114:強襲
塀や電柱、屋根の上。それらを足場としながら、私と凛は目的地へと向けて街中を駆け抜けていた。
車を呼ぶことも考えたのだが、私と凛だけであれば走った方が速いし、道を選ばずに進める分更なる時間の短縮になる。
まあ、目立たないように進むためにはそこそこルートを選ぶ必要があったが。
『ご主人様、向こうは交戦に入った』
「分かった。相手の戦力には未だ未確定な部分が多い、くれぐれも注意するようにな」
『ん、わかってる』
向こうに残してきたリリの分体に伝言を頼みつつ、私は隣で直訳する凛に目配せをしていた。
私の合図に気づいた凛は、僅かに楽しそうな表情を浮かべつつ私に近づく。
どうやら、戦いを前にして興奮している様子だった。
「向こうでも始まったって訳?」
「ああ。初音は張り切っていそうだな」
「あいつなら大丈夫でしょ。伊達や酔狂で水城を名乗ってるわけじゃないんだから」
「否定はせんが、油断もできんよ。相手が古代兵装を持っている以上はな」
初音は確かな実力者だ。水城の一族の中でも、一人だけで戦う実力については上位に存在することだろう。
そして、それに加えてリリの作り出した演算補助装置がある。
あの力を十全に使用しているのであれば、特級の魔導士が相手であったとしても、十全に戦えることだろう。
高々学生の集団程度が相手ならば、負けるはずもない。
それでも、古代兵装がある以上は完全に圧倒しきれるとも言い切れないのだが。
やはり、多少の不安はある――だが、ここから先は、初音を信じる他ないだろう。
「……一応、保険はかけてきたからな。何とかはなるだろう」
「あれだけお膳立てされて後れを取ったら、四大の恥さらしだっての。心配するだけ無駄よ無駄。それより、こっちのことを考えなさいな」
「そうだな……ああ、切り替えるよ」
小さくため息を吐き出し、私は改めて思考を巡らせる。
これから向かう先は仙道の本家。つまるところ、魔法使いの本拠地と言える場所だ。
魔法使いの構える拠点とは、大なり小なりの差はあれど、それそのものが要塞のようなものであると言える。
ましてや、仙道家は新興とはいえ、それなりの勢力を持つ魔法使いの家系だ。
四大の一族と比べるレベルではないだろうが、それでも十分な防衛機能を有しているだろう。
そして、それに加えて、内部には多数の魔法使いが軒を連ねているのだ。
私と凛と言えども、無策に突っ込んでは苦戦を免れないだろう。
「ふむ……とりあえず、結界には私が穴を空ける」
「アンタは結界系には詳しいものね。あたしが無理にぶち破ろうとしたら辺りに被害が出るかもしれないし」
むしろ、下手をしたら勢い余って内部の家まで吹き飛ばしかねないと思うのだが、口には出さずにおいた。
強引に破るにせよ受け止められるにせよ、周囲に被害が出ることは免れないだろう。
できるだけスマートに結界を破らねばと決意しつつ、私はその先のことについて言及する。
「結界を破った以上、内部にいる魔法使いたちはこちらに殺到してくるだろう。だが、いちいち相手にしていては時間がかかりすぎる」
「はっきり言いなさいよ、仁。あたしに、その連中の相手をしろって言うんでしょ?」
「いや……だが、それは」
確かに、理にかなってはいるのだ。
私と凛を比較した場合、多数を相手にするのに適しているのは間違いなく凛だ。
それ故、凛が多数の魔法使いを引き付けている間に私が本丸を叩くのが順当な戦術だと言えるだろう。
だがそれは、分家である私が宗家の凛を――それ以上に、私にとって掛け替えのない家族である凛を囮として利用しようとしているようなものだ。
それは私にとって認めがたい行為である――だが、凛は私の心境を読み取ったように、笑いながら断じていた。
「状況を考えなさい。そんな悠長なことを言ってられるような状況じゃないんでしょ?」
「それは、確かにそうだが――」
「だったら、迷う必要なんて無いっての……それとも、そんなにあたしが信用ならない?」
「まさか! 片割れであるお前を信用しないなんてことはあり得ない。お前なら間違いなく、一人で仙道の魔法使いたちを相手取れるはずだ」
「なら、それでいいのよ。それとも、宗家としての命令でも下されたい?」
凛に宗家の立場として命令されれば、私は決して拒むことはできない。
未だ当主としての正式活動に至っていない身としては、私は一分家の人員に過ぎないのだ。
そう言われてしまっては仕方ないと、私は嘆息しつつ観念する。
「分かった。先鋒を頼めるか、凛」
「任せなさいな。火之崎の力、存分に見せつけてあげるわよ」
凛は、私の言葉に笑顔で応じながらそう告げる。
凛の体の周囲には火の粉が舞い、彼女が既に戦意を滾らせていることを示していた。
心配は心配だが、仕方ない。こちらの作業を早急に片づけて、凛に加勢しなければならないか。
「ならば、余計なことに時間をかけてはいられないな」
目的地はすでに見えている。結界を破る程度ならば、即座にやってのけなければ。
そう内心で小さく呟き、私は励起させた魔力を己の右腕に集中させていた。
姿を現し、その力を示し始める灼銅の魔力。
その魔力に対し、私は一つの形を命じていた。
「【堅固なる】【境界よ】【交わり】【乖離せよ】」
本来ならば意味合いの合わぬ付加術式を重ねて、右腕にごく小規模な結界魔法を発動させる。
結界を破る方法は基本的には二つ。一つは結界の強度を超えた破壊力を叩きつけること、そしてもう一つは結界の起点となっている術式を破壊することだ。
だが、私の取ろうとしている方法はこのどちらでもない。
これは簡単に言えば、結界を溶かして開く私オリジナルの術式だ。
《掌握》を用いて結界の性質と術式を読み取り、その性質に合わせて私自身の結界を生成、対象の結界と融合させた上で裂け目を入れる形に分離させる。
防御・結界魔法に特化した私の魔力特性と、《掌握》という特殊な精霊魔法。その両方を駆使して初めて実現する方法だ。
「ついて来い、凛!」
「ええ、任せたわよ!」
魔法の準備を完了させ、私は凛に先行する形で跳躍する。
広い敷地に作られた仙道の屋敷は、その全域を覆う形で結界が形成されている。
効果は、まあ基本とも言えるような攻性防壁だ。許可なく安易に触れれば、私とてダメージを受けることになるだろう。
だが――
「火之崎家にも及ばない程度の強度では、破ることは簡単だぞ、新興の魔法使い」
元より破られることを想定して作られている火之崎の結界以下の強度であるならば、破ることなど容易い。
一瞬、火之崎家と同じ発想の元に作られているのかと考えたが、その割には侵入者に対する攻撃性が高く、遊びが感じられない構成になっている。
そもそもの話、侵入者を歓迎している火之崎の発想がおかしいのであって、そんなものが他にあるのはあまりにも不自然だ。
ともあれ、破れるのならば悩む必要もない。私は小さく笑みを浮かべて、結界を張った右腕を相手の結界へと向けて振り下ろしていた。
魔力の反発は一瞬、すぐさま沈み込むように同化した私の結界は、相手の結界を侵食するように溶け込み、そして人が通れる程度の穴を空ける。
その隙を逃さず、私と凛は、同時に仙道家の敷地内へと侵入していた。
「流石ね、仁。ここから先は、お互い自由に動くわよ。あたしは、派手にやってやるから」
「まったく……気をつけろよ」
「お互い様ね」
不敵に笑う凛は、落下の途中から周囲に火の粉を舞わせ始める。
その実の魔力が、徐々に高まり始めている証拠だ。どうやら、宣言通り派手に見せつけるつもりらしい。
苦笑した私は、彼女に苦笑と激励を送るとともに、空中を蹴って彼女の傍から離脱していた。
結界は比較的穏当に破ったとはいえ、異常に気付かれていてもおかしくはない。
まずは――
「リリ、行くぞ、『黒百合』だ」
『てけり・り!』
私の呼びかけに応じ、服の下に隠れていたリリが、その体積を爆発的に増加させる。
私の全身を包み込み、それと同時に表面に浮かび上がるのは光沢を持つ黒い装甲。
正体を隠すという訳ではないが、最大の戦闘力を発揮するにはこの姿であるべきだ。
地面に着地するまでの数瞬で姿を変えた私は、そのまま建物の陰に隠れるようにしながら敷地の中央部へと足を踏み入れていった。
目指すは、当主のいる場所だ。
「凛がいる以上、こちらも容赦はしない。加減もない、全力で行かせて貰おう」
小さく呟き――それとともに、私は屋敷の中へと侵入を開始していた。
* * * * *
仁の気配が遠ざかっていくことを感じ取りつつ、凛は身軽に屋敷の庭へと着地していた。
まるで猫のような身軽さで体勢を立て直し、周囲の状況を確認した凛は、その場で仁のことを意識から外していた。
それは、決して心配していないからということではない。彼ならば一人でも対処できるという信頼があったからだ。
故に、凛は目の前にある問題に対して全力を傾けることを決意した。
「にしても、初動が遅いわね。火之崎だったら着地した時点で火球が五つは飛んできてるわよ」
俄かに騒がしくなり始めてはいるが、未だ凛の姿を補足した様子もない仙道家の面々に、凛は呆れを交えて嘆息を零す。
このまま待っていては埒が明かないし、そもそもこちらに注意を引かなければ仁が動きづらくなってしまう。
わざわざここまでしてやらねばならないのかと呆れを交えつつ、凛はその魔力を勢いよく放出していた。
瞬間――膨大としか表現のしようのない凛の魔力が、炎となって顕現する。
「な、何だ!?」
「炎!? くそっ、あそこか!」
凛の纏う炎は周囲に熱をまき散らし、近くにあった植木に引火し始める。
だがそれには一切関知せず、凛はようやく集まってきた仙道の魔法使いたちを睥睨していた。
凛の放つ膨大な魔力に、魔法使いたちは圧倒されて動きを止めている。
そんな彼らの腕にブレスレットがあることを確認して、凛は炎の中で口の端を笑みに歪めていた。
「――あたしの名は火之崎凛。四大の一族、火之崎が宗家に属する者」
静かに、だが強大な魔力が込められたその声は、まるで放たれる熱気に交じり合うかのように周囲を満たす。
紅の炎の中ですら尚も爛々と輝く紅の瞳は、仙道の魔法使いたちの姿を真っ直ぐと睨み据えていた。
「仙道家に告ぐ。あんた達の装備しているそのブレスレット、それの回収命令が魔法院から下ってるわ。素直に外して投降するならよし。拒否するのであれば――」
「ふ、ふざけるな! いきなり現れて何を言っている! 正式な手順も踏まずに現れた者に従う理由など――」
「アンタたちの発言権は既に存在しないわ。そんなモノに手を出した時点でね」
詩織から説明を受けて、凛はブレスレットの性質をきちんと理解している。
言葉で言ったところで通じないであろうことも。
だが、魔法院からの正式な指令であることも、目立って周囲の目を集める意味でも、凛は己の意思を躊躇うことなく口にしていた。
「アンタたちは既に犯罪者。文句があるなら裁判で言いなさい――尤も、その時まで生きていられたらだけど」
「何だと……ッ!?」
「あたしは、あんまり器用って訳じゃないからね。アンタたちみたいに数の多い連中、いちいち腕だけ狙って斬り落とすとかできないから。死なないように気を付けることね」
笑みを浮かべ、凛は更なる魔力を励起する。
全身から炎を噴き上げ、その姿はまるで人の形をした炎であるかのように。
その圧倒的な魔力で気圧される魔法使いたちに対し、凛は笑みと共に足を踏み出していた。
「――さあ、派手に行くとしましょうか!」




