4,虚空を掴む
3460字
「紹介しよう。ここがボイジャーだ。」
本屋と言っていたから小さな書店を想像していたが、実際は相当壮大な建物だった。それこそ『図書館』と言う表現の方が適切だろう。
ピロティを抜けて建物に入る。完全に市の中央図書館レベルの構造だった。計五階建てで、ドミノのように立ち並ぶ本棚にはびっしり本が詰まってる。そしてあたりを見渡していると、本の山に囲まれて泣きじゃくるメイを見つけた。
「お仕事終わらないぃぃぃぃぃ!!」
「メイ!フランネルたちを見てないかい?」
「ええ?あぁ、フランネルたちならカウンター奥の娯楽室にいるわ。あなたたちが来るまで私の作業手伝ってくれてもいいのに、あの人たちったらなんて言ったと思う?サボったツケが回っただけだの一人で作業しろだの!」
「ははは。こちらの用事が終わったら後で少し手伝うよ。さあテレジア、行こう。」
悶絶するメイを尻目に俺たちはカウンター奥へ回り込んだ。少し歩いた先に一つ素朴な扉があり、その前には一人の人が立ち尽くしていた。
その人は俺たちに気付くなり満面の笑みを浮かべて歩み寄ってくる。
「やぁテレジア!君がテレジアかい?はっはーテレジア!」
彼がきっとボイジャー店長のフランネルだろう。フランネルは俺に深いハグをしてきた。オダマキが呆れたようにため息を吐く。
「初対面の人にそんなことはやめておけ。それより、ずっと歩いて腹も減ってるんだ。早く部屋に入れてくれ。」
「あぁ悪いねオダマキ。ささ、どうぞお入り。彼女も、新入り君に会いたがってたよ。」
フランネルがドアを開け、娯楽室に案内される。
俺の脳内に電流が走るまで、そんな時間は要さなかった。硬直する全身を背後から揺さぶられても、俺はピクリとも動かない。
娯楽室のソファには……そう、確かに彼女の姿があったのだ。
妹アメリア。数か月前、自殺したはずのアメリア。
震える足で彼女に歩み寄り、膝から崩れ落ちた。彼女の首筋には細い線がついていた。首吊りの跡だ。ああ、こうして夢の国で再開できるだなんて。
「アメリアッ!」
彼女を強く抱きしめる。もう、これ以上手放すもんかと。子供みたいに泣きながら俺は彼女を全身で感じていた。後ろでオダマキやフランネルが驚いたような声を上げていたが、そんなのどうでもいい。
「アメリア、ずっと君に謝りたかったんだ。ダメなお兄ちゃんでごめん。でもこうして再開できたんだ……。今度こそは、絶対に守り切ってやる。」
困惑したようにアメリアもハグし返す。ああそうだ……この温度。この感触。当たり前だったこの感覚が、かけがえのないものだっただなんて。もう、何も失いたくない。
そう思ったのも束の間、彼女は聞き慣れた声で俺に一言、こう言い放った。
「以前にどこかでお会いしましたか?」
次に困惑したのは俺だった。思わず彼女から離れてフラフラと立ち尽くす。
「え……今……なんて……」
「テレジア、いきなりどうしたんだ。」
オダマキが耳元で囁く。俺は何も信じられなくなってその場で尻もちをついてしまった。
テーブルの上の飲み物が、カチャンと音を立てて揺れる。ただ地面の一点を見ていた。そんな中、何かを察したフランネルが俺に言葉をかけた。
「えーっと、テレジア。もしかしてここに来るより以前に、彼女と面識があったりする?」
「あぁ…そう…。」
「ッ…」
オダマキが大きく息を吸うのが分かった。……なんだ?ここに来る前にアメリアと面識があることの何が問題なのだ?
「あの……オダマキさん、顔を上げて。実はね、私……」
「彼女、過去の記憶が無いんだ。」
フランネルから発せられた言葉で、ますます顔色が悪くなる。続きはアメリアの口から語られるらしい。
「私、ここに来た当初、とあるナハツェーラに攻撃されて重傷を負ったの。一命は取り留めたものの脳の損傷が大きくて……ここに来る以前の大半の記憶を失った。もし以前テレジアさんと面識があったのなら、そのことを教えて?もしかしたら……ほら、思い出せるかもしれないから。」
歩み寄って俺の頬をなぞるアメリア。拭かれた涙が朧げに映る。
至近距離で見ると、彼女の左目は少し琥珀色に光っていた。それに気付いたのか、思わず彼女は左目を手で覆った。俺もしまったと思い目を逸らす。
気まずい沈黙を終わらせるようにフランネルが言った。
「とりあえずご飯に…しよっか。」
あっという間に月が昇って夜が来た。
ボイジャーの二階の一室を借りて一晩過ごすことにした。彼女も、一階に部屋を借りているらしい。窓の外ではメリーゴーランドの愉快な音楽が絶えず流れていた。窓を完全に締め切っても、若干くぐもった音楽が聞こえる。サフィニアの言っていた『悪夢』の意味を、ようやく理解でき始めた。これは悪夢だ。果てしなく長い夢になるだろう。
星を数えていると、部屋の戸を敲く音がした。
「どうぞ。」
ランタンを持ってやってきたのはオダマキだった。俺が息しやすいように、和やかな笑みを浮かべて会釈する。そっと扉を閉めて、彼は椅子に座った。
「災難だったね。」
「……」
結局あれから彼女と話していない。死人の気持ちだった。
「アメリアとはどんな関係で?」
「兄妹。双子なんだよ。」
ランタンの光が揺れ、部屋全体の陰も揺れる。
「確かに顔立ちよく似てるもんな。にしても双子とは珍しい。」
咳払いをして、また沈黙が流れる。
ここハルモニアに来て二日目が終わろうとしているが、俺はこの先、あれほどの感動と絶望を感じる事は無いだろう。彼女に謝りたいことがあった。彼女を救ってあげたかった。でもそれができないまま俺の畢生は結末を迎えようとした。しかしここハルモニアで再開できて、俺は勝手に期待しすぎた。彼女の失われた記憶を押し付けるのはよくない。また俺が心に溜め込まなきゃいけないんだろうか。
遠くで観覧車がゆっくり回っている。イルミネーションはいつか消えるのだろうか。
「ハルモニアは、誘われる人の条件が非常に緩い。だからこそ、死別した人たちがこの世界で再開することだってあるんだ。俺はあまり好きじゃないけど、サフィニアも同じ経験をしたらしい。」
サフィニアのあの後ろ姿が思い浮かぶ。彼女はこの夢の国を『悪夢』と呼んだ。彼女も、俺と似た気持ちでここにやって来たのだろうか。
俺は、一つ一つ語り出した。
「俺とアメリアは双子として裕福な家庭に生まれたんだ。父親が資産家でね。でも、俺たちを出産後、母は産後鬱で首を吊った。でも途中で父に助けられて、死ねず脳に大ダメージを追って病院に搬送されたんだ。それ以降、俺とアメリアは父一人に育てられることになる。」
「それは……そっか。」
「確か俺らが五歳になる頃かな。父があっさり再婚したんだ。でも……」
「でも?」
「再婚直後。父は不可解な心臓麻痺で他界した。新しい母も、お金持って消えちゃってさ。取り残された俺らは、一応戸籍上では自殺未遂した母の子になった。実質親を失って、俺は中学卒業後すぐ働くことにしたんだよ。妹を進学させるために。」
足の間で、拳を強く握りしめる。肌荒れした手が涙で滲む。
「でも……俺知らなかったんだよ。アメリアが、進学先の学校で『貧乏人』ってイジメられてたこと。あいつ他人に相談できない性格だから、溜め込みすぎて……そんで死んだ。母と同じく首吊って死んだ。」
夜の静寂。愉快な音楽。孤独な月。その全てが、俺に耳を傾けているようだった。
「とうとう俺も独りぼっちになって、俺は……俺も……人生を終わらせようとした。もう誰も孤独にしない。孤独にしたくない。そんな願望から、俺は母の延命装置を停止させて自分も首を吊った。でも、生き延びたんだよ。母と全く同じ運命を辿った。全身が動かせなくなって、病院の延命装置に繋がれた。そこで、俺は長い夢を見るようになったんだと思う。そうしてここに来たんだ。」
椅子のきしむ音がした後、足音が俺に近づいた。そして、人影が俺を肩から抱きしめる。アメリアの、あの困惑した顔を思い出した。
―前にどこかで会ったことありましたっけ?―
耳鳴りが止まない。兄として隠してきた大粒の涙が、下の瞼から零れ落ちた。人影をそっと抱きしめ返す。
とても、静かな夜だった。
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