第十一話「王太子との駆け引き・後編」
「本当に、変わったな。君は今……“私にふさわしい者”になろうとしている」
(……そう思ってもらわねば)
言葉にはしない。眉ひとつ動かさず、ただ微笑を崩さずに受け止める。
内心で喉を冷たく撫で下ろしながら。
「私はね、セラ」
アリスタンが立ち上がった。机を回り込む。
その足取りは静かで、けれど決してゆるやかではなかった。
「ずっと思っていたんだ。君には“華”がある。血筋だけではない。君の中には……特別な素質と香りが」
「殿下……」
熱が近づいてくる。
乾いた視線が、湿った手のように肌を這う。
次の瞬間、彼の手が伸びた。
──抵抗できなかった。
手首を、掴まれる。
力は強くない。けれど、逃れられないと分かる、支配の力。
「本当に、君は私に相応しい……」
唇が、こちらへと傾いてくる。
本能的に、拒絶の感情が走った。
けれど、それを顔に出してはならない。
この場で“拒絶”は、敗北を意味する。
何もかもが、水泡に帰す。
(耐えろ。いまは、まだ)
心の中で、呪文のように言い聞かせ、仮面を崩さぬまま、僕は目を伏せる。
アリスタンの唇が頬を掠め──それで終わった。
「君の願い、聞き入れよう」
そう言った彼の声音には、ふたりだけの秘密を共有したかのような親密さが滲んでいた。
手を離される。
そのまま背を向け、机に戻った彼は、何か思案するように指先で天板を叩いていたが、やがて振り返らずに言った。
「君は私の妃になる者だ。王宮には自由に参内するといい。姉妹のことも好きにしていい。ただし、参内した際には私に顔を見せることは忘れないように」
それは、赦しであり、通告だった。
僕は一瞬だけ目を伏せ、けれどすぐに、静かに前へと進み出る。
そして──彼の指先を取ると、その手の甲に、ゆっくりと口づけを落とした。
「ありがとうございます。殿下のご寵愛に、心より感謝申し上げます」
言葉の温度は、凍るほど冷たく。
仮面を脱いだ本心は、そこには一欠片も滲ませなかった。
執務室を出る。
扉が閉じた瞬間──僕は壁に背を預ける。
唇を、頬を、強く、手の甲で拭った。
皮膚が擦れる音が耳に痛いほどだった。
「……気持ち、悪い」
誰にも聞かれない、小さな声で吐き出したそれは、
己の胸の奥に、濁った毒のように沈殿していった。
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