雨の日に神様を拾いました
雨は、この二日、降り続いている。
築百年を過ぎた平屋の屋根を叩く雨音は、雨漏りを受けるバケツの音と二重奏を奏でている。
ミチルは、この家で一人暮らしをしている。
昨晩、この家に闖入者があった。
それは、今、段ボールのなかでバスタオルにくるまってじっとしている。
昨晩、雨の二重奏の合間になにやら、鳴き声が……
雨の中、外に出たくなかったが、ほっておくのも嫌だったのでミチルは外に出た。
幸いというか、玄関の近くの植込みの陰に小さな体が見つかった。
それを抱き上げると急いで家に戻った。
タオルで自分と子猫の体を拭いた。
牛乳を温めて皿に入れてそばに置くと、子猫は少しだけ舐めた。
それから、すぐに寝息を立て始めた。
「よかった……」
様子を見ているうちにミチルはそのまま、寝てしまった。
◆◇◆◇◆
鳥の鳴き声で目を覚ました。
朝日が障子を淡く照らしている。
ミチルは子猫の無事を確認すると玄関を開けて、庭に出た。
「また草が伸びたなあ……あぁ、このお日様じゃ、もっと育つだろうなぁ」
昔、祖父が丹精していた庭は、木も草も伸び放題だ。石灯籠は苔に覆われ、飛び石は雑草に埋もれている。
家に戻ったミチルは段ボールをのぞいて「……あれ?」と言った。
猫がいない。
「えっ、どこ?」
それを眼にした瞬間、ミチルは固まった。
縁側に、一人の青年が座っていた。
二十歳くらいだろうか。
雪のように白い肌。
長めの黒髪が朝日に透けている。
横顔が、整っていてまるで、絵画の人物のようだった。
そして、何も着ていない。
青年はゆっくり振り返る。
「ああ、おはよう」
青年は前から、ここに住んでいたような顔で笑った。
「お、お、お、おまわりさん!」
「そんな名前じゃない」
「知ってるわよ」
「そうか」とまた笑った。
「警察を呼ぶの!」
「呼ばなくていいのに」
「いや、呼ぶ!」
「その前に聞いて」
青年は穏やかに笑った。
「昨日、庭で助けてもらった猫だよ」
「……は?」
「だから猫」
「猫が人になるわけないでしょう!」
「そう思う?」
青年は首をかしげた。
「証明しよう」
そう言った瞬間、青年の輪郭が水面のように揺らぐ。
次の瞬間、そこには一匹の白い猫がいた。
ただし、子猫ではなく大人の猫だった。
「昨日は子猫でした」
ちょっとだけ、残念そうな顔でミチルは言った。
「……」
もう一度輪郭が歪むと人間に戻った。
「昨日は元気がなかったから子猫だった……今日は元気だし」
「と、とにかく、もう一回猫になりなさい。裸なんだから!」
「服を貸して」
「うぅぅ」
ミチルは唸った。
「君、裸はいやなんでしょ。だから服を」
「もう」
怒鳴りつけようと息を吸い込んだ所で思い出した。
祖父の着物がある。
「待ってなさい」
ミチルは足早に祖父の部屋に入った。
タンスを開けると、懐かしさがこみ上げてきた。
気がつくと、ミチルは祖父が一番気に入っていた着物を取り出していた。
「これ。着方はわかるかしら?」
そう言いながら手渡した。
「おぉ、いい物だ。ありがたい」
青年はぱっと立ち上がった。
「馬鹿!」
ミチルはあわてて後ろを向いた。
しばらくして「似合うかな」と声がした。
背の高い青年には、着物の丈が短かった。だが、落ち着いた色合いの着物は、かえって青年の美しさを引き立てている。
ミチルはその姿を眺め、素直な感想を口にした。
「似合ってる」
「そうか。いい着物だ。大切にされていたことが、よくわかる」
「そう」
青年は満足そうに着物の袖を撫でると、家の中を見回した。
「いろいろと気に入った。ここに住む」
「は?」
「ここに住む。家も庭も、住人も気に入った」
「冗談はやめて。見ず知らずの人を住まわせるわけないでしょ」
「私は人ではないぞ」
「人じゃない? じゃあ、何だっていうの?」
「神だ」
「神?」
ミチルは思いきり顔をしかめた。
「冗談を言ってないで、出ていって。警察を呼ぶわよ」
「無駄だ。私は神なのだから。猫の姿になれる人間がいるか?」
「そりゃ、いないだろうけど……神様だっていないの!」
「ここにいるではないか」
青年は当然のように自分を指した。
「そうだ。ただで住むとは言わない。家賃を払おう」
「家賃?」
「金はないから働く。この家と、あなたを守る。用心棒というのか? それをしよう」
「用心棒……家を守るっていうことは、庭もきれいにしてくれるってこと?」
「そうだ。庭も家もきれいにする。それに、悪意を持って近づく人間はもちろん、魔も、さまよう霊や人に害をなす妖、呪いや災いの類いも寄せつけない。この家の敷地に入った時点で、わたしが追い払う。何が来ようと、あなたには指一本触れさせない。それを家賃としよう」
「この庭をきれいにして、魔も妖も、人間も何が来ても寄せつけない……」
ミチルは考え込んだ。
(それなら、あいつらにこいつをぶつけてやればいい)
「……そうね。それなら、いいわ」
「決まりだな」
青年は満足そうにうなずいた。
「私のことは、夜刀と呼んでくれ。用心棒らしい名だろう?」
「確かに、それらしいかも。夜刀さんね。私はミチル」
「ミチルさんか。では、大家さんはミチルさんだな」
「そういうことになりますね」
あまりに自然に話がまとまってしまったため、ミチルは少し不安になった。だが、今さら追い出せる相手とも思えない。
「では、朝食にしましょう」
そこで、ふと疑問が浮かんだ。
「……あれ? 神様って、ご飯を食べるんですか?」
「食べたいです」
急に夜刀の口調が丁寧になった。
「霞とかじゃなくて、ご飯を?」
「はい」
「神様の力で、ぱっと出したりは?」
夜刀は無言で首を横に振った。
「……作りましょうか」
「お手伝いします」
二人はなんとなく、いそいそと台所へ向かった。
古い家に、久しぶりに二人分の足音が響いた。
荒れ果てていた庭の片隅で、名も知らぬ白い花が一輪、静かに咲いた。
それが奇跡の始まりだった。
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