そんな雨の日
雨は好き。しとしと静かに降る雨も、ざーざー激しく降る雨も、ばちばち窓を叩く雨も、好き。湿った空気の匂いも好き。雨を浴びた草花が、潤い輝く様も好き。
今日も雨が降っていた。音を殆ど立てることなく、静かに柔らかく降る雨。道を行き交う人々は、すれ違う度にお互いの道を譲り合い、傘を傾げ合う。ときには、傘を差していない人が、人々の隙間をすり抜ける。そんな光景を、窓からじっと見つめていると、トモハルの長い溜め息が耳を突いた。
「どうしたの?」
私が窓の外に視線を向けたままそう言うと、トモハルは再び溜め息を吐いた。
「だから、どうしたのよ」
私が窓の外に向けていた顔をトモハルに向けると、トモハルはミニテーブルに乗せたマグカップを手に、ふてくされた顔で私を見ていた。
「やっと、こっち見た」
「トモハルが憂鬱そうな溜め息を吐くからでしょ」
「憂鬱だよ。雨の日は憂鬱」
私は首を傾げて、窓の外に視線を投げた。柔らかな雨が降る中、色とりどりの傘は道を譲り合う。大地は潤い、僅かに休息しているようにも感じる。
「どうして?」
「ジメジメするし、濡れるし、暗いし、良いことないじゃないか。それに……」
「それに?」
私がトモハルの方を向くと、トモハルは溜め息を吐いた。今日のトモハルは溜め息ばかり。彼の息と一緒に、幸せが逃げていっているように見えた。
トモハルは静かに立ち上がると、私の正面まで歩いてきて、音も立てずに座った。じっと私を見据える瞳に、少しだけドキリとする。
「それに、雨の日はアキが外を見てばかりで詰まらない」
私は思わず吹き出して、しばらく肩を震わせた。堪えようとしても止まらなくて、くすくす笑い続ける。トモハルの顔が、段々と赤に染まっていくのが分かって、それも笑いが止まらない原因の一つだったのだと思う。
「そんなに笑うことないだろ」
「だって……雨にヤキモチ焼いたって、しょうがないじゃない」
「ヤキモチ焼きたくもなるさ。アキは雨のことばっかり好きじゃないか」
「そんなことないわ」
私は立ち上がると、トモハルの腕を引っ張った。トモハルは戸惑った顔をして、私に引っ張られるがまま。
「ちょ、アキ。どこに行くんだ」
私は黙ったまま、トモハルを引っ張り、玄関の扉を開いた。トモハルの、私に引っ張られている腕と反対の手には、しっかりと傘が握られていて、思わず小さな笑いが零れる。
私はトモハルの腕を離すと、二、三メートル飛び出し、雨の中で振り返った。視線の先には、玄関先で傘を差して、私を見ているトモハル。そんな彼に、私は微笑んだ。柔らかな雨が優しく体を打ち、その冷たさが気持ち良い。
「トモハル」
私が呼ぶと、トモハルは呆れた顔をして、溜め息を吐く。そして、そっと歩み寄ってきて、私を傘に入れてくれた。
「風邪引くよ」
「大丈夫よ、このくらい」
私が笑うと、トモハルはやっぱり呆れた顔をしていて。だけど、それから小さく笑った――とても幸せそうに。
「でも」
「でも?」
「ヴェールを被った花嫁さんみたいだった」
優しい声で「雨の滴が、アキに当たって綺麗だった」だなんて言うものだから、私は少しだけ照れ臭くなって俯いた。どうにも恥ずかしくなってきて、何か言おうと私は口を開く。
「あのね、トモハル」
「何?」
何を言おうか迷って、私はじっと雨が地面を打つ様を見つめた。ただでさえ柔らかだった雨の勢いが、更に弱くなっているように見えた。
「私ね、雨が好きなのよ」
私がそう言うと、トモハルは少しだけ沈黙して、微苦笑を浮かべる。また小さく溜め息を吐いた。
「知ってるよ、そのくらい」
その声に、ああ、愛おしいなぁ、なんて思って。だけど、雨よりもトモハルが好きよ、だなんて言ってあげない。
雨はいつの間にかやんでいて、雲間から温かな日が差していた。