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第八話「再会の密約・前編」

医務塔へと続く回廊は、政庁の堅牢な空気とは異なる湿り気を帯びていた。


父とセヴァンと共に登城途中、馬車の中で僕は「入宮前に医務塔を見ておきたい」と願い出ていた。

健康管理の名目でならば、不自然には見えない。

実際、薬草への理解が王宮で生きる上での武器になるのは確かだ。


父は了承し、政庁の会議室へと向かっていった。セヴァンは護衛という名目で付き従っていたが、医務塔に入る瞬間、僕は一度彼を振り返って──「ひとりにしてください」と目で告げた。


彼は、わずかに目を細めただけだった。何かを察したような沈黙だったが、何も言わずにその場を離れた。


僕は塔の扉を押し開ける。


薬草の香りが、空気の層をいくつにも分けながら鼻腔を満たした。温められた乾草、清涼な香木、そして──わずかに混じる、鉄のような苦み。


足が止まった。

喉の奥がきしむ。胃が拒絶の反応を起こしかけた。


(……この匂い)


皮膚が記憶していた。喉の渇きと、内臓の灼けつくような痛み。夜な夜な吐き、食事を受け付けなくなり、ついには床を転げ回るしかなかった──“あの毒”だ。


間違いない。前の人生で、僕の体を蝕んだそれだ。


(話をするだけのつもりだった……けれど、これは)


心が冷えるよりも速く、言葉が舌の奥で形を作っていく。


──これは、問いかけではない。刃の選定だ。


重ね扉の奥。足音を忍ばせるように、誰かが動いている。


ガラス瓶を運ぶ音。軽く擦れる衣擦れ。やがて現れた女が、視界の端で足を止めた。


黒衣に身を包んだ、華奢な影。


帳のような黒髪に隠されて、その表情の半分はうかがえない。けれど、赤い──赤い瞳だけは、確かに僕を射抜いていた。


(……間違いない)


彼女だ。前の人生、死の直前に、僕に温かな薬を置いた女官。

名前すら知らなかった。でも、その瞳だけは焼きついている。


その視線のなかに、憐れみも慈しみもなかった。

ただ、罪悪感が浮かんでいたように思う。

そして、沈黙のまま“僕の死”を見ていた目だった。


「はじめまして、シュウ・ラン。僕の名前は……いや、もう知っているかな?」


彼女は動かない。僕も、動かない。

数拍の沈黙ののち、僕は再びゆっくりと口を開いた。


「君は、それを僕に使うために作っていたんだろう?」


静かに、璃晏語で。王宮では誰も用いない異国の響きが、塔の空気を裂いた。


ランの肩が、びくりと震えた。


手元の乳鉢がわずかに揺れ、擦れる音がやけに大きく聞こえた。彼女の喉が動く。けれど、言葉は出ない。ただ、唇が引き結ばれ、目が揺れていた。


「……あなたは」


ようやく絞り出された声には、怒りでも抗弁でもなく、ただ“なぜ知っているの”という色だけが浮かんでいた。


「その毒……君はそれを、誰の指示で作っている?」


僕は、間を置かずに問いを重ねた。声を荒げることも、責めることもしない。けれど、確実に“試す”口調だった。


ランの眉が揺れる。


『クレイア・メルバルト、かな?』


彼女は答えない。だが、指先が微かに震えた。

否定の言葉すら出ないのは、ある意味で肯定と同じだった。


「わたしは……」


ランが唇を動かす。が、それ以上の言葉が出てこない。

言葉の端に、かすかな“ためらい”がにじんでいた。


(……率先してクレイアの味方ならばここまで揺れないかもしれないな……いや、油断をしてはいけない)


じっとお互いに窺うように、僕たちは視線を重ねていた。


(……何か、あるはずだ。異国の人間であるランがクレイアに付く理由……)


言葉を探すように思考を巡らせる。

そこで、僕は一つだけ彼女について思い出した。


「君、妹がいたよね?彼女は誰に仕えているの?同じく侍女として入宮してきたように思うけど」


シュウ・ランは、普通の女官ではない。

王宮に属する立場ではあるが──彼女は、璃晏から“差し出された”もののひとつだった。


異国の香を纏い、赤い瞳を持ち、賢才をもってこの宮廷に迎えられた女。

名目は女官。だがその存在は、むしろ外交の文脈に属する“贈り物”に近い。


歓迎の宴には僕も出席していた。

確かに、妹とふたり──肩を並べて並んでいた。


その記憶の断片を、引き出しの奥から手探りで掬い上げた瞬間。


ランは、わずかに目を伏せた。

言葉を選ぶように唇が動き、静かに、苦しげに──ひとつ、息を吐いた。


「妹は……クレイア様に仕えております」


そして、また僕を見た。

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