113:水城の末姫
人間離れした跳躍力を見せつけて仙道家へと向かっていった火之崎の二人。
その背中を見送った久我山は、前を歩く初音に対し、自らの緊張を解そうとするかのように軽い口調で問いかけていた。
「良かったのかい、水城さん? 君だって、灯藤君と一緒に行きたかっただろうに」
「それは否定できませんけど……でも、仕方のないことですよ」
対する初音は、確かに残念がるような声音ではあるものの、決して強く失望しているような様子ではなかった。
普段の様子から、もっと残念がっているのではないかと予想していた久我山は、その様子に目を瞬かせる。
まるで意趣返しをするかのように笑みを浮かべた初音は、進む足は止めぬままに微笑み交じりの声を上げていた。
「私だって四大の一族ですよ? どの場面に誰が適しているのかぐらいは把握しています」
「今回の場合は、火之崎さんの方が適任だったからって事?」
「ええ。悔しくはありますけど、戦闘能力という点においては、私よりも凛さんの方が一枚上手です」
単体での戦闘能力に優れる火之崎の一族の中でも、屈指の魔力量を誇る少女、火之崎凛。
初音とて水城の中では珍しく、単体でも戦えるように鍛え上げられている魔法使いではあるが、それでも凛には一歩及ばない。
無論初音としても、正面から戦ったとしても決して競り負けるつもりはないのだが――それでも、純粋なる戦闘能力を比較すれば、凛の方に軍配が上がると認めていた。
「強襲、制圧戦闘。こういった面に関しては、間違いなく凛さんの方が向いています。私は拠点防衛などの方が得意ですからね」
「だから、攻め入る側は火之崎さんに任せたってことか……成程ね」
「ふふ。久我山さんも、そういった適性の差ぐらいは把握していたでしょう? 今回の割り振りは適材適所だったと分かっていたはずです」
「買い被りすぎだよ。僕は戦いなんて素人なんだからさ」
揶揄するような初音の言葉に、久我山は軽く肩を竦めてそう返す。
実際のところ、どちらが向いているかという点に関しては、何となくイメージで把握していた。
だが、適正というレベルで判断を下せるほど、久我山はまだ仲間の戦闘能力を把握しきれていないのだ。
今わかるのは、ただ単純に――
「ただ、こっちが過剰戦力なんじゃないかって、そう思っただけだよ」
「ただの学生相手なら、確かにそうでしょうね」
一度苦笑し――初音は、表情を引き締める。
見えてきた訓練場、その一角には、二十人近い学生たちが一か所に集まって魔法の訓練を行っていた。
彼らの姿を見据えて、初音はその視線を細める。その瞬間、彼女の纏う空気が一変したことを感じ取り、久我山は思わず喉を鳴らしていた。
ただの学生相手――そんな考えによる油断など一切存在しない。初音は紛れもなく本気であると、久我山は確かに肌で感じ取っていたのだ。
「ですが、彼らが手にしているものは古代兵装。子供が一流の魔導士を圧倒することもあるような代物です。私がいるからといって、決して油断してはいけませんよ?」
「……肝に銘じておくよ、当主夫人」
「ふふふ、では行きましょうか」
朗らかに笑い、けれど先ほどの気配はそのままに、初音は彼らの方へと向けて歩き出す。
そんな彼女の背を追いながら、久我山は背後に回した手で、手首に嵌った黒いブレスレットを叩いていた。
その瞬間、虹色がかった光沢を持っていた硬質なブレスレットは、まるで溶け出すかのように形を変え、久我山の手を覆っていく。
ブレスレットが瞬く間に姿を変えて現れたのは、どこか生物的な質感を持つ黒い手袋だった。
手の甲の部分はわずかに盛り上がり、裂け目のように見える中央部の奥には白い物体が渦を巻いている。そこから血管のように伸びる筋が指先に向けて一本ずつ。その指先は、硬質な金属によって、まるで爪を形作るかのように覆われている。
軽く手を握っては開き、その調子を確認して、久我山はさらに気を引き締める――戦いはもう、始まっているのだから。
しかし、前を歩く初音は緊張をおくびにも出さず、にこやかな笑みと共に声を上げていた。
「――こんにちは、皆さん」
「っ!? 水城さん? 珍しいね、訓練場に顔を出すなんて」
唐突に表れた初音の姿に、学生たちに指導をしていた仙道は驚愕を交えた声を上げる。
初音や凛は、他の学生が自主訓練している場所に姿を現すことはあまりないのだ。
積極的な者は声をかけてくる場合も多く、例えそれが無かったとしても、秘匿するような術式の訓練には向かない。
故にこそ、仙道は唐突に表れた初音に対して、警戒心を滲ませていた。
(おや……熱を上げてる水城さん相手にその反応とはね)
自信家でプライドが高い――仙道のことを以前そう評価していた久我山は、彼らしからぬ反応に視線を細める。
尤も、ここ最近はあまり姿を見ていた訳ではなく、その上このような事件があったのだから、心境の変化があったとしても不思議ではないのだが。
そんな久我山の疑問をよそに、初音は笑みを崩すことなく続けていた。
「本日は、皆さんの使っているそのブレスレットに関することでお話に来ました」
「……成程。水城さんもこれに興味があるのかな」
「ええ、興味という意味では。尤も、そのような危険な物を使うつもりはさらさらありませんが」
僅かに視線を細めて、初音は正面からそう告げる。
あまりにも堂々としたその言葉に、仙道の周囲にいた学生たちも、二の句を告げられずに絶句していた。
この言葉を発したのが仁であったとしても、それほどの衝撃を与えることはできなかっただろう。
学年でもトップクラスの実力を周知されている、四大の一族の宗家――水城の末姫たる初音の言葉だからこそ、それを無視しきれなかったのだ。
だが、それでもブレスレットによる精神汚染がある以上、言葉での説得が容易である筈がない。
故に、初音はさらに畳みかけるかのように言葉を続けていた。
「四大の一族、水城の宗家として――そして、火之崎に連なる灯藤家の一員として、あなた方に宣告します。そのブレスレットは強奪された品であり、魔法院から回収の命令が下っています。それを所持し続けることは、我ら四大の一族と敵対する行為となるでしょう」
その言葉に、仙道の傍に集っていた学生たちが騒然となる。
魔法院と、四大の一族。この国でも紛れもないビッグネームの下に宣言されたその言葉は、他でもない四大の一族の初音から発言されたことによって信憑性を増している。
冗談で口にするにはあまりにも重大すぎるその言葉に、一部の学生たちが既に逃げ腰になっていることを確認し、初音は彼らに言い聞かせるかのように声を上げた。
「知らなかったことである、という点に関しては、情状酌量の余地があるでしょう。我らと敵対するつもりが無いのであれば、そのブレスレットを外し、足元に置いて下がりなさい。そうすれば、被害者として扱うことを口添えしましょう」
その宣言を聞き、およそ十人ほどの学生が、即座にブレスレットを投げ捨てるようにしながら後退する。
だが、残りのうちの半数は外すかどうかを思い悩む様子を見せながらも、その場から動こうとしない。
そして最後に残った者たちは――まるで何を言っているのか分からない、とでも言うかのように首を傾げていた。
「……あなた方は外す気はない、ということですね」
「何を言ってるのよ、あなた? これは仙道様から戴いた物なのよ? 外すなんてことあり得るはずがないじゃない」
初音の問いに答えたのは、以前からブレスレットを着用していた新田だった。
彼女は、先ほどの初音の警告を完全に忘れ去った上で、まるで初音の正気を疑うかのような声音でそう声を上げる。
それは言うまでもない常識であると、そう告げるかのような言葉。
あまりにも当然のように発せられたその言葉に、久我山は戦慄を抑えることができなかった。
新田は――仙道のためならば、国と敵対することを一切躊躇しないと宣言したのだ。
(これが精神汚染……! 詩織ちゃんが危惧する訳だ。こんなもの、あっていいはずがない!)
直前に聞いていたはずの初音の敵対宣言すら覚えていないと言わんばかりの表情。
仙道のためならば、平気で国にすら反逆すると宣言したその言葉。
どれを取っても正気とは思えず、久我山は思わず顔を顰めていた。
そして前に立つ初音は、そんな彼女の言葉に、表情を消して仙道を見つめる。
そこには既に、級友に対する好意的な感情は何もない。ただ、目の前の敵対者を処断する覚悟を決めた、執行人の瞳だった。
「一応聞いておきましょう。投降するつもりは無いということでよろしいですね?」
「生憎、君の言っている意味が分からないな。このブレスレットが危険な品だという証拠は? これを魔法院が回収しようとしている証拠は? これを手に入れるために、灯藤が僕らを罠に嵌めようとしているんじゃないのかな」
強気な姿勢で、仙道は初音に対してそう問いかける。
その台詞を耳にして、久我山は己の耳を疑っていた。
四大の一族の名を出した上での宣言を否定した上、初音の目の前で仁を侮辱するような発言をしたのだ。
それがどれほど彼女を怒らせる言葉であるか、この学年の生徒であれば知っていて当然の筈なのに。
「急速に力をつけ始めた僕らを、仙道家を嫉妬しているのだろう! それで魔法院の名を騙った上、自分は出てこないとは、大した男じゃないか!」
「そ、そうだ、卑怯者め! 四大の一族の面汚しじゃないか!」
「仙道様に歯向かうつもりなら、まず自分が顔を出すべきじゃない、臆病者!」
「ははははっ! 所詮そんな程度なんだろ、四大の一族なんて!」
仙道の言葉に賛同するかのように、次々と発せられる罵声。
久我山は、その言葉に堪えがたい苛立ちを感じていた。
もしもこの場にいたのが自分一人であったならば、理路整然と証拠を並べ立てて罵倒していただろうと確信できるほどに。
だが今は、その言葉が喉の奥につかえたように出てこない。
――物理的に冷気を発する、一人の少女が目の前にいたがために。
「――言いたいことは、それだけですか。では、処理するとしましょう」
そしてその瞬間――仙道からわずかに前に出ていた少年の右腕が、瞬時に走った水の刃によって切断されていた。
「ぃ――ぎゃああああああああッ!?」
「なっ!?」
「お、おい、アンタ何を!?」
腕を押さえて転げ回る少年の姿に、周囲の学生たちが戦慄したかのように声を上げる。
だが、対する初音の言葉の中には何の感慨も存在していない。
一応は傷口を水で覆いつつも、初音はただ淡々と彼らへ向けて宣言していた。
「外せないのならば腕を斬り落とすしかないでしょう? 許可は頂いていますし、あとで治癒魔法で繋げますからご安心を。さあ、次に行きましょう」
「ッ、【風よ】【集い】【逆巻き】【斬り裂け】!」
あまりにも冷え切った初音の声に、仙道は反射的に魔法を発動させていた。
三級の圧縮詠唱により発せられたのは、鋭く研ぎ澄まされた風の刃。
その威力は十分に強力で、難易度の高い圧縮詠唱を完全に制御しきっていることが分かるだろう。
刃は瞬時に初音の元へと駆け抜け――彼女の体は、白い霧となって文字通り霧散していた。
「何だと!?」
『言ったでしょう、これは処理だと。あなた方には最早、慈悲の一つもありません』
初音の体を構成していた白い霧は、同じく周囲に立ち込めていた霧に溶けて消える。
誰も今の今まで気づくことができなかったが、周囲にはいつしか、白い霧が立ち込め始めていたのだ。
初音の傍に控えていたはずの久我山の姿も、そして周囲で様子を窺っていた野次馬の姿もない。
この場には、ブレスレットを外すことを拒んだ学生たちだけが存在していた。
『――我が水城の秘奥が一つ、存分に味わっていくと良いでしょう』
リリによる魔法演算補助を受け、完成に至った《夢幻水牢》。
立ち込める霧の中で冷笑を浮かべながら、初音は静かに次なる狙いを定めていた。




