6話
「……残り三ヶ月、か」
ガルド商会、商会長室。机の上に広げられた帳簿にはびっしりと赤字が連なっていた。
積み上げられた酒瓶と焦げ付いた蝋燭の煙が、狭い部屋を棺桶の中のようによどませていた。
「回収できる在庫はこれだけか……クソ!利子すら返せやしねぇ!」
指先で帳簿を叩きながら、ガルドは頭を抱えた。
自分で始めた投機の失敗、借金は雪だるま式に膨らみ、返済期限が目前に迫っている。
積み上がった赤字は、すでに商会の3年分の収益を越えていた。
苛立たしげに机を指で叩き、ガルドはため息ばかりついていた。
現実から逃れるために酒を煽ってはみるが、酔いは不安をあおるばかりで気分を紛らわせてくれなかった。
「――旦那、随分と追い詰められてますね」
重い空気に紛れるように、ドアの向こうから男が現れた。
ボサボサの短髪、傷だらけの鎧姿。――お抱え探索者のジルダだった。
「……何の用だ。今は忙しいんだ」
「いやぁ、良い話を持ってきたんですよ。――カジム商会が、新ダンジョンを見つけたって噂なんですが」
「――ッチ!下級商会が調子づきやがって!この間までウチの足元にも及ばなかったってのに!」
ガルドの苛立ちに、ジルダは肩をすくめてニヤリと笑う。
「攻略開始までは、まだ準備がかかるみたいですわ。こっちが先に動けば――浅い層を漁るくらい、余裕ってもんです」
「馬鹿言うな!ダンジョンの初期攻略は協会が厳重に管理してる。勝手に潜ったら……」
「おや、旦那。そんなこと言ってる場合ですかい?ずいぶんと余裕があるこって。――協会に"話が分かる"知り合いもいます。うまく話を通せばバレませんって」
ガルドは黙り込む。リスクとリターンが脳裏を駆け巡り、握ったグラスが汗で滑りそうになる。
ジルダが机に近づき、声を潜める。
ガルドが正気に戻らないよう、甘言を毒のように吹き込んでいく。
「それに――もし遺物でも見つかれば、一発逆転。借金なんて吹き飛ぶ額ですよ」
「……ふざけるな。そんな危ない橋――」
「俺は別に構いやしないんですよ。まぁ、世話になってきた旦那のために、こうして情報を持ってきてるってだけで。」
ジルダはぱっと立ち上がり、まるで何でもないかのように話を切り上げる。
ガルドの顔が苦悩にゆがむ。誘惑断ち切れていないその表情を見てジルダはさらに畳みかけた。
「バレるようなへまはしませんって。今までもそうだったでしょう?全部うまくやります」
「……クソ!」
手が机の引き出しに伸びる直前、一瞬手が止まる。
――本当に、これでいいのか?
理性が警鐘を鳴らしている。だが、脳裏には“破滅の未来”がちらつく。
今までも何とかなってきた。
そんな負の成功体験と受け入れられない破滅が、ガルドに一歩を踏み出させる。
奥にしまっていた最後の虎の子――己が一人高飛びするための隠し財産。
袋に詰めた金貨を、ジルダに差し出す。
「……大口を叩いたんだ、絶対にバレるなよ。失敗も許さん。」
「へいへい、任せといてくださいよ」
ジルダは袋を懐にしまい、軽薄な笑みの裏で、かすかな焦燥を押し隠しながら部屋を出た。
本当は自分でもわかっている。こんな危ない橋、賢い奴なら絶対に渡らない。
けれど、これ以上銀級探索者のまま生きていくのもごめんだ。
「たまたま運がなかっただけ」「俺は本来、もっと上に行ける人間だったはず」
そんな負け惜しみが、心の奥で毒のように膨らんでいる。
「やるしかねぇ。このまま、うだつの上がらないまま終わってたまるかよ。」
小さくつぶやいたジルダの言葉は薄暗い廊下に消えていった。
◆◆◆
ジルダは商会を出てしばらく、風が吹き溜まる裏路地で舎弟の若い探索者二人が待っていた。
「話はついた。三ヶ月後にはこの商会も終わりだが……予定通りだ。ダンジョンに潜る」
「でもジルダさん、今回のダンジョン、やばそうっすよ?攻略開始が遅れてんのも――」
「だからこそ、うまみがあんだよ。攻略の遅れもカジムんとこの金回りが悪いだけだろ。」
口調こそ余裕を見せていたが、ジルダは常々焦燥にも似た不安を抱えていた。
ジルダの階級は、もう何年も“銀級”止まり。
あと一歩、抜け出すための何かを求めていた。
「上位の奴らは大抵"遺物"をもってやがる、俺たちだって遺物が手にはいりゃ、晴れて一流の仲間入りよ。俺らも、そろそろ踏み台から抜け出すチャンスだろ?」
――クソッタレの金級どもと俺の差は遺物だけだ。遺物さえ手に入れりゃ俺だって
中身のない負け惜しみを喉の奥に飲み込む。
積み重なった停滞と追い抜かれる屈辱。
長年押さえつけていた情動は、降って湧いた好機を受けてもはや制御が効かなくなっていた。
その笑みの奥に滲む焦りと飢えは、舎弟たちでさえ背筋が寒くなるほどだった。
「ジルダさん、ガルドの野郎はいいんすか。『遺物は俺のものだ!』くらい言いそうすけど」
「はん、バーカ。んなもん遺物を手に入れりゃそのままおさらばに決まってんだろ、今のガルドに逃げた俺らを追う余裕はねぇよ」
そう答えるジルダの目はギラギラと濁り、危険な色を帯びていた。
その空気に耐えきれず、舎弟が話題を変える
「で、今回のメンツ、盾役はどうします?パルコのアホはくたばりやがったし……。さすがにダンジョン潜るってなると、いるっすよね」
「そうだな……癒者は高すぎて雇えねぇし、盾だけでも用意しねえとな」
眉間にしわを寄せ、ジルダは考え込む。優秀な盾職はパーティーが抱え込んでいることも多い。
騙して同行させるにしても一工夫必要だ。
「あぁ、そういえば」
舎弟の一人が、ふと思い出したように声を上げた。
「盾っつーと、最近、目立ってる新人がいるっすよ。狐人の……アルカって女。」
ジルダが眉をひそめる。
情報の収集は舎弟に任せていたということもあり、まったく心当たりがなかった。
「女で盾職……?使えるのか?足引っ張られたら意味ねぇぞ」
「鉄級に昇格したばっかのくせに、生意気に銅級昇格のうわさもあるらしいっすよ。それに――ツラがいいんすよ」
「そ、そ!体はまぁ、及第点っすけど。ほんと顔だけは上等なんで。珍獣だし、遊ぶならそっちいいっすわ。」
舎弟たちが下卑た笑みを浮かべる。
ジルダは余りにもお粗末な脳みそしか持っていない舎弟に内心ため息をつく。
「どうせ新人だし、ふらりといなくなったところで気にされませんよ。最後は……好きにしてもいいっすよね?」
「なんかパーティも点々としてるみたいだし、捜索が始まるのも遅れるっすよ。」
ジルダは顎に手をやり考え込む。
登録して半年程度の新人、常日頃つるんでいるパーティもナシ、才能もあるようだ、そして攻撃手段に乏しいといわれる盾職の女――好条件だ。
それに何より、順調に才能を伸ばして希望にあふれているところが気にくわない。
「はん。今回のメンツに加えてくれって言わんばかりの好条件じゃねぇか。」
「お、決定っすか!」
「あぁ、協会の"お友達"に連絡入れろ。商会からの“指名依頼”って形で引き込む。期待の新人にはせいぜい俺たちの躍進の踏み台になってもらおうじゃねぇか」
三人の薄ら笑いが路地に消える。
人気の消えた路地には、濁った潮の匂いがたまっていた。
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