば簡単だが、今回の相手に限って言えば、非常に困難な連携だと言えるだろう。
何故なら、この仙道啓麻は防御と攻撃を同時に行うことが出来るからだ。
もしも舞佳さんの一撃で相手を仕留め切れなければ、私と舞佳さんは無防備な状態で相手の魔法を受けることになってしまう。
そうなれば、『黒百合』と《不破要塞》のある私はまだしも、舞佳さんが非常に危険だ。
彼女は攻撃能力は高いが、防御能力はそれなりでしかない。一応緊急用の刻印術式は仕込んでいるだろうが、あのブレスレットによって強化された魔法は簡単に防ぎきれるものではないのだ。
「ちっ……やはり、《王権》を使うべきか……」
『いや……そうでもない。あるじ、上を見てみよ』
「上? 一体何を――っ!」
瞬間、私は馴染みのある巨大な魔力の収束を察知し、咄嗟に頭上を仰いでいた。
私たちの頭上、遥か上空に浮かぶのは、無数の炎の槍を浮かべた炎を纏う人影だ。
――それが誰であるかなど、考えるまでもないだろう。
「【集い】【連なり】【貫け】!」
その豊富な魔力で半永久的に持続する足場を構築した凛は、形成した炎の槍を一斉に眼下へ向けて撃ち放つ。
凛の膨大な魔力によって形成され、更に貫通式まで付加されている凛の魔法は、私でも正面から受けきることは困難な代物だ。
相手もそれを瞬時に理解していたのか、仙道啓麻は複数の触手を使って防御魔法を展開していた。
凛の炎の槍は出現した障壁に次々と突き刺さり――しかし、貫通は出来ずに消滅する。
しかしそれでも、続けていれば確実に貫くことが出来るだろう。それを察知した仙道啓麻は、触手の一つから凛へと向けて光の砲撃を放っていた。
「凛っ!」
「――くっ!」
偏向防壁を擦り抜けて放たれた砲撃に、凛は舌打ち交じりに魔法を中断してその場から跳び離れる。
やはり、防御しながらでも攻撃が出来てしまうのは厄介極まりない。
だがそれでも、これでもう一つ手が打てる。小さく笑みを浮かべ、私は舞佳さんと共に凛の方へと向かっていた。
「大丈夫か、凛?」
「ええ、まあね。しかし、あんな化け物が出てくるとは思わなかったわ」
距離を取った相手を警戒しつつ、凛は眉根を寄せてそう呟く。
服に汚れが付き、若干の擦り傷や切り傷はあるものの、凛自身は大きなダメージを負った様子はなかった。
どうやら、無事にあの魔法使いたちを片付けることが出来たようだ。
尤も、ここから更に連戦して貰わなければならないのだが。
「へぇ、この子が噂の火之崎の次女ね。初めまして、あたしは羽々音舞佳よ」
「こちらこそ、噂には聞いているわ、『東の剣鬼』。あたしは火之崎凛。詩織にはいつもお世話になってるわ」
「ええ、よろしくね。ま、詳しい挨拶は後にするとして――」
「今は、あれを片付けなくてはな」
舞佳さんの言葉を続けるようにして、私は仙道啓麻を見据える。
私たちが距離を置いているためか、あちらは様子を見るように蠢くだけで、何かしらの行動はとってない。
どうやら、あの体の影響か、自分から移動することは出来ないようだ。
とはいえ、あの魔法の力は紛れもなく本物。多少距離を置いたところで、私たちの有効射程の外から攻撃することが可能だろう。
「凛、魔力はどれぐらい残ってる?」
「そこそこ使ったけど、まだ三分の一はあるわね。どうするつもり?」
「アレを仕留め切れる魔法を用意してほしい。私は奴の防御魔法を砕くから、確実にそれを当てるんだ」
「なら、こっちはあの触手共を片付けておきましょうかね。アレがあったらいろいろと邪魔で仕方ないだろうし」
「仁が防御壊して、舞佳さんが遊撃。で、あたしがあいつを焼き尽くす、と。うん、分かりやすくていいんじゃないの?」
頷いて、凛はにやりと不敵に笑う。
魔法の威力という観点においては、凛は間違いなくこの中でもトップ。
何しろ、凛は魔法威力においては火之崎家でも五本の指には入るほどの実力者なのだ。
その本気の一撃で仕留め切れないのであれば、何か別の手を考えなければならないだろう。
「ただ、確実に仕留めるっていうんなら、ちょっと時間が欲しいわね」
「何か準備がいるのか?」
「そんなところよ。その代わり、確実に焼き尽くしてあげるわ。それだけは保証する」
冗談めかした笑みではなく、真剣な表情で凛はそう口にする。
それは、彼女なりの自負ということだろう。
膨大な魔力を身に宿して生まれてきた己だからこそ、それを成し遂げられると、凛はそう確信しているのだ。
――私の片割れがそう断言するならば、私はそれを信じるだけだ。
「分かった。道筋は必ず作ってやる」
「ええ、任せたわ。それじゃ、早速行くとしましょうか」
頷いた凛は、先ほどと同じように高い上空へと跳躍しながら昇ってゆく。
その姿を見送り、私は舞佳さんと共に仙道啓麻へと接近していた。
未だ思考能力はあるのか、彼は凛の方を警戒している。
当然のように触手を生み出し、凛の方へと先端を向けるが――それを許すつもりは無い。
「【炎よ】【集い】【固まり】【斬り裂け】!」
右手に収束させた魔力を用いて、手刀に固めた炎の刃を作り上げる。
瞬時に触手へと肉薄した私は、攻撃のために魔力を収束させていた触手を斬り落としていた。
流石に、防御魔法を張っていない限りは斬り落とすことも難しくはないようだ。
尤も、先ほどから何度も斬り落としても、触手は再生を果たしている。
一つ破壊したからと言って、安心しているわけにもいかないだろう。
「やらせないっての!」
同時に運用できる触手の数は、恐らく四本。
私が相手をした一つ以外の三つを、舞佳さんはその刃を翻して一瞬のうちに斬り刻む。
相変わらず、凄まじい戦闘技能だ。これほど頼もしいものもそうそう無いだろう。
次なる触手が再生する場所を《掌握》で探しながら、私はふと、上空に赤い光が生まれているのに気が付いていた。
「あれは――」
上空に展開された、紅の魔法陣。
私も初めて見るあの術式は、どうやら火之崎で開発された固有の術式の一つのようだ。
詳しく見ている暇はないが、あれは恐らく『砲門』だろう。
凛が強大な魔法を放つための、準備段階に過ぎないのだ。
「――【偏在せし理、我が前に集い、姿を現せ】」
遠くに響く、凛の声。
それを耳にして、私は思わず眼を見開いていた。
圧縮のない、完全なる詠唱術式。三級の術式を圧縮できる凛がそれを行うということは、すなわち二級以上の魔法を使おうとしていることに他ならない。
「【万象喰らう原初の奔流。逆巻き飲み干す流転の災禍】」
現れる触手の位置を舞佳さんに知らせつつ、その内の一つを処理しながら、上空に収束する魔力の感覚に息を飲む。
放出される魔力量は、これまで凛が使ってきた魔法の比ではない。
それどころか、目の前にいる仙道啓麻が使っていた魔法よりも更に出力は上だろう。
それは偏に、それだけの魔力を扱えるよう、凛が努力を重ねていたという歴然たる事実を示していた。
「【汝が往くは我が道筋。汝は遮るもの総て、貫き抉る無比の槍撃】」
触手が再生と同時に防壁を張る。
だが、無駄なことだ。既に幾度となく見せられた魔法術式、その弱点がどこにあるかなど当の昔に把握している。
あらかじめ準備しておいた対抗術式を起動、左の拳を以て張り巡らされた障壁を打ち破る。
更に障壁を潜り抜けた先で、障壁を張った触手と、その陰で魔法を放とうとしていた触手、その両方を一息に破壊していた。
そして――
「【無慈悲なる灼熱として顕現せよ。其は終末の焔、万象一切を焼き尽くせ】」
――その術式の完成と共に、私は高く跳び上がっていた。
凛が天高く掲げる手には、全長20メートルを超えようかという程に巨大な炎の槍が携えられていた。
間違いない。アレが直撃すれば、例えどれほどの魔力を持っていようとも、ひとたまりもなく消滅する。
故に、それを直撃させる道筋を作らねばならないのだ。
「【体躯よ】【巌の如く】」
空中に足場を作り、上下逆さまに足をつける。
真下には、四本の触手を構える異形の姿。
全ての触手を防御に回そうというのだろう。四重となった結界は、その魔力も相まって、並大抵の攻撃では破れない城塞と化している。
だが、それさえ突き破れば、最早彼を守るものは何もない。
「【境界よ】【侵し】【交わり】【砕け散れ】」
術式を紡ぎ、足場を蹴る。
砲弾のように飛び出した私は、空中で体を回転させ、その全てのエネルギーを踵に集中させるようにしながら墜落する。
――その踵に、紡いだ術式を発動させながら。
「おおおおおおおッ!」
母上が最大の必殺技と語った、その蹴りを真似た一撃。
その一撃は狙い違わず障壁の正面に激突し――その表面に、灼銅の光を走らせていた。
そして次の瞬間、障壁は灼銅の光をなぞる様にしながら割れ、砕け散る。
相手の障壁を侵食して脆弱な部分を発生させるこの術式は、強大な威力の攻撃と共に放てば防げる者など存在しない。
障壁は瞬く間に砕け、私は四枚目の障壁へと足を付け――その瞬間、体重増加の術式を解除していた。
術式の浸食は広がり、しかし防壁は砕けていないこの状態。それを確認して、私は障壁を蹴ってその場から離脱する。
そして――
「――《落ちる明星》」
――灼熱の槍は、その言葉と共に投げ放たれていた。




