24. 風の落とし子たち(後)
曇天の下、月の光も無い中で、姉弟が花を眺めていた。春の終わりということもあって、春と夏の花が入り乱れた庭園は、幻のように美しい。
パトリシアは弟を一瞥した。
よくよく見ると、乱れた髪は記憶にある頃よりも僅かに長い。大きな瞳は深い緑色を呈していて、注視していないとこぼれ落ちそうな程、不安定に揺れていた。スヴィエートと別れて以来、一言も発していない2人は、目も合わせず、ただ庭園を歩いている。
「花、大丈夫になったんだ」
パトリシアの肩が跳ねる。
ヴェントは素知らぬ顔で、足元を見ていた。パトリシアの方を少しも見ずに。パトリシアもまた、視線を落として自分の腕を抱く。
父と弟は、パトリシアの発作を疎んでいた。
生花、血、動物、体温。それらを契機に、パトリシアは青ざめ、震え出す。社交界でろくな立ち回りが出来なかったのも、突発的な発作が思考を引っ掻き回していたせいだろう。その件に触れられる、と思うと、自然と体が強張った。
「さ……触るのは、無理、だけどね」
「ふーん」
パトリシアは、素っ気ない態度に拍子抜けした。
平時のヴェントであれば、今の言葉に2、3言煽りを付け足すはずなのに。
「そういえば、姉上は爪飾りしてないの?」
ヴェントはパトリシアの指先を一瞬見て、すぐに視線を逸らした。パトリシアも、自分の爪を見る。桜色の爪は、今日も飾り気が無い。
──ケイデンス子爵家のお茶会で、ルルーに爪飾りをつけてもらった時は、ただの話題作りかつ、実父の宝石を捌きたい一心だった。それなのに、何故か令嬢たちの間で流行ってしまった。あの日お茶会に参加した令嬢たちが広めたのだろう。
(結果的に、父に貸しを作った事になるのかしら)
恐ろしい事に、つい先日、男爵家から手紙が来た。
感謝の手紙だった。
装飾用の宝石がビックリするほど売れたらしい。
シェーン男爵が顧客に問うと、パトリシアが広めたと言うではないか。この間も、騎士たちのために宝石を融通するよう言われたし、娘は存外上手くやっているようだ。やっと役に立ったな──という経緯での手紙だった。
パトリシアは小さく溜息を吐いて、手で爪を覆う。
産まれてはじめて父に褒められたが、カケラも嬉しくなかった。とはいえ、功績を出した事も事実だ。社交界に爪痕を残し、宝石を埋め込んだ武器という強みを発掘した。ゆくゆくは、武器を他所の騎士団に売るのも良いかもしれない。
「お茶会に行く時はつけるけど、普段はね。邪魔だから」
「あっそう」
相変わらず、ヴェントに表情は無かった。
(なんなの、もう。本当に……話したい事があるんじゃなかったの)
パトリシアは昔から、ヴェントの事を理解できなかった。いつ見ても、嗤っているか、怒った顔をしているかのどちらかだったから。会えば罵倒して、パトリシアが黙り込む。満足したらどこかへ去る。その繰り返しで、マトモに話せた試しなどなかった。
「あのさ……手、出してよ」
物思いに耽っていたパトリシアを、ヴェントの声が呼び戻した。ハッとして顔を上げると、弟がパトリシアを眺めている。深い緑色の瞳は、沼の底から見つめられているようだった。
「え、何、急に」
「いいから!」
ヴェントは姉の腕を掴んで、手の中に何かを滑り込ませる。姉の指先がソレを掴んだ事を確認すると、すぐに腕を離した。パトリシアの肌が粟立つ前に、迅速に。パトリシアは、怪訝な顔で手の中の物を見る。そこにあったのは、装飾の無い小さな瓶だった。内部には淡い水色の液体が入っている。
「どうせこっちでも手痛めながら働いてるんでしょ。雑務とかなんでも引き受けて……まぁ、気が向いたら使ってよ。痛みに効くヤツしか入れてないから」
鼻を鳴らしながら、ヴェントが言う。
瓶と弟、双方を見ながら、パトリシアは唇を開いた。
「ヴェントが作ったの?」
「……嫌だったら返して」
あんぐりと口を開けて、ゆるゆると視線を落とす。
理解が追いつかない。弟が自分に物をやるなんて。しかも手作り、手作りだ。パトリシアは混乱したまま、再度弟を見た。
「ううん……嫌じゃない。嬉しいわ。でも、なんで?」
「誕生日。もう過ぎたけど。たしか冬だったでしょ」
「あ……忘れてたわ……」
パトリシアが手の中の瓶に視線を戻す。
ろくに祝われてこなかったから、気にした事もなかった。それに、ヴェントが自分の誕生日を覚えてるなんて。弟が何を思ってこんな事をしているのか、カケラも理解できない。嫌がらせにしては真剣で、懐柔するには態度が悪すぎる。
兎にも角にも、ヴェントが話したかったことは“コレ”だったようだ──パトリシアは安堵のため息を吐いた。あまりにも様子が可笑しいので、庭に引き込んだは良いものの。マトモに話した事のない弟と、何を話せば良かったのか、見当もつかなかったのだ。目的が果たされれば、弟も落ち着くだろう。
ヴェントは肩をすくめて、視線を逸らす。
「何それ。愛しのダンナ様には祝ってもらわなかったの?」
調子を取り戻したらしい。冗談めかした言い様に、パトリシアは苦笑を返した。
「あの方は……冬は、国境に居たから。私も何も言わなかったし」
ヴェントの眉が跳ねる。
「へぇ……」
途端に声が低くなった。
どろりと、深い緑色の瞳が濁る。
「やっぱさぁ、姉上、早いとこ離縁した方がいいよ」
パトリシアが目を見開いて、ヴェントを見上げた。
透き通った新緑の瞳と、澱みきった深緑の瞳が目を合わせる。
「どうせ辺境伯様も死んじゃうでしょ。母上みたいに、誰も助けられないまま、どんどん冷たくなっていくんだ」
急速にパトリシアの体温が下がっていく。
「姉上、耐えられるの? 母上の事も、まだ乗り越えられてないくせに」
ヴェントは自嘲するように、口元だけで笑った。
ただ、目元だけが笑っていない。ヴェントは何かを期待するような、真摯な眼差しを向けていた。




