109:不用意な接近
教室まで辿り着き――感じていたのは、何とも言えぬ不快感だった。
これに関しては覚えがある。紛れもなく、周囲から警戒の視線を向けられている感覚だ。
どうやら、一部の生徒たちが、私のことを監視しているようだ。
まあ、方法が拙過ぎて、人数まで正確に把握できてしまった訳だが、その辺は仕方のないことだろう。
四大の一族でもない学生にそこまで求めるのは酷というものだ。
『……昨日のことが、気づかれた?』
『何らかの根拠があるなら、堂々と言ってくるだろうさ。方法に関しては間違いなくこちらに非があるわけだからな』
例え大儀があるにしても、私たちが行ったことは窃盗だ。
言いくるめる自信がないわけではないが、正論を振りかざされれば面倒なことになるのは間違いない。
だと言うのにそれを指摘してこないということは、私たちが行ったことに関する確たる証拠は無いということなのだろう。
リリが行った隠密を察知することは四大でも困難だ。私の知る限りでは、出来るとすれば父上や母上、後は水城久音程度のものだろう。
無論、古代兵装と言うことで、イレギュラーが発生する可能性は無きにしも非ずであったが――
『向こうから糾弾してこないということは、証拠自体は存在しないと言うことだろう。単純に、異常が起きたから警戒心を高めているということなんじゃないか?』
『その割には、連中はお主ばかり警戒しておるようじゃが?』
『元から目の敵にされていた様子だったからな。悪いことが起こったら私のせいなんじゃないかと短絡的に考えているのだろう』
まあ、少々短絡的に過ぎるとは思うが。
私の仕業だと結論付けるにはあまりにも早すぎる。何らかの情報を握っていてあえて黙っていると言う可能性もあるが、それで全員が手出しをしてこないと言うことは考えづらい。
もしもそうでないとするならば――まるで、一つの意思の下に全体の方針が統一されているかのような、そんな不気味な在り方のようにも感じられた。
根拠は無いのだが、どうにも異常な気配を感じてしまう。
「……灯藤君、これ」
「ああ。だが、向こうから手出しをしてこない限り、こちらからリアクションは避けるべきだ」
どうやら、久我山もこの現状に気づいたようだ。
だが、僅かに焦りを見せる彼に対して、私は首を横に振っていた。
確かに、あまり良い状況といえるわけではないのだが、それでも焦りは禁物だ。
しかし久我山は、そんな私の言葉に対し、若干困惑気味に言葉を返す。
「それでいいのかい?」
「今は状況をこじれさせない方がいい。後で動きづらくなるからな」
こちらとしても、もう少しだけ準備時間が欲しい。
突発的に動くのはリスクが高いからだ。出来ることならば万全の体勢で動きたいところだが――さて、そこまで都合よく物事が進むかどうか。
今は、互いに互いの情報が足りていない状態だと言えるだろう。
果たして、どちらが有利な状態であるのか――それすらも、今は分かっていない状態なのだ。
「この膠着状態の内に、可能な限り情報を集めろ。いつ状況が動くかは、全く想像ができないからな」
「……分かった。ハリルちゃんに伝えておくよ」
「頼んだぞ」
正直なところ、不利な状況であることは否めないだろう。
何しろ、動かせる手の数が圧倒的に異なる。
裏で『八咫烏』が動いているとは言え、彼らは私の手と言うわけではないし、そもそも表立って動くことは出来ない。
先んじて動いていたのは向こう側であり、その時点でこちらはどうしたところで不利な状況に立たされている。
手があるとすればやはり奇襲か。だが、それを決行するにも最低限の情報が足りていない。
せめて、『八咫烏』とルルハリルからの連絡……最低限、それが必要になるだろう。
まあ何にせよ――動くには、しばしの時間が必要だ。
「しかし……済まないな、久我山」
「ん? 何のことさ?」
「思いがけず、大事に発展してしまったことさ」
自らの座席に腰を下ろし、私は嘆息交じりにそう告げる。
久我山が灯藤家に名を連ねて、僅か数日。
まさか、そんな短い期間でこのような大事が発生するとは露ほども考えていなかったのだ。
「本当なら、いきなりこんな仕事を任せるつもりはなかったんだ。もう少し、簡単で気軽な作業から任せるつもりだった。いきなりこれでは、不親切に過ぎると言うものだろう?」
「ああ……いや、気にし過ぎだよ、灯藤君。まあ、面食らったのは事実だけどさ」
久我山は、軽く笑みを浮かべながら、私に対してそう返す。
その表情の中には、後悔や恐れと言った感情は浮かべられてはいなかった。
本当に平気なのだと、私にそう告げるかのように。
「僕は僕なりに、覚悟を決めて君の手を取ったんだ。四大の一族なんだし、大事に巻き込まれる……いや、その当事者になることも覚悟してたさ」
当事者と言い換えたその言葉に、私は小さく目を見開いていた。
その言葉が無ければ、久我山はまだ実感が無いだけだと判断していただろう。
巻き込まれた、部外者としての立ち位置で関わるのであれば危険極まりない話だったが――まさか、その言葉が出てこようとは。
深い情報を手に入れられる立場にあるとは言え、久我山は確かに、自分がこの事件の当事者の一人であると認識していたのだ。
その覚悟と自覚に、私は感嘆と慙愧を同時に覚える。しかし、それを口にするのは、彼に対しても失礼だろう。
故に私は頷き、こう告げていた。
「……ありがとう、久我山。頼りにしている」
「はは、こちらこそだよ、灯藤君」
私の言葉に、久我山は嬉しそうに笑う。
久我山は未だ魔法使い同士の殺し合いを知らぬ若者だ。
無論のこと、無理をさせることは出来ない。だが――彼が戦い続けた十年間は、確実に彼の血肉となっている。
そこいらの子供と一緒にしてしまうのは、彼に対しても失礼だろう。
私たちは互いに視線を交わして、小さく笑う。いざと言う時はフォローする、それが上司としての役目だろう。
そう覚悟を決めたちょうどその時、脇からいつもの声が私たちへと届いていた。
「おはよう、久我山君、灯藤君」
「あ、おはよう詩織ちゃん」
「おはよう、詩織。今日は少し遅かったな」
「あはは……ちょっと寝不足で」
苦笑する詩織からは、確かに少しくたびれた印象を受ける。
いつも元気な彼女には珍しい様子に、私は思わず眉根を寄せていた。
「大丈夫か? 体調が悪いようなら、休んでいた方がいいと思うが」
「あ、ううん、別にそこまでじゃないですから! ちょっと寝つきが悪かったってだけ」
「ふぅん……まあ、詩織ちゃんがそう言うなら別にいいけど……あんまり無理はしないようにね」
「うん、ありがとう、久我山君」
穏やかに微笑む詩織の顔色は、やはりそれほど良いとは言えない。
だが、それでも致命的に体調が悪いと言う様子でも無さそうだった。
無理をしている様子であれば無理やりにでも保健室に連れて行くところだったが、これはまだ自己管理の範囲内だろう。
「とりあえず、席に着いて少しでも体を休ませておけ。目を瞑ってリラックスするだけでもそれなりに違うからな」
「うん、ありがとう、灯藤君。それじゃあ、また後でね」
私の言葉に頷くと、詩織は言葉通りに自分の座席に着席していた。
聞き分けの良い、優しい子だ。舞佳さんも、母親としてさぞ鼻が高いことだろう。
詩織は荷物を置き、朝の準備をしている。アレが終われば、机に突っ伏して体を休めることだろう。
とりあえずは安心して、久我山の方へと視線を戻し――
「ん?」
「久我山? どうかしたのか?」
同じく詩織の方を向いていた久我山が、何やら眉根を寄せながら声を零していた。
彼の視線を追って詩織の方を見てみるが、彼女はいつも通り、鞄の中の教材などを机の中に入れているだけだ。
その姿に、特に変わった部分は無いのだが……何か、あったのだろうか?
しかし久我山は、軽くかぶり振ると、苦笑を浮かべて声を上げていた。
「いや、何でもない。僕の気のせいだったみたいだ」
「そうか? まあ、それならいいが」
久我山は、少々詩織のことを気にしている様子ではあったが、上手く説明できるほどの異常があったと言うわけではないのだろう。
状況が状況であるため、異常があったと言うのならば気になるのだが……現状では私は動きづらい。
となると――
「ん? 何だい?」
「……いや、少し考えごとをしていてな」
久我山のことをじっと見つめて、私は小さく頷いていた。
* * * * *
「えっと、ここかな……?」
校舎の裏側、人気の少ないその場所を詩織は進む。
朝、机の整理をしていて発見した、一枚のメモ。それは、以前話したクラスメイトである新田からの手紙だった。
時間と場所を指定され、話をしたいと言われていたその手紙。
先日の件に関する謝罪の言葉も記載されており、詩織は気後れしながらもその場所に足を運んでいたのだ。
お人好しな詩織とて、流石にこれが怪しいと言うことは理解している。
だがそれでも、彼女にはこれを放置することが出来なかったのだ。
(ちゃんと、話をしないと……)
詩織は理解している。
あのブレスレットがもたらす効果と、その危険性を。
強制的に魔法を強化するその法は、術者に対して大きな負担を強いることになる。
だが、あの複雑極まりないブレスレットは、それらの問題を含めて微細な調整が行われていた。
だがそれでも、負担が皆無と言うわけではない。特に、魔力面、精神面に対する影響が問題だった。
詩織はこう認識しているのだ――あれは、言わば麻薬に近いものだと。
「――羽々音」
「あ、新田さん……っ!?」
声をかけられ、そちらへと振り向く。その瞬間、詩織は思わず息を飲んでいた。
植え込みになっている場所、その木陰から、新田を含めて三人の人物が姿を現していたのだ。
その全員が腕にブレスレットを嵌めていることを確認し、詩織は表情を強張らせていた。
「に、新田さん……その人たちは?」
「彼ら? ああ、彼らは同志だよ。共に仙道様から教えを受ける……同志だ」
「同志って……しかも、様付けって」
あまりにも仰々しい呼び方に、詩織はじりじりと後退しながら呟く。
正面に相対した新田の瞳。大きく見開かれたそれには、隠しきれない狂気が秘められていた。
その瞳に正面から見据えられて、詩織は理解する。彼女が既に、危険な領域まで足を踏み入れてしまっているということに。
けれど、それでも諦めきれず、詩織は強く決意を込めて声を上げていた。
「新田さん! その道具は、貴方の魔力を外部のどこかに接続して、無理やりに魔力と制御力を外部から引き出してる! そんなものを使い続けたら、精神も魔力も影響を受けておかしくなる! これ以上は――」
「あはは、あっははははははははははっはは! いいじゃない別に」
「な……!」
リスクを飲み込んだ上での言葉を一蹴され、詩織は僅かに仰け反りながら息を飲む。
そんな彼女の背中は、背後にあった校舎の壁へとぶつかっていた。
逃げ場を失った詩織へゆっくりと近づきながら、新田は狂気に歪んだ笑みと共に続ける。
「強くなるためなら何だってする。それが魔法使いってモンでしょう? そんなものは大した問題じゃない! これは素晴らしいことよ! 偉大なる意志の下、私たちはどこまででも強くなれる! 皆強くなり、力をつけて、仙道様にお返しをする! こんな素晴らしいこと、他にはないわ!」
「そんな、そんなの……!」
壁際に追い詰められた詩織へ、新田は狂笑を浮かべたままゆっくりとにじり寄る。
だが、その表情の中にあるのは、決して悪意ではない。
それはある種、憐憫とも呼べる感情だった。
「大丈夫よ、アンタにも理解できるようにしてあげる。アンタ、何だかんだで私のことを心配してくれてたんでしょう? 余計なお世話ではあったけど、そんな優しい子は仲間に入れてあげるべきだわ」
「ひっ!? い、いらない、私はそんなの、欲しくない!」
「ふふ、安心しなさい。あんたもきっと、この素晴らしさに気づけるわ」
咄嗟に逃げようとするも、周りにいた別の一人に道を塞がれる。
左右を固められ、正面には新田の姿。
逃げ場など無く、詩織は成す術なく壁に押し付けられ、体を拘束されていた。
近づいてくる新田の顔に、詩織は目を瞑りながら必死にもがく。
「いやっ、止めて、離して!」
「さあ、アンタも私たちと一緒に――」
あのブレスレットが近づいてくる。
その気配を感じて、詩織は悲鳴を上げようとした――その、刹那。
「――ハイそこまで」
「ごッ!?」
すぐ正面にあった少女の気配が、一瞬で消え去る。
耳に届いたものは、聞き覚えのある少年の声。
詩織が目を開いたその場所には――
「まさか本当に危惧した通りになってるとかさ……いい加減にしろよ、お前ら」
――普段の軽薄な表情を消した久我山が、苛立ち混じりの声と共に佇んでいた。




