第十八話「主のいない部屋」
王宮に呼ばれたのは、翌日の午後遅くのことだった。
正確には、“召喚命令”と言うべきだろう。言葉遣いも、使いの者の態度も、過不足のない丁寧さを保っていた。だがその実、そこに選択肢というものは最初から含まれていなかった。
宛名は、アリスタン王太子直々のもの。
王宮の者たちが皆、わざわざ「殿下より直接のお声がけにございます」と繰り返すのは、単なる礼儀ではない。
それが、すなわち“逆らうことなどできはしない”という、静かな圧力の表現だった。
(……わざわざ“私室”に、か)
通されたのは、アリスタンが執務以外の時を過ごすと言われる、南塔の高層部。
訪れたのはこれが初めてだった。
高位の者でも容易には足を踏み入れられぬと聞くその空間には、奇妙なほどの静けさがあった。
壁面は装飾こそ少ないが、上質な絹地と飴色の木肌で覆われており、足音すら吸い込むような深い絨毯が敷き詰められている。
案内をした侍従──名を“カデル”と名乗ったその青年は、沈着冷静な口調のまま、淡々とした声で言った。
「殿下は急なご来客にて、しばらくお戻りになれません。……大変申し訳ないのですが、お待ちいただけますか。お茶をご用意します」
その言い方には、どこか妙な含みがあった。
時間を稼ぐための口実のようでもあり、本当に予期せぬ不在のようでもあり……どちらかは分からない。けれど胸の奥が少しだけざわついた。
「分かりました」
部屋に一礼し、扉が閉じる音を背に受けながら、僕は小さく息をついた。
主のいない室内は、奇妙なほど整っていた。
机上には無造作に並べられた筆記具と、封のされた書簡の束。そしてその横に、ひとつだけ──封が開かれたままの、私的な文が一枚。
(……置き忘れた、のか?)
それはあまりに不用心だった。
アリスタンほどの人物が、個人的なやり取りをこのように放置するなど、ありえない……はずだった。
けれど、それはそこにある。
(罠か、それとも……もしくは単に置き忘れたか)
この部屋に“招かれた”という事実が、果たして偶然であるもの判断はつけにくい。
僕慎重に周囲の様子を窺いつつ、その手紙を手に取った。
美しい箔の押された便箋には、丁寧な──けれどどこか書いた本人の性格を覗かせるような筆跡で記された数行の手紙。
──「調整は予定通りに進んでおります」
──「例の方への影響も、間もなく現れるはずです」
──「殿下の御意向に添えること、何よりの光栄にございます」
それだけだった。
差出人の名はない。だが、その筆跡は見覚えがあった。
女官長──クレイア・メルバルト。
(……“調整”? “影響”? そして、“例の方”──?)
言葉にされていないのに、そこに潜む悪意の匂いは、あまりに濃かった。
ランの話を思い出す。
神経に作用する毒草。症状は、目眩と倦怠。眠気、頭痛。意識の鈍化──。
そして、“その誰か”が、それを受け取りつつある。
(……王弟妃、アメリア)
第一に思い至ったのは、昨日、父から聞いたばかりの名だった。
けれど、文章は明らかに名指しを避けていた。“例の方”とあるその書き方には、周囲を欺こうとする意図が色濃く滲んでいる。
──では。
(……アリスタンはどの位置にいる?)
ひとつの疑問が、胸を打った。
クレイアが“殿下の御意向に”と記したその文は、アリスタンが何かに関与していると見てとれた。
(“何か”がアリスタンの指示か、クレイアの提案か……それにここに置いたままの理由……)
アリスタンが“わざと“手紙を見せるために”僕をここへ呼んだ可能性もある。
混乱が胸の内に渦巻く。
彼は冷徹な人間だ。策略を用い、感情を覆い隠し、他者を操作することにためらいはない。
だが同時に──
(……あの人は、僕にだけ“歪んだ甘さ”を見せる)
アリスタンの感情は、時に理解を超えていた。
支配欲にも似た執着。
優しさを装いながら、それはどこかで僕を“所有物”のように扱う。
それでいて、ある瞬間には、誰よりも繊細に、僕の感情を見抜いてくる──そんな矛盾を孕んだ男。
(あれもまた愛と呼べば聞こえはいいが……僕には必要ないものだ)
その彼が、これを仕組んだのか。
あるいは、クレイアの行動に気づいていないのか。
どちらにしても、僕の選択はひとつだった。
(……このまま、放置はできないな)
その時、扉の外で微かな気配がした。
誰かがこちらの様子を伺っているのか、それとも、ただの通りがかりか──。
疑い深くなると何もかもに過敏になるものだ、と自身に苦笑する。
僕は手紙を元の位置へと静かに置いた。
証拠を奪うことが目的ではない。
ここに何があり、誰がそれを書き、どんな意図をはらんでいるのか──それを、正しく見極めるために、この先もここにい続けるために。
(クレイア……“殿下の御意向”とまで書いたその言葉──)
それが事実であるなら、僕は間違いなく“利用される側”だ。
だが、もしそれが虚構なら──彼女は、王太子の名を騙って、自らの意志で動いている。
どちらにせよ、アリスタンの“掌の内”が、少しずつ見えてきた。
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