S A S
「なーんで生きてんだ、俺」
昨日の嵐が夢だったかのような快晴の空の下、芳之は茫と呟いた。
背中に伝わる砂の感触と聞こえる波の音。
どうやらどこかの砂浜にいるらしい。
「起きたか」
ふと差した影に、芳之はジャックナイフで立ち上がって抗議する。
「おま、途中で何度も意識失いかけたぞ! マジでアホちゃうの? バカちゃうの? むっつりスケベちゃうの!?」
「バカでもアホでも、むっつりでもない。事実としてお前は生きている。結果オーライだ。ついでにこれはホーライという店のアイスキャンデーなるものらしい。親切なおばちゃんだった」
そこで芳之は、涼が手に持つアイスキャンデーに気づく。
「さぁ選べ。ストロベリーとチョコレートだ」
「チョコで」
「死ね」
「おかしくね!? しかもダジャレかよ、笑えねえ……」
涼の手からストロベリーアイスをふんだくり、大仰にかじりつきながら芳之は問う。
「これからどうすんだ? 右も左もわかんねえぞ」
「どうにかして衣食住の確保だな。これがなければどの道野垂れ死にだ」
「衣食住、ねぇ……んなもん出してくれるとこあんのか」
「その辺の通行人を襲撃するか」
「ナンセンスすぎるわ。初っ端から目立ってどうすんだっつの」
「冗談だ」
「お前言うとマジっぽいから止めない?」
詮無いやりとりもほどほどに、2人は黙考する。
あまり人に接触せず、身を隠すことが可能で、衣食住すべてを恒久的に確保できる環境。
「……無理じゃね?」
「身も蓋もないから言うな」
「だっておま、無理だろこれ。“ABPVS”が大手振って歩ける街なんて――」
「あるやもしれん。確かめる案が今浮かんだ」
「マジで?」
「任せろ」
頷く涼は、自信満々だった。
*
「ふふん~ふん♪ おぅ! おぅ!」
男は上機嫌で愛車のハンドルを握っていた。
車内が若干カレー臭いのは、助手席に置かれた弁当が原因だろう。
カレーの他には、からあげ弁当。
久しぶりに妻と過ごせる今日を、男は楽しみにしていた。
愛妻家なのだ。
質素な食事と下手くそな歌。
しかし、男は幸福感に胸満たしていた。
そしてそれが、命取りとなる。
「うわぁああああ!?」
突然と斜前方に何かが現れたのだ。
力の限りにブレーキを踏み抜き、ハンドルを捻り切らん勢いで回したものの、鈍い衝撃音が男の抵抗を虚しくしたのだと告げた。
「ぼ、ぼぼ僕はっ!?」
慌てふためき、とにかく外の様子を確かめんと、男は転がるようにシートから飛び出した。
(考えって、当たり屋かよ!?)
事の手筈を詳しく説明されていなかった芳之は、罪無き一般車両に飛び込む涼を見て鼻水を垂らした。
並々ならぬ身体能力を持つ相棒であるから、心配はいらないと判断はしたものの……。
どこの世界に“いい考え”と称して車道にダイブする人間がいるのか。
やっぱアイツ、アホだわ。
芳之は頭を抱えつつも、とにかく昨日から二度目の大根演技に興じるべく涼の方へと駆け出した。
4、5ほどの遣りとりを経た後、男の車に乗り込むことに成功した2人が目指すこととなったのは、白久と呼ばれる街だった。男の話では、“ABPVS”のみを集めた隔離都市らしい。
経験から“ABPVS”の扱いを鑑み、かつ人身事故ともなれば、この状況に持っていける可能性はイチバチ未満であったが、どうやら天運が廻ってきたようだ。
突飛な行動が悉くと好転する相棒の悪運に複雑なものを感じつつ、芳之はいつか何かの形で意趣返ししてやろうと胸に誓う。
「到着したよ!」
車窓に映る景色の奔流に気を取られているうちに白久へ到着したらしく、芳之は涼を担いで外に出た。
目の前には、見上げるほどに高い壁。
白一色のそれは、生の営みを遮断するような無機質を孕んで芳之の目に映る。
左右を見渡しても、景観は同じ。
なるほど、文字どおりの隔離都市だ。
自分たちが半生近くを過ごしたあの施設に酷似したそれに既視感を覚え、芳之は微かに表情を堅くする。
「大丈夫かい? その、なるべく早く看てもらった方がいいよ」
「ああ、大丈夫っす。“ABPVS”は普通の人間よか丈夫なんで。お世話んなりました」
「わかった、本当にごめんね。どうか元気で!」
背中にかかる声に、芳之はひらひらと手を振った。
感謝と、謝罪の意を込めて。
*
金髪の長身痩躯が白久を覆う壁の向こうへ消えたすぐ後、男の携帯が着信を告げた。
「はいはい、ハニー」
『ダーリン、なんて言いませんよ』
「お堅いのはドイツ流かい?」
『いいえ。我流です』
電話の相手は女だ。淡白ながらもあどけなさ残る声音から察すれば、少女という方が的確かもしれない。
『彼らがあなたの?』
「ああ、僕の見込んだナイトさ。見る目あるだろう?」
『いい眼科を紹介します。今後に支障を来す前に治療してください。何なら脳外科も……』
「ヒドくない!? 僕、自信あったんだけど」
『私は下品な男とスケベな男がこの世で一番嫌いなんです。ヒエラルキー的にはゴキブリとイコールです』
抑揚なく毒を吐く。
といっても本人は可愛らしい相貌をしているので、面と向かって言われた人間が受けるダメージはなかなかにえげつない。
「下品でスケベかは君がこれから直接吟味してよ。ああそれから、編入手続きは済ませておいたから」
『迅速ですね』
「制服姿の君って、初めて見るし? 楽しみ~みたいな?」
『ありがとうございます。そして今すぐ死んでください。できる限り苦しんで死んでください』
「ほんっとにキッツいなー君は! せっかく綺麗で楽しい生活ができる一軒家を用意したのにッ!」
『わかりました。では、私はさっそく彼らに接触します。模擬戦闘は?』
「構わないよ。弱っちかったらお話にならないし」
『了解です』
それを最後に、スピーカーが寂寥感漂う機械音へと変化した。
言葉尻に歓喜が滲んでいたのは、気にしないでおこう。
男は努めてそう思うことにした。