118:変異する者たち
「んー……これはなんだか、ちょっと予想外と言うか、予想以上だわ」
構えていた二振りの直刀を下ろし、羽々音舞佳は嘆息を零す。
そんな彼女の前には、いくつもの赤黒い肉塊が転がっていた。
最早蠢くことしかできないそれらを見下ろしつつ、彼女は困惑を隠しきれぬ様子で眉根を寄せる。
「まさか人間がこんな風になるなんてね……古代兵装ってのは本当にえげつないわ」
この場に転がっている肉塊は、言わずもがな、かつて仙道の魔法使いたちであったものである。
舞佳がこの仙道家に乗り込んですぐ、数人の魔法使いが、迎撃のために舞佳へと戦いを挑んでいた。
だが、彼らが古代兵装で強化されていたとはいえ、舞佳は特級魔導士の中でも高位に位置する実力者。
制圧することはそれほど難しくはない――その、筈だった。
(まさか、肉体そのものを変質させるとは……しかも、それを悪いことだとは一切考えてなかったみたいだし)
戦闘が始まってすぐ、舞佳の実力を肌で理解した彼らは、強引にブレスレットから魔力を引き出し始めたのだ。
そしてその途端、彼らの肉体は、ブレスレットの嵌っている右腕から変質を開始していた。
彼らの体は、徐々にこの赤黒い肉塊へと変化していってしまったのだ。
しかも、それを喜ばしいことだと言うかのように、嬉々として。
あまりにも不気味なその光景に、数々の戦いを潜り抜けてきた舞佳も、動揺を隠しきれなかったのである。
「あー、灯藤君、聞こえる?」
『はい、聞こえています。何かありましたか?』
「あったわねぇ。ちょっと襲ってきた魔法使いたちが肉の塊になっちゃったんだけど……ああ、あたしが斬る前よ?」
『ええ、分かってます。皮が溶け落ちたような、赤黒い肉塊に変異したんですね?』
「あら、そっちでも出たって訳か」
剣の切っ先で肉塊をつつきながら、舞佳は眉根を寄せた表情のままに思案する。
複数例ある以上、この事象の原因が件の古代兵装にあることはほぼ間違いないだろう。
だが、一体何故このような事象が発生するのか、舞佳には見当もつかなかったのだ。
「強い魔法を使えば使うほど、変異が進んでる様子だったわね。あと、脳まで変異したら動けなくなるみたいだったけど」
『成程……こちらにも変異した人間と思われる肉塊がありますが、一切動かないのはそういう理由でしたか』
「しっかし、良く分からないわね。魔法を強化する為の兵装なのに、魔法すら使えなくなったら意味ないじゃない」
『それは……おそらく、目的が違うのだと思います』
「ん? 目的って言うと?」
通信機越しに響く仁の言葉に、舞佳は虚を突かれたように首を傾げていた。
仙道家の目的は魔法使いの強化であり、その為にあの古代兵装を利用していると舞佳は認識している。
その認識自体に間違いは無いだろう。彼らの目的は、あくまでも魔法使いたちを強くすることだった。
だが――
『この古代兵装の設計思想の話です。これは、子機、中継機、親機に分かれて機能を発揮している。そして、子機から親機へと向かって魔力を集めて溜め込むという性質を持っています』
「ええ、それは聞いてるわよ? その集めた魔力を配布して魔法を強化しているんでしょう?」
『はい、それはその通りです。ですが、それはあくまでも付属の機能……私は、この兵装の本来の目的は、『魔力の集積』にあるのではないかと考えています』
「……それは」
意識が急激に冷却されて尖鋭化する感覚を覚え、舞佳は視線を細めて呟いていた。
もしも仁の言葉が事実であるとするならば、果たしてどれほどの魔力が親機に集まっていると言うのだろうか。
そして、魔力を引き出すほどに肉体が変異してしまった意味は――
『ブレスレットを持っている者たちは、日常的な魔力を常に送り続けている。この古代兵装の主目的がそこにあるとするならば、この肉体の変異の意味は――』
「……より多くの魔力を生み出せるように作り変えられている、ってことなんでしょうね」
『ええ、恐らくは。肉塊を解析してみましたが、驚くほどに効率的な魔力回路を形成している……魔力素の吸収機能と変換機能を最大限に発揮し、肉体の維持にかかる魔力を最低限に抑えるようにしてあるようです』
そのあまりにもおぞましい肉体改造に、舞佳は眉を顰めて傍に落ちている肉塊を見つめていた。
既に人の形を留めていないそれらは、舞佳によって真っ二つに斬り裂かれてしまっている。
人間ではなくなってしまった時点で、魔法院にとっては価値のないものとなってしまった為だが――
(果たして、あの施設に放り込まれるのと、こんな風に人間ではなくなってしまうのの、どちらがマシなのかしらね)
微細な痙攣を繰り返していた肉塊も、すでに動かなくなってしまっている。
最早人間とは呼べないだろうが、一応は生物である以上、死にはするのだろう。
こうなってしまった以上、殺してやるのがせめてもの手向けであると、舞佳は他の肉塊にも最後の刃を振り下ろしていた。
「けど……こんな風に肉体を変異させてまで魔力を集めて……一体、何をするつもりなのかしらね」
『そこが問題ですね。早いところ、親機を探し出して確保しなければ』
「その通りだわ。こっちも急いで追いかけるから、先行しておいて」
『分かりました。それでは、また後程』
通信が途切れたことを確認し、舞佳は小さく嘆息を零す。
斬撃によって崩落した家の一角、魔法による痕跡すら残さぬほどに斬り刻まれた家財と肉塊の中心で、舞佳はしかめっ面を隠そうともせずに視線を上げていた。
「……嫌な予感がするわね」
この古代兵装を使い始めた者は、果たしてこの性質を理解していたのか。
そしてもしも知っていたのだとしたら――この仙道一族を犠牲にしてまで、何を成そうとしているのか。
魔法使い一族が暴走しているよりも遥かに厄介な状況になっていることを理解し、舞佳は気を引き締めるとともに剣を強く握りしめていた。
どちらにせよ、親機を探し出さなければならないことに変わりはない。
湧き上がる嫌な予感に顔を顰め、舞佳は散らばった肉片を踏み越えながら前進を再開していた。
* * * * *
音もなく屋敷の中を駆け抜けながら、私は胸中を占める不安に眉根を寄せていた。
この階層に、動くものの気配はほとんどない。それはつまり、この階層にいる人間たちは、ほぼ大半があの肉塊へと変異してしまっているということだろう。
彼らはただ、親機に対して魔力を供給するだけの装置となり果ててしまっている。
彼らに対して私にできることは、せめてもの情けをかけることだけだ。
『……気に病んでおるのか、あるじよ?』
「そうでもないさ。あまり気にする必要はないぞ、千狐」
耳元にかけられた言葉に、私は軽く肩を竦めてそう返す。
確かに、私は変異してしまった人間を手にかけた。今も、同じような存在を発見したら、とどめを刺すようにしている。
人を殺したと言えば、まあ、確かにその通りなのだろう。
だがそれでも、私が躊躇いを覚えるようなことはなかった。
「前世からして、幾人かを手にかけたことはある。今更、それも最早助からない人間に手を下したところで、それを重荷に感じることはないさ」
前世に関しては、我ながらかなり危ない橋を渡り続けてきた自覚がある。
その最中で、法で裁けぬ人間を闇に葬った経験は幾度かあった。
それに比べれば、今回のこれは罪悪感を覚えるというほどの物ではない。
このまま生かし続けるよりは、せめて終わらせてやった方がその人物のためだろう。
「あの肉体の変質は不可逆の変化だ。仮に治せる者がいたとして、それは先生以外に存在しないだろう。そしてこの場に先生を呼ぶことが不可能である以上、彼らを救うことは不可能だ」
『それに、あれは親機へと多くの魔力を送ってる。潰しておくに越したことはない』
『ま、お主がそう言うなら、妾もこれ以上は何も言わんがの』
肩を竦める千狐の言葉に、私も小さく笑みを零す。
心配はありがたく受け取っておくこととしよう。
実際のところ、彼らを手にかけることに関して、何も思わないわけではない。
もしかしたら救えるのではないか、と考えたことは事実だ。
だが、それで無駄な時間を使い、大きな被害を出してしまうことだけは認められない。
今はとにかく、先を急がなければならないのだ。
『ご主人様、敵性反応』
「……やはり、素直に行かせてはくれないか」
脳裏に響くリリの声に、私は嘆息しつつも気を引き締める。
殆ど変異した人間しか残っていなかったが、流石に動ける人間が全てで払っていたという訳ではないらしい。
曲がり角で立ち止まり、そこから先の廊下を覗き込んでみれば、大きな扉の横の壁際に立つ二人の人影を確認することが出来た。
窓の立ち並ぶ廊下は明るく、隠れられそうな場所もない。気づかれないように接近して気絶させることはほぼ不可能だろう。
それに――
(既に、変異が始まりかけているか。となると、かなり強力な魔法を放ってきそうだな)
廊下に立つ二人の右腕は、手首から赤黒く染まり始めている。
私は直接変異していく過程を見た訳ではないのだが、あのままでいれば確実に人の形を失うことになるだろう。
できれば気づかれることもなく不意打ちで気絶させたい所ではあるが、この場に残っている魔法使いは恐らく精鋭と呼べる存在だと思われる。
それがあのブレスレットで強化されているとなると、流石に苦戦は免れないだろう。
だがそれと同時に、彼らが守っているあの扉の先こそがこの屋敷の中心点、本丸であることが確認できた。
「……リリ」
『ん、速攻で行こう』
私はその言葉に小さく頷き、《不破要塞》を戦闘起動していた。
身を包む七重の結界を確認し、静かに意識を集中させ――私は、強く床を蹴っていた。
目標の位置まではおよそ20メートル。遠いというほどではないが、一息に辿り着ける距離ではない。
接触までには確実に相手に気づかれてしまうだろう。それでも――
「――ふッ!」
「っ、敵か!?」
一息に半分の距離を踏破し、残る半分を駆け抜けようとした瞬間、手前にいた人物がこちらの姿を補足する。
その瞬間から魔力が励起され、発動の準備が整っていた辺り、かなりの手練であることは間違いなさそうだ。
となれば手加減している暇などない。私は即座に《放身》を発動し、先ほどを倍する速さで残る半分を駆け抜けていた。
「おおッ!」
「ッ!」
瞬時に加速することにより相手の認識から逃れ、即座に肉薄すると共に蹴りを放つ。
岩をも砕くその一撃は、しかし男に浮かび上がった刻印術式の発動によって防がれていた。
どうやら、緊急用の防御魔法を仕込んでいたらしい。しかも今の威力を受け止められるということは、その術式による魔法自体もかなり強化されているということだ。
私は即座に結界破りの術式を思い浮かべ――背筋を駆け上った悪寒に、防御魔法を蹴ってその場から離脱していた。
瞬間、響き渡る銃声と共に、私が一瞬前までいた場所を一発の弾丸が貫く。
(――刻印銃か!)
通常の拳銃と比べて銃身の長い、特殊な形状をした拳銃。
あれは銃身内に刻印術式を付与することにより、特殊な効果を付与した弾丸を撃ち放つ武器だ。
弾丸を作るために必要な素材がそこそこ貴重であるため、あまり目にすることのない武器であるが、その利便性については非常に高いと言えるだろう。
流石に、銃身の中に隠された術式を外から読み取ることは出来ないため、弾丸がどのような性質を持っているのかは不明だ。
まあ何にしろ、喰らわないに越したことは無いだろう。
(……厄介な)
咄嗟に攻撃に対する対処、入念な準備。
恐らくだが、この二人はブレスレットを無しにして考えても、一級魔導士に分類されるレベルの実力者なのだろう。
その上昇した力を制御しきっているのであれば、彼らは特級魔導士のレベルに足を踏み入れている可能性が高い。
厄介極まりない相手だが、後のことを考えれば、今ここで精霊魔法を使うわけにもいかないのだ。
「――全力で行く。援護を頼む、リリ」
『てけり・り!』
精霊魔法を除いた全力を発揮することを決意し、私は敵へと向けて強く踏み込んでいた。




