P-BS
目を覚ました少年は、まず身体の損傷を確かめた。
骨格、内臓ともに異常なし。
疲労と小さな擦創や切創はあるものの、むしろこの程度で済んだのは奇跡と言っていい。
仰向けの少年の瞳には、暗雲覆う夜空が広がる。
総身を打つ雨粒と謬々と吹きすさぶ暴風が、少年に“世界”を認識させる。
「おい涼、生きてっか」
ふと視界に入る、金髪と碧眼。
視界許ない暗闇の中ではあるが、横柄な口調はよく聞き覚えがある。
「芳之。無事だったか」
「足ならついてるぜ。カラダバランス飲料とお空の旅は嫌だしな」
芳之はため息をつくと、身を投げるように座り込んだ。
「きっつー……死ぬかと思ったわマジで」
「お前が問題を起こさなければ、こうはならんかっただろう」
「しゃあねぇって。お前だって女の子の貞操は守るべきだっつったろ」
「確かにな。こと美少女ともなれば、幸せを願うのが男というものだ。あのような形でなどと、断じて許されん」
「しかしま、どうしたもんかね。捕まりゃよくてモルモット、逃げるにしたってこの嵐じゃ船も無理だ。狭い敷地だし、隠れるにもなぁ……」
ここは絶海孤島に立つ、完全なる牢獄だった。重度“ABPVS”……ないし、その力に将来的な危険が予想される者若しくは、既に能力を用いて罪を犯した者。
その終着点がこの場所だ。
訪う者は、人として扱われることがない。
適性検査の後に以後は等級付けが為され、その役割が分けられる。
“ABPVS”を姓名で呼ばうことがない稚拙な区別からも、その待遇は知ることができるだろう。
この閉鎖空間の中で掟を破れば、彼ないし彼女の未来はすべからく凄惨な道をたどる。
薬漬けになるか、鉛の雨で肉塊になるか。
倒錯した欲求に応える玩具となるか。
生き延びる術は、この2人のように逃げるくらいのものだ。
しかし、それも事実上は難しい。
武装した哨戒員に、有刺鉄線と高圧電流、対人地雷……破壊力過剰ともいえる防逃網。
無機質かつ陰惨な殺意。
それらがこれまでいくつ“ABPVS”を殺してきたのか、考えたくもない。
「急ぐ必要があるな……」
自身が通った道に視線を向け、涼が呟く。
遠くで鳴り響く警報音から察するに、どうやら時は幾許もないらしい。
「あー……いっそ――」
言いかけた芳之を、涼が突如と蹴擲した。
不意を突くように放たれた蹴りで、芳之は為す術なく地面を転がる。
「ってえ……いきなり何す――っ!?」
抗議に声を荒げんと口を開こうとした芳之は、寸でその意図に気づいて地面を転がった。
粒砂を跳ね上げてこちらを付け狙う機械的な殺意を感じとれたのは、“ABPVS”ならではの発達した神経系の賜物だ。
一拍遅れていれば今ごろは肉屑だっただろう。
背筋の寒くなる夢想に緊張しながらも、芳之は殺意の源泉を辿る。
数は四。
闇に溶けるような色彩の戦闘服に身を包み、こちらに銃口を向ける哨戒員達。
暴風雨の中に浮かぶゴーグルの赤が、昆虫のように無機質をたたえてこちらを捉えている。
「A級“ABPVS”96S-53ならびに96S-32だな? そのまま動くな。抵抗すれば殺す」
「はっ、機械の型番みたく呼んでくれちゃってまぁ。大人しくついて行っても死ぬんだろうが」
諸手を挙げる芳之が冷笑も顕わに吐き捨てても、男達の態様は依然と変わらない。
「この場で死ぬか、実験室送りになるか選ばせてやる。貴様らに残された最後の選択だ。喜ぶといい」
男の一人がそれだけを告げる。
会話を交わすことさえ是としないのは蔑視の情か、私情の断絶か……あるいはその両方か。
「会話すらしたくないってか。おい、どうするよ涼」
芳之の視線に涼は首肯で応え、そのまま歩み出す。
一歩、男達の方へと。
「マジかよ……」
ここで暴れても埒はない。
理解はしていても、あまりに呆気のない涼の決断に、芳之は失望を懐くのを禁じ得ない。
「芳之、すまない。俺は少しでも生きていたい」
「ちっ、ああそうかい。見損なったよ俺は」
男が、芳之に向けて問う。
「ここで死ぬか?」
「それも考えたけどな。あんたの鉛弾でくたばるのはゴメンだよ」
諦観のため息を一つ吐き、芳之も涼に続く。
敵意の喪失。
そこから生まれいづる微かな、微かな気の綻び。
涼が、動いた。
左右に等間隔。
流水のように、男達が手に持つサブマシンガンに“触れた”。
殺傷に特化し、尖鋭化された凶器は、ただそれだけでその性質を喪った。
『金属の変改』
涼が持つ、“ABPVS”としての力だ。
金属に触れることで、その形と性質を意のままに変質させる。複雑な機構を情報として記憶し、イメージすることは不可能だ。
故に、先のように銃を鉄屑に変えられても、鉄屑を銃と変えることはできない。
「な……」
驚愕する男の顎を拳で砕き、続けてもう一人の脚を払って頭頂に踵を叩きつける。
舞踏のような流麗さとおよそ常人離れした体捌きで、2人の男は沈黙した。
「っ、この……!」
一拍遅れて銃口を向ける男の腕に、炎が絡みつく。
『炎の創造』
芳之が持つ“ABPVS”としての力だ。
周囲の熱エネルギーを集めて炎に変換することができる。
熱力を操作することも可能だが、涼と同じくその性質を超計算せねばなし得ないが故に、操作範囲が限定されている。
さながら蛇のように円を描き、男の手に食らいつく紅蓮の光。
「う、わぁああああ!?」
狂乱に至っては戦意はままならない。
腕を焼かれた男は背中を向けて海の方へ走り出していき、残った男は悲鳴をあげながら来た道へと消えていった。
「はぁ……やれやれ。心臓に悪い日だなぁ今日は、っと!」
半ばパニック状態の男を打擲して陸に放り投げ、芳之はため息をつく。
「終わったか」
「ああ、終わったよ。しっかし、よくあの下手くそな演技が上手くいったもんだ」
「お前の大根演技もなかなかだったぞ」
「そうかいそうかい。んで、どうすんだよこれから。また追手が来たら今度は詰むぜ」
「ふむ……」
きっかり10秒の沈黙の後、涼はぽつりと呟いた。
「泳ぐ」
「は?」
「泳ぐ」
「イェン?」
目前に広がる光景を見れば、こういう反応もしたくなる。
色境は闇に染まり、吹き荒れる暴風と身を打つ雨垂れ。
風に煽られて波立つ海はさながら猛獣の類か、創作に登場する怪物だ。
この中を泳ぐなど、ぶっちゃけ正気ではない。
「いやいや、よい子のみんながマネしたらダメだから止めよう? な!?」
「心配するな。こんなことをマネする子はよい子ではない。基本、アホの子だ」
「そういう問題じゃねえし! つーか実践しようとしてるお前にアホ呼ばわりされるのも不憫だよなオイ!」
芳之の制止もどこ吹く風と、涼はそのまま凶海へと身を沈めていく。
「置いて行くぞ」
「待って、置いて行かないでくださいまし!」
躊躇はしたものの他に策もなく、芳之は過半数を捨鉢気味に涼の後へ続いた。