そのご
読んでくれている方に感謝します!
尻切れトンボな感が否めないけど、これで本編終了です。
居心地の悪い沈黙が続いていたが、アルメリアはやがておずおずと切り出した。
「あの、すいませんでした。ルイスがあんなことを言ってしまって」
「……いや、よく考えれば私は暴漢なのだから、彼の懸念ももっともだろうな。貴女が気にすることではない」
「そう言ってもらえてよかった。ルイスったらあの通り冗談が過ぎるんです」
その親しみのこもった口調にはルイスという男への親愛に溢れていた。
なんだか面白くない気分で彼は押し黙った。恋した女が他の男に思いを寄せているのを目の当たりにするのは嫌なものだ。
やがて馬車は屋敷に辿り着いた。降りるときも二人は無言だった。
ルイスが先導する形で応接室へと入り、先に入室していたオールセン男爵夫妻と顔を合わせた。
「ふうむ、アルメリア。町の者たちのことを考えてくれたことは嬉しいが、暴漢と騒がれている人物と二人きりになるのは感心できないな」
「貴女に何かあったら、わたくしたちはとても悲しむのよ。お願いだから危ないことはしないでちょうだい」
両親に言われて自分の無鉄砲さを自覚したのか、恥ずかしげに俯くアルメリアを抱き寄せて慰めたい気分に駆られた。
しかし、男爵はそのまま「君は部屋に戻っていなさい」と彼女を退室させてしまった。
いたたまれない気分でマティアスは男爵夫妻と向き合った。
「さて、十日前より我が領地を視察しているマティアス殿下とお見受けいたします。この町で暴行事件を起こしたとのことですが、何かこの町にご不満がおありでしたか?」
己の素性が既に知られていることに驚きはなかった。あの従者の態度でわかっていたからだ。
「不満があるのはこの町ではありません。私自身に不満があったのです」
長い間抱えていた不満と不安が晴らされた今、そのことを認めるのは簡単にできた。
生まれ持った身分と見目の良さで、何もかもを手に入れたような気になっていた。
しかし、努力を重ねて手に入れたものも、ただ一言発するだけで手に入れたものも同じもののように周囲は扱う。
日々の稽古を怠らずに手にした騎士の称号も、夜会で挨拶をしただけで愛を語り始める令嬢の存在も、「さすがは殿下です」の言葉でまとめられるのはどれほどの苦痛か。
王族でなければマティアスが手にするものなど何も無いと言われているような気分になる。
しかし、アルメリアは違った。
町中で騒ぎを起こして取り押さえられているところを見られた。その後の態度も褒められたものでは決してない。
それでも彼女は自分を認めてくれたのだ。優しい人だと言ってくれた。
それは今まで生きてきた中で聞いたどんな賞賛よりも嬉しい言葉だった。
「私がこの町で起こしてしまった騒ぎに関しては相応の償いをします。もちろん、公の場での裁きを受け入れます」
心を入れ替えたマティアスの潔い言葉に、男爵は穏やかに答える
「そう言ってくださるのはありがたいのですが、既に町人たちからは事情を聞いておりますし、件の学生はあんなに泣きそうな顔で殴り掛かってきたから怒る気になれないと言っています。まあ、今後はこのような振る舞いをなさらないよう臣下としてお願い申し上げます」
「……わかりました。申し訳ありませんでした」
視察に同行している警備の騎士たちに連絡をしたので、迎えが来るまで屋敷に滞在することになった。一つ手前の宿場町で撒いたので、今日中には合流するだろう。
「娘は貴方の御身分に気付いていないようですが、話したほうがよいでしょうか」
男爵がこんなことを聞いてきたが、彼としてはこのままアルメリアには自分の身分など知らないままでいてほしかった。
「いいえ、その必要はありません。ですが、アルメリア嬢の事では男爵にお願いしたいことがございま。どうか私が彼女に婚姻を申し込むのを認めていただけませんか」
普通なら、立太子を済ませた第一王子が居るとはいえ、王位継承権第二位のマティアスが男爵令嬢を妻とするなどあり得ない。
釣り合う身分としては侯爵位以上が妥当だろう。
しかし、逆を言えば男爵家には王族からの要求を断ることなどできない事にもなる。
もちろん、国王や大臣たちの反対により第二王子の意思が通りそうもないなら突っぱねることもできるだろうが。
そんな状況だというのに、男爵夫妻は慌てず騒がず驚かず。
「困りましたねえ」と返してきた。
「実は、娘には想う相手がいるのです。その者は貴族ではないのですが、当家の身分も高くはありませんので、当人同士が望むなら結婚を許そうと考えていたのですよ」
「その相手とは、もしや先ほどの馬車で迎えに来た従者でしょうか」
いいようにしてやられた記憶と、アルメリアの親愛に満ちた声を思い出して不機嫌になるマティアスだった。
「そうです。ルイスといいまして、幼いころから当家に仕えております」
いわゆる幼馴染というやつである。社交界に出るまでは意外に狭い令嬢の人間関係の中で、それがどれほど重要な存在となっているか考えるだけで悔しくなる。
「そうですわねえ。いっそのことルイスと話してみてはいかがでしょう?」
夫人の言葉にとっさに表情を取り繕うことができず顔を顰めてしまう。
何故恋敵と話さなければならないのだ。宣戦布告でもしろというのか。
「まあまあ、悪いようにはなりませんから」と夫妻が呼び出したルイスと入れ替わる形で部屋を出ていき、控えていた執事が「それでは、半刻ほど外させていただきます」と言って扉を閉めていった。
部屋に二人きり。ああ、これがアルメリアとなら至福の時間だというのに。
「王子殿下。どうかそんなに睨まないでもらえませんか。恐ろしくて話をすることができません」
一礼したルイスはそんなことを言いつつも笑顔を崩さない。
「そなたがアルメリア嬢と恋仲だと聞いたが」
簡単に態度を柔らかくすることなどできず、厳しい声で問いかける。
「ああ、それは……。正確には違いますね。たしかにお嬢様は私を慕ってくれておりますが、私自身はお嬢様に懸想していないのです。交際している女性もおりますし」
「なにっ! 彼女に想われていながらその気持ちを無碍にしているのか!?」
何と非道な男だ、とマティアスは憤る。
マティアス自身は一月の地方視察の間に二股どころか七股ぐらいかけていた過去があるのだが、もちろんそんな過去は厳重に鍵をかけて心の棚の上に放り投げている。
「いやあ、子供のころからお嬢様の兄君と一緒に泥だらけになって遊んでいましたから、女性というよりも妹のように感じてしまいまして。家族愛としてなら存分にあるのですがねえ……」
しみじみと語った後、ルイスはマティアスに向かってにやりと笑った。にっこり、ではなくにやりである。
「さて、王子殿下。貴方様が真実アルメリアお嬢様との婚姻をお望みであられるなら、私はお二人が結ばれるために協力させていただきます」
「……? 協力、だと? いったい何をするというのだ」
「たとえば、お嬢様が好まれるものの情報、とか。お嬢様が私に送ってくださる品の横流し、とか。そういえば、お嬢様は最近お菓子作りを学ばれておりまして、最初に作ったお菓子は私に下さると約束してくださいましてねえ」
ひとつたとえを聞くたびに食いついてしまう。
「……ぐぐっ、だ、だが、アルメリア嬢がそなたに渡すと言ったものを私に渡すとなると、それは彼女に対して失礼ではないか!?」
「ですが、食べたいでしょう?」
「食べたい」
即答である。決断力には定評のある第二王子だった。
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「さ、三年前にそんなことがあったんですか……」
「まだ思い出せないの?」
「いえ、当時の事は覚えているのですが、あの時の方と殿下が結びつかなくて……」
「ああ、そうかもしれないね。髪の色を変えたりしていたから印象が違うんだろう。私も君が鬘を被っていたなんて思わなかったから、昨日の夜は驚いたよ」
現在、不在の長男以外の家族とマティアスの四人はテラスに出て話をしている。
三年前の出来事はアルメリアにとって「危ないことをしてはいけないよ」と家族と使用人総出で心配された記憶が強く、屋敷に連れて行ったあとに、もう一度話すことなく去って行った少年の記憶はあいまいだった。
そのことを伝えるとこれまた切なそうな目で見てくるので非常にいたたまれない。
「忘れられていたんだ……」とか言わないで!
「でも、これからはずっと一緒に過ごすから、二人の思い出がたくさんできるね」
気を取り直したのか明るい笑顔で語りかけてくるマティアスにアルメリアは首をかしげる。
どうして、第二王子である彼と男爵令嬢の私が一緒にいることになるの?
「ルイスは先日結婚したでしょう? 彼とは三年前に約束をしたんだ。自分が守っている間は君を連れて行かないように、とね。私は君を迎えに来たんだよ」
「ええーっ! だって、私聞いていませんよ」
「ご両親には三年前に話をしているし、君には昨夜話したでしょう?」
「酔っていたから覚えていません!」
「でも話した。君も頷いてくれたよ。私の傍にいてくれるよね?」
「だ、ダメですよ! そんなの! だいたいですねえ、身分的にありえないでしょう」
こう言えば、頭のネジをどこかに落としてしまったようなマティアスも世の常識と自身の良識を取り戻してくれるはずだ! と意気込んだ彼女に、聖母もかくや……という慈愛に満ちた微笑みで彼は言った。
「恋愛に身分差は関係ないよ。結婚に関しても問題は解決しているから、安心してお嫁においで」
退路がすべてつぶされていることを悟ったアルメリア、十六歳の春。
彼女は王都に旅立ち、兄の通う学院に入学するという名目で逃亡を試みるのだが、『優秀な第二王子とその御学友』という肩書を持った兄に「諦めが肝心だぞ」と諭されることになり、涙を呑むのだった。
番外編を一話投稿予定。