102:次元の獣
「僕に……禁獣の使い魔?」
「仁、それは流石に……」
困惑した様子の久我山と、難色を示している初音。
まあ、無理はないだろう。禁獣はそもそも高い危険性を持つ生物であり、それを使い魔にしているのはかなりのレアケースだ。
禁獣と使い魔の契約を交わしている人間は本当にごく僅かであり、その存在価値と危険性は計り知れない。
私についても、『八咫烏』に所属する原因の一つとなっているのだ。安易に行えることではない。
「初音は、そんな強力なものを後ろ盾の少ない久我山が持つことに不安を感じているんだろう? 外から何かしらの干渉を受けないか、と」
「それは、そうだね。確かに久我山君も四大の一族の末席に名を連ねたわけだけど、灯藤家だけじゃ後ろ盾にはまだまだ心もとないよ」
「強い使い魔ってのは確かに魅力だけど、それで変に付け狙われるのはちょっとね」
「分かってるさ」
無論、その辺りのリスクが存在していることなど織り込み済みだ。
私自身、リリと言う強力な使い魔を有しているのだ。そこにどれだけのリスクがあるのかは十分教え込まれている。
リリを大々的に使い魔として用いることはせず、こうして一介の使用人のように動かしているのも対策の一つだ。
一応、魔法院には届け出ているため、こそこそしなければならないという訳ではないのだが――リスクを考えれば、こうするのが妥当なのだ。
まあ何にせよ、禁獣を使い間にするにはそれ相応の対策が必要だ。そして、それに関しても既に考慮済みなのである。
「無論、最初から久我山に使い魔として渡すわけではない。始めは私が契約し、久我山がある程度の実績を得た後にそちらへ譲渡するつもりだ。隠密性も高い禁獣だし、隠すことも難しくはないからな」
「へぇ……それってどんな禁獣なの?」
「それは実際に見せてからとしよう」
「へ?」
私の言葉に、久我山は目を見開いて硬直する。
しかしそれに対する言葉を発する前に、私の考えを見抜いたリリが、再び己の腹部へと手を突っ込んでいた。
ぐちゅぐちゅと探るように手を動かしているその姿は、一見するとおぞましい光景にしか見えないのだが、当のリリの表情は棚の中でも漁っているようなものだ。
その異様な光景は、先ほどよりも長く続く。どうやら、随分遠くにしまい込んでしまったらしい。
……私が言うのもなんだが、彼女も可哀想に。
「ん、あった」
「……随分と念入りに封印していたようだが、生きているのか?」
「それは大丈夫。死なないようにはしてある。そもそも、アレは死なないから何しても大丈夫だけど」
それは果たして、本当に『生きている』と言える状態なのかどうかは気になったが、まあ使えない状態と言うことはないだろう。
リリが己の腹の中から取り出したのは、黒光りする球体だった。
テーブルの上に置かれたそれに、久我山はおっかなびっくりとした様子で視線を送る。
「ええと……これが禁獣?」
「いや、これは禁獣の封印だ。面倒な相手だったんでな、こうして倒さずに封印で留めておいたんだ」
「倒せるのに、面倒な相手? 封印の方が面倒臭そうな気がするんだけど」
「まあ、本来ならな。面倒と言うのは、殺した後のことだ。後々への影響を考えると、封印しておくのがベストと言う結論に至ったんだよ。ま、今はもう首輪を嵌めてる状態だがな」
何しろ、こいつは殺しても元いた場所で即座に復活するのだ。
強さ自体もさることながら、能力が非常に厄介であり、対処することが難しい。
何とか捕らえることには成功したが、あんな綱渡りを二度三度と繰り返すのは御免だ。
そのため、こうして捕らえた状態のまま、首輪を嵌めることにしたのである。
「リリ、この檻を開けてやってくれ。逃げられないようにはしてあるな?」
「ん、問題ない」
私の言葉に頷き、リリはぱちんと指を弾く。
その途端、黒い球体はまるでシャボン玉がはじけるように開き――その瞬間、テーブルの上にはその禁獣の姿が現れていた。
姿かたちは、四足歩行の動物。大きさは大型犬ほどだろう。だが、その体は鱗状の表皮に覆われ、体毛などは一切存在していない。
青みのかかった体表は手足のみは滑らかで、どうにはまるで鎧のような鱗が張り付いている。
次に目立つのは、異様に長い尻尾と舌。全て真っ直ぐに伸ばせば3メートルには達しようかと言うその姿は、一目で通常の動物ではないことが知れるだろう。
そしてその首には、見覚えのある光沢をした黒い首輪が嵌められていた。
「こいつは……!?」
「種族の名前は、確かティンダロスの猟犬だったか。久しいな、私のことを覚えているか?」
『……忘れるわけがないです。僕を捕らえた人間。相変わらずそんな化け物を飼ってるんですか』
ティンダロスの猟犬は、私の言葉にそう答える。
どこか、リリのそれにも似た少女の声音。だが、リリよりもかなり感情的な声だ。
そんな猟犬の返答に、私は思わず目を見開いていた。
「む、私たちの言葉を話せるようになったのか」
「わたしが教えた。わたしの分体を一つ混ぜ込んでみたらわたしの眷属になった感じ」
『ああ、最悪。この化け物め。奉仕種族の癖に、そんな力を持ってるなんて』
「ふん、奉仕種族を侮る独立種族なんてそんなもの。もう私の言葉には逆らえない」
成程、どうやら中々にえげつない方法で支配下に置いたらしい。
殆ど肉体改造を受けたようなものだが、その状態ではリリや私に危害を加えることは不可能だろう。
多少同情はするが、そこは私に襲い掛かってきた代償と思って諦めて貰いたい。
「さて、では改めてだが……こいつはティンダロスの猟犬。以前、私が精霊魔法の訓練をしていた時に襲い掛かってきた禁獣だ」
「聞いたことのない名前だけど……」
「そもそも、人間が遭遇すること自体が稀だからな。こいつは時空間に潜む禁獣で、空間を跳躍して出現する。狙った獲物に執念深く襲い掛かる性質を持ち、こいつから逃れることは至難の技と言えるだろう」
「へぇ、それで猟犬か……なんか、能力を聞いた感じ、かなり上位の禁獣に思えるけど」
「まあ、しっかりとした自意識も有しているし、分類すれば間違いなく一級の禁獣だろうな」
直接攻撃の能力はそこまで高い訳ではないのだが、何よりもその空間跳躍能力が厄介だ。
ある条件を満たさなければ使えない能力ではあるのだが、その条件自体がかなり緩い。
その能力を封じることはほぼ不可能であり、そして通常の戦闘能力に関しても、人間の基準で言えば非常に高い。
能力を含めての裁定ではあるが、一級の禁獣として遜色ない力を秘めているだろう。
「さて、ティンダロスの猟犬よ。今回お前を解放したのは、一つお前にやって貰いたいことがあるからだ」
『よく言います。どうせ拒否権は無いんでしょう?』
「確かに、意にそぐわぬ命令であろうと従わせることは出来るがな。だが、まずは話を聞いてみるといい。もしかしたら気に入るかも知れんぞ?」
『……まあいいです。言ってみて下さい』
テーブルの上の猟犬は、嘆息の混じった調子の声を上げると、そのまま体を丸めて座り込む。
一応は話を聞いてみる気にはなったようだ。
以前は問答無用で襲い掛かってきたのだが、リリはどうやら随分しっかりとした『躾』を行ったようだな。
「私がお前にやらせたいと思うのは、彼の使い魔だ」
『使い魔? この僕が、人間如きの?』
「あ?」
『……凄まないでくださいよ。僕からすれば、何故貴方ほどのショゴスが人間に従ってるのかが疑問なんですから』
「その人間に敗れた者の台詞ではないな」
『それは……お前は、そのショゴスの力を使っていたからです』
「あの時、私は殆どリリの力は借りていなかったぞ。同様に、精霊の力もだ。人間、そう舐めた物ではないだろう?」
『……』
私の言葉に、猟犬はしばし沈黙する。
そしてその後、少しだけ顔を持ち上げると、私の姿を睥睨するようにしながら声を上げた。
『確かに、興味深い事象ではあります。お前たち人間は、種として非常に脆弱……にもかかわらず、そうして強い力を持つ個体もいる』
「独立種族は存在し始めた時点で完成している種族が多い。元が不完全であるからこそ成長の余地がある、そのことを分かっていない」
『確かに、僕達には名前以外に存在を識別する差はない。そして成長という概念があるなら、僕達を凌駕する可能性もあるということですか……僕を倒し得たのはそれが理由であると、お前はそう言うのですね?』
「禁獣の基準は良く分からんが、私は確かに修練を積み重ねて今の力を得た。お前を倒せたのは、間違いなく修練の成果だ」
私がそう告げると、猟犬は小さく首肯する。
どうやら、多少は考えることがあったらしい。
『事実は事実。お前たちが僕たちを超えうる存在であることは理解し、それ相応の敬意は払いましょう。けれど、そこの人間はお前ほどの力はない。従うに値する存在には思えません』
「ふむ。上位に立つならば、それ相応の力を有していなければならないと言うのがお前の理論か?」
『当然でしょう? より強いものが上位に存在するのは当たり前のことです』
「ならば、私とリリはどうなる? 実際のところ、リリは私よりも強いぞ?」
『それは……理解不能です。ショゴス、何故お前はこの人間に従う?』
どうにも、ティンダロスの猟犬は、主従関係というものを数字的に捉えているらしい。
考え方がかなり機械的というか、或いは動物的というべきか。
そんな猟犬の疑問に対して、リリは胸を張って返答していた。
「わたしはご主人様に従うのが存在意義。尊敬すべき主人の下に仕えることこそが本懐」
『……理解不能。その考え方は理解できない』
「ならば、実際に体験してみれば、見えてくるものもあるのではないか? それに、ずっとリリに封印され続けるのも飽きただろう」
『……いい加減、体を弄繰り回されるのにもうんざりです。疑問への思索も含めて、お前の提案に乗りましょう』
「よし、ならばいいだろう。さて、話はついたぞ、久我山」
ティンダロスの猟犬との交渉に成功し、私は久我山に声をかける。
だが、話を聞いていた初音と久我山の二人は、どちらも呆然とした表情で私たちのことを見つめていた。
まあ、今のは色々と異次元な会話だったか。
あらかじめ話をつけておくべきだったかと後悔している内に、久我山は乾いた笑みを零しながら声を上げる。
「いやぁ……僕の存在そっちのけだったね。けど、なんで僕にその禁獣を?」
「ん? ああ、こいつの能力が、お前と相性がいいと思ってな。久我山、ちょっとこの部屋の中に糸を張り巡らせてみてくれ。いくつか、糸が交差するようにしながらな」
「糸を交差させる? うーん、まあいいけど……」
釈然としない様子ながらも、久我山は部屋に糸を張り巡らせる。
相変わらず微弱すぎて判別の難しい魔力ではあるが、その瞬間、ティンダロスの猟犬は部屋の中を見回して、僅かに楽しそうな感情の混じる声を上げていた。
『ほう、これが相性がいいと発言した理由ですか。どれどれ?』
そう口にすると、猟犬はおもむろに立ち上がり、近くにあった糸の交点へと向けて跳躍する。
その瞬間――猟犬の持つ大型犬ほどもあるような体躯が、吸い込まれるように消失していた。
突如として起こったその現象に、糸を張っていた久我山自身が驚いた様子で声を上げる。
「うわっ!? どうなってるのこれ!?」
「ティンダロスの猟犬は時空間に潜む獣だ。そして、彼らが異次元の空間とこの現実の空間を行き来する際には、鋭角を入り口として使用するんだ。つまり、角度のある空間ならば、ティンダロスの猟犬は密閉された場所であろうとも入り込むことが出来る」
『つまり、お前がこうやって空間上に角度を作り上げられるならば、僕はお前の望んだ場所から姿を現すことができるということです。確かに、これならば狩りの効率も上がりますね』
再び別の交点から上半身だけを出現させ、ティンダロスの猟犬はどこか愉快そうにそう声を上げる。
こいつを潜ませておいて、久我山が空間に角度を作り出し、死角から強襲する。
中々にえげつない攻撃方法であると言えるだろう。
正直なところ、私でも対処しきれるかどうかが分からないレベルだ。
『いいでしょう、多少は興味も湧きました。僕の名はルルハリル、お前たちの思惑に協力しましょう』
だが何はともあれ、ティンダロスの猟犬――ルルハリルは、この提案に興味を示したらしい。
色々と厄介な相手ではあるが、同意さえ得られれば契約を結ぶことも可能だろう。
とりあえず思惑通りに行きそうなことに安堵しつつ、私は脳裏で契約における条件の洗い出しを行っていたのだった。




