1.9
「殺せないって、どう云うこと?」
早苗は尋ねた。
もしメリーの姿が視界に入っていたとすれば、早苗は飛びついていただろう。生を保証しようとする言葉に前のめりになるが、生憎とメリーは後ろにいた。事実から遠ざかる。
「それはね、きっと聞き間違いよ」
そう言い、メリーは首を振るう。
真実がどうであれ、メリーは認めてはいけない。
二人の契約は、生死を掛けた脅しに近い物だ。もしメリーが命を奪えないとすれば、早苗はメリーを追い出すことが出来る。関係の維持には黙秘が妥当だ。メリーは失言に顔を顰めた。
メリーにとって幸いなのは、表情が見られないことにあるだろう。メリーは早苗の後ろに居る。幾ら苦虫を噛み潰したような顔をしたところで、問題はない。
「聞き間違い、ね」
そう言われればそうと頷く他はなく、渋々と下がる。
せめて寝首をとられる恐怖を和らげられない物かと思う。そこにいるだけで安眠妨害と機能するのは頂けない。ストレスにより病院を訪れる羽目になるのは御免と、早苗は尋ねた。
「顔を見せない理由は、何かあるのかな」
一度として顔を拝めていない事実を聞くと、メリーは頷く。
「それくらいなら答えてあげる。顔を見せないのは、決して意味がないことではないの」
「それは、大事なこと?」
「そうね。都市伝説はメリーさんの声を聞き、振り向いたところで終わる。それが理由よ」
「つまり顔を見ることがトリガーになる?」
「そう。顔を見なければ早苗、貴方は死ぬことはない。目を塞いだままでいることは出来ないだろうし、これは教えてあげる」
「ありがとう。それだけで助かるよ」
目を開けて眠ることさえしなければ、睡眠をとっても問題はない。
どうやら安眠しても良いことを知り、早苗は安堵する。
途端に眠気が襲う。時刻は夜八時を過ぎた程で、眠るにはまだ早い。しかし病院での生活が早苗に睡眠を欲させた。
「今日はもう、お風呂に入って寝ようか」
「お風呂? それは、何?」
そこで早苗は予期せぬ問いを向けられた。
何を言っているのかと睨むことが出来ず、早苗は宙を見つめた。メリーは弁解するように言う。
「いやお風呂は分かっているの。お湯に浸かることでしょう? 私が分からないのはね、お風呂の入り方よ」
「どう云うことかな。それは、お湯に浸かるだけだよ」
分かっているだろう。早苗は首を傾げた。
いったいメリーが何に悩むのか。
「違うのよ、早苗。私はね、物は分かっていてもやり方を知らない。箸の持ち方がどうであるかは知っていた。けれど持てなかったように、お風呂にもきっと入れないのよ」
「だからどうと言うのか。まさか手伝ってくれ、とは言わないよね」
「まさかよ。お風呂に入るのを手伝っては貰えない?」
「……それは、出来ないだろう。それをするには、この瞳にメリーを映す必要がある」
「目隠しをすれば良いわ」
「はらと布が捲れればお陀仏。それは御免だよ」
「きつく縛れば良いのよ。それか、そうね。アイマスクと云う物はどう?」
「どうしてもと言う?」
「どうしてもお願いしたい。――考えても見て? 早苗、お風呂の入り方が分からないゆえに、汚くて、臭いひとが置かれるのよ。それは視界に入れられない。片づけることさえ出来ないのよ」
「…………分かったよ」
アイマスクを買ってくる。寝る前にすることが一つ、増えた。




