106:気づいているのは
学校の昼休み。以下に勉強熱心な学生達とは言えど、流石に昼食を抜いて活動する者は殆どいない。
体が資本である魔法使いたちにとっては、体調を崩すような行動は避けるのが基本だからだ。
そんな中、久我山は朝にコンビニで購入していた昼食を手に、ぶらぶらと人目につきづらい場所を目指して歩いていた。
「いやぁ、当主様に不満があるって訳じゃないんだけどね。さすがの僕も、カップルの横でもそもそとお昼食べるのは勘弁して欲しいと言うか」
『よく分からないです。わざわざ遠い場所まで移動するなんて、効率が悪い』
「その辺は人間の複雑な心の機微って奴だねぇ」
耳元で響いたルルハリルの言葉に苦笑しつつ、久我山はそう告げる。
普段は仁たちと行動を共にしている久我山であるが、昼食の時間に関してはその限りではない。
いや、正確に言えば、凛と詩織がいない状況下における昼食の時間に関してはその限りではないのだ。
「あの二人の仲がいいのは喜ばしいことなんだけどさぁ……ほら、それだと僕ってただの邪魔者でしょ?」
『別に、あの二人はお前を邪魔者扱いなどしてなかったと思います』
「それはそうなんだけどさ……うーん、何て説明すべきかな」
人間の心理に対する理解が薄いルルハリルに対し、久我山はしばし言葉を吟味する。
ルルハリルはかなり率直な性格をしている。数学的というべきか、インプットに対して即座にアウトプットを出すような性格をしているのだ。
その性質は生物的というよりも機械的であり、人間の複雑で曖昧な感情は理解しがたいものなのだろう。
「あの二人は優しいから僕を排斥するようなことはしない。だから、僕を邪魔者扱いすることもない。けど、あの二人は、二人きりで食事が出来た方が嬉しいのさ」
『ならばあの二人もそのように言えばいいでしょう』
「言っただろう、あの二人は優しいんだ。だから、そんなことは言えないし、一緒に食べると言えば僕を歓迎してくれるだろう。でも僕としても、仲のいい二人は邪魔したくないし、恋人のいない身としては仲のいい様子を見せつけられるのも辛い。ほら、別々に食事をしたほうが、お互いにとって幸せだろう?」
『ふむ。互いにとってのメリットがある選択ということですか』
あくまでも論理的に結論を出そうとするルルハリルの言葉に、久我山はそれでいいか、と苦笑しながら頷く。
複雑で曖昧な心理については、説明していたら日が暮れてしまうだろう。
話しているうちに追々理解できるようになるかもしれないと、久我山は若干の期待を込めつつ歩を進める。
だが、次にルルハリルから飛び出してきたのは、予想だにしない一言だった。
『つまり、お前も番いを見つければ解決するということですね』
「ぶっ!?」
『お前たちの仲間も増えるし、戦力の増強にもなる。そして食事時にわざわざ移動しなくてもいい。あらゆる点で利点がありますね。是非見つけましょう』
「いやいやいや、いいから、いいからね、変な気を回さなくて。そもそも適当な相手を見つけられても灯藤君だって困るから!」
『む……確かに、高い戦闘力や特異能力がない相手では役に立ちませんか』
人間を数字で判断しているかのような発言については若干の不満を感じつつも、すぐさま妙な行動には移らないだろうと判断し、久我山は安堵の吐息を零す。
使い魔に変な気遣いをされていることについては若干複雑な思いがあったが、一旦それは棚に置いて、久我山は改めて校舎の裏側にあるベンチへと足を進めていた。
比較的距離があるためか、昼休みにわざわざそこまで出てくる人間はそれほどいない。
あの場ならば静かに食事が出来るだろうと、久我山は校舎に沿って角を曲がっていた。
と――
「――余計なお世話だっての!」
「でも……!」
ふと耳に届いた声に、久我山は足を止める。
胸中に浮かぶのは困惑だ。人目の無い場所を探して移動していたというのに、その目的地に人の姿があるとは思っていなかったのである。
だが、それ以上に――今の声に、聞き覚えがあったためだ。
久我山は訝しげに眉根を寄せつつ、角から校舎の後ろ側を覗き込む。
普段は人が通ることも無いその場所には、今は二人の少女の姿があった。
「詩織ちゃん? もう一人は……」
クラスメイトであり、久我山にとっては数少ない『親しい』友人。羽々音詩織の姿がそこにはあった。
そして、そんな彼女と揉めている様子なのは、同じくクラスメイトの少女。
特にこれといった特徴の無い、三組の中では平均的な成績の学生だ。
だが、普段ならば気にも留めないようなその少女の名を、久我山は把握していた。
「確か……新田、亜由美だったかな。例のブレスレットを受け取った連中の一人」
彼女は、先日詩織に対して声をかけていたクラスメイトだった。
相変わらずその腕にはブレスレットが嵌められており、彼女が今も仙道の主催する集まりに参加していることが窺えるだろう。
それに関しては、久我山も疑問視はしていない。徐々に参加者を増してきている集まりであるが、そこから出て行く者は今の所全くいないという状態なのだ。
学生の集まりとしては少々異様に感じられるが、実際に効果が出ている以上はまだ理解できる領域だろう。
久我山が訝しんでいたのは、何故そんな彼女に対し、詩織が食って掛かっているのかということだ。
「お願い、話を聞いてってば! それは本当に危ないもので……!」
「何が危ないってのよ、この通り、別になんとも無いじゃない! アンタ、私に抜かされるのが嫌で、適当なこと言ってるんでしょ!?」
「適当なんかじゃないよ! 無理やり魔法の威力を上げるような道具なんて、本当に危ないんだってば!」
「じゃ証拠は!? アンタは何を根拠にそんなこと言ってるのよ!?」
「それは……!」
強い剣幕の言葉に、詩織は怯んだように口ごもる。
色々と気になる場面ではあったが――
(詩織ちゃんには世話になってるしね。見て見ぬ振りは出来ないか)
そう胸中で呟いて、久我山は後者の影から姿を晒していた。
特に身を隠そうともせず、彼はそのまま二人のほうへと近寄って行く。
そのおかげか、更なる剣幕で詩織を罵倒しようとしていた亜由美は、久我山の姿を目にした途端に分かりやすく顔を顰めていた。
「ちっ、灯藤の……! 何よアンタ、結局あの連中の仲間だったってこと?」
「え? な、仲間ってどういうこと?」
「しらばっくれんじゃないわよ! ちっ……もういいわ、アンタと話すことなんか無い」
「ま、待って――」
静止しようと手を伸ばす詩織。だが、亜由美はその手を振り払い、久我山から遠ざかるように踵を返して立ち去っていた。
詩織はその背を追いかけようとするかのように手を伸ばすが、躊躇したように踏み止まり、持ち上げていた腕を力なく落とす。
そんな気落ちした彼女の背中に、久我山は少し躊躇いがちに声をかけていた。
「ごめん、間が悪かったかな、詩織ちゃん」
「久我山君……ううん、そんなこと無いよ。私じゃ、説得できそうになかったし……」
「説得、か。ちょっと、話をしようか」
そう告げて、久我山は隣にあったベンチを示す。
その言葉に対して詩織は首肯しながら同意し、二人は校舎の影になっているベンチに並ぶように腰を下ろしていた。
昼食を広げる予定ではあったのだが、生憎と食事が出来るような状況ではない。
久我山は内心で軽く嘆息しつつ、再び詩織に対して声をかけていた。
「それで……さっきのは、何があったんだい?」
「あ、えっと……あの、新田さんのことなんだけどね。彼女、一組の人がやってる魔法の指導に出てるんだ」
「最近噂になってるね。けど、詩織ちゃんは反対ってことかな」
「……うん。あんなの、やっぱり危ないよ。あんな風に、魔法を強化する道具なんて」
俯き加減に、詩織はそう呟く。
だからこそ彼女は、久我山が驚いた表情で見下ろしていたことに気づかなかった。
詩織は、お世辞にも魔法的知識が豊富であるとは言えない。
魔力に関しては豊富であるという判定を受けているのだが、何故か一度に扱える魔力量が少なく、成績もそれほど高くはないのだ。
だからこそ、久我山には意外だった。あのブレスレットが、持ち主に悪影響を与える可能性があると詩織が理解していたことが。
「よく知ってたね、詩織ちゃん。ああいう道具は、一応ある程度種類があるんだけど」
「え? あ、う、うん……え、えーと、お、お母さんに教えてもらったから」
「……そっか」
逆に怪しんでくれと言わんばかりの慌てぶりを見せている詩織に、久我山はただ小さく頷いて返していた。
内心では呆れを交えた苦笑を零していたが、久我山自身もあまり踏み込んでほしくない事情を有する者だ。
あえて踏み込む必要が無いのならば、掘り返さないでおいた方が賢明だろうと判断し、それ以上の追及は口にしなかった。
「まあとにかく……詩織ちゃんとしては、彼女にあのブレスレットを使ってほしくない訳だ」
「う、うん……今はまだ大丈夫かもしれないけど、その内大変なことになるんじゃないかなって、そう思えちゃって……」
「大変なこと、か」
まるで、この先に何かが起こることを予期しているかのような、そんな言葉。
何かの異常が発生していることは間違いなく事実だろう。
だが、それにいち早く気づいているのが詩織であるという事実に、久我山は困惑していた。
久我山も、詩織は昔から妙に目端が利くとは考えていた。だが、このタイミングで仁よりも先に行動しているのは予想外だったのだ。
「……詩織ちゃん。君が危惧しているのと同じ件で、今僕達も動いている。これは内緒だよ?」
「え? 久我山君がってことは……もしかして、灯藤君も?」
「ま、そういうことだね。だから多少は安心してほしい……それと、あんまり無茶な行動はしないでほしい」
「無茶って……さっきのは無茶って程じゃ――」
「集団化した人間の心理ってのは結構怖いからね。ああいうのの相手は灯藤君に任せておいた方がいいよ。君に危険が及ぶと、水城さんも火之崎さんも黙っちゃいないだろうし」
学年で最高位の力を持つ二人を怒らせたとなれば、恐らくただでは済まないだろう。
現状はまだ調査段階、話をあまり大きくするべきではない。そう判断して、久我山は詩織にそう告げていた。
「君は部外者だし、調査段階を教えることは流石に出来ない。でも、この状況を静観するつもりは無いってことだけは把握しておいてほしいんだ」
「……うん、ありがとう、久我山君」
「ほら、僕はただ独り言を言ってただけってことで。まあそれはそれとして、何か気づいたんなら、教えて貰えると助かるよ」
「……うん」
何か思い悩むように、詩織は俯き加減に首肯する。
その様子を見つめ、久我山は誤魔化しきれない困惑を感じていた。
(やっぱり、何かを知っている? けど、詩織ちゃんに四大以上の情報網があるとは思えないんだけど……)
詩織にも、何らかの秘密がある。
それも、友人想いな彼女が思い悩むほどに重要な秘密が。
けれど、今の状況でそれを問い詰めることは出来ないと、久我山は小さく嘆息する。
(隠しているのには、それ相応の理由があるんだろうし……僕らだけで何とか出来るなら、するべきだ。これでも、四大の一族に名を連ねた訳だしね)
けれど、もしも必要になったならば――その考えを振り払うように首を振り、久我山はようやく昼食を広げ始めたのだった。




