110:狂気、狂信
「流石に気にしすぎかと思ってたけど……まさか、こんな展開になってるとはね」
軽く手を振り、久我山は嘆息交じりにそう告げる。
睥睨するその先には、先ほど顔面を蹴り飛ばした新田が地面に蹲っていた。
流石に不用意に受けた一撃は答えたのか、彼女は体を震わせるまま動けていない。
しばしそのままになっているだろうと判断し、久我山は詩織の方――その両脇にいる二人の男へと視線を向けていた。
「君らも、邪魔だよ」
「ッ、ふざけるなよ、灯藤の――ごがッ!?」
詩織を押さえつけていた男子生徒は、久我山に対して罵声をあげようとし――その瞬間、悲鳴を上げてその場から吹き飛ばされていた。
その周囲を注視していれば、何もない虚空から鞭状の何かが現れ、彼を吹き飛ばした瞬間を目にすることができただろう。
だが生憎と、久我山に注意を向けていた彼と、彼が唐突に吹き飛ばされたことに動揺したもう一人の男子生徒にはそれに気づく事は不可能だった。
「な、何が……ごふッ!?」
「変わり映えのない悲鳴だねぇ。何か言いたかったのかな? ま、きっと僕には関係の無いことだろうし、聞いてあげる必要はないよね?」
苛立ちを嘲笑で塗り潰し、久我山は吹き飛ばされた二人へと一方的にそう告げる。
今の攻撃は、言うまでもなく時空間に潜んだルルハリルからの不意打ちだ。
異なる時間軸に存在するティンダロスの猟犬を事前に察知することは不可能であり、仮にこれに対処できる者がいるとすれば、攻撃が発生してから反応できるほどの高度な戦闘能力を持つ者だけだろう。
言わずもがな、普通の学生レベルには不可能な芸当だ。
不意打ちを受けた二人の男子生徒は、詩織の横から大きく吹き飛ばされて地面に転がる。
時々びくりと動いていることから、死んでいないことは確かだろう。
ルルハリルの攻撃の威力は高く、ひたすらに言い含めて手加減させたとは言え、それでも久我山の蹴りよりも高い威力を発揮している。
下手をすれば、一撃で相手を殺してしまっていてもおかしくはなかったのだ。
遠目ではあるが、とりあえず大怪我はしていなさそうなことに安堵し、久我山は改めて詩織の方へと向き直っていた。
「やあ、詩織ちゃん。こういうことをするなら、僕らにもちょっと相談してほしかったんだけど」
「く、久我山君……?」
「ま、その辺りは、彼女が『灯藤一味には伝えるな』とか伝えてたんだろうけどさ」
軽く肩を竦めつつ、久我山は顎でしゃくってよろよろと起き上がろうとしている新田を示す。
ルルハリルの一撃を受けた二人は昏倒してしまった様子だったが、新田はまだ動ける気力がある様子だ。
とは言え、無防備な状態で顔面に蹴りを受けたせいで、その様相は酷いものであるが。
「おや、新田さん。随分と美人になったね。化粧が上手かったなんて初めて知ったよ」
「久、我山ァ……ッ! よくも邪魔を!」
「そりゃまあ、止めるに決まってるだろ? 婦女暴行の現行犯だ。警察に届け出たら一発で豚箱行きだね」
口元に浮かべた笑みは消さず、久我山は手の中にある携帯端末をヒラヒラと振っていた。
実際のところ、先ほどの様子を撮影していた訳ではない。
と言うよりも、そんな余裕はなかったと言うべきだろう。何しろ、駆けつけた時には既に詩織が押さえつけられていたのだ。
しかしそんな焦りはおくびにも出さず、久我山は強気な姿勢を崩さぬまま新田へと告げる。
「しかし君も思い切ったことをしたもんだねぇ。そんなモノのために犯罪まで犯そうなんてさ」
「黙れ、誰が犯罪者だ!」
「君に決まってるじゃないか。強要罪と傷害罪って知らない? 魔法ばっかりじゃなくて、一般常識も勉強した方が……ああ! 魔法ばっかりやってるのに成果が上がらなかったからそんなモノに頼っちゃったんだったね! 失敬失敬!」
芝居がかった調子で腕を広げつつペラペラとまくし立てる久我山に、新田は顔を顰める。
無論、それは驚きではなく怒りゆえだ。
立て板に水とばかりに発せられる罵倒には、突然の展開に呆然としていた詩織までもが頬を引きつらせていた。
――それが、久我山の作戦であるとも知らずに。
「アンタは……ッ! いいわよ、そこまで言うんなら直接見せてあげるわ!」
「っ、久我山君、危ない!」
新田が久我山へと向けて手を突き出す。
薄く緑に染まる魔力が励起され、収束する。その様子に、詩織は悲鳴交じりの警告を発していた。
だが、久我山は薄ら笑いを浮かべたまま、それを止める様子もなく眺めている。
その姿が癇に障ったのか、新田は一度舌打ちし、苛立ち混じりの声で言霊を紡いでいた。
「喰らいな、久我山! 【風よ】【集い】【斬り裂け】!」
収束した魔力によって放たれたのは、刃をかたどる風の魔法だった。
四級の圧縮詠唱によって放たれたそれは、確かな威力を発揮しながら久我山へと直進する。
当たれば巨大な刃物で斬り裂かれるようなものだ、当然ただでは済まない。
しかし久我山は微動だにせず――それが触れる直前、まるで何もなかったかのように、風の刃は霧散していた。
「え……?」
「は? な……何が」
詩織と新田の困惑の声が零れる。
その様子に、久我山は大仰に驚いたかのようなリアクションを取りながら声を上げていた。
「驚いたな、四級の圧縮詠唱なんて! 一組が使ってるような魔法じゃないか……まあ、制御に失敗したみたいだけど」
「な……っ、ふざけるな! 私が制御に失敗するはずが……!」
「でも事実としてそうじゃないか。君の魔法は効果を成さずに霧散した。紛れもない事実だろう?」
「それはっ、お前が、お前が何かしたんだろう! ふざけるなよ久我山ァ!」
「おいおい、僕は防御魔法の準備をしていただけじゃないか。まあ、使わずに済んで幸いだったけどさ。僕は魔力もそれほど多くないからね、節約は大事だよ。君の魔法が下手糞だったおかげだね!」
「づっ、あああああああっ! 【風よ】【集い】【斬り裂け】ェッ!」
久我山の挑発に激昂し、新田は再び同じ魔法を放つ。
だが、その一撃も先ほどと同じく、久我山に辿り着くよりも早く霧散する。
愕然とした表情で消えてゆく魔法を見つめる新田を、久我山は薄ら笑いを消さぬまま無言で見つめていた。
幾度魔法を放ったとしても、同じ話だ。
この場には、既に久我山の魔力糸が配置されている。
そして、最初に接触したその時点で、久我山の魔力は新田の魔力に接続されていたのだ。
その時点で、最早逃れることは不可能。無詠唱で放たれるならばともかく、四級の圧縮詠唱程度ならば気づかれることもなく即座に魔法を崩すことができる。
それが、久我山の持つ魔法消去なのだから。
「はぁっ、はぁっ……何で、何でッ!?」
「何でも何も、身の丈に合わない魔法なんて使おうとしてるからだろう?」
「そんな、筈が……そんな筈あるかッ! 私には出来るんだ、一組の連中が使うような魔法だって、仙道様からいただいたこの腕輪なら使えるはずだ!」
「え、何? 同学年の生徒に様付けで呼ばせてんの、彼? キモいなぁ」
「ッ、久我山ぁぁぁああああッ!!」
最早魔法も何もない。
力ずくで掴みかかろうと、新田は狂乱の叫び声を上げながら久我山へと向けて突進していた。
対する久我山は、新田が魔法そのものに対する挑発よりも仙道に関する挑発に反応したことに視線を細めつつ、しかし余裕のある薄ら笑いを崩さない。
既に詩織のことも眼中にない様子の新田は、脇目も振らずに久我山へと向けて突進する。
尤も――
「はい足元がお留守だよ」
「い……ごっ!?」
――それに対して素直に相手をする久我山ではないのだが。
虚空から現れた青黒い鞭によって足元を払われた新田は、為す術なく転倒して勢いよく地面に倒れこむ。
とんでもない勢いで地面に叩きつけられた彼女の様子に、久我山は呆れ交じりに肩を竦めながらも、防御用に励起していた魔力を異なる術式に変質させていた。
「【闇よ】【惑え】」
魔法に関しては未だ未熟な久我山も、魔力を糸状に構成する訓練などを経て、制御力に関しては一角のものを持っている。
そんな久我山にとっては、普段あまり使わぬ属性の魔法であろうと、五級ならば圧縮詠唱で展開することも十分に可能だった。
効果は単純に、強い眠気のような感覚で軽く意識を混濁させる程度の、簡単な精神干渉魔法。
訓練を受けている魔法使いであれば、あっさりと抵抗できてしまう程度の簡単な魔法だ。
だが、半狂乱に陥り、更には肉体的にダメージを受けている状態の新田では、それに抗うことは出来なかった。
半ば眠っているような状態で地面に蹲った彼女に、久我山は追撃を行うようなことはなく、まるで興味を失ったかのように視線を外して詩織の方へと歩み寄っていた。
「さて詩織ちゃん、今のうちにここを離れようか」
「あ……え、えっと……」
「彼女のことが心配かもしれないけど、今はとりあえず、ここにいても解決しない。ここまで巻き込まれちゃったからには放ってもおけないし、灯藤君に相談しようよ」
ちらりと新田の方へ視線を向けて、久我山は呟く。
これが仙道の判断によるものなのか、はたまた新田の独断なのかまでは判別できなかったが、どちらにせよ彼らが強硬手段に出始めたのは事実だ。
もしも事態が表面化するのを構わないと考えているのであれば、状況が危険な段階まで推移してきている可能性もある。
凛と初音の友人である詩織にまで手を出し始めたのだ、見境のない行動に出たとしても不思議はない。
「とにかく、このままここにいるのは危険だ。早く行こう、詩織ちゃん」
「……うん、分かった。ありがとうね、久我山君」
「どういたしまして。ま、あまり気にしないでいいよ」
気にしすぎる必要は無いと、久我山はヒラヒラと軽く手を振る。
そのまま、久我山は詩織を連れ立って足早にその場から離れていた。
高い魔法の知識、魔法消去という稀有な能力――久我山はただの素人であるとは言いがたい存在だ。
だが、それでも戦闘能力に関しては決して高いとはいえない。
今回に関しても、ルルハリルがいなければ勝利することは難しかっただろう。
故にこそ、戦いになる前に引き下がらなければならないのだ。
(しかし、かなり様子がおかしくなってたな……あのブレスレット、精神にまで影響を及ぼすのか)
狂乱した理論を振りかざし、仙道のことを狂信していた新田。
それほど交流があった相手ではないのだが、少なくともあのような人物ではなかったということは断言できる。
何らかの要因によって、精神に異常をきたしているのは間違いないだろう。
そしてその要因など、あのブレスレット以外に思い当たるものがない。
「やっぱり、副作用みたいなものかな……効果が分かれば手っ取り早いんだけど」
「……あの、ブレスレットのこと?」
「うん? あ、ごめん、声に出ちゃってたか」
先ほどの場所からはある程度離れ、とりあえず一息はついた久我山の言葉に、詩織はおずおずと問いかける。
話に上るのはやはり例のブレスレットについてだ。
明らかに様子のおかしかった新田。その変調には、何らかの原因がなければ説明がつかないのだ。
状況から見て例のブレスレットであることはほぼ間違いないと久我山は考えていたが、それでも確証が無い限り司法側が動くことは出来ない。
「例のあれは、何だか予想以上に危険なものだった可能性があるけど――」
「……久我山君」
「っと、どうかしたの?」
久我山の言葉を遮り、詩織は俯きつつ声を上げる。
首を傾げて問い返す久我山であったが、彼女はしばしそのまま沈黙を保っていた。
何か逡巡している様子の詩織に対し、ただならぬものを感じ、久我山は眉根を寄せつつも彼女の言葉を待つ。
そして――やがて彼女は、硬い声音と共に顔を上げる。
「皆に、灯藤君に……話したいことがあるの」
――そんな彼女の表情の中には、確かな決意が秘められていた。




