極悪人、武田翔平の述懐‐心を壊す愉悦、快楽、有意義性
極悪人だけの話だと、アレなので
取って付けたように極善人、コミカル描写と美少女
最低限、公序陵辱のバランスを保つ感じにしました
簡潔に言うと、俺は散々、他人の心をぶっ壊して、ズタズタに裂き、分裂させてきた。
後悔は一切無い。
だが、反省はしている。
なぜって?
反省は、俺の、他ならない自分の糧になるからだ。
「おしっこ、もらしちゃったよぉっー!」
そして、それを踏まえて。
別に贖罪しきったとか、でないが、
俺は俺が、殺人者などと思ったことは、一度も無い。
俺は人を殺したか? 否、殺していない。
別に殺してないのだ、実際に殺してはいない。
そこまで酷いことは、流石にできないからだ、俺にも良心や善良さはあるのだ。
「翔平、聞いてるの? ちょっと、ねえぇ?」
だから、相手の精神をぶっ壊す程度だ、それくらい。
そうすれば、相手は自殺する、自殺しなくても人生が終わる、あるいは時期に死ぬのは知っている。
だが、俺が殺さなくても、そんな奴は自然と死ぬ、別のなにかで殺されるのを、俺は知っている。
だから、別に俺は直接的な犯人じゃない。
そう思っているから、俺に罪の意識は皆無、殺人者の自覚も皆無なのだ。
「ちょ、わたし動けないんだけどっ。
翔平が、わたしのオシッコ処理しないで、誰が処理するのよぉっ//」
「っ、、うるせえぇええええええええ!!!!!!! 武田流柔術発動させんぞゴラァア嗚呼!!」
例えば、誰かがクシャミをし、それが原因で地球の裏側で台風が起こった。
それを科学的に、確実に検証されて、全うに罪悪感に駆られるだろうか?
答えは駆られないだ。
だが、それは心の糧にはなるのだ、俺が実体験して証明だ。
反省するが、罪の自覚が真には無い。
罪の意識が沸かないのだから、贖罪の為に具体的な行動をしないですむ。
ただただ、心の糧を得ただけの、それはプラスでしかない。
普通に考えて、世界に迷惑を掛けたらしい→だったら、もっと活き活きと生きるか、
その程度、そう思うだけだ。
「うぅ、翔平っ、ぐす、おしっこぅ、がぁっ」
さて、冗長に説明したが。
そこに”確実な”因果関係が無ければ、人は罪悪感を抱かないのだ。
「わたし、もうまともに歩けないんだよ。
ありがとうね、もう翔平以外、誰もわたしにはいないんだよぉ」
俺は殺人者でないが。
俺は俺が、生粋の極悪人だと、客観的には自覚的だ。
主観的には、別に、だ。
そんな事には興味も関心も、何も無い、至極どうでもいい。
俺はただ機会主義者のように、チャンスがあれば、平気でどんな事でもして、
己にプラスになる事なら、何でも出来る。
そういう行動力が、己に確実にあり、厳密に行使するってだけの話だ。
「はすはすぅ! 翔平すき! 翔平好き!」
ここまで読めば、俺を愚者や、馬鹿だと思う奴がいるだろ?
だが間違いだ、俺はそこら辺の奴らとは、比べられないほど、純粋に頭が良い。
東大主席とか、馬鹿にできる位には、薄汚い知略智謀や、実際的な、現実における力や強さがある。
「なにしてるの? お仕事?」
さて、もっと俺について説明すると、だ。
俺の特技は、毒舌だ。
対面する相手に、どういう罵詈雑言並べれば、死ぬか、簡単に分かる。
心の弱そうな奴を見つければ、篭絡し、略取し、用済みになれば、最後の楽しみに殺す。
「わたしにも、見せてよ」
もちろん、虐待の対象は厳選するがな、馬鹿はここら辺で間違える。
一見弱者に見えても、安心は出来ない。
どんな人間でも、強力な凶器を使えば、どんな強靭な人間でも殺せるんだからな。
要は、意志力の無さと、どれだけ意志力が制限される状況、環境に身を置いているかを見るのだ。
よくよく見れば、圧倒的な強者も、簡単に篭絡できる、そんな美味しいシチュエイションも度々でなくある。
「どれどれ、うひゃぁ! つまらなぁ! うわイテデェ!」
さて。
俺の、この凶器で狂気。
生身の人間を、どれだけ殺してきたか、分かるか?
たぶん、予想の百倍以上、むごたらしく、残酷に、冷酷に、行使してるぜ?
無軌道の使ってたら、とっくに俺の方が殺されてるから。
俺の有能性と強さ、優越性が、俺の生存によって証明されている可能性があるな。
そんな力ある人間の言葉だ。
よく聞け。
俺は、そこら辺の小物、馬鹿な敵役とは比べ物にならない、本物を持っているんだからな。
「うぅ、わたしもう、虚弱体質なのに、優しくしてよぉ」
吐く台詞が、臓腑に響くだろ?
「ねえねえ、翔平ー、おなか減った、プリン買ってきてぇ~」
俺の犯罪履歴でも語るか、それがいい。
一番はじめに、最も楽しかったのは、女を甚振り、殺すことだな。
いや、子供を殺すのも、一番レベルで楽しいな。
効果的な発散の仕方は、大まかに女で子供だな。
具体的に、殺り方を書こうと思う。
「ありがとうー、翔平、あーん、だよぉー」
多くの人が勘違いしてるが。
殺すことは、楽をさせることだ。
薄々感づいている奴は多いが、死は救いだ。
生きる事が、地獄だ。
と思うが、大方の人間は、知らないで生きてるだろうな、そして逝く寸前で知る事になる。
俺の拷問を受ければ、そういう寸前に、すぐさま直行させられる。
「アアアアアあああああああああああああ!!! 食べすぎだぁ! そっちは容器だよぉ!返してぇえええ!」
ああ、やっぱりやめよう。
日常生活で、凡人にこんな事はできんだろうからな。
罵詈雑言系、捕まらない程度の、グレーゾーンの悪事を書こうか。
「おやすみ、もう、最近、早く眠くて、疲れちゃう」
俺はイケメンなんだが。
割と表面的には、それなりに優しい振る舞いを演じれる。
だから、女には困らないし、仲良くなる事だってできる。
一番いいのは、避けられないことだが。
近寄れれば、まあオーケーなんだな。
まあ目つきが多少悪いので、そういうのを気にしない獲物なのが条件だが。
「。。。。。。。。。。」
罵詈雑言講座だ。
眼をつけるのは、相手の劣等感、羞恥心、嫉妬の在りかだ。
それは相手の弱点だ。
コンプレックスとも言えるな。
それを執拗に攻撃し、つまりは抉るってことだ。
《翔平さんへ》
じゃあまず、その弱点を見つけて、えぐって殺したエピソードを語ることで、講座としよう。
どうせだから、俺のことを先生って呼んでも構わない。
実際俺は、リアルでは普通に先生をやっている事だしな。
《この手紙を見る頃には、わたしは死んでいるでしょう》
学校に居ると、まあ多少の個人差はあるとはいえ、
だいたい餓鬼は、弱い。
簡単に殺せるが、殺し我意のある奴は、限られる。
どうでもいい糞を殺しても、言うまでも無く無意味だ。
殺す奴の選定基準は、まあパッと見だ。
純粋そう、純真無垢、清楚、可憐、美しい、などなど、神聖な感じが一番だな。
《はい、つまりは死体です、天国はあったかなぁ??》
学生という人間に共通する弱点は、一概にいえないが、あるにはある。
子どもは、悩みや弱点が多すぎる、きらいがあるが、これは傾向として見ていい。
ようは「自分が自分である自覚」だ。
不安定な己を保つための、柱だな。
例えば、学校での立場、家での自分とか、その本人を本人たらしめる色々だ。
これを人質にとって、最後はばらして殺せば良い、それだけだ。
《翔平さんには、感謝しています》
他にも、部活少女なんかは、体をぶっ壊してやったり。
ピアノとか技能系は、一生の後遺症を残すほど痛めつけたり、
そいつが自分にしかできないと、思い込んでたこと。
自分を自分と認識するために、必要な記号、要素を、破壊してやれば良い。
《どれだけ強がっても、所詮は小娘、死ぬのは怖くてどうしようもない現実でした》
まあ俺は、極悪人。
今まで散々、俺のせいでぶっ壊されて、不幸になった人間が山ほどいる。
それで未来が変革されてきた。
拡大解釈もして、沢山の幸福が連鎖してふいになった、としよう。
多分、ちょっとした小国なら滅ぶくらいだな、
そして世界の一部くらいは、溝に沈むように無価値以下、マイナスの負の連鎖と、負の遺産を残したわけだ。
それが、俺という存在だ、俺が成した、偉大なる悪事だ、アウトローの鏡、だろぉ?
そういう歴史が、俺を俺たらしめる、アイデンティティ。
確固たる、俺の精神を強靭にたらしめるモノ、だ。
屍の群れ、女子供と、ついでに散々にフルぼっこにした騎士気取りや、普通に腐った大人達を糧とした、栄光なのだ。
《癌になって、余命を宣告されて、それでも、翔平さんのお陰で、幸せでした、ありがとう》
これを別に、善良とか良心の方向性で、一時は探して、馬鹿みたいに懊悩を重ねる時もあった、
まあ昔の事だ。
《おっと、ちいさな手紙で、もう書く事ないと、油断しましたね?》
おっと、あんまり罵詈雑言の仕方、語ってねえ。
この時期の餓鬼に最も刺さるのは、そうだな。
ハッキリと、「てめぇの代わりは幾らでも吐いて捨てるほどいる」、系統の言葉だ。
実際そうだが、事実や現実をありのままに言われて、図星を突かれるのが、人間殺しの常套手段だ。
これは、単純に現実を直入に、突き付ける、それと同一という意味の言葉だぜ?。
《はい、ここからが本番です、さっきのは前戯です、なんちって、テヘペロ》
世間では大人が、厳しいのも優しさとか言ってるが、別にたいていの人間は、俺と同じような思考回路だ。
無論もちろん、俺ほど悪に染まってる奴は少数派だろうがな、どいつも中途半端な偽善糞野郎だ。
大人が「現実見ろ」、とか言うのは、要は、自分よりも可能性も見込みもある、瑞々しく活き活きとした若者を、
傷つけて足をひっぱて、脱落させて、己の競争相手にしたくねーからだ。
《ふえん、本当は、もっともっと、生きたかったよぉ、ふえん》
考えても見ろよ、今現在生きてるような腐った大人が、今の若者よりマトモに競争して、勝てるわけねーだろ?
大人ってのは子供の踏み台にされて、片落ちの今では腐ったような文化しか持ってねえ、
基本的に既得権益を振りかざさないと、なにもできない、役立たずの能無しゴミくずだからな、
なにかと綺麗ごとや建前並べ立ててくれるが、基本的に社会の害悪だ、弱者だ、ニートや生保と変わらねーよゴミが。
《でも私の冒険は、もう終わりみたいです》
脱線した、わりい。
こういうゴミ屑野郎どもに、過去さんざん足を引っ張られて、恨みもあるからな。
殺したいわぁー、マジでな。
《そんなトキに、翔平さんを見て、確かに、すき放題生きればよかったと、思わなくもないのです》
閑話休題。
例えば
「お前が死んでも、悲しむのは親だけだ、親すら心の底ではどうでもいい、むしろ金食い虫は死ねと思っている」
「お前は凡人で、平凡で、普通で、無価値・無意味な人間だ」
「お前みたいな平均点、及第点レベルの人間なら、腐るほどいる」
「現実を見ろ、何時までも逃避するな、社会の歯車になって、一端の大人になれ、社会人になれ、一皮向けろ」
「夢なんて抱くな、お前には絶対に無理だ、あきらめろ」
一杯あるな、腐るほど。
《でも、これで良かったのです》
もっと個人の性質に着目するのも、ありだな。
その人間が持ってる技能や特技、独自要素をあげつらうのも良い。
話が上手くて口が回るなら「黙ってればいいのに」とか「可笑しな言葉づかいだな」とか
「頭がおかしい奴だな」「普通じゃない」とか「口だけの奴だ」これも腐るほどある。
見た目に自信があれば「見た目だけの奴」「凡人とは違うよな」「見下してそう」腐るな。
大切な奴がいれば「身内にしか優しくない」「平等に扱わない」はいはい腐る腐る。
《だって、綺麗なまま翔平さんに会えたのですから》
まあ、こういう言葉を吐きまくれば、相手は死ぬ、こちらに許しを請うてくる、それだけだ。
屈服させて、支配して、陵辱と暴虐の限りを尽くせば良い、それがプラスなんだからな。
《そして、愛してもらって、幸せになって、それで死ねるのですから》
この辺りの台詞は、相手が不安定な馬鹿、低年齢層で、感受性が豊かで繊細な時だけって感じだがな。
まあそれだけあって、効果は抜群だ。
見た目は大丈夫でも、内心は確実に不安定になり、日常に影響するだろ。
過食や拒食になればしめたもの、そのまま一気に追い込んで、体調不良から、精神不調の黄金パターンだ。
《わたしの人生に、一片の悔いなし、なのです》
気丈に見えても大丈夫だ、追い込めば追い込むほど、眼に見えて隙が大きくなるからな。
特に、こういう時の強い気な奴を、篭絡させて、殺すまでの展開は神だな神。
こらえているよう様は、マジで見物だ。
あの為なら、俺は幾らでも罪を犯す自信がある。
俺は凡人とは違って、知るべき事や、知らないべき事を、知っているからな。
「・・・・・・・・・・・・みゃ」
まあそんな風に、フルぼっこにして、病んで精神が崩壊してから、脅迫だな。
確実に見た目、臓腑がボロボロで蝕んでいる、土気色までしろ、反撃されっかもしれないから。
最低限、再起不能までだな。
特に、理屈をこねて来る奴は、殺せ。
「貴方を警察に通報します」といった風に強気に出てきたら、もう手段を選ぶな。
そういう振る舞いは、余裕がある証拠だ、もっと痛めつけて、こちらが絶対的に上だと、思い知らせてやらなきゃな。
「うきゃあああああああああああ!!!おしっこ漏らしちゃったよぉおおおおおおおおお!!!」
って言ってるそばから、致命傷と見ていい案件が出てきた、ちょっと待ってろ。
「ふへえええええええええええぇんん~~~翔平いいいいいいいいいいいい!!!」
済ませてきた。
糞女がメンヘラ発狂しやがった、ちょっと殺してきたわ。
さて、こういう奴は駄目だ。
なぜなら、そうした追い詰められた自己を肯定し、弁護こね回して、打開しようとするからだ。
自分がどうしようもない、糞女だ、メス豚以下の、醜悪な存在だと、思い知らせてやらないとな。
そうさせないと、こちらも不安で仕方ないし、危機的な状態にあるからだ。
「はぁはぁ、、、いや、ちがうよぉ、興奮してないのぉ、、苦しいのぉぉ、、はぁはぁ」
いやいや冗談ではなく、こういう状況の中に置いた奴を放置すると、危険だ。
変に理解者に相談されたり、誰かと話して共感を得られたりして、強気になると、手に負えない。
手に負えなくなったら、殺すしかなくなる、楽しめなくなるってわけだ。
そいつの人としての人生を終わらせる前に、やりたい事があったから、生かしてるわけだしな。
それの前に終わるのは、しごく詰まらない可能性が高いってあるあるだろ?。
「ぅぅ、もうすぐ、わたしぃ、死ぬのかなぁぅえ、苦しいよぉお、たすけて、翔平」
まっとうな大人に対する弱点も語るか。
こいつらは、簡単じゃねえ。
餓鬼がどれだけ馬鹿で脆弱で、糞みたいな大人から保護しなきゃいけないか、マジで分かるわ。
だいたいなぁ、八割の奴が引っ張られる側の、いわゆる低所得者のゴミ屑れんちゅうって時点で、分かるだろ?
本当に、親子って制度は面白れえ、餓鬼を親が利用するのに、賛同するようなモンだろ、どうでもいいがな。
親は基本、くそ野郎だと知れ、弱い子供にとって、当てにならない上に、簡単に敵に回るし、害悪を加えてくる奴らって事だ。
「助けて、、、悪い子じゃないよぉ、、、わたしぃぃ、うぐ、ひっく」
さて、大人ってのは、人間関係と、性的なのが弱点だな。
たいていの奴は、大人になってからの、独り身を怖がる。
学生時代の比じゃねえ、成人以上の人間が、周囲から孤立とか、社会不適合者とイコールだ。
台詞的には、
「お前は屑だから、永遠に独り身だろうな」とか「お前みたいな奴を好かれない」
「石女」「不能」「童貞」「短小包茎」どうでもいい、腐った感じに好き放題、良いたいだけ言えば良い。
「翔平、、わたしの目を見て、こんな澄んだ眼をしてる人が、悪い人に見えるぅぅ、ふえ」
大人には、強烈な一撃は難しい。
日々ちょっとづつでも、積み重ねれば良い。
ねちねちと、直接的でも婉曲的でも良い。
そういうのも蓄積すれば、効果がある。
「ふえ、、ふえ、、あは、、あはっは、、、そうだよね、、馬鹿の眼だよね、、わたし、、、馬鹿だぁ」
あとは、くそ老人どもだが、もうどうでもいいだろ、勝手に死ぬだろ。
まあ、殺すがな。
この時期の奴は、死に花を汚されるのを一番嫌うな。
一番アルツハイマーとか統合失調症になり易い、簡単に馬鹿になる時期でもある、事をみりゃ分かるだろ?
「苦しい、、、くるしい、、、くるしいよぉ、、、」
ようは辛くなれば、簡単に精神的に死ぬ、あるいは自殺する。
死に花を既に用意してるなら、汚すような事を言えば良い。
つまり、そいつの人生を無意味にしてやればいい、無意義にする、見えるようにしてやればいいのだ。
「翔平、、、ずっと、手、握ってって、、、て、、くれるのぉ?」
俺俺詐欺に引っかかるのも、所詮は、そういうことだ。
自分の今までを、否定されることを常に恐れているから、馬鹿みたいに敏感に焦りやがる。
新世代に否定的なのも道理、型落ちの己に対する劣等感からだ、どうみても圧倒的に敗北だろうが馬鹿が。
所詮は闘争だからな、限られた価値の奪い合いだ、くだらねえ。
「あっありがとう、、、翔平と一緒なら、、、なんでかな、苦しんでるのも、、なんか、、楽しくなってきたよぉ、、うへぇ」
ただまあ、この年だ、多少知恵が回る奴もいる。
今まで積み重ねてない馬鹿は惰弱だが、そうじゃないなら、強情だ。
頑なに抵抗しやがる。
それなりの経験から、反抗の糸口も多い、伊達に積んでねえタイプだ。
こいつは、口だけじゃ無理なときは、弱ってる体の方とかを、実力で、
生半可な方法じゃなく、言葉ともに突けば、割と簡単に崩れることもある。
「うっ、うそじゃないよぉ、、ホントだよぉ」
台詞としては「お前はもう直に死ぬだろ」
俺の今、殺ってる奴は、
病院で知り合った、若い奴で、もう直、不治の病の、闘病生活で、
馬鹿みたいに苦しんだ挙句、そろそろ衰弱っぽい感じで、死ぬんだが。
毎日毎日、「”死”」を連想させるような言葉を、吐きまくっている。
んだが、効果があるのかしらねえ。
「翔平と一緒なら、本当に、なにもかも、楽しくなるんだよぉ?」
いつも笑ってやがる。
「わたしが死んでも、たぶん、翔平に、なにか、残せると思うから」
俺はそれが、酷くしゃくに障る。
今まで散々、そう散々だ。
いため付けて、やった。
癌になってからは、それほどじゃねぇーが。
マジでガチで、肉体的にも精神的にも、なにもかも、ぶっ壊してやったのは、他ならない、俺だ。
恨み言でも、一言でも吐きゃ良いモノを、根っこからチキン、気弱なんだろうが。
まあ馬鹿は良い、見ていて飽きない。
「だから、見て、苦しんでるわたしを、うへっへへ、堪能して良いよ、良いんだよ? 苦しんでるわたしをぉ、はふはぁ」
さて、こういう馬鹿、頭お花畑な奴は、あまり遠回り、
いやそれでも、逆に直接的な表現じゃ、簡単に変換される、、、よく分からない。
あいつを、絶対に死ぬ前に、絶望させ、俺を嫌悪し、拒絶の中で殺してやりたいんだが。
とかく、抽象的ではよろしくない。
人間の三大疾病、癌になる、なんて言っても、はいそうですか、で終わる。
「は、は、、は、、」
もう、体も満足に動かせないので、「寝たきり」「歩けなくなる」ぞってのも微妙だ。
アルツハイマー、脳障害、認知症、になるってのも、もう既にあの馬鹿はなっても同然で微妙だ。
排尿障害にはなってるし、お漏らしやろうだ、そこは突けば、羞恥で涙眼になるから、良いが、
最近は、それで興奮して喜んでいる節がある、倒錯して属性持ち、変態だと、こういう時に面倒だ、
動脈硬化、なってる。
脳梗塞、何時なるかしれねえ状態、むしろ、それ以上に癌の転移が致命的。
「あへ、、もらしちゃったよぉ」
はあ、だりい。
くそ爺なんてなぁ。
具体的な老化や喪失を指摘し、今は多少元気でも、病に伏して、
病気になった状態、そのイメージを淡々と延々と、想起させ思い込ませて、すり込み続ければ良い。
「くやしいよ、、おちぶれったっちゃよぉ」
だいたいの老人なんて、生きた屍だ。
現実を直視したら、耐えられない事実に苦しみ、簡単に死ぬだろ。
世界を見てみろ。
日本だけだろ? 保護されてるから、生きてるだけな連中だ。
はあ、もう、どうでもいい、何もかもどうでも、良くなってきたぁ。
「ふえ、、、もうだめだよ、、、しにたいよ」
あいつも、どうせ死を恐れているはずだ。
クック、死に際の顔が、今から見物だぜ。
人間は、どんな悟ったような面して、仙人や聖人善人の顔をしても、
「死」というモノをチラつかされた途端、豹変する、そんなのは、俺は誰よりも分かっている。
「ふえ、、、ふえ、、、泣かないでよ、、、翔平、、、」
あの女もそうだ、きっと、最後の最後で、俺の事を恨めしく見るはずなんだ、
そうじゃなきゃ、、可笑しいんだ。
俺の事を、どこか心の中、奥の奥で、絶対に拒絶しているのだ。
「辛くなるよ、、、笑ってよ、、、翔平」
人間は本当の最後で、化けの皮がはがれる、などと言うが、そうじゃない。
いまわの際でしか、本性を見せないだけだ。
「え? 好きだよ、、、当たり前じゃん、、なに言ってるの、、翔平」
癌になって、己の存在を否定されて。
やっと、諦めの境地に至ったか、最近の奴は、そこまで明るくない。
場数も段階を踏んだか、ようやくでって感じだ。
ようやくアイツも、自分の「死」を実感しだしたって、そういう事だ。
俺が拷問して、そういうのを教えれるのもいいが、
どうせ癌なら、その方が良い。
「まじで、、、もうすぐ死にそうな、、けんについて」
暴力的に教えるよりも、弱い刺激で、真綿で締め上げる方が、格段に苦しいと、俺なんかは知っている。
強力な刺激は、割と簡単に受容できるように、人間はできているのだ。
無論、受容の過程をすっ飛ばして、いつまでも諦観しないなら、俺が教えてやったがな。
そこに至らず、人生に絶望してない振りで、いつまでも偽善ぶった顔には、耐えられそうにねえ。
「つらいけど、、、生きるよ、、、翔平のために」
早く絶望しろ、人生に、世界に、人間に、心底からの諦めを見せて。
あの理想に甘く爛れた口で、俺は早く、あいつが諦めの表情で、諦めた台詞を吐くのが、今か今かと待ち遠しい。
今でも、のたうち回ったあげくに、癇癪で絶叫し、絶命するほど待ち望んでいる。
「そう、、よかった、翔平も、、わたしのために、生きて欲しいって、おもってくれるんだねぇ、、うん、がんばる」
そういう人間も、ごまんといるわけだ。
自覚して置けよ、理想主義者め。
てめぇーらみたいに、恵まれた奴の影で、どれだけの不幸な、切り捨てられた弱者。
恵まれない奴が存在するかを、自覚しろ。
「がんばるんだよぉぉー、、、」
突然、自分語りになるが。
俺には妹が居た。
かわいい、ただ可愛い、それしか表現の手法に限り無いが、そういう存在だ。
そいつは、ちょっとした病気で、入院した。
そして、死体にもならず、死んだという報告だけが、帰ってきた。
俺は納得できず、探偵やら何やらを雇い、事態を究明した。
判明した事実は、この世の地獄よりも最低最悪の、底辺の事実だった。
妹は、何ヶ月も犯されつくした挙句、ビデオにとられて、裏のアダルト業界で慰み者になり。
サイコ野郎共の人体実験で、脳みそを弄繰り回されて。
絶望の果てに、抗いあらがい、痛みの果てに、不幸のまま死んだ、逝ったのだ。
そんなのが、認められるか。
幸福で、満たされた世界、社会が、認められるか、我慢できるか、許せるものか。
「そうなんだ、、、そうだったんだ、もしかして、わたしに、いもうとを、重ねてた、とか?」
そのとき、俺は絶望に染まり、悪に染まり、黒になった。
「いいとおもうよ、べつに、翔平は、翔平のままで、わたしは、好きでいられるから」
断言できるが、俺は、理想を語るのが許せない、ただ単に嫌いだ。
今話した事を、実行された被害者として、まっとうに復讐する権利があると思っている。
そして、それを認めず、断罪するなら、勝手にしろ、ならばいい、戦争するだけだ。
どちらかが、破滅し、世界を巻き込み、どちらかの文化生命存在が完全消滅するまで、それを賭けて戦い続ける。
「でも、どうせなら、、、やっぱり、どちらかというと、、、」
それを、俺は現実で実行できるような人間ってだけだ。
はっはは……死んだ方が良いか? だろうよ、俺だって、俺が死んだ方が良い奴だと、そう思っているよ。。
「翔平には、優しくいてほしいな、、、まあ、、、むりなら、べつにいいのだけれど」
さて、このように現実には、
俺のような、真に絶望に染まり、お前のような奴を害する。
僅かほどの、欠片ほどの良心や善性も持ち合わせない人間が、現に存在するんだ。
それでもまだ、糞みたいな、俺を目の前にして、理想が吐けるか?
甘くて優しいだけの、そんな胸糞悪い善良や良心を見せ付けるつもりか?
「うん、そうだね、、、うん、でも、、、好き」
あいつはどう反応したかは、詳細には書かない、面倒臭いからだ。
俺が知ったのは、これだけだ。
絶望に染まった奴がいるなら、別に、希望とかに染まった奴がいるのも、なんら不思議ではない。
「しらなかったの? そんなことよりも、好き、っていうのは」
そういう事、絶対に相容れないが、認めがたいが、善のイデアとでも例えられようか、そう言う。
何もかもを浄化する、悪の極悪に、最後まで説法たれる女、というのが確かに存在するものなのだ、ということ。
あいつと、最後に話した会話の、印象に残ったところだ。
「世界の、その延長線上の己の、幸福と不幸の均衡が変わらない、確かにそういう価値観は大事です。
もしそうでないのなら、救いが無い世界、実際はそうなのですが、なってしまいます。
それでも、変わる努力に絶望しない為にも、そうでない視点も活用できることがあります。
もしチャンスがあっても、自ら捨てる、何事も得られない事の慰めになるのは分かります。
世界に絶望しているのなら、人間の可能性に真に絶望しているのなら、幸福の最大化なんて言わないです。
ただ現状を維持して、自分が保てれば、それでいいのですから。
でも、そういう人間ばかりでも、どうしようもない。
社会の歯車的な、汚れ仕事を引き受けてくれる人の処世術なのでしょうが。
それでも社会の上層にいる人間の、世界を成り立たせる要素としての、闘争の関係で相容れないでしょうが、あるのです」
あいつは、どっか財閥みたいな系統の、お嬢様だったな、どうでもいい、もう死んだ奴の事だ。
死体は陵辱限りを尽くして、ぐちゃぐちゃにしてやった、ざまあみろ。
《翔平さんへ
お願いです、私の死体は砂にして、宇宙に流してください》
三千万も掛かった。