22,触れられない温度
3247字
「リコリス!」
現場に到着した俺は思わず叫んだ。ホテルの七階から鎖が垂れている。そしてその先には血まみれのリコリスが結ばれており、逆さに吊るされていた。その横にいるのは……サフィニア?
「う、動くなぁああああ!」
アメリアが試作品の銃を遠くのサフィニアに向けた。色の塗られていないリコリスの試作品の銃だ。震える手だが、銃口はしっかりサフィニアの方を向いている。
トリガーが引かれ、瞬発的に爆音が轟く。奇跡的に弾丸はサフィニアの額に飛んでいった……が、それはサフィニアを貫通して後ろの壁を砕いた。
「え?」
「アメリア、これだ!」
ノートを取り出し『悲しみの序曲』というナハツェーラの項目をアメリアに突きつける。彼女はそれを見るなり言葉を詰まらせ銃を落とした。
サフィニアは宙ぶらりんのリコリスを見つめた後、地を這う鎖を操作して、どこかからライターを運んできた。それを手に取り、カチカチと火を付ける。やけに火が強く燃えていた。
「サフィニア……そのライターで何をするつもりだ。リコリスを燃やすのか?その小さなライターで?」
「ふふーっ」
鎖を乗り越えたその直後。さっきまで煙たかった空気の匂いが一気に浄化された。そういえば彼女の鎖エリア範囲内ではランダムで五感が機能を停止するんだよな……。じゃあ今は嗅覚がオフになっているのか。
しかし次の瞬間。
「テレジア!戻って!!!」
「えっ?」
「足元を見て!ガソリンだわ!」
言われた通り足元を見ると、そこには薄く透明な液体が張っていた。周囲を見渡すと、飛んだ瓦礫で車が傷ついており、その傷口からガソリンが漏れ続けていた。
「しま……ッ!」
嗅覚が働かずガソリンに気付けなかった分、俺はかなりサフィニアに近い所まで歩みを進めていた。恐怖で駐車場の外に座り込むアメリアの方へ体を向け、全力でダッシュする。しかしもう遅かった。
振り向きざまにサフィニアがライターを投げるのが見えた。ライターはガソリンの水溜まりに落ちる。直後周囲が燃えたかと思うと、もの凄い爆発が起きた。
ピロティ―の柱が砕け散り、バランスを崩したホテルが根元から崩れ出した。爆風に吹き飛ばされた俺は駐車場の壁に体を打ちつけられた。
「テレジア!」
悲鳴交じりにアメリアが寄ってくる。朦朧とする意識の中、血の滲む視界でサフィニアを見つけた。服こそ燃えているが、彼女の肉体は無傷らしかった。宙ぶらりんのリコリスは……リコリスがいない?よく探せ……よく探すんだ……。よし、窓から垂れる鎖を見つけた。それを辿って見ていくと……
「っ……」
鎖の先には、真っ黒焦げの小さな塊が絡まっていた。
「ああ……あぁあ……」
弱弱しく黒焦げの塊に手を伸ばすが、遠すぎて、指その隙間からチラチラ見えるだけだった。塊はずるずると高度を落とし、べちゃんと地面に落ちた。直後、サフィニアがそれを踏んだ。踏んで、捻る。しかしそのまま硬直して、膝から崩れ落ちてしまった。肉塊を必死に寄せ集めている。方角的に彼女の顔が見えない。しかし遠目でも分かるくらい肩が震えていた。
「テレジア!意識はある?ねえ返事して……!」
「あぁ……怖がらないでアmリa……」
綺麗な頬を撫でる。彼女の涙が俺の額に一滴落ちた。
しかしその次の瞬間。ホテルのピロティ―が青白い光に包まれた。
「わ!」
思わず目を閉じる。何の光だ?痛む首を力なく傾けると……
「あれ……」
サフィニアが顔を両手で覆って右往左往していた。立っていることすらできず、やがて壁に肩を叩きつける。炎の轟音の中彼女の悲鳴が轟いた。
それと同時に、彼女の鎖が周囲を閃光の勢いで張り巡らしていった。やがて鎖はホテルの敷地内に留まらず、外……ハルモニア中を徐々に侵食し始める。
「ハルモニア全域が彼女に支配される!アメリア……早く逃げよう……!」
「逃げるって、どこに!?」
夢の住民はハルモニアから出られない。そのハルモニア全域が彼女の鎖で覆われるとなると……
「エリカの所だ。時計塔まで行こう。」
アメリアは俺の腕を自身の肩に回し、そのまま立ち上がってホテルの駐車場を出た。足元の鎖に躓きながらも時計塔を目指して歩く。絶望が心を蝕んできた次の瞬間だった。ホテルの方からものすごい爆発がした。今まで見た中で一番大きな爆発だったのではないだろうか。爆発は連続して四回起こり、直後青白く発光し、収まった。
「何があったんだ?」
そう呟いたのも束の間、足元の鎖が塵となってボロボロと消え始めた。黒い光の粒子になって風に流されていく。この光景はまるで……オダマキの時のような……。一つの妄想が頭をよぎり、アメリアに指示を出す。
「一旦戻ってくれないか?」
「戻るって、ホテルに?」
「そうだ。」
少し体がその場で左右に揺れたが、アメリアは指示通り振り返って歩き出した。サフィニア……もしかしてお前……!
ホテルの駐車場入り口まで戻ると、俺もアメリアも思わず立ち止まって言葉を詰まらせてしまった。
炎の海の中には、体が塵になって消えていくサフィニアと……アザリアの姿があった。
「アザリア!」
アメリアは俺を担いだままアザリアの方まで駆け寄った。彼女は肉塊となったリコリスを観察していた。やがて彼女の側まで駆け寄ると、俺は柱にもたれるように降ろされた。アメリアが号泣しながらリコリスに駆け寄る。
「リコリス!」
アザリアはそっと後退し、俺の方に来る。
「テレジアさん。意識はありますか?」
「ああ……」
「ハルモニア全域が『悲しみの序曲』の『抱擁』により鎖で覆われました。エリカの指示で来て、たった今悲しみの序曲の討伐に完了したところです。」
遠く、駐車場の真ん中で悶えるサフィニアが見える。つま先から徐々に灰になっていた。
「……テレジアさん?」
重い足を無理矢理動かし、燃えていない一本の細道を歩く。
『悲しみの序曲』。幻覚かもしれないが、近づくにつれて彼女の容姿が人間の頃のものになっていった。黒いリボンで束ねられた髪とオーバーサイズの普段着、そして紅蓮の瞳。彼女の鼓動が遠くでも感じられた。
彼女は近づく俺に気付いたらしく、ゆっくりと振り向いた。でも攻撃するでもなく、その場に跪く。俺も彼女の横でしゃがみ込んだ。
「サフィニア……」
「テレ……j、a?」
「そうだ。俺だ、テレジアだ。」
そう呟くと、彼女は俯いた。こまめに肩が揺れ、鼻をすする音がする。
「ふーっ、ふーっ……ぁあア……」
「……」
俺はしゃがんだまま彼女に背を向け、腕を後ろに伸ばした。何かを察して、彼女は俺の肩に手を回した。でも……そう。知ってはいたのだ。何も、感触がない。
≪悲しみの序曲は生命体に触れられない≫
彼女の指先は俺の肩に触れると、あっけなく崩れて行ってしまった。そのまま彼女は俺の方に倒れ込んだ。しかし彼女の肉体と俺の背が触れたところで、衝撃に寄り彼女の体は瞬間で灰となって散ってしまった。彼女が消える直前、耳元で何かが聞こえた気がするが……俺には聞き取れなかった。
炎の海。散りゆく束縛の鎖。遠くではアメリアとアザリアがリコリスの前で追悼していた。
「……ん……ァあ……」
両手を地面について、炎の中俺はその場で泣き崩れた。
「サフィニア!」
光の向こう、誰かが私を呼んでいた。振り向くと、一つの人影がこちらに手を振っている。
「こっちにおいで。君の為にクレープを焼いたんだ。イチゴが好きだっただろう?一緒に食べよう。そして……家に、帰ろう。手を繋いで。」
数秒の沈黙が流れたが、私は俯いて、すぐ笑顔を作って前を向いた。隠してきた涙が溢れて来る。
「夢が朽ちても、私はあなたを愛してるわ。」
そのたった一言が世界で一番美しい響きに変わる瞬間が、今、ここにある。
――家に、帰ろう。




