第二十話「王弟家へ」
「父上、回復薬を作れるかもしれません」
その声は、予想以上に強く響いたのだろう。
背を向けていた父が、ぴたりとその場に立ち止まる。
ほんの一瞬だが、セヴァンの横顔にも、驚きがよぎった気がした。
重たい沈黙が、玄関先に流れ込む。
やがて、ゆっくりと父がこちらを振り向いた。
その眼差しには、たしかに疑問と警戒と、そしてわずかな――期待が滲んでいた。
「……なんのつもりだ、セラ」
静かな声だった。
けれど、その奥にある緊張と慎重さは隠されてはいなかった。
(今はまだ……ランが作った“毒”とは言わない方がいいかもしれないな……)
僕は、ランを横目に見る。彼女は、怯えず、けれど慎重に顎を引いて頷いた。
「ランが薬学に長けていることはご存知かと。回復薬に心当たりがあると」
父はランへと視線を移す。
その鋭さに怯む者も多いが、彼女はきちんと目を上げ、静かに受け止めていた。
「本当か」
「……確証は、ありません。ただ、少なくとも対症療法的な処方が可能です。症状の進行を止めることは、できるかもしれません」
「“止めることは、できるかもしれません”か……」
父の眉がわずかに寄る。
苛立ちではない。決断を前にした者の、理性と焦燥のせめぎ合いだ。
「それは──どれくらいの時間で」
低く問われたその声に、ランはすぐに応じた。
「医務塔に資料が残っていれば、配合と調合で……早ければ二、三時間。材料が揃っていればの話ですが、時間との勝負です」
父は沈黙した。
重々しく、長い沈黙だった。
その思考の重さに、僕は息を詰める。
すべてを疑い、すべてを計算する父が、この場で“動く”と決めるには、並々ならぬ判断が必要なのだ。
だが、彼はやがて顔を上げ、ゆっくりと言った。
「……わかった。では、シュウ・ラン」
視線がまっすぐ、彼女へ向けられる。
「まずは私と王宮へ戻ってもらう。私と行動を共にすれば、余計な詮索も入りにくい。王宮内の動きは、私が保証しよう」
ランが、思わず目を見開く。
それは、予期せぬ提案だったのだろう。
だが父は続けた。
「セヴァン、お前は先に王弟家へ。私の代理として挨拶を済ませてこい。セラも同行しろ。追って、私も向かう」
その言葉に、セヴァンが小さく頷いた。
そして、こちらを見やる。沈着な金の瞳が、問いかけるように僕を見つめている。
僕もまた、何も言わずに頷いた。
二人の視線が静かに交わる。
言葉はなくても、意志は通じていた。
※
王弟家が暮らす離宮は、王都中心からやや南寄りに離れた小高い丘の上にあった。
もとは先代王の寵妃が静養のために用いていた建物で、王宮の華やかさよりも、どこか人目を避けるような静けさを持っている。
その門前に立つ頃には、すでに陽は西に傾いていた。
暮れかけた空が、屋根の瑠璃瓦に柔らかく色を落としている。
「随分と……静かな場所だな」
馬車を降りたセヴァンがそう呟いた。
たしかに、あたりは妙にひっそりとしていた。
王弟妃が体調を崩しているとはいえ、ここまで人気が薄いのは異様にも思える。
門番も最初は警戒していたが、セヴァンの名と父の命を告げると、すぐに通された。
屋敷の中もどこか重苦しい空気に包まれている。
通された応接間で、僕は深く呼吸をひとつ整えた。
「……兄上、何か感じますか?」
問いかけると、セヴァンはしばらく考えるような間を置いてから答えた。
「状況が、想像より深刻なようには感じる。医師の数は多い。だが、動きに統一性がない。情報が行き届いていないのか、それとも隠されているのか」
「……何かあるのでしょうか?」
「……まだ断定はできない。ただ、急激に悪くなったようでそれがただの“偶然”とは考えにくい」
そこでふと、扉の向こうから人の足音が近づいてくる。
ゆっくりと、しかし確かな重みをもって──それは、誰かが決断を携えてくる足音だった。
「セヴァン様、セラ様。お通しします」
女官の言葉に、僕は立ち上がった。
この先の真実を見極めるために。
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