表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

6/29

第五話「微笑みの仮面、密やかな刃」

謁見の後、広間を下がった僕は、広い回廊を静かに歩いていた。


吐き出したかった。

すべて。

心にこびりついた“あの手の感触”を、言葉で、行動で、引き裂いてしまいたかった。


けれど、それはできない。


今の僕は“王太子の婚約者”──疑念を抱かせれば、すぐに誰かの口に上る。

味方もいるが圧倒的に“ここ”(宮廷)には敵が多い。

個人的なものから家のしがらみまで。


(“僕が変わった”と気づかれてはいけない……その瞬間から、もう“死”に向けて転がっていく)


冷えた石床の感触を、靴越しに感じる。

それだけが、唯一の現実だった。


「──あら、セラ様」


耳に絡むような、甘やかな女の声。


振り向かなくてもわかる。

この声を、僕は知っている。


クレイア・メルバルト。

王太子付の女官長。

アリスタンと最も親しい侍女であり、裏では「愛人」とも噂される女。

いや、実際に愛人なのだ、この女は。

間抜けにも僕がそれに気付いたのは、死ぬ直前だった。

痛めつけられる僕を見ながら嘲笑い──僕の“処刑”を推し進めた者のひとり。


「まあまあ。今日はご機嫌麗しゅうございますこと。殿下も、さぞお喜びになられたでしょう?」


その口調には礼がある。

けれど、その目は笑っていなかった。


この女は、僕を値踏みしている。


「……お心遣い、痛み入ります。クレイア様」


完璧に微笑み返す。

仮面は崩さない。

前の僕は、こうしてすべてを“受け流して”きた。

だからこそ、奴らの油断を招いたのだ。


「殿下によく相談を受けますのよ?セラ様のこと。……ああ、そう。先日より、ご体調がよろしくないとか。もし薬湯など必要でしたら、遠慮なくお申し付けを」

「……お気遣い、感謝いたします」


笑ってはいるが、その目は嘘の味がする。

相談はおそらく、閨のことを暗に匂わしているのだろう。

“薬”という単語には、常に毒の匂いが混じる。


この女は、いずれ確実に僕を殺しに来る。

それは確かなことだ。


(なら、こちらから動く)


足を止めず、礼を交わして去る。


背後からの視線が刺さる。

まるで蛇に睨まれているような、冷たく湿った感覚だった。

だが、僕は負けない。

今の僕には“目的”がある。


──復讐。

そして、生存。


宮廷の裏手にある医務塔へと足を運ぶ。


王宮の中で唯一、“外部の薬師”が出入りできる区域。

かつて、ひとりの女がここで薬を学んでいた。


璃晏(りあん)国からきた、薄紅の瞳の女官。

名は、シュウ・ラン。


前の人生で、王宮から放逐された“異邦の才女”。

僕を憐れみ、声をかけてくれた、数少ない“他人”のひとりだった。


(彼女なら──僕の思惑を、理解してくれるかもしれない)


僕は、初めて心の中で“味方”を求めた。


静かに、しかし確かに──

“復讐の刃”が、鞘から抜かれ始めた瞬間だった。

次の更新は本日(10月10日)の21:30です。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ