119:最奥にて
《放身》によって放たれていた私の魔力が、体を覆うリリによって吸収されていく。
それと共に装甲の表面に浮かび上がるのは、私の魔力と同じ、灼銅に輝く術式刻印だった。
《放身》の魔力を再利用することにより構築されるこれは、『黒百合』に用いられている各種術式を強化する効果を持っている。
私の魔力特性もあり、主だった効果は防御系に多く割り振られているのだが――その効果は、非常に強固であると断言できるだろう。
「何だ、こいつは……人間なのか?」
「どっちでもいい、ここを通すな!」
浮かび上がった刻印に困惑した様子ではあったが、刻印銃を持った男は怯むことなく私へと向けて発砲していた。
銃声と共に炸裂した弾丸は、銃身の中で術式を刻まれ、その効果を発揮しながら私へと向けて飛翔する。
だが――『黒百合』に加え、刻印によって肉体の性能そのものを強化した私にとっては、例え特殊な効果を付与されていようとも、銃弾は銃弾に過ぎない。
ただの拳銃で、しかも術式付与のために弾速の下がった弾丸ならば、見切ることなど容易かった。
故に落ち着いて、私は手を掲げ――飛来した弾丸を掴み取っていた。
「リリ、解析を」
『ん、わかった』
握った弾丸をリリに吸収させ、私は前進する。
どのような効果を持っているか分からない以上、正面から喰らうわけにはいかない。
問題ないと判断できなければ回避するほかないだろう。
「ちっ――【集い】【撃ち抜け】!」
「【壁よ】【遮れ】」
手を掲げた男が放ったのは、眩い光芒の収束した光熱波だった。
《属性深化》を行っているため、その詠唱は短く、なおかつ威力も非常に高い。
強化された状態の『黒百合』ならば受け止めることも可能だろうが、確実に動きは止めさせられてしまうだろう。
この場で足を止めればどうなるかなど明白だ。故に私は、自らの前方に鋭角状に曲がった防壁を作り上げていた。
私へと向けて直進してきた光熱波は、私の作り上げた結界へと衝突し――二つに分かれて後方へと受け流される。
前進しながらの防御であれば、正面から受け止めるよりはこうした方が効率的だ。
「しッ!」
「っ、クソがッ!」
光熱波を正面から潜り抜け、私は光の魔法を使う男に肉薄する。
踏み込むとともに放つ拳には、リリによって操作された私の魔力が充填されていた。
「【力よ】【集い】【打ち砕け】」
命ずるは属性を持たぬ、純粋な破壊力を発生させる術式。
灼銅の魔力に輝く拳はその魔力の方向性を破壊へと定められ、私の拳の一撃と共に、目の前に発生した刻印の防壁に叩きつけられていた。
瞬間、轟音とともに、衝撃波が迸る。
「ぐ、が……ッ! 【遮れ】!」
爆ぜた衝撃によって障壁は砕け散り、一瞬遅れて床に敷かれていた絨毯が塵と化し、周囲の窓ガラスが一斉に粉砕される。
その吹き荒れる衝撃の中、男は即座に新たな防御術式を展開し、続けて放っていた私の蹴りを受け止めていた。
見事な反応だが――その程度で受け止められるほど、私の攻撃は甘くはない。
「おおッ!」
「ッ、康二ィ!」
「――【氷よ】【集い】【連なり】【貫け】ッ!」
私の蹴りが衝突するとともに、光の障壁にヒビが走る。
だがそれが砕け散る直前、救援を受けたもう一人の男が、私へと向けて氷の槍を解き放っていた。
《貫通式》を付与したということは、私が防御に秀でていることを理解したということだろう。
機関銃のように連なる氷の槍は、その性質上、『黒百合』の防御も突破してしまう可能性が高い。
だが――
「【堅固なる】【炎の】【壁よ】【遮れ】!」
即座に、私は炎の熱量を有する障壁を展開する。
例え凛たちに比べて適性が低いと言っても、私も一応は火之崎家に生まれた人間だ。
他の属性と比べれば、炎の魔法は遥かに扱いやすいし、その熱量も十分に確保できる。
紅に染まる魔力障壁は、無数に放たれる氷の槍を次々と受け止めて行った。
だが、それでも相手は《貫通式》を付与された術式。ブレスレットによって強化された魔法の威力は凄まじく、障壁は徐々に穴を空けられて突破される。
――だが、それで問題は無い。
「――《不破要塞》」
『黒百合』の刻印術式によって強化された《不破要塞》に魔力を流し込む。
炎の障壁を潜り抜けた氷の槍は、その熱量によって威力と大きさを減ぜられている。
その状態ならば、《不破要塞》を構築する物理エネルギーの削減と遮断、魔法効果の削減と遮断を備えた内層四重結界を潜り抜けることは出来ない。
故に私はそれ以上氷の槍に対処することなく、目の前の光の障壁を蹴り砕いていた。
砕け散る障壁の先には、体勢を整えながら魔力を励起させる男の姿が。
――彼の右腕は、半ばまでが赤黒い肉塊へと変異していた。
「――――ッ!」
変異する男の右手に収束する光。
無詠唱で発現されているそれは五級の魔法ではあったが、励起されている魔力の量は尋常なものではなかった。
まともに収束されていない光熱波であろうとも、直撃を受ければ成す術無く吹き飛ばされるだろう。
思わず舌打ちしつつ――私は、更に前へと向かって踏み込んでいた。
「消し、飛、べ――」
強引に魔力を引き出しているのか、急速に変異が広がっていく。
しかし、それを一顧だにすることもなく、男は右手の閃光を解き放っていた。
視界を埋め尽くさんとする光を『黒百合』のバイザーで遮断しながら、私はほぼ前へと倒れこむように体を前へと飛び込ませる。
瞬間、私の背中を巨大な熱量が通り過ぎる。しかし、その熱も衝撃も、《不破要塞》と『黒百合』によって完全に遮断されていた。
そして、眩い光芒の直下を滑るように進み、眼前に迫った男の両足を払う。
「なっ!?」
大きく足を払われた男は、驚愕の声を上げながら転倒する。
その声を背中で聞きながら、男のすぐ傍を通り抜けた私は、その足で前方の壁を駆け上がっていた。
私の通り抜けた足跡を氷の槍が貫いていくが、気にせずにそのまま走り抜け、壁を蹴って跳躍する。
眼下に見えるのは転倒した男。その姿を見下ろしながら、私は天井を蹴って彼へと向けて飛び出していた。
「【体躯よ】【巌の如く】!」
「ッ、く――!」
背後からの接近に気づいたのか、男は瞬時に防御魔法を発動する。
だが、その程度で防げるほど、この位置からの攻撃は文字通り軽いものではない。
500kgまで体重を増加させた私は、隕石の如き一撃を発生した障壁へと叩き付ける。
ほんの一瞬の膠着、しかしそれがまるで嘘であったかのように防御障壁が砕け散る。
直進する私の拳は、最後の抵抗とばかりに展開された刻印術式の防御に激突したが、その程度で全ての衝撃を受け止められるようなものではない。
魔力によって強化されていたため、大分威力を減衰させられはした。だがそれでも、私の拳は男の腹部に突き刺さり、彼を階下まで床を突き破って叩き付けていた。
少なくとも、腹部の内臓は残らず粉砕した。生きていたとしても数分で死に至るだろう。
それを確信して、私は魔力を練り上げながら、体重操作を行い軽やかに床に着地していた。
「【堅固なる】【壁よ】【遮れ】」
男の生死を確かめている暇もなく、私は続けざまに魔法を発動させる。
私の前方に発生した魔力障壁。そこに、ガラスが軋むような音を立てながら、炎の障壁を完全に破った氷の槍が突き刺さっていた。
その先には、目を怒りに染めたもう一人の男の姿がある。
「やって、くれたな……化け物がッ!」
仲間をやられた怒りからか、男は青白い魔力を励起させながらこちらを睨み据えている。
その魔力量は膨大であり、ブレスレットから強引に魔力を引き出していることは確かめずとも明らかだった。
彼の右腕もまた、目に見えてわかる速度で徐々に変異が起こっている。
このまま放置すれば、彼もまた魔力を吐き出すだけの肉塊と化すことだろう。
『ご主人様、銃弾の解析が終わった。付与されているのは《貫通式》だけだけど、かなり強固に作られてる』
「つまるところ、防御貫通特化か」
あの弾丸を喰らったら、《不破要塞》でも貫かれてしまう可能性がある。
だが、逆に言えばそれだけだ。『黒百合』そのものを破壊して貫けるほどの力は無いだろう。
尤も、それだけでも十分に厄介なのだが……それよりも今は、あの膨大な魔力で成される魔法に注意すべきだ。
ただ防御魔法を展開して受け止めるのでは、弾丸によって瓦解させられる恐れがある。
ならば――
「ふぅぅぅ……」
深く呼吸し、精神を統一する。
同時、右腕を引き絞り、その手に魔力を集中させた。
リリの吸収すらもオーバーフローし、右腕の周囲に灼銅の魔力が溢れ始める。
――私の腕を循環する魔力が。
「死ねッ! 【氷よ】【集い】【連なり】【飲み込め】ェッ!」
絶叫するような圧縮詠唱と共に、男がその両手を振り下ろす。
瞬間、まるで爆発するかのように、巨大な氷の塊が発生していた。
バキバキと音を立てながら、氷はまるで津波であるかのように肥大化し、私の方へと向けて殺到する。
飲み込まれれば果たしてどうなるのか――まあ、削岩機の正面に放り出されるようなものだろう。
ならば、素直に喰らう訳にはいかない。故に、私は――
「おおおおおおおおおッ!!」
全開の魔力を滾らせた己の拳を、ただ真っ直ぐ、一切の無駄なく、迫りくる氷へと向けて叩き付けていた。
床板が爆ぜ、壁にヒビが走り、その合間を埋めるかのように灼銅の閃光が弾ける。
私の全力の一撃を受けた氷の津波は、自動車が正面衝突するかのような衝撃音と粉砕音を発しながら大きく凹み――次の瞬間、左右に割れるようにしながら砕け散っていた。
その衝撃は氷の津波を通り抜け、正面にあった壁と窓ガラスを残らず粉砕して消し飛ばす。
そしてその片隅で、赤黒い肉塊が建物の外へと打ち出されて地面に叩き付けられた様を、一瞬だけ目にすることが出来た。
轟音が消え、辺りが静寂に包まれたことを確認し、私は魔力の霧散した右腕を戻しつつ嘆息する。
「……数秒が限界か。まだまだだな」
『右腕だけだろうと、僅かな時間だろうと、きちんと《纏魔》にはなっておったぞ』
「攻撃の後は制御しきれずに魔力が散ってしまったがな。まだまだ修行が足りないということだ」
母上の得意技である《纏魔》。
その技術に関しては、私も日々練習を重ねているが、未だに数秒維持するのが限界というほどの難易度だ。
とてもではないが実戦で使える練度ではない。だが、それでも右腕だけに展開するのならば、一撃の間持たせる程度は何とか可能だった。
これを当たり前のように全身に展開している父上や母上は、一体どのようにこれを制御しているのか。
改めて差を見せつけられたようで、私は再び嘆息を零していた。
「……まあ、圧倒的な差があるのは今に始まった話じゃないか」
何にせよ、まだまだ精進が必要ということだ。
父上や母上を超えると豪語するからには、《纏魔》の習得は通過点に過ぎないだろう。
焦らず、だが確実に訓練を積み重ねていかなければ。
「さて、と」
気を取り直して、私は扉の方へと向き直る。
今の戦闘でかなりボロボロになってはいたものの、その部屋の扉は辛うじて形を保っていた。
しかし、今の戦闘の騒ぎは室内にも聞こえていたはずなのだが、内部からの反応は無い。
無人だったのか、あるいは――他の人間と同じく、肉体が変異してしまった者がいるのか。
どちらにせよ、確かめてみなければならないだろう。
「……魔力の余裕は十分。リリ、ダメージはあるか?」
『問題ない。機能は十全に発揮できてる』
「よろしい。では、行くとしようか」
頷き、小さく笑みを浮かべ――私は、扉を蹴り開ける。
例え待ち伏せであったとしても即座に対処できる魔力を励起させ、開けた視界の先を睨み据えて――
「――――な」
――床から天井まで、部屋の全てを覆いつくす肉塊に、私は思わず絶句していた。




