第二十八話「誓いの口付け」
扉の向こうから、乾いた声が届いた。
「入れ」
城の中でも、最も堅牢な造りの一角にある執務室。
その重い扉を押し開けたとき、空気が変わった。
清められた香と、書類の紙の匂い。そして──かすかな、金属の気配。
アリスタンが、机の奥に立っていた。
──やはり、変わらない。
あの氷のような声も、微笑に隠れた覇気のような執着も。
彼は僕を見ると、すぐに手を軽く振った。
「……皆、下がれ」
扉の外に控えていた従者たちが一斉に動き、音もなく部屋を出ていく。
扉が閉まるまでの間、僕はじっとその場に立っていた。
やがて、執務室には、僕とアリスタン──ふたりきりの空間が残された。
「ようこそ、セラ。君の顔が見れて嬉しいよ」
アリスタンは机の前から、ゆっくりと歩を進める。
淡く金の混じる髪が、光を弾いた。
「叔母上の見舞いに行ったと聞いたよ」
「ええ」
「それで?」
アリスタンは、僕の背後を回り込むようにして歩き、
ついには後ろから、そっと腕をまわした。
「……っ、あまりお加減はよろしくなく、弱っておられます」
身体がわずかに硬直する。けれど、逃げられない。
ここで、逃げてはいけない。
「そう。ねえ、セラ。私は……君が気に入っているんだ」
囁く声が、耳元をかすめる。
吐息の温度が、うなじに落ちた。
「血筋ひとつとっても、君はこの私に相応しい。君を……排除したくはないんだよ」
「……私が、殿下を裏切るなど……」
言い切る前に、アリスタンの指が顎に触れた。
「では、セラ」
彼は、楽しむように言葉を滑らせる。
「私に誓いを」
「……誓い……?」
喉が震えた。
この男が求めているものが、言葉ではないと分かっていた。
「そう。君からの──口付けを」
その一言で、空気が変わる。
僕は静かに振り返り、呼吸を整えながら姿勢を正した。
( ──演じきれ、セラ・アルヴァ=クロイツ)
王弟殿下の言葉、父の視線、兄の背中──すべてを、思い出せ。
ゆっくりと、アリスタンの手の甲へ顔を近づけた。
しかし、その瞬間。
「……違うよ、セラ」
アリスタンの指先が、僕の唇を親指でなぞった。
肌が焼けるような錯覚。
目が合った。深く、逃げ場のない、海のような目と。
「わかるだろう?」
低く、甘やかに濡れた声。
僕はほんの一瞬、躊躇した。
けれど、目を閉じて、静かに──
唇を、重ねた。
読んでいただいてありがとうございます!
応援いただけると喜びます♪




