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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

美食と毒と愛の選択

作者: 甘口列


 エリセール・ド・シャルモンはとある貴族の家に生まれた少女である。貴族の女として期待されるのは結婚、そして後継ぎだ。しかし、それを成すには彼女はあまりにも細く、また体も弱かった。まだ幼いと言っても彼女の体は小さく、あまりに頼りない。

 役目を果たせない少女に向けられる目は冷たいものだった。親や兄弟姉妹からは「役立たず」と冷遇され、ただでさえ小さな体をさらに小さく丸めて過ごすのが日常であった。


「あら、あなたまともに食事もできないの?」


 食の細いエリセールがカトラリーを置くとそんな嫌味が飛んでくる。家族で過ごす食事の時間すら、彼女にはただ苦痛だった。


 そんな日々を変えたのは、ある日屋敷にやってきた料理人見習いだった。ギフティオと名乗った彼は、さっぱりとした黒髪に楽し気な笑みが似合う爽やかな青年。エリセールが食事を食べられなくても「お口に合いませんでしたかね? 次はもっと美味しいものを用意しますね!」と元気よく、でもこっそりとスープをふるまってくれる、そんな優しい人だ。


「お嬢様には特別な料理が必要かもしれません……」


 ギフティオは時に真面目くさった顔で毒草を持ってきては彼女をからかった。思わずエリセールが目を丸くすると、「冗談ですよ」と笑って外に放り投げてしまう。彼の予測できない行動は、鬱々としていたエリセールの心に温かなものをもたらした。

 それに、彼が作る料理は他の料理人が作るものとは違ってどれも食べやすい。エリセールは、ギフティオの秘密の料理で初めて食事を美味しいと感じることができた。彼がエリセールの体に合わせて作る滋養たっぷりの食事は、少しずつ彼女に食べる喜びを取り戻させていった。


「私、あなたのおかげで生きてる気がする」


 今日も昼食は食べられなかったが、代わりにギフティオの作るスープがあった。スプーンでそっとすくい、一口飲み込むたびに体が芯から温まる。きっと彼だけに使える魔法がかかっているんだわ、とエリセールは微笑んだ。ギフティオも彼女が料理を食べるたびに目を細め、柔らかな表情で見守っていた。これは二人だけの、秘密の時間だ。この時がずっと続けばいいのに。二人とも、自然とそう思うようになっていた。


 しかし、そんな幻想は現実に打ち砕かれる。ギフティオの料理で少しずつ元気になった彼女は、哀れなほどやせ細った虚弱な少女から美しい一人の女性へと成長していた。その変化を目にしたエリセールの父親が、彼女を道具に変えたのだ。

 ――すなわち、縁談である。相手は社交界にも出るようになったエリセールを見初めたらしい、ある貴族。地位は高いが、女性の扱いは酷いという評判の悪い壮年の男。既に何人も妻を変えており、使用人にも手を出しているとの噂はエリセールの耳にも届いていた。


「結婚なんて嫌よ……あんな人に嫁ぐくらいなら、私、もう死んでしまいたいわ……」


 それは、少女のあまりにも無垢な願望だった。女が計算や妥協と共に行く道は、まだ幼い部分を残したエリセールにとって救いのない断崖絶壁のように思えたのだ。ならばいっそ、今の楽しい思い出だけをもって死にたい。ギフティオ以外に生きる意味なんて、見つかる気がしなかった。他人がどれほど馬鹿にしようと、彼女は本気でそう思っていた。貴族らしからぬ少女は、ギフティオの前で大粒の涙を流して訴える。


 そんなエリセールを見て、ギフティオの心は決まった。一度目を閉じ息を吐いた彼は、いつも通りの笑顔を彼女に向ける。


「じゃあ、世界で一番おいしい料理を食べて死にましょう!」


 笑ってこそいたが、その瞳は真剣そのものだった。エリセールが幸せなら、自分も、雇ってくれたこの屋敷もどうなったっていい。そんな覚悟を決めた男の目だった。エリセールははっと息を呑み、濡れた瞳で彼を見つめ返す。二人の体が、寄り添うように一瞬重なった。


 その後、見習いを卒業したギフティオは仕事の合間に何度も料理の試作を行なった。これまでに身につけた毒物の知識を総動員し、一品ずつ最期を飾るに相応しい料理を作り上げていく。見た目は美しく、味は絶品、けれど一口食べれば命を奪う、猛毒の料理。そんなこととは知らない他の料理人達は単純にギフティオの熱心な働きぶりを評価した。そして狙い通り――晩餐会に出す一品は、彼に任されることとなったのだ。


(これが、エリセールの救いになるなら……)


 そんなことを考えながら、晩餐会に出すための料理を仕上げていく。いつもは難しい顔をした料理長も、これならきっと満足してくれるだろうと太鼓判を押した。まだ未完成のスープを前に、ギフティオは考える。今ならまだ間に合う。このままレシピを変えずに出せば、誰も死なない。ただエリセールが……悲しむだけ。ギフティオの料理を食べて笑う彼女が、二度と見られなくなるだけ。


(そんなの、ごめんだな)


 ふ、と笑みを零してギフティオは隠していた瓶を握りしめた。これが最後のスパイス……煮込んだハーブと混ざれば猛毒になる、特殊な果実の粉末。わずかに目を伏せ、ギフティオは思う。人を笑顔にするのが、自分にとっての料理なのだと。


 


 顔合わせを兼ね、エリセールの結婚相手となる貴族、レナード・ダルブレを招いた晩餐会。ギフティオは予定通りにスープを振る舞った。エリセールには「スープだけは飲まないでくださいね」と耳打ちをする。エリセールが小さく頷くのを見届けながら、ギフティオは微かに唇を吊り上げた。

 彼女がこの家でどんな立場にあるのかは、嫌というほど見てきた。食卓の輪に入れず、家族の笑い声を遠巻きに聞いているだけの存在。それが彼女だった。

 だからこそ、彼は彼女に尋ねてみたかった。


(エリセール様、あなたは――どんな味を求めますか?)


 彼が作る料理の行く末を決めるのは、彼女の選択だ。


 ……エリセールは、スプーンを置いた。喉が渇いていたが、どうしても手を伸ばせなかった。

 「食べないの?」と母が笑う。いつもならこの後に「みっともない」と言葉が続くはずだった。しかし、今日は客人の前だからか、柔らかい微笑みのままでいる。エリセールはその笑顔がかえって怖かった。


「いやしかし、こんなに美味しいスープを飲まないのはもったいない」


 これほど素晴らしい料理は初めてだ、とレナードは感激する。エリセールの父親は「うちの自慢の料理人です」とギフティオの名も知らないくせにそう言ってのけた。


「きっとレナード様がいらっしゃるから気合が入ったのでしょう。今までで一番です」


 レナードもエリセールの家族たちも楽し気に笑い、スープを口にしては褒めたたえた。その輪に入れないエリセールは俯いたまま、ただこの時が過ぎ去るのを待つ。


「本当に美味しい……我が屋敷に連れていきたい、ほど、で……」


 その瞬間、顔を押さえてレナードの声が途切れる。カタン、と誰かの手からスプーンが落ちる。その音を皮切りに、一人また一人とテーブルに倒れ伏していった。その表情は笑顔のままだが、それでも息絶えていることは一目で分かった。

 給仕の悲鳴が上がり、彼らは我先にと広間から飛び出していった。「誰か、誰か!」絹を裂く悲鳴が廊下を駆け抜け走り去っていく。


「エリセール様」


 静かになった広間の中、ギフティオは彼女に近付いた。コトリと小さな音を立て、彼女の前に上品に飾られたデザートを置く。それは、とても美しかった。飴細工の輝き、甘く香る果実の芳香――まるで「生きることは素晴らしい」と囁くような一皿。


「どうしますか? 世界で一番おいしい毒料理、お食べになりますか?」


 エリセールには、そのいつもと変わらない優しい声が、たまらなく悲しく聞こえた。

 ここに座っているだけなら、彼女は悲劇の人として残りの人生を死んだように過ごすことにいなるだろう。でも、自分で最後の一口を選べるなら……それは「生きた」証になるだろうか?

エリセールは涙を浮かべながら、そっと微笑んだ。彼女の手が伸び、そして…………。



――――――――



「エリセール様をどこにやった!」

「さぁ? 知りませんし、知ってても言いませんよ!」


 その後屋敷は大混乱に陥り、駆け付けた衛兵によってギフティオは捕らえられた。激しい尋問が行われたが、彼はエリセールについてだけは決して語らなかった。

 彼女はどうしたのか? それは、誰にも分からない。彼女が選んだものが毒だったのか、あるいは別の道だったのか――それは彼女だけの秘密だ。ただ、一つ確かなことがある。拷問にも似た取り調べで傷だらけの顔に、ギフティオは笑みを浮かべた。

 あの時、エリセールは、笑っていたのだ。


「良いじゃないですか。皆様、こんなに美味しいものは初めてだと喜んでいらっしゃいましたよ?」


 全く悪びれることのないその態度は、裁きの場でも変わることはなかった。人の手には負えない危険な男、通常の監獄では更生など不可能――そう判断されたギフティオは、各都市から犯罪者が集められる、通称『罪人都市』のダイダリーへ送られることになった。


 ……未だエリセールの遺体は見つかっていない。毒を食べたのか、生き延びてどこかへ逃げ去ったのか、誰も知ることはない。ただ、彼女の最後に見せた微笑みが、ギフティオの心に焼き付いていた。これさえあればどこでだって生きていける……そう思わせてくれる、美しい笑顔だった。

 


初めて恋愛ものに挑戦してみました。感想や感じたことなど教えていただけると嬉しいです。

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