1,「夢の国」
4422字
かぁーっ、かぁーっ、かぁーっ。
無数の鳥たちの声で目が覚めた。
「いっ…」
上半身を起こし、痛む頭を振り回す。毛先に溜まった水滴が周囲に飛び散った。目眩が少し収まったタイミングで、少し周囲を見渡してみる。
カラフルなタイル。少し波打つプール。愉快な柵の奥にはメリーゴーランド……。
「遊園地?」
それが真っ先に思い付いた言葉だった。目を凝らせば、回るコーヒーカップやお化け屋敷、チープな飲食店も見受けられる。どこかで見たことある光景だが思い出せない。どこだここ。っていうか、ここに来るまでの記憶が思い出せない。
何故意識を失っていたのかは置いといて、まず今朝のことを思い出そう。今朝何をした?朝食は……食べずに……あれ、そもそも今朝なんて訪れたか?いや、今朝が訪れないなんてことあるか?何を言ってるんだ俺。
こんがらがる頭を両手で抱えて必死に思い出す。そこで、一つ思い出したことがあった。
「そうだ……俺、溺れる夢を見たんだ……。俺を呼ぶ声がして、次に遊園地の音が……。」
その直後。巨大な生き物の唸る声が、地を這うように響いた。揺れる空気を全身の肌で感じて縮み上がる。顔を上げると、遠くのお化け屋敷の入り口から熊がこちらを見ていた。
「うあ、う……あぁああぁあ!!」
震える足を叩いて、反対方向に全力で走る。熊も雄たけびを上げてこちらに猛突進してきた。
「やめろ!こっちに来るなァ!」
しかしあの熊……どこか変だ。遠いから見間違いかもしれないが、額に三つ目の目がある。どれも充血していて、血の涙を流しているようだ。
いや、三つ目の熊がいるはずない。そんなことより早く逃げなければ!
メリーゴーランドの外周をぐるりと回り、空中ブランコエリアに突入する。しかし熊はメリーゴーランドなんて無いかのように破壊しながら突っ込んでき、あっという間に同じ空中ブランコエリアに到着した。ブランコをかき分けながら走り続け、柵を乗り越える。空を見ると、遊園地を横断する様にジェットコースターのレールが宙に設置されていた。
……そうだ、ジェットコースターならこいつを巻けるかもしれない。でもこのスピードならすぐ追いつかれるか?ならレール上にこいつを足止めして、発進させたジェットコースターで轢かせるか?しかし足止めさせる手段がない。というかレールは空高くにあるんだから無理な話だ。
この頃にはもう体力が限界値を迎えていた。
鬼の形相をした熊が猛スピードでこっちを追ってくる。もうゼロ距離だ。
「助k……」
熊が手を伸ばしてきた、その次の瞬間。
「ウアッ!」
蓋のないマンホールに躓いて、落ちた。なんでこんなところに蓋のないマンホールが!?それも、人一人余裕で落ちるようなサイズで……。まるで俺を救うために遊園地が今作ったようなマンホールだ。
マンホールの穴の上、あの熊がこちらを見下ろしている。
落下し続けて俺は下水道に落ちた。真横で下水が流れている。
「いってて……」
痛む腰をさすりながら立ち上がる。しかし諦めてまた座り込んだ。
靴が一足ない。逃げる途中で落としたのだろう。荒れる息を落ち着かせ、泣きそうになる。
「どこなんだここ……」
そう呟いたのも束の間、下水道の奥の闇からオレンジの火の玉がこちらにやってきた。
「ゆ…幽霊……?」
本来なら絶叫して逃げるところだが、疲れた俺には叫ぶ余裕もなかった。ましてやあの熊の形相を見た後だ。こんな火の玉、可愛く見える。
「やァ、ボクは幽霊じゃないヨ!」
「喋った…」
「ここらでは見ない顔ダネ!」
火の玉は俺の顔を舐め回すように飛び回った。至近距離なのに、熱くない。むしろ冷たさを感じた。
「新入り?」
「新入り…かは分からないけど、ついさっきこの遊園地で目が覚めたんだ……。」
「ああ、新入りダネ!」
煽るように喋る火の玉。楽しそうだが、その無邪気さが俺のイライラを助長する。
「なあ、この遊園地の名前を教えてくれないか?思い出せたら帰り道が分かるかもしれない。」
「『ハルモニア』。それが、ココの名前。」
急にねっとりとした喋り方になる火の玉。ハルモニア…?聞いたこともないな。いや、聞いたことはある。聞いたことはあるが…ハルモニアって確か、誰かの詩集のタイトルだった気がする。いや分からない。疲れて頭が回っていないだけかもしれない。
「知らない場所だろう!?それもそのはず、ココは夢の国だからな!」
「夢の…国?」
アリスみたいだ。ん、いや…アリスは不思議の国か……。まあそんなことはどうでもいい。とにかく重要なのはあの熊の目を盗んでここから逃げることだ。
「なあ火の玉……。もしよかったら、ここの出口を教えてくれないか…。」
「オッケ!じゃあまずは地上に出よう!」
「あ、いや…今地上には熊が出没してるんだ…。多分どこかから脱走したものだと思う。」
「そんなァ!僕、あの熊と共謀してるんだ!だからお前を地上に出さなきゃいけないのに……」
ん?何を言ってるんだコイツ。熊と共謀…って。
「でも……もうその必要もないみたい。向こうから来てくれた。ホラ、後ろ。」
獣臭く生暖かい息が首筋にのしかかる。嫌な予感を胸いっぱいにして振り向くと……
「うわぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
涎を垂らして三つ目の熊がそこにいた。俺が叫ぶなり熊も大きく手を広げた、その次の瞬間。
パヒューン
暗闇の中から飛んできた一本の矢が熊の額の目を撃ち抜いた。熊の叫ぶ暇もなく、また二本目が飛んでくる。それは熊の足を射て、バランスを崩した熊は下水の方に倒れて落ちた。流される熊を見て硬直していると、あの火の玉の「ギャッ」と悲鳴が聞こえる。振り向くと刀を持った人影が火の玉に対峙していた。燃えている玉の核を刀で刺し、あっけなく下水に浸して鎮圧した。
ゴポゴポゴポゴポ……
「お前、怪我はないか。」
女の声。透き通った声だが、どこか機械的で冷徹加減が伺える。
「あ……大丈夫、です。」
「よかった。これ、お前のか。」
突きつけられたものを手に取ると、それは俺の靴だった。
その女におんぶしてもらっていた。
「なんか…ごめんなさい。」
「気にするな。恐怖で足が動かなくなることなんて珍しくない。」
コツコツと、歩く音が下水道に響く。
「ここを進めば階段があるはずだ。そこから地上に出られる。」
「あの…」
「なんだ。無駄話は好きじゃない。」
いきなり鋭い言葉が飛んでくる。ただでさえ恥ずかしい状況なのにこれ以上心の傷を抉らないで欲しい。
「この遊園地、ハルモニアっていうんですか?」
「ああ。ハルモニア。エリカが統括する夢の世界だ。」
たった数文字の情報が処理しきれない。エリカ……は文脈的に人の名前だろう。夢の世界?これは夢なのか?
「あ、夢の世界とは言うが……それは子供達が見る幸せな夢とは違う。ニュアンス的には悪夢だ。」
「……どういうことですか。」
「お前は招待状を貰っていないのか?」
「招待状?」
「ああ。ここに来る輩は皆、招待状を貰って来ている。きっと、お前のも探せばあるはずだ。」
奥にうっすらと光が見えてきた。きっと開いたままのマンホールから差し込む外の光だろう。
「そういえば、」
「私のことはサフィニアと呼べ。」
こちらが喋る隙も与えずサフィニアは呟く。サフィニア……いい名前だ。
「えっと、俺はテレジア。呼び方も、テレジアでいいです。」
階段を上り始める。差し込む光が彼女を正面から照らす。後ろ姿から、長い銀髪なのだと分かった。
やがて外に出て、ジェットコースターの支柱沿いに設けられたベンチに座らせられた。
「はあ、いい運動になったよ。」
薄い日陰の中でこちらに向き直るサフィニア。整った顔の輪郭と、深い赤の瞳が印象的だ。さっきは分からなかったが、銀髪は意外にも可愛らしい黒リボンで束ねられていた。
「えと……さっきの熊みたいなバケモノって、他にいないですよ…ね?」
「いや、姿は様々だがお前の言うバケモノ自体は普通にウジャウジャいるぞ。まあ現れた時は私が殺してやる。」
頼もしいが、敵に回したらいけないタイプだ。誇らしげに鼻を鳴らすサフィニア。腰のポケットから一冊のポケットノートを取り出し、パラパラとページをめくって何かを書き込んでいた。
「なあ、さっき出会ったやつって、三つ目の熊とオレンジ色の火の玉だよな?」
「は、はい。」
二回ノートに線を引く音がする。ノートの表紙には『お友達ポケット』と書かれていた。ギャップ萌えどころではないだろう。
「なあテレジア。きっとお前は新入りだろう?」
確かあの火の玉に新入りだと言われた。
「はい。」
「このお友達ポケットは持ってるか?」
「……ない、です。」
体中をくまなく探しても見つからなかった。
「はあ、招待状もノートもないのか。お前本当は変な存在じゃないだろうな?」
「いや、あんなバケモノと一緒にしないでください!」
そう言い放つと、サフィニアは欠かさず訂正してきた。
「バケモノじゃない。ナハツェーラだ。まあバケモノっちゃバケモノだが、我々はあれをナハツェーラと呼んでいる。」
「ナハツェーラ?」
「そう。ナハツェーラ。遺体を貪る者という意味だ。」
ノートに何かを書きながら彼女は言う。
結局これが夢なのか現実なのかも分からない。さっき火の玉とサフィニアに聞いても分からなかったんだし、また質問しても理解できないだろう。でもなんとなく……これが現実ではないことは察していた。
三つ目の熊も、下水道で至近距離で見たが、ちゃんと三つ目だった。冷静に考えて火の玉の存在が現実離れしている。何かのドッキリでもない限り、これは現実以外の何かだ。
ノートに何かを書ききったサフィニアは、そっと俺の横に腰かけた。生暖かい風が吹き抜ける。
「私は、ナハツェーラに対して猛烈な憎悪を抱いている。私も、自身の脚本に書いてある『正義』は、ナハツェーラを全滅することだと信じている。だから近々、ナハツェーラを庇う旧友の家も破壊するつもりだ。」
「脚本?」
そう首を傾げた直後。
「おーい!そこに誰かいるのーーー??」
やけに間延びした女の声がメリーゴーランドの方から聞こえてきた。
サフィニアは何も言わず立ち上がり、俺に一言残す。
「失礼。またどこかで会おう、テレジア。君の名前は覚えておく。」
そう呟くなり彼女は声と反対方向にさっさと逃げてしまった。
「あっ、ちょっと!」
「見ぃつけた!」
声のする方には、薄いピンク色の髪をした女と、白い長髪の清楚な女がいた。こちらを見つめて笑顔で手を振っている。
これから、信じられないような俺の物語が始まった。
もっと良く表現するなら……それこそ、夢のような物語だ。




