108:僅かな進展
昨日の内に伝えられた合流地点へとリリの分体を向かわせ、私たちは普段と変わらずに学校へと向かう。
事態は、少しずつではあるが動きつつある。今はまだ、私たちの動きを相手に悟られることは避けたい場面だ。
だからこそ、私は普段と変わらぬ行動で登校していたのだ。
(まあ、事が古代兵装であると確定した以上、そうのんびりとはしていられないがな)
内心で、そう呟きながら嘆息する。
既にアレが古代兵装であることは確定してしまった。
それが以前に密輸されたものと同一であるかどうかまでは確定していないが――何にせよ、それを配布する仙道が何やら企んでいることは間違いないだろう。
だが、こちらはあのブレスレットを正当に手に入れたわけではない。
現状、正面から堂々と糾弾することは不可能だ。
(解析の結果次第では、『八咫烏』として姿を隠して行動する必要があるか)
この手で秘密裏に片付けられるなら、その方がいいだろう。
灯藤家にとってのプラスは少ないが、周囲に無用な混乱を振りまかずに済むのだから。
尤も、それは希望的観測と言わざるを得ないだろう。
古代兵装を相手に、そう易々と事態を収束できるとは思えないのだ。
「……仁、大丈夫?」
「む――ああ、大丈夫だ。すまない、心配をかけてしまったみたいだな」
どうやら、隣を歩く初音は、私が思い悩んでいることを察知してしまったようだ。
軽く苦笑を浮かべながら安心させるように頭を撫で、私は彼女へと告げていた。
「仕事が入りそうな予感があったからな。どうしようかと考えていたところだ」
「仕事……だと、詳しい話は聞けないね」
「すまないな。だが、もしかしたら直接四大に来る可能性もある。その時は、初音にも助けて貰うさ」
「ふふ、そうだね。仁のことは、私がちゃんと助けるから」
少しだけ安心したのか、初音は私の言葉に笑みを見せて頷く。
まあ、事が大きくならなければ四大が動くということはないだろうが。
できる限り秘密裏に、騒ぎも起こさず事態を収束させたいところである。
初音には悪いが、その方が確実に幸せだろう。
と――そんな私たちに、どこか呆れた調子の声が届いていた。
「いつもながら、朝から仲がいいね、お二人さん」
「久我山か、おはよう」
「お、おはようございます、久我山さん」
私は近づいてくる気配に気づいていたが、初音の方はどうやら頭の上に乗っている私の手に気を取られていたらしい。
初音は僅かに恥ずかしそうにしながらも、私の手を外そうとはせず、久我山に対してはそのまま軽く会釈をしていた。
そんな初音の様子に、久我山は返礼を返しながらも乾いた笑みを浮かべていた。
「まあ、君たちの仲がいいのは僕としても喜ばしいことではあるんだけど……こんな通学路で堂々とやるのはどうかと思うよ?」
「ははは、まあ、確かにその通りだな。やるときは家でやるようにしよう」
「むぅ……そうですね」
初音はどこか不満気ではあったが、久我山の言葉が正論だと感じたのか、素直に応じて頷いていた。
尤も、久我山はそれでも苦笑を消さずにいたが。
結局家ではやると言っているのだ、その反応も仕方のないものだろう。
ともあれ、今度は久我山を伴って歩き出しながら、私は彼へと問いかけていた。
「それで、ルルハリルからの報告はあったのか?」
「うん、それを伝えるつもりで待ってたんだ」
周囲には届かぬように声量を抑えながら、私は久我山に問いかける。
質問したのは、以前仙道を追って偵察を行っていたルルハリルについてだ。
存在する時間軸が異なる以上、彼女――と言っていいのかどうかは知らないが、ともあれ身を隠したルルハリルに気づける者はまず存在しない。
恐らく、至近距離から十全に調査を行ったことだろう。
そんな私の問いに対し、久我山は表情を引き締めながら続けていた。
「仙道の本拠地、まあようするに仙道家まで追って行ったみたいなんだけどね。どうやら、あの家でも例のブレスレットが横行しているみたいだ」
「あの仙道少年だけではないと言うことか」
「そうだね。およそ、アレを持っていない人間は見かけられなかった。それが何を意味しているのかまでは分からないけど……彼と同じことを、他の一族の人間も行っていたとしたら」
「……問題だな。まあ、まだそこまで派手な動きはしていないだろうがな」
軽く肩を竦めつつ呟いた私の言葉に、初音と久我山は目を丸くする。
どうやら、私が断言したことが意外だったようだ。
まあ、断言と言うほどではないのだが。しかし、その可能性は非常に高いだろう。
「そこまで大きな動きがあれば、既に情報が入ってきているだろうからな。例のブレスレットを配るのが組織的な動きであるとするならば、今はまだ準備段階だ」
「より多く広めるためにどうすればいいか、経過を観察してるってことかい?」
「ああいうものを配る相手として、経験や知識が少なく、更に向上心が高く劣等感を煽りやすい学生は最適だろう。何しろ、序列にこだわらざるをえないからな」
そういう意味では、まず三組を相手にしたのは正解だと言えるだろう。
一組、二組に対する劣等感を持っている学生は多く、手軽に魔法の力を高められるアイテムは垂涎の品だ。
その上、彼らは一般家庭の出が多いために、魔法使い社会との繋がりそのものは薄い。
私たちとて、ルルハリルの力が無ければ、状況に近づくためにはもっと多くの時間が必要だっただろう。
「下から追い上げられれば、当然上にいた者たちは焦り始める。そして同じ方法に手を出し、気づけば爆発的に広まっていることだろう。そうなれば流石に周囲も異常に気づいていただろうが――」
そこまで考察して、沈黙する。
その段階まで行けば、確実に周囲に情報が漏れる。そして、魔法院も動き始めていた可能性が高い。
当然、そうなれば糾弾の的になるのは仙道家だ。
それが分からないはずもないだろうに、何故学校などと言う場所でこの活動を始めたのか。
確かに、例のブレスレットが広まる速度は他のどの場所よりも早いだろうが――
「……速度、か」
「仁? どうかしたの?」
「いや、少々気になったことがあってな……ひょっとしたら、あまり時間がないかもしれないぞ」
「灯藤君? どういうことだよ、それ?」
これがもしも、我々に気づかれることが前提となっている作戦だったとしたら。
広まる速度に重点を置き、とにかく多くの仲間を集めることが目的であったとしたら。
それはつまり――我々が敵に回り、その上で対処できる自信があるということを示している。
「仙道家で広まっているが、それを最初に始めた何者かが存在している筈だ。そしてそいつは、我々四大の一族と敵対することを視野に入れている」
「な……四大に喧嘩を売るつもりだって言うのかい?」
「そうでなければもっと慎重に、秘密裏に進めていただろうさ。学校では広まるスピードは速いだろうが、口を塞ぐことがどうしても難しい。必然、我らとの対決を視野に入れる必要が出てくる」
こちらの力を軽視した上での行動であればいいだろう。
だが、四大の一族の力を把握した上で敵対の道を選んでいるのであれば、警戒を怠るわけには行かない。
相手が古代兵装となれば、どれほどの力を有しているのかは想像することも難しいのだ。
「急ぎたいところだが……解析の結果が出ないことにはどうしようもないか」
「ま、まあ……流石に、向こうの予想よりもこっちの動きは早いんじゃないかな。ハリルちゃんの存在なんて想像もしてないだろうし」
「……それはまあ、そうだろうな」
あまり楽観視していられる状況ではないが、それでも望外の幸運ではあっただろう。
ルルハリルがいてくれなければ、今もなお状況に気づけていなかったかもしれないのだから。
ならば、今はこのアドバンテージを行かせるように動くほかあるまい。
既に後手、それもどれほど譲っているか分からない状況ではあるが、座して待つのは悪手と言う他ないだろう。
「久我山、ルルハリルには仙道家の監視を続けさせてくれ。何か動きがあったら知らせるようにと」
「それは構わないけど……ハリルちゃんの感性だと、何をもって異常事態と判断するかが微妙なんだけど」
「まあ、それは仕方あるまい。とりあえず、普段と異なる行動をしている人間がいたら話を聞き、その情報の中から判断してくれ」
「……了解。とりあえず、情報の取捨選択はやってみるよ」
ルルハリルのアドバンテージはやはり大きい。
異なる時間軸に存在する彼女の存在は、人間では感知することは不可能だ。安心して偵察を任せることが出来るだろう。
リスクはあったが、やはり使い魔としたことは正解だった。そう判断しつつ、私は初音に対して続けていた。
「初音は、凛にも話を通しておいてくれ。ただし、勝手に動かないようには釘を刺しておいてくれよ?」
「そこまで言わなくても凛さんなら軽挙はしないと思うけど……うん、分かった」
「後は、一組にもブレスレットが広まってきていないかどうかを観察しておいて欲しい」
「うん、それも見ておく。仙道さんについては?」
「今はマークしなくてもいい。こちらが警戒していることを察知されたら面倒だ」
どうにも仙道には目の敵にされている様子はあるが、それでもこちらの動きは把握されていないはずだ。
であるならば、こちらはできる限り秘密裏にことを進めておくべきだろう。
そうしておけば、いざと言う時に優位に立てる可能性が高くなる。
「慎重に、だが迅速に、か。一番難しいところだな……とにかく、やれるだけのことはやっておこう」
『お主の場合、いつもその状態のような気がするがの』
呆れの混じった千狐の言葉は黙殺し、私は二人と共に通学路を進む。
と――校門に差し掛かったちょうどそのとき、妙に切羽詰った声が私の耳に届いていた。
「なあ、頼む、頼むよ! 確かに机に置いたはずだっただ!」
「……言っただろう、宮園君。あれはとても貴重な品なんだ。無くしたからと言って、はいそうですかと新しいものを渡すわけには行かない」
聞こえてきたのは、話の渦中にいる人物の声。
校門のすぐ脇辺りで押し問答をしているのは、間違いなく仙道啓一だった。
その彼に詰め寄っているの宮園と呼ばれた少年は、私と同じ三組の生徒だ。
話を又聞きする限り、どうやら宮園は例のブレスレットを無くしてしまったようだったが――
『……リリ、盗み出したのは彼の家からか?』
『ん、その通り。入浴中に外していたのを取ってきた』
どうやら案の定、原因は私とリリにあったようだ。
必要なことではあったのだが、ああも焦っている姿を見かけると同情してしまう。
しかし表面上はおくびにも出さず、私はその姿を一瞥するに留めていた。
気になる状況ではあるのだが、変に手を出すわけには行かない。
「いいかい、僕は君たちの熱意を買って、指導を行っているんだ。だというのに、あれを無くしてしまうなんて、それは君自身の管理に問題があると思わないか?」
「それは……っ、けど、ちゃんと他の人間が触れないようにしていた! おかしいんだよ、俺が無くすはずがない!」
「だが事実として紛失してしまっている。そうだろう?」
これに関しては相手が悪いとしかいえないだろう。
ありとあらゆる魔法的セキュリティを潜り抜ける不定形生物を相手に、侵入を防ぐことは至難の業だ。
一般家庭である以上、リリを相手に対処できるはずがない。
気の毒ではあるのだが、仕方のないことだ。遅かれ早かれ、あのブレスレットは全て回収されるだろうしな。
胸中で軽く肩を竦めて、私は彼らの横を通り抜ける。
その際、一度視線を向け――その時、仙道と視線が合っていた。
「……!」
「――――」
その視線を受けて、私は抱いた驚愕を噛み殺す。
そこに含まれている複雑な感情は、かなり敵意の強いものだったからだ。
無論、私は彼に好かれているとは思っていないが――少なくとも、ああも強い敵意を抱くほどではなかったはずだ。
以前であれば、無視するか視線を逸らす程度だっただろう。だが、今の彼はああも強く感情を向けてきている。
それが何を意味するのかは、今は分からないが――
(……あまり、いい変化とは言えないな)
そのまま言葉を交わすことはなく、私たちはその場を歩き去る。
背後で聞こえる言い争いの声を聞きながら、私は静かに、変化しつつある状況を感じ取っていた。




