表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

29/29

第二十八話「誓いの口付け」  

 扉の向こうから、乾いた声が届いた。


「入れ」


 城の中でも、最も堅牢な造りの一角にある執務室。

 その重い扉を押し開けたとき、空気が変わった。


 清められた香と、書類の紙の匂い。そして──かすかな、金属の気配。

 アリスタンが、机の奥に立っていた。


 ──やはり、変わらない。


 あの氷のような声も、微笑に隠れた覇気のような執着も。

 彼は僕を見ると、すぐに手を軽く振った。


「……皆、下がれ」


 扉の外に控えていた従者たちが一斉に動き、音もなく部屋を出ていく。

 扉が閉まるまでの間、僕はじっとその場に立っていた。


 やがて、執務室には、僕とアリスタン──ふたりきりの空間が残された。


「ようこそ、セラ。君の顔が見れて嬉しいよ」


 アリスタンは机の前から、ゆっくりと歩を進める。

 淡く金の混じる髪が、光を弾いた。


「叔母上の見舞いに行ったと聞いたよ」

「ええ」

「それで?」


 アリスタンは、僕の背後を回り込むようにして歩き、

 ついには後ろから、そっと腕をまわした。


「……っ、あまりお加減はよろしくなく、弱っておられます」


 身体がわずかに硬直する。けれど、逃げられない。

 ここで、逃げてはいけない。


「そう。ねえ、セラ。私は……君が気に入っているんだ」


 囁く声が、耳元をかすめる。

 吐息の温度が、うなじに落ちた。


「血筋ひとつとっても、君はこの私に相応しい。君を……排除したくはないんだよ」


「……私が、殿下を裏切るなど……」


 言い切る前に、アリスタンの指が顎に触れた。


「では、セラ」


 彼は、楽しむように言葉を滑らせる。


「私に誓いを」


「……誓い……?」


 喉が震えた。

 この男が求めているものが、言葉ではないと分かっていた。


「そう。君からの──口付けを」


 その一言で、空気が変わる。

 僕は静かに振り返り、呼吸を整えながら姿勢を正した。


( ──演じきれ、セラ・アルヴァ=クロイツ)


 王弟殿下の言葉、父の視線、兄の背中──すべてを、思い出せ。


 ゆっくりと、アリスタンの手の甲へ顔を近づけた。

 しかし、その瞬間。


「……違うよ、セラ」


 アリスタンの指先が、僕の唇を親指でなぞった。


 肌が焼けるような錯覚。

 目が合った。深く、逃げ場のない、海のような目と。


「わかるだろう?」


 低く、甘やかに濡れた声。

 僕はほんの一瞬、躊躇した。

けれど、目を閉じて、静かに──


 唇を、重ねた。

読んでいただいてありがとうございます!

応援いただけると喜びます♪

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ