ルミエスタ帰還
昼食を済ませ、部屋に戻る。
机の上に山積みになっている宿題。
そんなものには目もくれず、CABに飛び込む。
意識が戻ってから一週間。
僕はまだ一度もルミエスタにログインしていなかった。
どれだけこの日を待ち望んだか。
胸の高鳴りと共に、ゆっくりと蓋が閉まる。
人斬りイゾウ、満を持していざ参る! って感じ。
――始まりの丘――
降り立った場所は、始まりの丘。
ここで始まり、ここで終わった。
今では僕の、一番お気に入りの場所だ。
【おはようございます!】
【おはよう! やっと届いたよ!】
ログインしてすぐ通信が来た。相手は若葉さん。
【おお! おめでとうございます! どうですか? 久しぶりのルミエスタは】
【いいね! 最高だよ! 帰ってきた、って感じする】
そう、帰ってきたんだ。
僕はまた、ルミエスタに戻ってきた。
「人斬りイゾウ、再来ですね」
通信じゃない、背後から聞こえる若葉さんの声に振り返る。
あの日と同じ、僕が渡したバニーガールの格好で。
あの日と同じ、優しい笑みを浮かべて彼女は言う。
「おかえりなさい。イゾウさん」
「ああ、ただいま」
始まりの丘で、再び僕らは出会った。
「それにしても、まだその格好してるの?」
「違いますよ〜。これはイゾウさんがログインした瞬間に着替えたんです! あの日と同じ格好でお帰りなさいって言いたかったんですよ」
「今の私の装備はこれです!」
そう言って、若葉さんがくるりとその場で回る。
その一瞬で、彼女の服が手品の様に変わった。
頭に着いた狐の耳。
タイトで艶やかな、ピンクを基調とした着物。
グラディエーター・サンダルの様に、ふくらはぎまで網みこまれた、淡いピンク色の草履。
お尻の部分からは、大きくてもふもふした尻尾が揺れている。
「それ、『妖狐の着物』じゃないか。そんなレア装備良く手に入れたね」
――ふふん。と彼女は腰に手を当てて続ける。
「貰ったんです! 偽IZOを倒したご褒美と、君が目覚めたご祝儀って事で」
そうなんだ。梶田さんも中々粋な計らいをしてくれる。
「おー、良かったね。あ、そういえば――」
ふと思い出してインベントリを漁る。
もし忘れていなければ……。お、あったあった。
「おっ、それは伝説の『妖刀ムラマサ』じゃないですか! でも、何か雰囲気が違いますね」
「うんうん。これは前と違って、ログアウトさせる効果はない普通の武器なんだ。妖刀じゃない、ただのムラマサって所かな」
梶田さんに頼んで実装してもらったムラマサ。
ルミエスタにただ一つ、僕の専用武器だ。
ステータスは、そこらへんの武器よりは遥かに高い。
だけどそこまでべらぼうに強いわけでもないんだ。
ゲームバランスが崩れちゃうから、S級のレア武器と同じ位にして貰った。
「じゃあもう人斬りイゾウじゃないですね」
「ああ、普通のイゾウだよ。正直もうあれはやりたくないな、疲れるからさ。口に広がるスタピの味はもうトラウマだよ」
「ふふ、そんなイゾウさんの為に私は修行したんですよ! 聞いてください――」
そう言って、彼女は歌いだす。
両手を翼の様に広げて奏でる、甘く、優しい天使の調べ。
まるで全てを包み込む母の様に。
ゆりかごに揺られる赤子の様に。
全身の力が抜けていく。
気持ちいい。あれ、でも何か違わないかこれ――。
――さん、イゾウさん。
「イゾウさん! すっ、すいません! 間違えました」
完全に眠らされていたらしい。
やっぱり、何か違うと思ったんだよな。
「『天使の子守唄』使っちゃいました。まだ慣れてなくて」
恥ずかしそうに、頭に手を置いて彼女が笑う。
まぁ、気持ちいいから良しとしよう。
額を撫でる優しい手の運びと、柔らかいふとももの感触。
ふともも!?
「ごっ、ごめ――」
驚いて飛び起きようとした僕を、彼女が優しく制す。
「いいですよこのままで。気持ちいいじゃないですか」
「あ、じゃ、じゃあお言葉に甘えて……」
少し照れながらも、僕は彼女に身を任せる。
膝枕なんて何年ぶりだろうか。
子供の頃、母さんに耳かきをしてもらっていた時以来だ。
肌をくすぐる優しい風と、彼女の手の感触。
天国があるとすればこんな感じなんだろうか。
子守唄が無くても、眠ってしまいそうだった。
「熱いね〜、お二人さん。戻って来てさっそくいちゃいちゃとは。英雄色を好むとはよく言ったもんだぜ」
突然目の前に現れた一人の男。
あの日、カブファストの町で会ったプレイヤーだ。
「クレイジーさんじゃないですか。お久しぶりです、あの時はどうもありがとうございました」
「おっ? 俺の事覚えてくれてたのか! 嬉しいねぇ」
「そりゃあもう、あの場所は忘れたくても忘れられませんよ。その後の事も色々と話は聞きました」
偽IZOが現れた時、彼も手伝ってくれたって聞いた。
あの日も僕らを手伝ってくれたし、結構優しい人だ。
「そっかそっか。そうだ、良かったらフレンド登録してくれよ」
「いいですよ、是非お願いします」
システムを開き、フレンド承認ボタンを押す。
こうやってプレイヤーの輪が広がるのもMMOの醍醐味だ。
「サンキュー。あんまりイチャイチャしてるの、リョウマが見たら妬いちゃうんじゃないか? 若葉ちゃんをめぐってバトっちゃたりしてな」
笑いながら彼が言う。
そうか、リョウマが女性だってクレイジーさんは知らないのか。
「大丈夫ですよ、それはないと思います」
「それはどうかな、新イベント知ってるだろ?」
新イベント。公式で見た、確か『裏切りの館』だったかな。
「まだ行ってはないですけどね。公式でちらっと見ました」
「あれ、結構エグイらしいぞ」
少し真面目な顔で彼が言った。
「そうなんですか? クレイジーさんはもう行ったんですか?」
「いや、中には入ってないけどな。イベントフィールドはえらい雰囲気だぜ。ま、ぜいぜい気をつけることだ。あと敬語はやめてくれ、クレイジーって呼び捨てでいいよイゾウ」
「あ、うん。了解! じゃあ遠慮なく呼ばせてもらうよ」
「おう。じゃあまたな〜」
彼は手を振って、どこかに歩いていった。
「若葉さんを取り合うだなんて、僕らにあるわけないのにね」
「あ、う、うんうん! そうだよね! クレイジーさん、りょうこさんの事は知らないから」
「だね。イベント楽しみだなー。リョウマが来たら三人で行こう!」
「うん! 行こう行こう!」
彼女に話しかけた時。
少し不安そうな顔をしてた事に、僕は全く気付かなかった。
ただのんきに、イベントを楽しみにしていたんだ。