24,閉鎖的な楽園
4056字
「テレジア。」
主を失ったリコリス工房は今や俺とアメリアの拠点となっていた。そんな工房の一階。アメリアが口を開く。いつもの大きな帽子を深く被っていて目元が見えない。
「どうしたの?」
「一緒にここを逃げ出さない?」
「急にどうしたの。」
洗った食器をディッシュスタンドに並べながら俺は笑った。洗剤のせいで手がガサガサだ。
「私さ、もう耐えらんない。これ以上大切な家族を失うのを見たくないわ……」
「もう、君に失う家族はいないよ。オダマキもリコリスも行ってしまったじゃないか。」
「あなたがいるじゃない!」
皿を擦る手が止まる。水滴がシンクにコンコンと落ちた。
「ああ、そっか……僕も君にとっては大切な家族なのか……」
「私がハルモニアに来た直後あなたもここに来た。行ってしまえば同期でしょ?私にとってあなたは兄妹みたいな存在なの!」
思わず変な声が出た。滑ってシンクに落ちたコップを拾い上げ、誤魔化すように笑った。
「アハハ、兄妹だなんて。大袈裟だよアメリア。」
「でも……」
「じゃあアメリアが死ぬまで俺は生きるよ。約束するから、それで安心してくれる?」
「もし私がナハツェーラになってあなたを襲っても約束してくれる?」
「変なこと言うなよ。」
その時チャイムが鳴った。
「私が出るね。」
席を立ってアメリアは玄関の方に消えていった。きっと来客はアザリアだろう。
「……」
皿をまた一枚ディッシュスタンドに立てる。なんとなく後ろを振り向いた。部屋の中央に置かれた大きなテーブルを囲むように六つの椅子が置かれている。あれはオダマキの席……あれはメイ……その隣はリコリスで……こっちがフランネルの席。でも今や使われているのは俺とアメリアの席だけだ。
玄関の方からアメリアとアザリアの声が聞こえる。何を喋っているのか聞こうとしたが、何を言っているのか分からない。諦めて思い切り蛇口を捻り、噴き出す水に手をかざした。
食べるだけ食べて満足したのか、アメリアはそのまま寝てしまった。跳ね除けられた毛布を肩まで掛けてやり、俺は上着を羽織って外出の準備をした。最近やけに寒いな。そう愚痴をこぼしながら、鍵とノートをポケットに突っ込み、俺は工房を出た。
「たらったったったらーん、たたたったたたったたたんたん……」
あらゆる遊園地施設から流れるハルモニアのbgmを口ずさみながら歩いていた。息が白い。手袋もして来ればよかったな。そう考えながら歩いていると、少し遠くで俺を呼ぶ声がした。
「こっちです、テレジアさん!」
顔を上げると、遠くのお化け屋敷の前にアザリアが立っているのが見えた。俺に向かって笑顔で手を振っている。いつものお上品な雰囲気からは想像もできない無邪気さが伺える。
「ごめん遅くなった。」
「いいえ。私も今来たとこです。」
「じゃあアザリアも遅刻したのか。」
「嘘ですちゃんと時間通り来て五分待ちました。」
冗談交じりに言葉を交わして二人並んだ。軽くデートみたいなものである。
「向こうにですね、新しい遊園地施設ができたんです。」
コーヒーカップに二人座った。ハンドルに手を掛けて力いっぱい回す。のんべりと周りだすコーヒーカップ。点滅するライトが横に伸びて見えた。回転が速くなるにつれて、その光も長くなる。冷たい風が優しく頬を打ちつけた。
「早いわテレジアさん!」
少し力を抜くと、遠心力で首が外側に引っ張られる。二人で呑気に悲鳴を上げながら、回る視界を楽しんだ。
しかし楽しい時間に限って感覚的な寿命は短い。双方腕が疲れてコーヒーカップを出た。アザリアはピンピンな様子だったが、俺は吐きそうな胸を押さえながら壁に手をついた。見かねたのかアザリアは俺のその手を無理矢理奪う。彼女の手の温かみを感じながら俺たちはまた歩き出した。
「こういうの、夢だったんです。」
「手を繋ぐこと?」
「誰かと遊園地デートをすることです。私、ここに来る以前は文明社会から孤立した村に住んでたんです。だから、遊園地なんていう楽しい空間を誰かと歩くのがずっと夢だったんですよ!」
彼女の楽し気なステップが遊園地のbgmと共鳴する。繋がれた手が不規則に上下に揺れた。
「テレジアさん、楽しい?私は楽しいです。夢が、叶って。」
俺たちは小さなバイキングに行きついた。まるで今出来たかのようにホカホカなパンやソースがカウンターに並んでいる。彼女はいっぱい皿に取っていたけれど、俺はジャムとパンと飲み物だけ取って席に着いた。
「それだけでいいんですか?」
「俺はさっきアメリアと食べたから。これをゆっくり食べるよ。」
ジャムのパッケージを開け、バターナイフですくう。彼女は早速自身のサラダに手を付けていた。俺に見られているのに気付いたのか、彼女は急いでマフラーとニット帽を外す。それらを椅子に掛け、美味しそうに食事を再開する。
「少し、私の話を聞いてくれますか。」
「どうぞ。」
ジャムをゆっくりパンに塗る。彼女は伏目がちに語り出した。
「ハルモニアに来る以前、さっきも言った通り私は文明社会から孤立した村に住んでたんです。山に囲まれて、島国的に独自の文化が生まれた特殊な村なんです。」
ここまではよくある話だ。人間社会とかけ離れた山にある集落は独自のルールで構成されているケースが多い。
「偶像崇拝って分かりますか?」
「信仰の一種、と言う程度の認識だけど。」
「文字通り偶像を崇拝する、信仰の一種の形態です。」
「それが何か?」
「私の村は、その偶像崇拝の文化が根付いていたんです。特に父が牧師だった関係で、私は生まれた時から信仰を押し付けられてました。」
一言一句聞き逃さず聞いているつもりだった。今後の展開的に、エリカの側近であるアザリアと言う人間は重要な立ち位置になってくるはずだ。今回彼女をデートに誘ったのも、そんな彼女の素性を知るのが目的の半分である。
「生まれつきそういう教えをされていたから、ずっと私は神こそ正しさの象徴だと信じてました。」
「過去形だね。何かあったの?」
「ええ。私が教会で前に立つことが許される歳になった頃、外界の旅人が村に訪れました。彼は世界中を歩き回っていて。子供だった私にも外の世界のことをたくさん教えてくれました。それこそ、文明社会のことを……です。」
彼女の口角が少し上がっているのが見えた。無意識だろう。旅人の話を聞いていた時の彼女の興奮さが伺える。
「愚かにも、私の信念は揺らいでしまいました。畢生を神に捧げるつもりでしたが、外界に謎の憧れを抱いてしまったのです。」
「……選択の結果は?」
「後者でした。私は一人で村を逃げ出したんです。」
彼女のフォークを持つ手がペースを落とす。合わせて俺もパンを口に運ぶ手を遅めた。
「ただのハッピーエンドに聞こえますが、まだ続きが?」
「ええ。私が村を逃げたタイミングで、村で疫病が流行したのです。きっとあの旅人が外界から病原体を持ち込んでしまったのでしょう。でもなんでもかんでも神に紐づけるあの村の考え方は狂っていました。疫病が流行ったのを、私のせいにしたんです。」
「ほう?村から出て行った身なのに、なぜ?」
「私が神を見捨てたことに、神が怒ったのだと村の人は推理しました。追手により私は夜道で暗殺されました。そして、ここハルモニアへ……。」
一通り話し終え、疲れたように彼女は息を吐いた。初めて背もたれに倒れ込む。
「長々と暗い話を失礼しました。」
「いいや。不謹慎かもしれないけど、聞いていて楽しかったよ。自分の知らない世界を知れた感じというか……。でも本当、災難な人生だったね。」
「テレジアさんは?よければ、テレジアさんの話を聞きたいです。」
ジャムにバターナイフを差し込む。俺は眼球を動かしてしっかり彼女の目を捉えた。
「これアメリアには内緒にしてほしいんだけど――」
「ええ。テレジアさんのお願いならもちろん。」
「アメリアは俺の実の妹なんだ。」
アザリアの手が一瞬止まるが、想像していたほど驚く素振りも見せずすぐ食事を再開した。
むしろ俺が驚いてしまった。
「あれ、そんな驚かない?」
「なんとなく分かってました。二人とも全く髪色同じだし、何より一緒にいて兄弟愛を感じました。テレジアさんがアメリアさんの記憶喪失の件を知って絶句したという報告も聞いております。」
なるほど……第三者からは丸分かりだった、ということか。まぁ、だとしたら話は早い。
「今日、アメリアに一つ提案されたんです。」
「どんな?」
「『一緒にハルモニアを逃げ出さないか』と。」
フォークが落ちる音がする。エリカサイドの人間である彼女にとっては聞き捨てならない発言だったのだろう。
正直この告白は賭けでもあった。アザリアがエリカにこれを報告するかどうか以前に、彼女の判断を見たい。
「それは……」
「彼女は精神的な面で大きな負担を負っている。兄として彼女の計画は応援したいし、できることなら協力したい。でも、ただの来訪者である俺とアメリアはハルモニアから脱出する手段を知らない。だからエリカに一番近いアザリアの協力を得たいんだ。」
「……ちょっと、急すぎて……。」
「ああ。今すぐ君から答えを聞きだすつもりはない。ただ、今夜じっくり考えてくれ。最終的な判断は君に任すけど、エリカには言わないでくれ。」
「……」
落ちたフォークを拾うアザリア。その手は震えていた。しかし次に彼女が発した言葉は、こうだった。
「とりあえず、エリカには黙っておきます。協力云々は、よく考えます。」
この協力依頼はデートの理由の四分の一だ。さっきのアザリアの素性を知るのが二分の一なら、残る四分の一は何かと言われるかもしれない。それはズバリ、フランネルのことだった。
「ねえアザリア。」
「はっはい。」
「嘘でもいいから答えてくれ。もしかしてフランネルはまだ生きてる?」




