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2話

ひとしきり尻尾を撫で倒し、何とか精神を立て直す。

いつまでも廃屋前で黄昏ているわけにもいくまいと、人気のある方向に歩き始めた。

頭の狐耳はぴこぴこと、明確に人の営みが発する音をとらえてくれていた。


――さすが、狐耳は伊達じゃないな。


廃屋を後に歩き出す。入り組んだ道を右に曲がり、左に曲がり。

狐耳に導かれるまま、路地を抜けた。


喧噪が一気にあふれる。


数多の人が交わす取引、言い合い、泣き言。それらが多重に重なり合い、取引の場としての存在感を俺にたたきつけてくる。


「はい!アドル焼き3つお待ち!300Lだよ!――はい確かに!ありがとう!また寄ってくれよ!」

「あぁん!?これ以上は負けらんないよ!買わないんなら帰んな!」

「もう!何度も言わせないで!売り切れたって言ってんでしょ!!いつまでも取り置いてなんていられないんだよ!」


喧々囂々と取引が飛び交い、ごった返す人の波。誰もが必要なものを求めて売り、買い、また散っていく。

人々が生活するために働くエネルギーがそのまま熱気となって渦を巻いているようだった。

香ばしい肉の匂い、スパイスの刺激、薬品のようなつんとする香り、人々の体臭、様々なにおいがガツンとたたきつけるように感じられる。


「んん!」


慌てて、鼻を押さえ一歩後ずさる。想像以上によくなっている五感に衝撃を受ける。

この体になれるのにはもう少しかかりそうだ。

自分でも把握しきれていない体の差異に振り回されていると、かわいらしい音を立てておなかが鳴った。


こんな状況なのに、腹は減るんだな。


当たり前だが、異世界に行っても腹は減る。

一度意識してしまうと、結構な勢いで空腹が増していく。


あたりを見渡す。肉に魚、野菜に謎の虫。

四方の屋台には飲食店も多いようで、様々な料理が並んでいる。

相も変わらず漂ってくる香りが、俺の空腹感を殴打し続けていた。

しかし、この世界の通貨なんて持ってないわけで。


「日本円は……まぁあかんやろうなぁ」


現地の人々がやり取りしているのは、明らかに見たことない硬貨だ。

ペラペラの紙幣でやり取りしているやつなんて一人もいない。


人混みに紛れることもできず、路地の隅で立ち止まり途方に暮れていたその時だった。 


「あれ?どうしたのお嬢ちゃん。なにか困りごと?」


突如、声を掛けられた。

慌てて声の方へ振り向く。若い男だ。

屋台で働いている人々に比べ、どこかしゃれた――いうなればチャラついた格好をしている。

反面、俺より頭ひとつ分は背が高く、なかなかの威圧感だ。

こいつ、若い顔のわりに随分でかいな。――いや、俺が小さいのか。


「すんません、すぐどきますんで。」


とっさにそう返し、同時に頭にはてなが浮かぶ。

……なんで普通に会話できてるんだ?こっちの世界の言葉のはずなのに。


聞こえる言語はあきらかに日本語ではないし、俺の口から出る言葉も日本語ではない。

にもかかわらず意思疎通ができている状況に違和感はある。

――いじられたのは見た目だけじゃないのかもしれない。

そんな想像が浮かび、背中に寒気が走る。


「ん?」


道を開けて横に避けたが、男は動かずに俺をじろじろ見ている。

顔の形は笑顔に作られているが、その目はどこか――そう、明らかに何かをたくらんでいる目だ。


「お!やっと顔上げてくれた!やっぱりかわいい!ここらへんじゃ見ない格好だね?それに、色は黒っぽいけど……狐人?珍しいなぁ。」

「はぁ、どうも。」


何やコイツ、ナンパか?

……人生初のナンパが男からって、人生どこで踏み外したんだ。


あんまりな事実に遠い目をしてしまう。

こちらの様子を知ってか知らずか、立て板に水を流すように男は話し続ける。


「あんま見ない格好だし、旅の子かな?ずいぶん若いみたいだけど。」

「まぁ、そんな感じです」


男はにやりと笑う。

さりげなく、人の目から俺を隠すように立ち位置を変え、行動を制限するかのように肩に手が回される。

振り払おうとする間もなく、声がねっとりまとわりつく。


「……ごめんね、こんなところで話しかけて。でも、ほんと困ってそうだったからさ!俺、ちょうど知り合いに人手探してる人がいてさ。――ちょうどいい“仕事”あるんだけど、やってみない?」


――手慣れてやがるな。

警戒心が一気に高まる。こうやって金のない“おのぼりさん”をカモにしているのだろう。


とっさに攻撃的な対応が思い浮かぶ。

しかし、今の俺は異世界赤ちゃん。ここがどんな世界かすら把握できていないのだ。

可能な限り穏便に済むよう、だが、拒絶の意思だけを告げる。


「いや、結構です……。大丈夫ですので。」

「いやいやいや!警戒しないで!こっちじゃよくある話だからさ。みんな最初は不安がるけど、ちゃんと稼げる仕事だよ?」


ぐっと、肩に回された手に力がこもる。


「ね?宿代だって馬鹿にならないでしょ?うちだったら、そこらへんも提供できるし、君ぐらいかわいかったらすーぐ稼げるよ。」


男はなおも馴れ馴れしく、そして声をひそめて続ける。

気づけば、その手が俺の肩から――

ぐい、と胸を揉まれた。


「――っ!!」


一瞬、頭が真っ白になる。

――は?何してんだこいつ!?


数瞬遅れて、体全体に鳥肌と怒りが駆け上がった。

尻尾が爆発的に膨らみ、体が反射的に警戒態勢に入っていくのを意識と離れたところがぼんやり把握していた。


「うーん。ちょっと物足りないけど全然及第点!あれ?固まっちゃってる?もしかして、経験ない――?」


反射的に、右手が勝手に振り抜かれていた。

人なんて殴ったこともなければ、格闘技の経験もない、自己流・場当たり・破れかぶれのめちゃくちゃフォーム。

勢いに任せた一撃は、しかし、風を切って男の頬を正面からぶち抜いた。


「なっ、ちょ、待――」


男はまるで人形のように吹き飛び、二度、三度と地面でバウンドしながら路地裏に転がっていった。


男への嫌悪感や危機感を持つことが遅かった反省もどこへやら、目の前の現実を受け入れられていなかった。

呆然と、その場に立ち尽くす。


「はぁ?」

想像と現実の狭間に思わずマヌケな声が漏れる。

何だこの威力……そんなに力入れてないぞ!?

はっ!これが……若さか!?――いやいやいやいや!そんなわけない!


“全く痛みを感じない拳”に沸き上がる、得体のしれない恐怖。

傷もなく、シミ一つないその白く細い腕がまるで何か凶器のような威圧感を帯びていた。


お、お、お、お、本当にどうなってんの。おっちゃんにもついていける感じにしてくれ……。


わたわたと拳を背中に隠してみたりしながら、混乱をごまかす。

路地の先で、男が転がっている。立ち上がる気配はない。

かなり大きな音を立てながら騒いでいた気がするが、周りは無関心――迷惑そうにこちらを見るばかりだ。

一瞬こちらを見ては、「あーまたか」という顔で、すぐに自分の取引に戻っていく。

このようなトラブル、日常茶飯事なのだろうか。


異世界でも無関心ピーポー。冷たいコンクリートジャングルは世界を跨いでも健在だ。


逃避気味に思考を回しながら空を仰ぐ。

相変わらず二色の太陽が燦然と輝いていた。


◆◆◆

「いやー!ほんっとすんません!」


チャラ男が両手を合わせてペコペコ頭を下げる。顔に拳の跡と泥がついているのに気にも留めず、相変わらず調子だけはいい声だ。


俺の手には、数本の謎肉の串焼きが入った包み。焼けた肉とたれの匂いに早く喰え!と胃袋が騒ぎ立てる。

――当然、チャラ男のおごりである。


「ほんと調子のいい奴やな」


袋から1本取り出し一口かじる。

うまい。空腹もあってだろうか、雑に濃いめの味付けの肉が染み渡るようだ。

焼きすぎで少し焦げ付いた表面もなんなら風味に一役買っている。


何の肉かは不明の謎肉。少し獣臭いが美味い。異世界初グルメは予想外の高得点だ。


俺の顔が緩んだことに安心したのか、男はわざとらしく肩をすくめてみせた。


「姐さんも人が悪いっすわ、あんなにカモの雰囲気――いや!文句があるわけじゃないっすよ!」


どこまでも軽い口ぶり。殴られてもめげるどころか、すぐに態度を切り替えて媚びてくる。

こいつはこれで生き抜いてきたんだろうな、と思わず感心してしまう。


「反省せん奴やな。それに、金がないのはほんまや。財布すら持ってへんわ。」


手をひらひらと振って答えると、チャラ男は首をかしげる。


「えぇ?うそでしょ。あんなに身体強化できるんなら、探索者でも用心棒でも稼ぎ放題じゃないっすか」


身体強化。


ポンと出てきたファンタジーな言葉に内心戸惑う。

ゲームや小説なんかでは聞くことはあるが、日本で日常的に使われる言葉ではないことは確かだ。

そんなもの使った記憶もないし、使えと言われても使い方が分からないんだが……。

戸惑いを態度に出さないよう、ふんふんと聞き流す。


「で、で、どうでしょう、俺の知りあい、用心棒も探してて――いやぁ!冗談です!何でもないです。」


調子の良いことを言い出したチャラ男にため息をつく。慌ててチャラ男は話題の軌道修正を図った。

本当に懲りない奴である。こういうタイプの方がこの世界では生き残れるのか。

――いや、そうでもないと死ぬのか。


「た、探索者っすよねぇ!結構どこにでもある組織なんすけど、姐さんの故郷にもあったんじゃ?」

「なかったなぁ。」

「そ、それは随分といな――お、落ち着いた環境っすねぇ!」


俺はそんなチャラ男の慌てぶりを横目に、2本目の串焼きをかじる。

どうにも、どこまでも軽い奴やな、と苦笑がこぼれた。


「ま、ま!探索者ってのはですね――」


ま、情報仕入れられるのはありがたいか。

早々に2本目の串焼きを食べ終わり、3本目に取り掛かりながらチャラ男の説明に耳を傾けた。


◆◆◆


調子のいい説明を聞き流してしばらく。

チャラ男の説明をかいつまむと、探索者ってのは何でも屋というか、命をベットして金稼ぎする職業らしい。

日本では特に波乱なく、レールに乗っかり安定した人生を歩いていた身である。

“魔物退治”だとか“盗賊との殺し合い”だとかバイオレンス丸出しの世界に少し尻込みしてしまう。


「――ってな感じで、最近は配信する探索者ってのも多いんすよ!」

「配信なぁ?」


なんでも探索者の活動を一般人に配信する、ダンジョン配信者というのも流行っているらしい。


「しっかし、命かかってる最中にカメラ回すんか?」

「どちらかっていうと“命がかかってるから”っすよ!」


一般人ができないこと、やりにくいことを配信して共有するのは地球でもあったことだ、理屈はわかる。

分かるが……


――にしても、配信か。

この世界の文明はどうなっているのか。


「てか、配信ってどうやってんねん」

「さぁ?よく知らないっすけど、配信用の使い魔?みたいなのが売られてるんで、それを使うっぽいっす」


随分あやふやな情報だなと思いつつも、俺も前世のインターネットの仕組みなんかよく理解していなかったことを思い出す。

目の前にあるものをあるがままに使う。意外とそんなもんなのかもしれない。


「姐さんなら見た目もバッチリっすし、配信映えしますよ、絶対!」


ぼんやりと考えを巡らせていると、調子よくチャラ男が俺を持ち上げてくる。

とりあえず褒めとけ、顔にそう書いてあった。


「そんな簡単な話なんか?」

「いや~、俺もあんま詳しくないっすけど。やっぱ見た目がいいほうが得っていうか」


チャラ男はひとりで納得し、頷いている。

地球でも見た目がいい配信者は多かったが、当然そんな単純なもんじゃないだろうことは想像に難くない。


話半分。それくらいがちょうどよさそうだ。


そんな感じで、チャラ男からこの世界の情報を仕入れることしばらく。

手の中の串焼きがなくなるころ、屋台通りに終わりが見えてきた。


「姐さん、探索者協会はですね!この大通りを抜けて、門の方に行ったらすぐわかりますよ!」


そう言ってチャラ男が立ち止まる。

言葉にはしないが、案内はここまでで勘弁してほしい。そう顔に書いてあった。


「いやぁ、いろいろ目ぇつけられてまして。――へへ、ほんとすんません。これで手打ちにしてくださいっす。」


俺の顔色を窺ったのだろうか、いっそうへらへらしながら、巾着袋をひょいと差し出してきた。

そこそこの重量を感じる。――詫び料ということだろうか、こいつなりの誠意らしい。

勝てない相手と揉めたら金出して手打ちに。行き当たりばったり。何とも雑な生き方だ。


「そんな生き方してたら、長生きでけへんで。」


思わず口からこぼれる。チャラ男は苦笑いしながら頭を下げた。


「へ、へ、耳に痛ぇっすわ。それじゃぁ、俺はこの辺で。」


するっと雑踏に紛れ込むチャラ男。周囲のざわめきが、ふたたび強くなる。

市場通りの音に飲み込まれ、男の姿も人混みに紛れて消えていった。


「……ま、他人事やと思ってたら、自分もいつか同じようになるんかもな。」


小さくつぶやく。

手の内の小銭袋をぼんやり見下ろしながら、俺はひとつ深呼吸した。

異世界、ダンジョン、魔物、探索者――それに配信?……分からないことだらけだ。


「はぁ……」


ため息ひとつ。そうして、ふんと気合を入れなおす。

悩んで足を止めていても仕方がない。切れる手札は魔法の力?くらいだ。


ビビッてどうする?戻ってチャラ男に“仕事”を紹介してもらうか?――否である。


パン!と頬を叩く。異世界に放りだされ、体をいじくられ、安全な生活も望めそうにない。

何が待ってるかも分からないが、頼れるものなんてない。とりあえず前に進むしかないわけだ。

腹をくくる。狐耳が、ひときわ強くぴこぴこと跳ねた。

俺は大通りに一歩踏み出し、探索者協会へと足を向けるのだった。

ここまで読んでいただきありがとうございます。

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