7. 私だけの
ルルーが向かったのは、城の西端。
魔法式が図柄のように張り巡らされた、一際扉の前に立ったルルーは、掌を翳した。瞬間、魔法式に強烈な光が走る。思わず顔を背けたパトリシアは、数刻待った後、恐るおそる扉を見やった。
「……これは」
感嘆とも、畏敬とも取れる声だった。
扉は失せ、地下に続く長い階段が現れている。パトリシアが知る限り、こんな大掛かりな魔法式は存在しないはずだった。
目を白黒させるパトリシアに、ルルーが頬を紅潮させる。
「すごい、ですよね。最初にこれを見た時、アタシも吃驚して、声が出なくなりました」
パトリシアは何度も頷いた。
自分の頬が、眼前のルルーのように赤くなっていくのを感じる。階段は石造りで、暗く、湿った感じがしていたが、不思議と恐ろしいと思わなかった。
パトリシアは階段を降り始めたルルーの背中を見つめる。脳裏によぎるのは、ルルーの金の瞳。大きく飛び出た、潤んだ瞳は、酷く蠱惑的だった。
(この子は、魔法式に恋してるんだわ。昔の私と同じように)
パトリシアは首を振る。
会って数秒の娘に、同調しすぎている。
それはきっと、優しさではない。
過去の自分を救いたいがためだと、理解していた。
階段の終点は、淡い光に包まれていた。
丸く切り取られた空間は、壁に本棚がみっしりと詰まっている。点在した机の上には、未加工の金属や、液体の入ったフラスコが埃一つなく佇んでいた。
パトリシアの翡翠の瞳は、中央に座した魔法陣に釘付けになった。魔法の素養の無いパトリシアでも分かる。それは、悍ましいほどの魔力を帯びていた。
「まず、装身具に使う金属を選びましょう」
ルルーの声でハッとしたパトリシアは、彼女の横顔を見た。幼い顔立ちとは不釣り合いな、引き締められた表情。それは、ルルーの職人としての矜持を感じさせた。
「なんでもいいんですか?」
「勿論です! パトリシア様は肌が白くていらっしゃるので、どんな物でもお似合いになるかと思います。例えば、こういう銀色の物とか如何でしょう」
ルルーが差し出したのは、鈍い銀色を放つネックレスだった。パトリシアは息を呑む。ペンダントトップは空だったが、葉を模した繊細なチェーンが美しい。主人の表情をいち早く読み取ったルルーは、穏やかに微笑んだ。
「これにいたしますか?」
「はい」
ルルーがネックレスを台に置く。
そこで、パトリシアは目を剥いた。広げられたチェーンは、あまりにも細い。これに魔法式を刻むのは、並の職人では不可能だろう。
反射的にルルーを見た。燻る翡翠の瞳を見つめたルルーは、深く頷いてみせる。先ほどと同じ、力強さのある表情で。
ルルーの人差し指がネックレスを這う。
静かな部屋に、金属が焼き切れる音が木霊した。
指先からは、度々、オレンジ色の光が弾けている。パトリシアは気づいた。淡く、暖かなそれが、可視化されたルルーの魔力である事と──城を彩るランプが、同じ色をしている事に。
「はいっ、完成です!」
指先で慎重にペンダントを摘んだルルーは、じゃーん、と腕を伸ばして、パトリシアの方へ向けた。
銀色のチェーンに刻まれた魔法式は、パトリシアには葉脈のように思えた。元のデザインを殺さないルルーのセンスに、自然と頬が緩む。
「貴女は、素晴らしい腕を持っているんですね。……侮るような真似をして、すみませんでした」
(この子は私と同じじゃない。ちゃんと身を立てて、一人で歩けるように努力したんだわ)
ルルーはキョトンと目を剥いた後、すぐに首を横に振った。
「いいえ、いいえ! 全部、スヴィエート様や、辺境伯様のおかげなんです。アタシ一人の力じゃありません」
そう言ったルルーは、半ば押し付けるようにパトリシアにネックレスを渡した。頬を真っ赤に染めながら、千鳥足で一番遠くの机に走っていく。
「じゃ、じゃあ、パトリシア様! 次は宝石を選びましょう! これもアタシが加工するので、お好きなものを選んでくださいっ」
上擦った声で、顔を俯かせながら机の宝石たちを差し出す。オレンジ色の髪から覗く耳が、未だ赤を保っていた。パトリシアは声を殺して笑う。
「それじゃあ、この青色の石でお願いします」
パトリシアが指差したのは、深い青色を呈した石だった。ルルーは頷いた後、石を手に取る。魔力を用いて石を磨いている最中、ルルーの胸の内を占めていたのは、強い興奮だった。
ルルーは、パトリシアが商家上がりの男爵家出身であると聞かされている。であれば、派手好きの衣裳持ちに違いないと考えていた。美しい物に目が無いルルーは、どんな人が自分の主人になるのか、毎日楽しみにしていたのだ。
(パトリシア様は、想像とちょっと違ってたな。でも、全部が綺麗な方だった!)
そんな方に、自分の技術を認められた。久しぶりに感じた、自分の全てを肯定されたような喜びが、ひたすらにルルーの背を打つ。ルルーは唇を噛み締めながら、石を見つめた。見る角度によっては、パトリシアの翠眼にも近い色を見せるソレは、ルルーのお気に入りでもあった。
頭上にかざして石の調子を見る。
ふ、と角度を変えた時、ルルーは目を剥いた。
「辺境伯様の瞳の色、ですか?」
振り返ると、パトリシアがはにかんでいた。
一瞬見えた、雪のような淡い灰色と、澄んだ青。
戦災孤児だったルルーが、初めて見た辺境伯の瞳にそっくりだった。