1.14
「ねえ、早苗。どうして拗ねているのかしら?」
「何を言っているのか分からないよ。何処が拗ねている」
「ああ、向きになっているのね」
「だからね、君は何を根拠にそう言うのかな」
「認めないと言うのね。……お風呂から上がると良いわ。のぼせてしまう」
ちゃぷん、と湯が音を立てる。
それは手を上げる際に湯をかき分けた音だ。早苗が風呂から出ようとしたわけではなかった。
早苗は、とっくの昔に風呂を上がったメリーを追うことはない。
一人満喫するようにバスタブの中で足を延ばし、天井を見上げていた。時折前を向いたとき、天井をまた見上げるためと壁に頭を打ち付けていた。
そうして痛みのみが生まれる。天井を見ようとしたところで、前を向いたところで視界は黒く閉ざされたままだ。
向きになっている、とメリーは言う。
アイマスクを買うことに目を向けるあまり、用途を思いつかなかったこと。確かに事実だが、しかしそのことについて早苗は特に感じていない。
ただ疲れている。身体に押し寄せる疲労を湯は和らげる。緩衝剤のように作用する湯は更に暖かく、不安を忘れさせる。早苗はただ逃れるためにこうしていた。
落ち着けるのは、風呂の中と夢の中に限られるだろうことは、彼女には分かっていた。布団の中でのみ落ち着いたとき、果たして癒しは十分に足りるだろうか。メリーを恐ろしいと思う心は未だ残っており、同時に手におえない程に問題を抱えている。
足りないだろう。だから早苗は風呂にいる。
くつろぎを遮る様、声が掛かる。
廊下からメリーは尋ねた。
「早苗、生きている?」
「どうしたのか、藪から棒に」
「藪から棒に倒れたことを覚えているでしょう?」
「大丈夫だよ。いまは動けている」
「それは喜ばしいことね」
こうして心底喜ぶような声を上げるから、早苗はメリーを恐ろしいと思いきることが出来ない。
もしや本当に何もするつもりはないのだろうか。疑問を覚えてしまうのは、きっと無理のないことだろう。ついに未だに残っていると表現する程に小さな恐怖は、次第に弱まって行く。
恐怖が冷めていく。少女に恐れていることが何だか情けなくなり、早苗は嘆息をついた。
「……そろそろ出るよ」
「そう」
「その前にアイマスクを交換しておこうか」
「どうやって交換すればいいと思う?」
「何とかなるだろう。そうだね、背中に向けてアイマスクを差し出しておくよ」
と、早苗はアイマスクを外しながら言う。湯を吸ったそれを軽く絞り、後ろ手に持つ。
「鶴の恩返しの気分、かな」
「え?」
「見てはいけない物をいまならば見てしまえる。命が掛かっていなければきっと振り返っているよ」
「どうせ私がアイマスクを付けた後に見られるじゃない」
「ほら、素顔を見たいだろう?」
「……死にたくなった時に見ると良いわ」」




