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11. 無法者たち(後)

「あの子は国境にいました。戦時下なのに、薄汚れた小屋の中で、食事も摂らずに魔法式を書いていたんです」


 スヴィエートが眉間に皺を寄せる。パトリシアは、並べられた単語にハッとして、口元を押さえた。


「まさか……武器に?」


 深く頷いたスヴィエートを見て、パトリシアは片手で顔を覆い、呻く。辺境伯領に来て初めて知ったのだが、隣国の武器は、特殊な魔法式を刻まれている。少量の魔力を流し込むだけで、中強度の魔法を発現できる式。あれならば、確かにパトリシアでも、風属性の魔法を再現できるだろう。


「流石に驚きました。アイツら、勝つために子供を犠牲にしてるんだ、って」


 パトリシアの胸に、様々な感情が累積していく。

 見知った少女が、劣悪な環境に置かれていた事。

 とうに諦めていた魔法に、手が届く可能性。

 そして何よりも。


『その、前に勤めていた家では、使用人が魔法式を書くのが認められていなかったので……つい』


(あれは嘘だったの、ルルー)


 ルルーの発言との齟齬が、パトリシアの心に影を落としていた。パトリシアの知識では、どうしても戦場と使用人を結びつけられなかった。


 スヴィエートはパトリシアを見て、開きかけた口を閉じる。


(奥様が屋敷にいらして随分経つのに……。言いにくいのは分かるけど、主人に自分の背景を説明しないまま仕えるなんて)


 そもそも、閣下がきちんと説明していれば、奥様がここまで衝撃を受ける必要もなかったはず──そこまで考えて、スヴィエートは己の主人の口下手っぷりを思い出し、明後日の方向を見た。あの方は、致命的に言葉が足りない時がある。


 スヴィエートは改めてパトリシアを見やった。

 並の使用人と雇用主なら、ここで関係性が破綻するだろう。しかし、ルルーとパトリシアには、確かな信頼関係が存在しているはずだ。その事を理解していたから、スヴィエートは口を開いた。


「あの子、返り血だらけの僕たちを前にして、なんて言ったと思います?」


 パトリシアは、声につられるように顔を上げた。

 脳裏を過ぎるのは、ルルーとスヴィエートの姿。

 装身具を作るルルーの、真摯で、蕩けた瞳。

 光球を操っていたスヴィエートの、熱を孕んだ瞳。


(スヴィエートの技術を看破した時、私も同じ目をしていたんでしょうね)


 あの、目の奥が熱くなる感覚。パトリシアは力無く笑った。二人と自分の共通点を挙げれば、ルルーが何を思ったのか、容易に想像できる。


「刻み終わってから殺してくれませんか……かしら」


 スヴィエートが破顔した。


「流石ですね、奥様。あの子は昔から()()だったんです」


 パトリシアは、二人との奇妙な連帯感を感じた。

 好きなもので頭がいっぱいになる感覚。

 その世界に関わっている間は、自我も、命さえも必要ない。魔法は、逃れられない“自分”から解放される逃げ道で、自己実現の柱だった。


(疑うのは止めよう。ルルーは、魔法式が大好きな、明るくて優しい子。それで良いんだわ)


 パトリシアが細く息を吐いた。

 スヴィエートは本の背表紙を撫でる。戦術用、と書かれたそれは、ルルーと出会って以降、微に入り細を穿つような書き込み(改良)が為されていた。


「あの子は武器製造に関わる魔法式しか知らなかったので、基礎的な式を僕が教えています。なので、一応師弟という形にはなっていますが……あの子自身の知識も、相当な物です」


「じゃあ、ルルーが先生になる日もあるのかしら?」


 スヴィエートはパトリシアを一瞥した。

 使用人に教わる事を恐れない発言。当然、貴族として褒められた思想ではない。しかし、スヴィエートが浮かべたのは笑顔だった。同族として、これほど歓迎できる気質も無い。


「奥様がお望みでしたら、いつでも」


「やった!」


 パトリシアが手を合わせてはしゃぐ。

 が、面食らったスヴィエートを見て、すぐに硬直した。途端に頬を染めたパトリシアは、ゆるゆると視線を逸らし、腕を下ろす。


「す、すみません。私、つい……」


 スヴィエートは微笑んだ。

 尊いものを見るように、紫紺の瞳を細める。


「とんでもありません。どうぞ、お好きなようにお過ごしください。礼儀作法も大切ですけど……もっと大事なのは、趣味を楽しむ心ですから」


 パトリシアは赤らんだ顔のまま頷いた。

 伯爵令嬢から一介の騎士に転身したスヴィエートの背景や、魔法に携わっている時の目付きを思うと、説得力を感じずにはいられなかった。


「閣下もきっと、そうお望みです」


 付け足された言葉に頷こうとして、ふと思う。

 パトリシアは辺境伯に与えられてばかりだった。


(私は閣下に何ができるの?)


 子供を産む事、悩みを聞く事。

 それとも、魔法式を学んで戦力になる事?


 パトリシアは小さく首を振った。

 前者は辺境伯夫人としての義務だ。“パトリシア”個人の能力とは関係無い。閣下ならば、その人にしか出来ない事を求めるはずだ。後者は既にスヴィエートらが担っている。それに、付け焼き刃の知識で戦力になれるとも思えない。


『思い出してしまった時……私を呼んでください。私も、閣下の力になりたいので』


 過去の自分の発言が、パトリシアの心を真綿のように締め付けた。辺境伯はパトリシアを頼らない。頼ってほしいと縋るパトリシアに、感謝を述べるばかりだった。


 パトリシアを見守っていたスヴィエートは、思わず苦笑する。本を抱えて考え込むパトリシアに、辺境伯の姿を重ねたのだ。


「では、そろそろ魔法式を書いてみましょうか」


 スヴィエートが、ぱん、と本の背表紙を叩く。

 思考の渦に囚われていたパトリシアは、その音に肩を跳ね上げた。そして、10秒も経たないうちに、自分が何を言われたのか理解する。パトリシアが蒼白するのに比例して、スヴィエートの笑みが深まっていった。


「も、もう? 私、まだ知識不足なんじゃ……」


「ご冗談を。僕の魔法を見抜いた方に、何を教えろと言うのです? その知識量ならば、当然、魔力の流し方もご存知……いえ、試したこともあるはずです」


 言うなり、スヴィエートは本を開いた。

 中には、趣向を凝らした武具が所狭しと描かれている。慣れた手つきで本を捲っていくスヴィエートは、ある項に差し掛かった時、手を止めた。


「今日は護身用の魔法具を作ってみましょう」


 スヴィエートが本に手をかざす。

 口の中で2、3言、何事かを呟いた。

 瞬間、閃光が広がる。反射的に目を閉じかけたパトリシアは、次の瞬間、スヴィエートの手の中に銀の懐中時計が握られているのを見て、驚嘆した。


「それ……本から出したと言うの? 嘘よ、あり得ない。絶対に既存の6属性には該当しない魔法よね? 一体どうやって……」


「ふふ。魔法はまだまだ奥が深い、という事で。次の講義に解説いたします。お楽しみに」


 スヴィエートは、心底楽しそうに笑う。

 事実、パトリシアとの語らいが、楽しくて仕方がなかった。打てば響くところ。好奇心の塊であること。そして、圧倒的な目の良さ。優秀な弟子が増えたことに、喜びを隠せなかった。


 スヴィエートが持っていた本を宙に離す。

 本は翼を操るように全身を開け閉めして、私室を泳ぎ回った。


 パトリシアには分かる。

 その本は、風属性の魔法をかけられている。

 けれどやはり。いくら考えても、先ほど見た懐中時計の魔法は、属性さえ判別できなかった。


 悔しさに顔を歪ませている最中、スヴィエートが指を振る。途端に、パトリシアの胸元から風が舞った。驚いたパトリシアが手を離すと、勢いよく本が開かれる。


 スヴィエートは、パトリシアの空いた手に差し込むように、懐中時計を渡した。


「さぁ、奥様。この時計の裏に、式を刻んでみてください」


 開け放たれたページには、魔法式が載っていた。

 短く、ほとんど一本道の式。しかし、中腹に幾つか飾り文字が付いている。パトリシアは息を呑んだ。王国の魔法式では、飾り文字はただの装飾に過ぎない。例え式に組み込んでも、魔力の流れを阻害するだけだからだ。


(隣国が魔法式の何を開発しているのか、ずっと気になっていたけど……。飾り文字だったのね!)


 パトリシアは目を凝らす。

 式の横に、勢いのある字──ルルーの字でメモが書かれていた。羅列する単語の一つを、唇に乗せる。


「ヴァン……」


 隣国の言葉。意味は、風。

 恐るおそる、銀の懐中時計を裏返す。

 一点の曇りも無い裏面に、人差し指を乗せた。


(お腹の奥の方から、熱いもの(魔力)を引っ張り出す。それを指まで移動させて、“削れろ”と祈るだけ)


 耳の奥で、心拍が轟く。

 ずる、と、魔力が引き摺り出された感覚がした。久しぶりの喪失感に膝を折りそうになる。唇を噛み締め、これに耐えたパトリシアは、血管に血を押し流すイメージで、指に魔力を集中させる。


(削れろ)


 指先が熱くなり、淡い緑色の光が放たれた。

 パトリシアは自分の口角が上がっていくのを感じた。一度見ただけの式なのに、驚くほど簡単に書ける。この式は、極端に指の動作が少ないのだ。その分、魔力消費も少ない。簡素な式であるが故に減衰する強度は、飾り文字で担保されている。


(これなら、確かに、誰でも魔法が使えるわ!)


 歓喜の声を上げそうになった。

 至高の技術に触れた昂り。魔力の喪失で眩む頭。全てがパトリシアの時間感覚を刈り取っていく。淡い緑色の光が、視界いっぱいに広がった。


 気づけば、パトリシアは式を書き終えていた。

 少し歪な魔法式が、懐中時計に刻まれている。


「……で、……できた」


 肩で息をしながら、パトリシアは懐中時計を照明に照らした。バランスを崩した細い体が、後ろ向きに倒れていく。


「奥様!?」


 焦ったスヴィエートが、パトリシアを支えた。

 パトリシアは腕の中で力無く笑った。


「だ、大丈夫。魔力切れじゃありません。ただ、なんだか……上手く言えないんですが……驚いてしまって」


 体温に肌が粟立つ前に、ゆっくりと立ち上がる。

 上気した頬に玉の汗が浮かぶ。スヴィエートは、パトリシアの翡翠の瞳が、鮮やかに輝いているのを見た。


 興奮。

 実感。

 それらが波のようにパトリシアを襲っている。


 魔法書を読んで、何度も夢想した。

 自分もこんな風に魔法を使えたら。

 そしたら、何か変わるんじゃないか?

 魔法式で再現出来ないか、必死に考えた。服飾品を売って、魔法書を買って、少ない時間で本を読んで。しかし、その程度で現実が変わるわけもなかった。


 どんな経緯だったのか。何故か弟に私の奇行を知られた時。彼は呆れ返った顔で言ったのだ。


『魔法式で魔法の代用なんて、出来るわけないでしょ? 強度も複雑性も足りないじゃん。姉上も分かってるくせに、馬鹿だよね。良い加減、現実見たら』


(出来たわ。私、沢山の人の手を借りて……お前と同じことが出来るようになったのよ)


 目の前が涙で滲み始める。主人の内情を慮ったスヴィエートが、パトリシアの目元に手を伸ばした時。


 ──ブブ、と、何かが震える音が響いた。

 スヴィエートの表情が失せる。


「失礼」


 硬い声。騎士としての冷淡さを取り戻したスヴィエートが、黒衣の胸ポケットから宝石を出す。灰色の、目立たない見た目をしたソレを、迷いなく耳に当てがった。


 パトリシアは身震いした。

 沸騰した血が冷えて、寒い。それに、スヴィエートの冷涼な目に、嫌な予感が止まらなかった。やがて、スヴィエートが手を下ろす。


「隣国に動きがありました。今回は……閣下自ら御出陣されます」


 頭が真っ白になった。

 その後も、スヴィエートは表情を変えず、声色を変えず、ただ事実のみを伝える。パトリシアには、彼女が激情を押し殺しているように見えた。パトリシアと同じように。

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