そのに
くすくすと笑いながら近づいてくる男を、アルメリアは酔って据わった眼で睨みつけた。
「身分制度がわたしの恋路を邪魔したの」
簡潔に答えて言外に立ち去るよう求めたが、男は飄々と笑いながら彼女と同じテーブルについた。
「へえ、恋路ねえ。なんだ、君振られたんだ?」
「普通にそういうこと聞かないでよ!」
男の無神経さにいら立つアルメリアの怒りなど気にも留めず、追加の注文を出した男はさらに彼女の心を抉る。
「身分で諦めるほどの恋だったら、そんなに飲んだくれていないだろ? そういう場合は振られたうえでの失恋でやけ酒をしているんだ。身分制度とか関係ないんじゃないか?」
「ちがうわよ! お嬢様には僕なんかふさわしくありませんと言うのは身分を気にしてるからでしょう!?」
「体のいい断り文句だと思うぜ。そういえば、さらに突っ込んでくることはないだろうからな」
「そんなことっ」
ない、とは言えなかった。
先ほど自分でも言ったとおり、男爵家というのは貴族の中で位が低い。
ましてやオールセン家は日頃から庶民よりな存在として認知されているのだ。違う土地の住人ならともかく、本家に仕える使用人がそれを知らないわけがない。
結局、アルメリア個人が彼の愛を得られなかったということだ。男とのやり取りで一度は目をそらした事実に向き合わざるを得なくなった。
「……私は、魅力がないのかしら」
俯いて、ぽつりと呟くアルメリアの様子は傷ついているのが見て取れて、周囲の視線は同じテーブルにつく男に非難のまなざしを向けた。
男はやれやれとため息をついて、優しい動きでアルメリアの髪に触れた。一瞬動きが止まったが、何事もなかったように指で梳く。
「そんなことはない。君は素敵な女性だよ」
「なぐさめなんて言わないで……」
「心外だな、本気だよ。俺は君のことが好きだ」
甘さを含む優しい声は傷ついた心を溶かすように響く。普段の彼女なら「馬鹿言わないで」と突然の告白をはねのけただろうが、酔いの回ったアルメリアはその言葉に縋りたかった。
「ほんとに、私のこと好き?」
「ああ、好きだよ」
「身分でも、身分じゃなくても、振らない?」
「俺から離れることはないよ。君も俺から逃げないでくれる?」
言っていることはよくわからなかったが、好きだと言ってくれることが重要だった。
悲しい夜の最後に暖かな気持ちを抱いて、アルメリアの意識は遠のいた。
******
翌朝、アルメリアは自室ではない部屋で目を覚ました。顔にかかる髪の毛を払うとその色は栗色だった。
「鬘! いつ外したの!?」
ベッドから起き上がると、先ほどまで自分が寝ていた場所から「うーん……」と声がした。
恐る恐るシーツをめくると、そこには昨夜自分の前に現れた男が、上着を脱いだ状態で寝ていた。
つまりは昨夜彼と彼女は同じベッドで眠ったということで。
悲鳴交じりの絶叫が響いた。
「いやあ、あれから君が俺の上着にもどしちゃってね。仕方ないから介抱のために宿の部屋まで連れて来たんだ」
覚えてない? と聞かれたが、まったく記憶にない。
それにしても、同じ寝台で男女が眠るなど非常識だ。そう詰め寄ると、
「君が離さないでと言って俺の服を掴んでいるから、一緒に眠ったんだけど?」
と返された。ぐうの音も出ないとはこのことか。
「……ご、ご迷惑をおかけしました」
「そんなことはいいからさ。朝食を食べたら君の家に行こう」
昨夜の意地の悪さは鳴りを潜めて、やたらと甘い雰囲気に変わっている。それにしても。
「あの、家に行くというのは? 明るくなったので、一人で帰っても大丈夫ですよ」
むしろ見知らぬ男性のもとへ外泊したとばれるよりは、そのほうがいいと思う。
ところが相手の反応は斜め上を行った。
「何言ってるんだ? 婚約者として挨拶するのは当然だろう」
なんだが今、おかしな発言をされてる気がする。
「誰が婚約者ですか?」
「俺が」
「誰の?」
「君の」
「いつから?」
「昨夜だよ。……いい加減諦めろ」
そう言って男はアルメリアに口付した。
あり得ない。とアルメリアは思う。
どうして自分が、名前も知らない男性と婚約したことになっているのか。問い詰めても、「昨夜話しただろう」と説明してくれない。
とんでもない失敗をしてしまったと青ざめる彼女をさっさと馬車に乗せて、「出せ」と男が一言命じると馬車が走り出した。
行き先を言っていないことにも、迎えに訪れた馬車に描かれた紋章にも、混乱した彼女の意識は向かなかった。