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その3 カウンターと柱時計

 通勤途中に小さな喫茶店がある。

「獣耳珈琲店」という看板が出ている。

 水曜日の夜と土曜日の昼、俺はこの店の扉を開ける。


 からんからんかららん。

 柔らかなドアベルの音が鳴る。


「いらっしゃいませ」

 ウェイターの青年は、いつも気持ちのいい笑顔だ。

 少し癖のある茶色の髪。気持ちのいい笑顔。いつまでも聞いていたい声。彼の額には、猫の耳がある。それから、しゅるんとしたしっぽ。「獣耳珈琲店」という店の名前の由来は、彼ではないかと思う。名前も知らない。年齢も、趣味も、どこに住んでいるのかも、何も知らない。でも、俺はいつも、彼の笑顔に癒やされている。

 マスターはふつうの人間のようだ。黒縁の眼鏡をかけた中年の男だ。

 店の名前のせいか、ここには獣耳をつけた客がよく来店する。そのほとんどは、作り物だとすぐにわかる。もちろん、客はそういう人ばかりではないし、そうでない人が入れないようなこともない。マスターは、客がどんな耳やしっぽをつけて来ても、全く動じない。猫だろうが、うさぎだろうが、一緒だ。耳がついていない客についても、全く態度が変わらない。普通に接してくれる。だから、俺のような小心者のサラリーマンにも居心地がいい。

 しかも、コーヒーはもちろん、ランチもケーキもとてもおいしい。

 この店で過ごす小一時間は、俺にとっては至福の時間なのだ。


 扉を開けて、驚いた。空席がない。

 土曜日の昼だった。

 時間もちょうどお昼時ではあった。だが、いつもはここまで多くはない。ときどきは、あまりにも客がいなくて、店の経営状態を心配してしまうほどなのに。マスターに知られたら、「余計なお世話」だと叱られそうだ。

 いつも案内される隅っこの席も、ときどき座る端っこの席も、この店にしては居心地が悪い真ん中の席も、テーブル席はどこもいっぱいだ。

 俺は戸口に立ち尽くしたまま、途方に暮れた。

 どうしよう。ウェイターの彼は、他の客に対応中で、俺にはまだ気付いていないようだ。このまま、帰ってしまおうか。

 きびすを返そうとしたその時、彼がこちらに顔を向けた。

 笑顔で会釈をされる。

 どうしよう。気付かれてしまった。

 あとから冷静になって考えたら、俺が店に入ったときにドアベルが鳴ったはずだから、彼に気付かれてないはずがなかったのだ。

「いらっしゃいませ」

 彼はいつもの笑顔で俺に挨拶してくれた。

「あ……どうも……あの……」

 またあとから来ましょうか、とか、今日はこれで……とか、そんな言葉を頭の中では用意した。でも、それが俺の口から出てくることはなかった。

「カウンターでもよろしいですか?」

 彼に先を越された。

……カウンター?

 俺は危うく叫び出すところだった。

 カウンターって、いつも常連さんしかいないところじゃないか?

 そんなところに、俺が入って大丈夫なのか?

 そんな俺の心の葛藤には気付かぬ様子で、彼はあたたかい笑顔で「どうぞ」と言った。

「あ……どうも……」

 同じ言葉でしか返せない自分が切ない。今日は新しいシャツをおろしてきたというのに。家を出るときの気合いはどうした、俺。

 ここに通うようになってから、今までは若干どうでもいいと思っていたことに気を遣うようになった。髪型とか、服とか、靴とか。自分が猫耳やしっぽをつけるまではいかないけれども、なんとなく、彼に会うのに、きちんとした格好をしたいと思ってしまったのだ。

 だが。

 いきなりカウンターとは……ハードルが高い……

 俺は彼に導かれるまま、カウンターの端っこの席に座った。

 先に座っている常連さんたちに、会釈をしながら。

 椅子が高い。よじ登る格好になった。止まり木とでも言うのだったか、慣れないので、自分でもちょっとかっこわるい。

「今日のランチは、コロッケかカレーです。どちらになさいますか?」

 ウェイターの彼が、水の入ったコップを置きながら聞く。

「あ……じゃあ、カレーを」

「はい、しばらくお待ち下さい」

 彼の笑顔には、本当に癒やされる。つい、自分の頬もゆるんでしまう。いけないいけない。これじゃあ、ちょっとした不審者だ。

 彼のしなやかな動きをずっと見ていたいけど、本当に不審者じみてくるので、持参した本を取り出した。ページをめくる。目は文字の上を滑るばかりで、いっこうに言葉が頭に入ってこない。ミステリーだというのに。

「ねえねえ、その時計、どうしたの?」

 耳障りな甲高い声がした。

 ちらりと横目でうかがう。いかにも作り物とすぐわかる猫耳をつけた若い男だ。いつもカウンターにいて、彼にしょっちゅう話しかけている奴だ。この間、しつこく名前を聞き出そうとしていた。

「私の実家から持ってきてみたんですよ。この店の雰囲気に合うかなと思って」

 彼の代わりに、マスターが答えた。手は忙しくランチの準備をしている。

 見回すと、カウンターの中に柱時計がある。かなり大きいし、古そうだ。

「そうだね~雰囲気あるよね~いいよね~柱時計って。でも昔のなら、毎日ネジまかないといけないんでしょ? たいへんじゃないの?」

 男はぺらぺらしゃべり続けている。

「いやあ、慣れてしまえば、たいしたことじゃないですよ」

「あれでしょ、右の穴が時計を動かすゼンマイで、左の穴が時報っていうの? 時打ちっていうの? ボーンボーンって鳴る奴、それ用のゼンマイなんでしょ?」

 オレは何でも知ってるぞ、という感じで語っている。

「カチコチっていうのも懐かしい響きでいいよね。でも、あれだよね、ボーンボーンって音、ときどきびっくりするよね。何か、夜は眠れない人とかもいるらしいじゃん。そういや、カチコチって秒針が進む音も気にする人は気にするらしいね。僕は平気だけどね」

 マスターの笑顔がかすかに引きつっているような気がする。

 カレーのいいにおいがふわりとした。

「お待たせしました」

 俺の目の前に、カレーとサラダのプレートが置かれた。にんじんやジャガイモがごろごろ入ったカレーだ。

「ありがとう」

 彼はほほ笑みかえしてくれたけれど、やっぱりちょっと機嫌が悪そうだった。しっぽがぱたんぱたん動いている。お盆を持って、カウンターに戻るついでのように、あの男に話しかけた。

「ゆっくりしてらして大丈夫ですか? 今日は、これからお仕事とか言ってらっしゃいませんでした?」

「あ! じゃあ、また来るよ」

 男はあわてた様子で猫耳を外してカバンに突っ込むと、早々に勘定を済ませて出て行った。

 俺はゆっくり食事をした。読みかけのミステリーよりも、柱時計のことが気になった。だから、食後のコーヒーを持ってきてくれた彼に、思い切って聞いてみた。

「あの、柱時計はどうするんですか?」

 彼はマスターを振り返った。

「家に持って帰りましょうかね? マスター」

「そうだね。家なら、音が気になるという人もいないだろうしねえ」

「僕たちにとって、思い出の時計なんですよ。マスターの実家を処分することになったんですけどね、これだけはって持ってきたんです」

「もう八年になるんだねえ。シノブ君がこっちに来てから」

 きょとんとした俺に、彼が答えてくれた。

「僕がこの世界に落っこちてきたきっかけがこの時計なんですけどね、それから八年、マスターがぼくのお父さん代わりなんですよ」

 俺の目の前で、しっぽがふわんと揺れた。俺はしっぽに触れたい衝動に襲われた。が、ぎゅっと我慢した。だって、それどころではない。今、俺は大変なことを聞かなかったか? 彼の名前と、それから、「この世界に落っこちてきた」って……? 

 それはいったいどういうことだ……?

 

 俺の目の前を、しゅるんとしたしっぽが揺れた。

J.GARDENのチラシに載せていたお話です。

J.GARDEN35のテーマアイテムが「時計」だったので、柱時計をがんばって出してみました。チラシ掲載当初から、ちょっとだけ修正くわえてます。

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